初代三遊亭遊三の噺、「氏子中」(うじこじゅう)によると。 与太郎が越後に商用に出かけ、1年半ぶりに檜物町五番地に帰って来ました。二十三、四のかみさんのお美津の腹が木魚のように膨れているので、与太郎もこれにはビックリ。男の名を言えと問い詰めても、お美津はケロッとして、「亭主が居てはらむのは世間では当たり前。亭主が居なくてはらむのは女の働き。おめでたいじゃないか。お前さんと一緒になってもう七、八年。近所のおかみさんがはらむのを羨ましがっていただろう。だから、お前さんが信州に行っている間に、お前さんを喜ばせようと思って、こしらえておいたんだよ」、「馬鹿げている」、「これは、あたしを思うおまえさんの一念が通じて身ごもったんだ」、「馬鹿げている。相手の男は誰なんだ」、「神田明神へ日参して『どうぞ子が授かりますように』とお願いして授かったんだから、いうなれば氏神さまの子だ」と言い抜けをしてなかなか口を割らない。
1.「町内の若い衆」と「氏子中」 どちらも類型の艶噺ですが、題名が入れ違って高座に乗っています。馬生だった志ん生や立川談四楼の音源も残っていますが、中身は全て「町内の若い衆」です。
落語「町内の若い衆」 ■禁演落語;この噺も禁演落語の中に含まれている一つです。戦時中の昭和16年10月30日、時局柄にふさわしくないと落語家達が率先して禁演とした落語。浅草寿町(現・台東区寿二丁目9)にある長瀧山本法寺境内のはなし塚に葬られて自粛対象となった、廓噺や間男の噺などを中心とした53演目の落語のこと。戦後の昭和21年9月30日、「禁演落語復活祭」によって解除。建立60年目の2001年には落語芸術協会による同塚の法要が行われ、2002年からは、はなし塚まつりも毎年開催されている。以下にその演目を列記します。 禁演落語五十三話;演目は「五人回し」 「品川心中」 「三枚起請」 「突き落とし」 「ひねりや」 「辰巳の辻占」 「子別れ」 「居残り佐平次」 「木乃伊取り」 「磯の鮑」 「文違い」 「お茶汲み」 「よかちょろ」 「廓大学」 「搗屋無間」 「坊主の遊び」 「あわもち」 「明烏」 「白銅(五銭の遊び)」 「二階ぞめき」 「紺屋高尾」 「錦の袈裟」 「お見立て」 「付き馬(早桶屋)」 「山崎屋」「三人片輪」 「とんちき」 「三助の遊び」 「万歳の遊び」 「六尺棒」 「首ったけ」 「目ぐすり」 「親子茶屋」 「宮戸川」 「悋気の独楽」 「権助提灯」 「一つ穴」 「星野屋」 「三人息子(片棒)」 「紙入れ」 「つづら間男」 「庖丁」 「不動坊」 「つるつる」 「引越しの夢」 「にせ金」 「氏子中」 「白木屋」 「せんきの虫」 「蛙茶番」 「駒長」 「おはらい(大神宮)」 「後生うなぎ」。 これらの噺の中にある「氏子中」ですが、とびっきり上品な噺とは言えません。人によっては53話を語呂合わせで「ゴミ」だと言います。
放送自粛落語
2.神田明神
江戸名所図会より神田明神社
歴史は社伝によると、当社は天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
神田明神で「神田祭」参拝者休憩室にて 上図とも二点 上;歌麿画 下;貞重画 山車の数々を描く。 ■檜物町(ひものちょう);与太郎さんの住まいで、檜物町五番地、豆腐屋の裏長屋。現在の日本橋三丁目1〜2、及び、東京駅八重洲口、正面に突き当たる八重洲通りの北側、八重洲一丁目7〜8。
3.言葉 氏子中;氏子仲間の集まり。同じ氏神を祀る仲間達。同じ目的でお美津さんを祭り上げた連中。
■氏神(うじがみ);住む土地の鎮守の神。産土神。氏神神社とは、自らが居住する地域の氏神様をお祀りする神社であり、この神社の鎮座する周辺の一定地域に居住する方を氏子(うじこ)と称します。
与太郎さんの住まい檜物町五番地、現・中央区日本橋(及び八重洲)は、日枝神社(千代田区永田町二丁目10)が氏神様であり、彼らはそこの氏子です。ですから、神田明神は彼らの氏神様にはなりません。なお、神田明神の氏子領域は日本橋の架かった日本橋川の北側までです。(神田明神説明)
■荒神様(こうじんさま)のお神酒(おみき);
三宝荒神の略。荒神様は竈(かまど・へっつい)の守り神で、転じて家の守護神。そのお神酒を掛ければ、というのは、家の平安を乱す女房の不倫を裁断するという意味ともとれます。また別に、女房が荒神様を粗末にすれば
下の病にかかるという俗説も。
■胞衣(えな);胎児を包んだ膜と胎盤。胞衣の定紋の俗信は古くからあります。
■御七夜(おしちや);子供が生れて7日目の祝い。昔においては生後の赤ちゃんが無事に育つことが多くなかったため、節目とする7日目を迎えられたことをお祝いしたのが由来。赤飯や尾頭付きの鯛、昆布、紅白の麩などの祝膳を家族で食べ、お宮参りまでの約1ヶ月間、命名書を飾る。現在、出生届は14日目まで。
■木魚(もくぎょ);読経・念仏の際に叩いて鳴らす仏具。木製で、円形・中空、魚鱗を彫刻したもの。先端を布や革で包んだバチで打つ。宋代に始まり、もとは魚形の板。木魚鼓。
JRお茶の水の聖橋(ひじりばし)口で降りると、南側にはニコライ堂の建物。聖橋を渡った右側には湯島聖堂が有り、この二つをつなぐので聖橋と言われ、アーチ型の美しい橋です。
その北側に神田明神は有ります。聖橋を渡った最初の交差点は、本郷通りで左に行けば本郷三丁目交差点で、かねやすまでは江戸の内と言われた交差点。その先右側は東京大学、江戸時代の加賀百万石の上屋敷があった所です。
先程の交差点に戻って、そこを渡って右に行くと、すぐ左側に神田明神(神田神社)の大鳥居が現れます。鳥居の左側には「天野屋」さん(上写真)という甘酒屋さんが有って、地下に江戸時代からの麹室が有り、その麹を使って上品な甘酒が造られています。ホッと一息付ける喫茶室を提供していますし、お土産も楽しく選ぶことが出来ます。参道の突き当たりには随神門があり、天野屋さんの所から光り輝いて見えます。随神門を入ると神田明神の境内で、広い空間を通ると正面に本殿があります。この時期は七五三の参拝者や結婚式の打合せでしょうか、若い二人が訪れています。
それぞれの写真をクリックすると大きなカラー写真になります。
2014年11月記 |
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