落語「宮戸川」の舞台を歩く
五代目 古今亭志ん生の噺「宮戸川(みやとがわ)上、別名;お花・半七なれそめ」によると、
将棋で帰りが遅くなって締め出しを食った、小網町の半七は霊岸島の叔父さんのところに泊めて貰おうと思っていると、お花もカルタで遅くなり同じように閉め出されてしまった。お花はその叔父さんの所に一晩泊めて貰えないかと頼むが、早合点の叔父さんだから嫌だと断る。「お花さんは自分の叔母さんの所に行けばいいでしょ」、「だって叔母さんは熊本なんですもの」、叔父さんに誤解されると嫌だからと、駆けだしていると、お花も直ぐ脇を走って一緒に叔父さんの所に着いた。
物分かりの良すぎる”飲み込みの叔父さん”は気を使いすぎて、案の定お花と半七をいい仲と勘違いして、2階に上げてしまう。布団は1組しかない。
「いっしょの布団ですが、離れて寝て下さいよ」「良いですよ」。背中合わせの寒さかな。「半ちゃん、雨が降ってきましたよ」「私が降らせているのではありませんよ」その内雷になり「半ちゃん怖い、何とかして」「こっち向いてはいけませんよ」雷は近づきカリカリカリ、近所に落雷して、お花は半七にかじりついてしまう。ビン付け油と化粧の匂い、冷たい髪の毛。半七も思わずお花を抱き寄せ、裾は乱れて、燃え立つような緋縮緬の長襦袢から覗いた雪のような真っ白な足がス〜と。木石ならぬ半七は、この先・・・、本が破れて分からなくなった。
こういう軽くて色っぽい噺は、どの師匠も楽しんで演っています。ひょうひょうとしたお色気がある助六、志ん朝はおすましな二人、小朝は現代的な口語調の二人、志ん生、円蔵、どの舞台でも、叔父さん夫婦のなれそめの、思いで話と対比させながら、二人の甘酸っぱい夜が生き生きと演じられています。
特に、志ん生の噺の後半、二階でのお花と半七のやりとり、雷のシーンが何とも色気があって引き込まれます。「本が破れて」のところで「ウッソー」と叫んでしまったのは、霊岸島の叔父さん同様、スケベなのでしょうか。
1.宮戸川の題名の由来
前編がお花・半七なれそめの場で、この噺には後編が有ります。一度だけ記憶の中に有るだけで、最近は聞いたことがありません。
こうなってみると、もう翌朝は他人同士ではなくなっていた。これを叔父さんが疾走して二人の仲を取り持って、夫婦にさせてやった。
お花・半七は仲良く暮らしていたが、ある時お花が浅草詣りの帰途、雷門で夕立に遭い困っていると、悪者が三人してお花をさらって行き、手込めにして殺害する。傘を取りに帰っていった小僧が、雷門まで引き返してみると、お花の姿が見えない。乞食に聞いてみると、この事件が分かり半七も探し回ったが、遂に行方不明のまま一周忌の法事を済ませた。その帰途、半七は山谷堀から舟で両国まで戻ると、船頭の二人が三人組の片割れで、半七はその口からお花殺しを聞く。そして、「ふびんとは思ったが、殺した上で宮戸川に投げ込んだものさ」と知り、三人は芝居がかりで問答し、お花の仇を討つ。
これは半七の仮寝の夢で、お花は無事小僧の迎えで、雨宿りから無事帰ってくる。揺り起こされた半七は「あぁ、それでわかった、夢は小僧(五臓)の使い(疲れ)だわい」とサゲる。
(古典落語事典より)
宮戸川とは大川、今の隅田川の古称で特に浅草辺りでこう呼ばれた。
2.小網町(こあみちょう、中央区日本橋小網町)
この町の名前の由来になった、小網神社(日本橋小網町16-23)がビル群の片隅で猫の額ほどの場所にしがみついている。強運厄よけの神様で、日本橋七福神や下町八福神に指定されている。この地は過去には川がもっと有ったが埋め立てられて、だだっ広い地形になってしまったが、ここは海産物問屋、回船問屋などが多かった。噺家によってはお花の家を船宿としているものもある。
図版;「江戸橋・小網町」
3.霊岸島(れいがんじま、中央区新川1−5〜8辺り)
名前からも解るとおり、元々は島であったところで、今は地続きの変哲もない場所になってしまった。この名前の由来となった、霊巌寺は引っ越して隣の江東区白河町に存在する。霊岸島の名残はこの町の北側に架かる橋にその名「霊岸橋」が伺える。新亀島橋の通りの交差点にその名「霊岸島」が残っている。
小網町から霊岸島を歩く
小網町、ここはオフィス街で大きなビルが林立して、住戸となるような家屋はなかなか見あたりません。小網神社が唯一昔の面影を残しています。この町の北側は人形町で、「百川」で紹介した、葭町や玄冶店、椙森神社、三光新道などがあります。南に日本橋川の上を通る、首都高速道路をくぐると、現代の兜(かぶと)町。東京証券取引所とそれを取り巻くように証券会社の本社ビルが建ち並ぶ、株の世界です。
その先、日本橋川に平行に走る永代通りを東に進むと、亀島川に架かる「霊岸橋」。橋の長さより、幅の方が広いのではないかと、思うほどの橋を渡り、新川町に入ります。この先最初の信号を右に曲がると、左手一帯が霊岸島であった。
ここも過去の面影は全くない。ただ、この道を進むと信号の付いた交差点に出る。あった、有りました。信号機の隣に付いた交差点名に「霊岸島」。この唯一の地名表示が無かったら、この舞台の中を歩いてきた意味が無くなるところでした。歩いて5〜10分。本当に隣町です。これでは肥後の熊本に行かなくて良かった。
話は横道にはずれますが、この地、霊岸島に「新川大神宮」(新川1-8-17)があります。300年以上も前から有る神社ですが、この神社は、酒問屋の神様で、毎年新酒が出来るとお祭りをするとのことです。護持会員の名札を見ると、日本中の蔵元の名前が見られます。又、ウイスキーやワインの販売会社の名前も見えます。
| 地図 |
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2001年2月記
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