落語「坊主の遊び」の舞台を歩く
   

 

 三代目三遊亭円歌の噺、「坊主の遊び」(ぼうずのあそび)
 

 

 「北向きはどこが目当てか赤トンボ」、トンボが北に飛んで行っただけで、江戸っ子はうらやましがった。自分一人で廓に行く勇気も無いが、挨拶に来た昨日も失敗した酒癖の悪い床屋の職人を連れて、遊びに出かけた。

 禁酒を約束して出掛けたが、初めての見世で床屋の職人は、また醜態を現して酒席の雰囲気を台無しにした。床屋の職人は帰したが、すっかり座はしらけてしまったので、「お引け」ということに。
 部屋に入ると、今日は河岸の連中が団体で来ているので「ちょっと失礼します」と花魁は出掛けた。ところが、待てど暮らせど部屋に花魁は来ない。「五人回し」などという噺にあるように、必ずしも部屋に花魁が来るとは限らない。料金を払っているのに、それはないだろうと思うのだけれど、そういうこともあった。真夫(まぶ)の部屋には最後に来ると言うが、初めての見世ではね~。

 坊さんが床でぼやいていると、へべれけに酔った花魁が戻ってきた。何人もの客を相手にしてきたのだろうか、かなり疲れている様子で、坊さんの要求などは聞いてくれない。「爺さんは嫌いだよ。その次に嫌いなのは坊主だよ。お客さんは両方供えているから、なお嫌いだよ」。言いたいことを言うと酔いつぶれて寝てしまった。こうなると気持ちが収まらないのは坊さん。何とか仕返しをしてやろうと懐に手を入れると床屋の忘れていったカミソリがあった。悪さの心が沸いてきた。

 額の眉毛を両方摺り下ろして、「ついでだから髪をおろして坊主にしてやろう」。花魁の髪をすっかり剃ってしまった。終わってみると、大変なことをしてしまったことに気が付き、慌てて帰り支度をして、出口で番をしている若い衆に心付けを渡し、履き物を出してもらい、「花魁は寝かせておいてやんな」と粋なことを言って、逃げ帰ってしまった。
 帰りしな「『面白かったよ』と言ったが可笑しいな。あの花魁は客に誉められるような事は一度もしたことが無いのに」。
 ご主人に叱られるからと、無理に下から声を掛けた「花魁、お客さんがお帰りだよ」、「河岸のお客かい、爺さんかい」と大あくびをしながら、「寒いね。真っ暗じゃないか。だから年寄りは嫌いなんだ。アレ、眉毛が無いよ。昨日は確かあったのに。便所で落としちゃったのかしら。」、思わず自分の頭をなでると坊主頭。
「やだよ、源ちゃん。お客さんまだいるよ」。

 


 

1.女性と関係を持った僧には厳罰が待っていた
 寺の僧が女性と関係を持つことは「女犯」と呼ばれ禁じられていたが、寺の僧のなかにも戒律を守らない堕落した僧がいた。なかには妾を囲ったり、遊廓に通う者さえいたという。
 この女犯が明るみになった場合、どのような罰を受けたのだろうか。

  修行中の僧が未婚の女性と通じた場合には、三日間さらし者になったうえ、各宗の規律によって処罰された。
寺からの追放という形がとられることが多かったようである。
 次に、寺持ちの僧が未婚の女性と通じた場合には、島流しの刑に処された。上位のものほど戒律は厳しく守らなくてはならないということだろう。
 最後に、修行中の僧か寺持ちの僧かにかかわらず、既婚の女性、つまり人妻と通じてしまった場合には獄門に処された。獄門とは死刑の一種で、斬首の上、首をさらす刑である。
 いずれの場合も女犯が発覚した場合には、厳しい罰が待っていたことがわかる。そのため、なんとか見つからないようにと、愛人を寺の奥深くにかくまったり、同じ坊主頭である医者に化けて遊廓通いをする僧もいた。
 しかし、幕府が取り締まりに力を入れていたため、女犯が明るみに出る僧は多かった。 江戸時代にこのような堕落した僧が多かった理由のひとつには、もともと徳を積むのは、みずからが率先して行うことだという考えがあり、戒律を厳しく定めなかったということがあげられる。古くから、日本の仏教界では、戒律や厳罰主義によって僧たちを統制するのではなく、本人の自主性に任せる傾向があり、このことが災いしたとの見方があるのだ。 また、本人が望んで仏門に入るのではなく、経済的な事情で仏門に入らざるをえなかった者も多かった。そのため、本人に修行を積んで徳の高い僧になりたいといった目標がなく、快楽へ走ったともいわれている。

 僧であっても、人の子。隠れても廓通いしたくなるのだが、命を賭けの廓通いであった。
特に若いときは落語「鈴振り」にも有るように、煩悩を断ちきるのは大変なことだったのです。

 円歌はマクラで、増上寺の坊主だって品川で遊んでいたが、とがめられなかった。ただ、衣では無く、着物を着た医者のなりで出掛けた。医者も坊主頭であった。どんな道でも抜け穴は有った。しかし、噺の舞台は吉原。

 

2.吉原の決まり

 英一蝶(はなぶさいっちょう)画 「吉原風俗図巻」 流罪となった伊豆三宅島で吉原を思い起こして描いた。
サントリー美術館蔵。

回し制度(まわしせいど);部屋の無い2朱(1/8
両。1両8万円として、1万円)以下の遊女の場合は、遊女一人に複数の客が付いたときは、それぞれの床(部屋)を廻ります。この状態を回しを取ると言い、この床を回し床と言います。
 もう一度言いますが、一人の花魁が複数のお客を取る事で、関西では廻しは取らなかったというが、関東では廻しを取るのが常識でした。最上級の見世では1対1の豪遊が出来、花魁の部屋には家庭と同じ箪笥や火鉢があってご主人と女房という楽しみ方が出来た。当然朝まで同床して送り出してくれた。見世の格が下がると、お客を取っておきながら、忙しい時や気が乗らない時やいやな客の時は廻りきれなかった。同じ玉代で、廻ってくれなかった時は”振られた”という。 特に暮れや新年、お盆、直ぐ裏でおこなわれるお酉様、お花見時はラッシュアワーですから、時間待ちは当たり前、ゆっくりしたい時は「その時を外してね」と言われます。

お客が帰るときは必ず送り出す;早帰りのお客は店先まで必ず送り出すのが礼儀。「また一人で来てね」と甘えます。朝までの客は大門の所まで送って、同じように甘い声で送り出します。この別れを「後朝の別れ(きぬぎぬのわかれ)」と言います。
 この噺のように、腰が立たないほど泥酔していても、送り出すのが礼儀でしたが、それが出来なかったために酷いことになってしまいました。
 通常玉代は前金で払うのだが、別に芸者、太鼓持ち、飲み食いは追加料金として朝(見世によってはお引け時)に払うので、この噺のように心付けだけでは帰れない。会計を精算しないと通してもらえない。茶屋を通すと全部後払いだが、身元が知れているので後で大変なことになります。

お引け(おひけ);複数で登楼したときは、大きな部屋(引き付け)で遊んでから、床が準備された遊女の部屋へ行きます。落語「明烏」に詳しい。また、部屋持ちの遊女の部屋で飲み食いしていた時は、若い衆が来て「ちょっとお片付けします」と言葉を掛けて部屋を片付け床の用意をします。その間客は便所に行っています。帰ってきたら床に納まります。この間(ま)をお引けと言います。

 大引け;「お引け」と「大引け」は言葉は似ていますが内容が違います。
 四ツ(午後十時)には大門が閉まって、以後は脇の潜戸を利用した。午前0時を中引けと言い、午前2時を大引けと言ったが、今考えると以外と早い時間に大門がしまったのですね。八ツ(午前2時)には見世も大戸を立てます。これが大引け、以後原則として客は取りません。この時鳴った時の鐘の音が”追い出しの鐘”と言われた。冷やかしの一団もここが最後で帰って行きます。
 証券取引所で使われる、取引時間の最後を”大引け”と言うのはここから来ています。

落語「五人回し」;第170話落語「五人回し」をご覧下さい。

真夫(まぶ);(間夫とも)遊女が本心から自分に恋い焦がれられていると思い真剣に通う遊女の情夫。一人の遊女に複数の真夫(まぶ)がいることが有ります。落語「三枚起請」に3人の真夫(まぶ)が鉢合わせ。

花魁(おいらん);(妹分の女郎や禿(カブロ)などが姉女郎をさして「おいら(己等)が」といって呼んだのに基づくという) 江戸吉原の遊廓で、姉女郎の称。転じて一般に、上位の遊女の称。娼妓。女郎。吉原だけで使われた言葉で、四宿(品川、新宿、板橋、千住)では飯盛女と言われ、上位の女郎は板頭と言った。

花魁道中(おいらん どうちゅう);花魁が禿や振袖新造などを引き連れて揚屋や引手茶屋まで練り歩くこと。今日でも歌舞伎や各地の祭りの催し物として再現されることがある。

忘八(ぼうはち);遊女屋の楼主。仁・義・礼・智・信・孝・悌・忠の8つの「徳」を忘れたものとされていた。

禿(かむろ);花魁の身の回りの雑用をする10歳前後の少女。彼女達の教育は姉貴分に当たる遊女が行った。禿(はげ)と書くのは毛が生えそろわない少女であることからの当て字である。

番頭新造(ばんとう しんぞう);器量が悪く遊女として売り出せない者や、年季を勤め上げた遊女が勤め、マネージャー的な役割を担った。花魁につく。ひそかに客を取ることもあった。

新造(しんぞ);武家や町人の妻を指す言葉(ご新造さん)であったが、後に未婚の女性も指すようになった。

振袖新造(ふりそで しんぞう);15・16歳の遊女見習い。禿はこの年頃になると姉貴分の遊女の働きかけで振袖新造になる。多忙な花魁の名代として客のもとに呼ばれても床入りはしない。しかし、稀にはひそかに客を取るものもいた。その代金は「つきだし」(花魁としてデビューし、水揚げを迎える日)の際の費用の足しとされた。振袖新造となるものは格の高い花魁となる将来が約束されたものである。

留袖新造(とめそで しんぞう);振袖新造とほぼ同年代であるが、禿から上級遊女になれない妓、10代で吉原に売られ禿の時代を経なかった妓がなる。振袖新造は客を取らないが、留袖新造は客を取る。しかし、まだ一人立ちできる身分でないので花魁につき、世話を受けている。

太鼓新造(たいこ しんぞう);遊女でありながら人気がなく、しかし芸はたつので主に宴会での芸の披露を担当した。後の吉原芸者の前身になった。

遣手(やりて);遊女屋全体の遊女を管理・教育し、客や楼主、遊女との間の仲介役。誤解されがちだが楼主の妻(内儀)とは別であり、あくまでも従業員。難しい役どころのため年季を勤め上げた遊女や、番頭新造のなかから優秀な者が選ばれた。店にひとりとは限らなかった。

女衒(ぜげん);遊女達を全国から集めて廓へ供給する調達役。表向きは年季奉公の前借金渡しの形だが、実態は人身売買。中には、人さらいと通じている悪質な者もいた。人買い。

楼廓詞(くるわ ことば);遊女達は全国から集められており、訛りを隠すために「 - ありんす」など独特の言葉を使っていた。廓詞は揚屋によって異なっていた。里詞、花魁詞、ありんす詞とも。

三枚歯下駄(さんまいば げた);花魁が履く黒塗りの下駄。重いこともあって、普通に歩くことが出来ないため、吉原の「外八文字」、嶋原の「内八文字」などと呼ばれる独特の歩き方をした。きちんと八文字で歩けるようになるには3年かかったともいわれる。八文字(はちもんじ)花魁の道中での歩き方。
「内八文字」(嶋原・新町)は、踏み出す足が内側を回り、「外八文字」(吉原)は外側を回る。

伊達兵庫(だてひょうご);4代目中村福助の三浦屋揚巻(豊原国周 画『江戸櫻』大判錦絵)伊達兵庫花魁の格式に相応した壮麗絢爛な髪型。横兵庫の派生形。文金高島田の髷を大きく左右に張り、そこに松や琴柱をあしらった簪(かんざし)を左右に計六本、珊瑚大玉の簪を二本、鼈甲(べっこう)の櫛を三枚挿したもの。歌舞伎『助六由縁江戸櫻』の三浦屋揚巻や『壇浦兜軍記』の阿古屋に見ることができる。(右図)

身請(みうけ);花魁に限らないが、客が遊女の身代金や借金を支払って勤めを終えさせること。大見世の花魁では数千両にものぼったという。

吉原細見(よしわら さいけん);廓ごとに遊女の名を記したガイドブック。当時のベストセラーの一つであったといわれる。

二階回し(にかいまわし);遊廓で、遊女と客が寝る部屋の全般を取り仕切る役の男衆。遊女が特別な用事が無い時に部屋を抜け出した事が分かると、部屋へ連れ戻す事も役目の一つ。

廻し部屋(まわしべや);一晩に複数の客の相手をするような、位の高くない遊女が廻る部屋。

吉原については以下の所でも語っていますので、覗いてみて下さい。
 23話「付き馬」、25話「明烏」 、27話「紺屋高尾」、70話「松葉屋瀬川」、121話「お直し」 、128話「首ったけ」 、170話「五人回し」 、183話「蛙の女郎買い」 、194話「三枚起請」、196話「大坂屋花鳥」 、 209話「元禄女太陽伝」 、225話「幽女買い」 、255話「七草」 、256話「木乃伊取り」、269話「五銭の遊び」、等々。

 

3.言葉
■北
(きた);吉原遊廓。都心から見て北に有ったから。逆に南と言えば品川を指した。

眉毛(まゆげ);眉毛を落とすとのっぺらぼうのようになってしまいますが、明治に入ってもお歯黒と、眉を落とすのは既婚女性の証、と剃っていた人妻もいた。遊びの女が人妻風だったらビックリしてしまいます。でも、今ではわざと落として書いている人が多い。朝起きるとビックリする客もいたでしょう。

河岸の連中(かしのれんちゅう);魚河岸で働く人達。江戸から大正の大震災までは日本橋から東の江戸橋まで魚河岸が有った。威勢の良い、金離れの良い連中であった。乱暴な口をきくが水商売の人達には懐が温かいので喜ばれた。

坊主頭(ぼうずあたま);尼さんのようなツルツル頭。これからどうするのでしょうね、ま、カツラという手は有りますが・・・。生え揃うまでに3年が掛かると言われます。落語「三年目」は生え揃うまで幽霊になって出られない。「だって嫌われるとイヤだから」。いじらしいのですが、花魁は年期が切られているので、生え揃った時は年季明け?それとも、移し替え(トレード)されて四宿に落とされるのでしょうか。




 舞台の吉原を歩く

 

 またまた、吉原を歩くことになってしまいました。歩くと言っても、特別取材経費が出るわけではありませんのでどうしましょう。吉原の街の外観は何度か行っていますが、皆様は、私も含めて見世の中を見たいですよね。
 行きたい。スポンサーがいれば、飛んでいきますし、名乗り出てくれれば、お供します。床屋の職人のような酒癖も悪くありません。下記地図をクリックすると中に吉原で今遊ぶ料金が入っています。ご参考まで。

 冗談は別にして、
 昭和33年4月1日から、売春防止法の1年の猶予があった罰則が施行。吉原では1ヶ月前の2月末に一斉に灯が消えました。しかし、同年7月には遊廓営業業者「東山」が揚屋町通りにそのままの屋号で「吉原トルコ」として開業。 これが吉原における特殊浴場への転業の最初と言われています。これに続いて、吉原では新興の業態であるトルコ風呂が次々にオープン。現在のソープランド街へとつながっているのです。 このようにして吉原は「特殊浴場」として知られるようになっていきました。ソープランドは特殊浴場のほかに「個室付浴場」と呼ばれることもあります。NTTのタウンページにはこの項目で吉原には156店有る(2014年1月現在)ことが分かります。

 遊廓廃止後、吉原のトルコ風呂は年々増えていきましたが、とくに顕著に増加したのは東京オリンピック開催前年の昭和38年頃でした。 昭和35年には16軒だった吉原のトルコ風呂は昭和50年には65軒と4倍になり、昭和55年には150軒を超え、昭和59年にはピークの170軒に達しました。そして同年12月19日にトルコ風呂の名称が「ソープランド」と改名されました。

 現在の吉原 2013年5月21日
 吉原ではバブル時代に、高級店がたくさん誕生しました。しかし、バブル崩壊とともに高級店は中級店に鞍替えをしたり、閉店する店舗も相次ぎました。中には30年以上も営業してきた老舗のソープランドが廃業を余儀なくしたこともあります。 しかし、それでも現在の吉原には130店(140店 2013.12現在)以上のソープランドが営業を続けています。夜になればソープランドのネオンが灯り、各店舗の入り口前には男性従業員が立って、通行人を呼び込みをする姿を見ることができます。 店の前で呼び込みをする男性店員は、道を歩いている通行人に声を掛けてくるものの、ポン引きとは違ってしつこく声を掛けてくることはありません。今日は止めておくよというようなジェスチャーで手を振れば、「またの機会にどうぞ」と会釈を返してくれます。 かつてはたくさんいたポン引きの姿は、景気が低迷していることもあり、吉原では現在ではひとりもいなくなってしまいました。 何件かのソープランドの従業員に聞いてみたのですが、確かにバブル期と比べるとはるかに売上は落ちたものの、バブル期からの常連さんなどの根強いファンもいるので、思ったほど悪くはないようです。 現在の吉原は、かつてのような賑わいは影をひそめ、一部の常連さんやソープファンのための神聖(?)な場所へと変貌を遂げているのかもしれません。 もちろん、一見さん(初めてのお客)をお断るするようなことはない。 風俗というジャンルにとって歴史的な街なので、これからも変わらぬ姿であり続けて欲しいものです。  
http://www.kanaky.org/category/yoshihara より

 能書きは別にして私も歩きます。
 吉原の街は正月のせいでしょうか、お客さん(?)が結構歩いています。こんなに歩いているお客さんを見るのは初めてです。客引きのお兄さんに聞いたら、「正月ですから普段より多いのは確かですが、3.11の地震以来客足がパタリと少なくなった。福島や東北関係のお客さんが多かったのでしょうか。」と言っています。他のお兄さんに聞いても「お正月の賑わいは無いですね。」と言いながら、話の途中でお客さんが来たので、それ以上は聞く事が出来ませんでしたが、久々の正月景気がここにも及んでいます。
 車で来るお客さんには、お兄さん達が車を駐車場にしまってくれます。その車を運転しているお兄さんはグルッと回って、店まで戻って来て「駐車するところが無い」、「3番目の駐車場も一杯だよ」。やはり正月は忙しいのでしょう。
 街中に、商店街のように飾り付けは一切有りませんが、少数派で、各店独自に正月飾りが店先に飾られています。写真はその様な店を中心に撮っています。少しは正月らしい吉原になったのでしょうか。店に入るわけでは無いので、30分も有れば、吉原からサヨナラです。
 それに比べ南の浅草寺の混みようは何なのでしょうか。表通りまで通行止めにして、参拝客をさばいています。

 

地図


  地図をクリックすると大きな地図になります。 

写真


 それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。

仲之町 (吉原中央通り)
 冬の短い陽が傾きかけています。吉原はこれからが本番でしょう。

王室 (吉原)
 

嬢王蜂 (吉原
 

ピンポン吉原
 

コスモス吉原
 

白夜吉原

吉原の街中吉原・角町)
  人が歩いていると言ってもこの様な感じです。

                                                          2014年1月記

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