落語「疝気の虫」の舞台を歩く
   

 

 立川談志の噺、「疝気の虫」(せんきのむし)によると。
 

 見たことのない虫だなァ〜、変てこな虫だから殺してしまえ。「助けてください」虫が口を利いたのでビックリした。「お前は何だ!」、「疝気の虫です」、「疝気と言えば、あの・・・男の下の病気のか?」、「そうです」。
「腹の中に虫がいるのか?」、「います。頭痛の虫、癪の虫、歯痛の虫(虫歯)、弱虫、泣き虫、浮気の虫、水虫。それぞれが静かにしていれば良いのですが、動き始めると大変です。浮気の虫が動くと、なんとなくソワソワします。虫の居所が悪いのは虫のせいで、虫を起こすのは子供だけでなく、大人も虫のせいでイライラしたり、癇癪を起こしたりします」。「どのような時に動くんだ」、「夏の暑い晩に動きます。ムシムシしますから」。
 「お前、疝気の虫はいつ動くんだ」、「私たちは蕎麦が来ると嬉しくなって、腹一杯食べて元気になって、そこら中の筋を引っ張るから、人間は痛がるのです」、「では嫌いなものは」、「唐辛子です。ワサビはその時はいやですが、溶けて流れるので大丈夫です。唐辛子はいけません、溶けないので体に着くとそこから腐ってしまいます。だから、その時は逃げて別荘に避難します」。「別荘ってなんだ」、「下の金の袋です」、「それで腫れているか」、「あそこに居る限りどんなことが起こっても大丈夫なんです。じきに唐辛子が無くなると出ていって蕎麦をたらふく食べて、暴れます」。「『ガン』なんてのもあるだろう」、「よくご存じで。でもその嫌いなものは言えません。仲間内のことは言えないんです」。
 「おい、疝気の虫。どこ行ったんだ。・・・あ〜ぁ〜、夢か。疝気を治したいと思っていたから、こんな夢を見たのか」。

 大先生が居ないので、書生が代脈で金杉橋まで往診に出かけた。着くとご主人は苦しんでいたので状況を聞くと昼にお蕎麦を食べたという。
 「私が治します。治療法を少し変えますから、蕎麦を多めに唐辛子をどんぶり一杯用意してください。蕎麦が来ましたら、奥さんが食べてその匂いをご主人に嗅がしてください」。
 「お蕎麦が来ましたので、食べて良いんですね。私大好きですから、いただきます」。「分かりました。アナタは食べてはいけないので、匂いだけ。はぁ〜〜」。食べては、はぁ〜〜を繰り返していた。別荘の疝気の虫は匂いにつられて上がってきたが、どこにも蕎麦はなかった。よく見ると隣の口に蕎麦が流れ込んでいた。虫たちは一・二の三で奥様の口の中に飛び込んで、喜んで蕎麦を食べ始めた。踊りながら満腹になるまで食べ、力を付けて、そこら中の筋を引っ張った。
 奥様は腹を抱えて苦しみだし、反対にご主人はケロリと治ってしまった。苦しむ奥様に嫌がる唐辛子を飲ませると、騒いでいた疝気の虫たちはビックリして逃げ出した。
 「別荘に逃げろ!」、「別荘に逃げろ!」・・・。(別荘はどこにも無かった)。

 


 
1.疝気稲荷神社(仙気稲荷神社。江東区南砂3−4)
 
この付近には以前砂村稲荷神社があり、文化・文政(1804−29)の頃から疝気の病に霊験がある「砂村の疝気稲荷」として栄えた。
 昭和42年(1967)千葉県習志野市へ移転し、当地に稲荷小祠が建てられた。南砂7丁目の
富賀岡八幡宮の境内裏手にある力石はこの時移されたもので、この中には、力持ちの名人扇橋三次郎の名前も見られます。
 江東区教育委員会立て札より

  疝気で困っていた頃の稲荷、疝気稲荷があります。江戸時代から、「砂村の疝気稲荷」として参詣者が多く繁栄していましたが、東京大空襲ですべて焼失してしまいました。貴重な石造物の一部は、近くの富賀岡(とみがおか=元八幡)八幡宮に移されています。東京都江東区南砂町から昭和四十二年に習志野市谷津に移転したが、地元の有志で再建され、現在は小祠が建っています。

 移転先;「砂村稲荷神社 」  習志野市谷津5丁目1番20号

 富賀岡八幡宮(元八幡。江東区南砂7−14);江戸時代のはじめ頃から砂村の鎮守として存在し、深川富岡八幡宮別当永代寺が管理をしていた。一時、深川の八幡宮の神像が置かれていたことから元八幡と呼ばれるようになったものといわれ、別説には深川の八幡宮の元宮と云う説もあります。安藤広重の「名所江戸百景 ・砂むら元八まん」(右図)にも描かれており、境内には、松尾芭蕉の句碑をはじめ石灯籠、力石などが残っています。社殿背後には、人造の小山・富士山があり浅間神社が祀られています。


2.
疝気
(せんき)
 漢方で腰腹部の疼痛の総称。特に大小腸・生殖器などの下腹部内臓の病気で、発作的に劇痛を来し反復する状態。あたはら。しらたみ。疝病。
広辞苑より
 悋気は女の苦しむ病気、疝気は男の病気と言われるように、特に男性が掛かる病気だと言われます。


3.金杉橋の漢文の先生

 夢(?)の中で疝気の虫に会った書生は、新しい治療法で疝気を治してしまう(?)。その患者の住んでいる所が「金杉橋」です。
金杉橋(かなすぎばし);港区芝1−1、古川に架かる橋で、第一京浜国道を渡す。古川の上部には首都高速道路を通す。JR浜松町駅の南西に有る橋です。 落語「小言幸兵衛」で歩いた麻布十番。そこに流れていた川が古川で、その最下流がここ金杉橋です。 


4.
蕎麦(そば)

 
 ソバの花と畑(野田市) 写真をクリックすると大きくなります

  蕎麦切り(略して蕎麦という)の作り方は寛永20年(1643)に版本で「料理物語」が出され 、蕎麦切りもその中で紹介されている。「飯の取り湯、ぬるま湯、豆腐のすり水などでこねて玉を作る。のして切る。大量の湯で煮る。煮えたら竹篭で掬い取る。ぬる湯に入れてさらりと洗い、 せいろに入れ、煮え湯をかけ、蓋をして冷めぬように、水気無きようにしてだす。」というものであった。「蒸し蕎麦」である。
 蒸すとなれば菓子舗の得意技で、お手の物の蒸篭(せいろ)で本格的に蒸した。今でも蕎麦を小型の蒸篭で出すのはその名残である。
  寛文(1661)から元禄の大体中頃(1695ころ)間でのほぼ30年間は蒸蕎麦が大いに脚光を浴びた。元禄の初めになると、江戸の盛り場では通行客相手に蒸蕎麦のにぎやかな呼び込みが繰り広げられるような、庶民食としての性格を強めていく。

 庶民のソバは晴れの食物であって、婚礼、誕生のほか、雛の節句には五色ソバで祝った。晦日、引越、正月の帖綴じ、大入り、廓での布団の敷初め、舞台の失敗は楽屋でのとちりソバと、祝儀、不祝儀に広く利用された。
 「二八ソバ」は元来売値から出たもので、配合率を表すようになったのは慶応以後のことです。
落語「そば清」より部分引用
 

5.腹の虫
 「腹の虫が治まらない」、「腹の虫の居所が悪い」、「虫の知らせで駆けつけると」等々使われる腹の虫って、どんな虫なのでしょう。

 道教が説く教えの中の「三尸(さんし)」の事です。生まれながらに人の腹中に棲んでいるといわれる3匹の虫(蟲)。隠している悪事をも知り、庚申の夜、人の睡眠中に天に昇り、その罪悪を告げるという。三尸虫は大きさはどれも2寸(中国の単位で約4cm)で、結構大きい。
 2ヶ月に一度回ってくる庚申待ちの夜は、告げ口をされるのを恐れて、寝ずの一夜をあかします。また、合体なんてとんでもない事です。三年、十八回連続して行なうと満願になって、三尸を退治出来ると言われます。
 天に昇って悪事をばらしている最中に、目覚めてしまったら三尸虫達はどうするのでしょうね。そのドタバタぶりは落語「疝気の虫」以上でしょうね。考え始めたら、夜も眠れません。

 では、どんな形の虫なのでしょうか。人体には三つの霊的中枢が存在していて、頭部に住む上尸、腹部に住む中尸、 下腹部に住んでいるのが下尸という。この中枢に住み老衰や疾病、霊障等をもたらす虫が三尸虫。上尸は青古(導師)といって、聾唖や鼻詰まり、禿頭等の災いをもたらす。中尸は白姑(獣、狛犬のような形)という虫がいて神経衰弱や胃腸障害や心肺の障害等を引き起こす。下尸は血尸(牛の頭が着いた足)という虫で精力減退や足の病等をもたらすと言う。
イラスト;フリーマガジン「R25」より三尸虫。 イラストをクリックすると大きなイラストになります。

 


  舞台の疝気稲荷神社を歩く
 

 JR亀戸からバスで明治通りを南下します。失礼しました行き先は東陽町、または門前仲町行き(都07)です。逆に地下鉄東陽町または門前仲町から乗り込んで亀戸経由錦糸町行きに乗ります。「南砂三丁目」で降車すると、バス停前のエネオス・ガソリンスタンド先の裏側に鎮座しています。入り口には大きな看板で「江東区史跡・疝気稲荷神社」と有りますし、隣は都営住宅いなり団地ですから迷うことはないでしょう。写真でも分かるように小さな祠があるだけです。
 この小さな稲荷が、有名な落語の元になっているなんて信じられないほどです。
 願掛けて疝気が治ると、願ほどきに蕎麦などを上げるという話も聞きます。しかし現在では医学が進んで治療が確立、願を掛けてまで治す病気ではなくなってしまい、参拝者は激減してしまったのでしょう。祠には蕎麦が上がった様子もなく、現物も見ることは出来ませんでした。
 疝気の虫にとっては稲荷も大敵な相手ですが、習志野市谷津に引っ越してしまったのも、都内では仕事にならないからなのでしょうか。でも、落語「子別れ」ではありませんが、別れた女房の素晴らしさが後になってジワリと身に染みてきたのでしょう、帰るコールで女房は帰ってきたのです。
 今は地元南砂の守神です。新しい職域を発見した疝気稲荷神社です。

 習志野市谷津に引っ越した時に「力石」を近くの元八幡に移しました。その力石は元八幡の神殿裏側に保存されています。
 バスは亀戸、東陽町を結ぶ「亀21」で行きます。終点は同じでもルートが違いますので、運転手さんに
「元八幡」に行きますかと声を掛けてから乗車しましょう。さきほど降りたバス停の反対側明治通りを渡って「南砂三丁目」から疝気いなり通りを入って行くバスに乗り四つ目のバス停「元八幡」で降ります。先ほどの疝気稲荷と違って保育園まで経営している大きな神社です。その裏手に力石がコンクリートで固められていますが、説明は何もないので、前後の経緯が分からない人は何なのであろうかと首を傾げてしまいます。

 ガソリン代が値上がりして自動車で移動するより、公共機関=バスで移動する方が便利になってきました。しかし、バスを待つ時間が勿体ない今回の移動でした。
 

砂村稲荷神社へ

 

 南砂から引っ越し先の習志野市谷津に行って来ました。谷津小学校隣の上記写真(左)のようなごく普通の住宅に、門内の左側に鳥居と「砂村稲荷神社」の碑が見えます(上右)。呼び鈴を押すと宮司の荒井さんが直々に迎えてくれました。90歳のご高齢とお伺いしましたが、いえいえかくしゃくとしてお元気です。この赤い鳥居の小さな祠ではなく、砂村稲荷神社のご神体は住宅の2階に祀られています。案内されて2階へ上がると、そこに祭壇が飾られています(下左)。まずは一礼して手を合わせます。代々続いてきた、現・荒井静寿(やすとし)宮司ご夫婦にお話を伺いました(右下)。

 

 砂村稲荷神社は江戸中期より毛利家の邸内神であり、荒井家の先祖が自力で守っていた。腰の痛みや疝気に効能があると評判になり、当時は講が立ち、大山参りのように数多くの信者が参拝に来ていました。蕎麦断ちをして願を掛け、御利益がかなうと蕎麦を納めたと言うが、近代になってからの砂村稲荷神社にはその風習は残っていなかった。疝気稲荷神社と呼ばれたのも参拝者がそのように言うだけであって、砂村稲荷神社側では疝気稲荷神社とは表向きどこにも表示していなかった。
 江戸から明治に掛けて、風水害、津波、火災などの被害があったが、持ちこたえてきた。戦災で全てが消失し一時元八幡に間借りをしていたが、自立再建にかかった。しかし、毛利家も消滅し、その後この土地が借地になり、いく人かの手に渡り地代が発生するようになってしまった。借地の神社では経営が成り立たず、やむ終えず今の地に昭和42年移転した。元々、今もってそうですが、氏子が いない神社なので、お宮も建てられず、現在のような形を取っています。
 砂村稲荷神社と疝気稲荷神社とはご神体も違い、交流もないのが寂しいと言ってらっしゃいました。
 また、元八幡に戦後世話になったのも、力石を預けたのも、荒井宮司さんと実の兄弟だったからです。

 この落語「疝気の虫」は時代の流れからすると、この砂村稲荷神社の話が元になって創られた噺でしょう。当時の賑わいを見せていた砂村稲荷神社を題材にこの落語が生まれ、落語の方が有名になったのでしょう。荒井宮司もこの噺はご存じでした。

写真はクリックすると大きくなります。

 

地図

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写真

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疝気稲荷神社(江東区南砂3丁目4)
鳥居から見た正面本社
疝気稲荷神社(江東区南砂3丁目4)
こぢんまりとした全景ですが、幡がたなびき元気いっぱいの疝気稲荷です。
元八幡(江東区南砂丁目−14
富賀岡八幡宮は元八幡の名で親しまれている。この付近一帯の砂村が埋め立てられた時、創建し、寛文5年(1665)砂村の鎮守となり深川八幡別当の永代寺が管理していた。興津氏からこの神社へ奉納した八幡神像をのちに深川八幡に移したのでこの神社を元八幡と呼ぶようになった。海に臨どみ景色がよく、参道に桜並木が続き、江戸観光地として有名であった。境内に句碑や石像物が残っている。石碑より

力石(元八幡境内)
疝気稲荷からこちらに引っ越してきた力石。力石とは力自慢にかかえあげる石。大きいので55貫目(約206kg)有ります。私なんぞは自慢じゃありませんが、転がすのも精一杯。
砂村稲荷神社と宮司さんが兄弟だったのでここに預けたものです。

富士塚(元八幡境内)
人造の小山・富士山があり浅間神社が祀られています。ここに登ると富士山登頂と同じ御利益があると言われ、江戸時代には賑わった。
金杉橋(第一京浜を渡す古川に架かる橋)
金杉橋の下に流れる古川は落語「小言幸兵衛」で訪れた、麻布十番を流れる古川の下流になります。写真正面にJR山手線、東海道線、新幹線が通る大動脈で、左が浜松町です。昔の面影が残るのはこの川面の風景だけになってしまいました。

                                                                                                                         2008年9月記

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