若旦那・徳さんが番頭に三十両貸してくれと借金の申し込みをしたが頭から断られた。ではと言うので、番頭が抱えている女の件を細かく明かし始め、大きな声で親父に聞こえるように言い始め、逆に番頭を脅し始めた。
丸の内の赤井様に百両の集金に行ってくれと、番頭が頼まれたが断って若旦那に行かせようとしたが、旦那は息子を全然信用していない。万が一使い込んだら手切れ金として勘当してしまいましょう。との申し出に旦那も渋々了承する。
頭に礼を言って、にんべんの鰹節の二分の切手と十両の目録を差し出した。切手は受け取ったが、目録はお心だけと返してきた。頭も江戸っ子でエライが、番頭も良く分かった人だと感心。そこに着飾った器量好しの元花魁・お花さんがお茶を持ってきた。聞けば、かかぁの妹で見なかったのはお屋敷に奉公していたが、年頃になったので戻ってきた。当人が言うには、武家は武ばって嫌だし、職人は雑風景で嫌だし、何処か商家にでも縁付きたいと言う。持参金五百両と箪笥長持ち五棹(さお)、何処か良い縁があったら紹介して欲しい、と頼んだ。旦那は五百両と五棹で目を丸くして、家の徳にはどうだろうと乗り気になった。頭は笑って話に乗らないが、それでは私が貰うと言う気の入れようであった。
めでたく二人は一緒になって、夫婦仲も良く仕事にも精を出し、旦那は裏に離れを建てて隠居した。
ある日、離れにお花さんを呼んで世間話を始めた。 1.吉原の事
「ありんすで嫁来なんした里が知れ」 江戸川柳
なかなか一度馴染んだ言葉は抜けないもの。親御さんにしてみればそれだけで身元が知れるものです。北国(ほっこく)とは吉原の事。淺草の北側、今の台東区千束の一部で遊廓があったところです。江戸城から見て北にあったので、北国、単に北と言い、反対の品川宿を南と呼んだ。岡場所の深川は東南にあったから辰巳(たつみ。巽)といい、辰巳芸者の活躍した場所です。新宿は西にあったので、西・・・とは言いませんでした。
旦那は「暮れに出て、伊勢から尾張の大和の長門の長崎なんて男でも歩けない」と驚いていますが、全て揚屋の屋号です。
吉原にはいろいろな階級の遊女がいたが、吉原細見によると山形や星を付けて等級を表していた。それによると、お花さんは新造がついて三分(3/4両=6万円。実際はチップや酒肴で3倍以上掛かった。約2~30万円)で遊べたという高級遊女。新造は見習い遊女で花魁と呼ばれる姉女郎に付いた若い娘をさす言葉。吉原などの遊里で、姉女郎が14~15歳に達した禿(カムロ)を妹女郎として披露することを新造出しと言った。また、祝いの行事の費用は、通例姉女郎が負担した。新造買いと言って、姉女郎の情人(イロ)などが、表向きから逢いにくい場合など、その新造の客となって、姉女郎と逢うことなどの仲介も新造はした。お花さんはどちらにしても助手付きの花魁ですから、普通の花魁より格上で、上級の中クラスでしょうか。
■道中;(どうちゅう)上記だけで分かる方は吉原の大門を締め切って豪遊された方なのでしょう。ではなぜ道中と言うのかを考えてみましょう。まず揚屋と引手茶屋について、解らないと話がごちゃごちゃになってしまいます。 「北里見聞録」によると、『道中とは江戸町の女郎、尾張屋へ通い、京町の遊女、和泉屋へ至るなど、各旅立ちの心になぞらへて、揚屋入りの名とはなりしとかや。』とあります。 道中は見世に灯が入る頃からで、先頭に箱提灯を持つ若い衆が歩き、二人の禿が続き、次に花魁が外八文字で行き、その後から新造が二人続き、遣り手が付く事もあった。若い衆が長柄の赤い傘を花魁の後ろからさした。その上花魁が歩きにくいので肩を貸す者や、芸者、幇間が付いたり、若い衆がもっと付いたりもした。回りの見物客は大満足。指名した遊客はこれだけの行列を迎えるのですから、当然、相当の費用はかかるのが目に見えています。が、それを言ったらお終い、粋の世界ですから。(誰ですか? 歯ぎしりしているのは・・・)
■六十六部;(ろくじゅうろくぶ)略して六部。鎌倉末期に始まり、廻国巡礼のひとつ。書写した法華経を全国66ヵ所の霊場に1部ずつ納める目的で、諸国の社寺を遍歴する行脚僧。江戸時代には堕落して俗人も行い、鼠木綿の着物を着て鉦(カネ)を叩き鈴を振り、あるいは厨子を負い、行脚せず家ごとに銭を乞い歩いた。 ■切手;商品券。祝い事に使う、酒や鰹節などの切手が流通していた。
■にんべん;株式会社にんべん、東京都中央区日本橋室町2-3に本社を置き、主に削り節やふりかけ調味料を製造する水産加工品会社。元禄12年(1699)の創業310年と非常に長い歴史を誇り、業界では最古参にあたる企業の一つで、首都圏や東日本では高いブランド力を持つ。天保の頃(1830ごろ)国内初の商品券(切手・右)を発行、これは世界最古ともいわれる。
■飛脚屋;飛脚を仕立てることを業とする飛脚問屋(どいや)や飛脚を業とする人。また、在郷から頼まれて市
「チリンチリンの飛脚」 風俗絵図
熈代勝覧より 江戸東京博物館蔵(複製)部分
■箪笥・長持ち;箪笥(たんす)の多くは木材で作り、引出しや開き戸を付け、衣服・小道具などを整理・保管するのに用いる家具の総称。長持ち(ながもち)は衣服・調度などを入れて保管したり運搬したりする、長方形で蓋のある大形の箱。江戸時代以降さかんに使われた。これらを数える時の単位は”個”とか”本”ではなく”棹”と言います。運ぶ時、棹を通して運んだのが元になっています。
■三十両;若旦那が番頭に無心をした金。十両盗んで首が飛ぶ時代の三十両、1両8万円として、240万円。
■丸の内の赤井御門守様;落語の世界では「妾馬」のお鶴ちゃんが上がったお屋敷で、がさつ者八五郎が祝いに駆けつけたのがこのお屋敷です。また落語「粗忽の使者」に出てくる粗忽者、地武太治部右衛門(じぶた じぶえもん)が、使者に行く先はここ赤井御門守の屋敷です。
3.本町(ほんちょう。中央区日本橋本町) 先代正蔵は舞台の山崎屋を横山町(よこやまちょう)だと言っています。番頭は「横山町の山崎屋佐兵衛では世間で通じなくても、山崎屋の堅蔵と言えば通じる程の堅物だ」と、若旦那に名乗りを上げています。
■横山町は中央区日本橋横山町で、落語「宿屋の富」、「御神酒徳利」等で登場の日本橋馬喰町の南にあって、日本橋横山町と言います。ここ横山町を舞台にした噺も多く落語「富久」では火事があった旦那の住まい、「文七元結」では文七の奉公先、ベッコウ問屋”近江屋”が有ったところです。ここに山崎屋さんが有ったのです。今は、衣料品関係の材料屋さんや衣料問屋さんが並んでいます。
舞台の横山町から本町、大名小路を歩く 若旦那が集金に歩いたであろう道順を示すと、
通油町を抜けると、通旅籠町左角のビルがデパートの雄であった大丸があったところです。寛保3年(1743)、大伝馬町三丁目(通旅籠町とも。現在の中央区日本橋大伝馬町10)に開店した。江戸を代表する大店として繁盛し、浮世絵にもしばしば登場しました。 通旅籠町を抜けると大きな水天宮通りに交差します。この道を左に曲がると、田所町、長谷川町の三光新道、玄冶店に行けます。この町名を聞いただけで、噺の題名とその内容と主人公の名前が出てくれば、貴方は落語通の大御所です。三井住友銀行を右に見ながら渡ると、ここから大伝馬町の街に入っていきます。横山町のような商店街と違って、オフィス街ですから人の動きも違いが出てきます。二丁目から一丁目に下図の様な街並みがあったのでしょう。「東都大伝馬街繁栄之図」広重画に当時の様子がうかがえます。この先には100m巾道路の昭和通りが横切って、この道は真っ直ぐに延びているのですが、横断禁止で渡れません。その右角にある「小津和紙店」は江戸時代からある老舗です。
昭和通りを渡る為、右に回り込むと小津和紙店の裏に「べったら市」で有名な宝田恵比寿神社がありますが、行事の大きさに比べ何と小さな神社なのでしょう。 昭和通りを越えて、先ほどの延長線上の道を西に向かいますと、ここから本町です。当時、本町通りと呼ばれた道を四丁目、三丁目と抜けると、中央通りの交差点に出ます。左方向に三井本館、三越、日本橋。右方向に今川橋、神田駅、正面を向くと日本銀行の新館が立ちふさがっています。江戸時代には直線道路があったのに・・・。やむを得ず、左に回り込んで三井本館のエンタシスの列柱を見ながら、右側の日銀本館の重厚さを眺めます。予約制ですが内部を見学する事が出来ます。 日銀の脇を流れる外堀に架かる、今は歩行者専用の常磐橋を渡ります。左側のトキワバシは常盤橋と書きます。枡形の御門の石組みが残って小さな公園になっています。その左には外堀と内堀を繋ぐ道三堀がありましたが埋め立てられて、ビルや道になってしまいました。その道三堀に架かる銭瓶(ぜにがめ)橋の跡には日本ビルヂング(この古風な表記方がまたイイ)が建ち、その中の地下3階から地上3階までが下水道ポンプ所になっています。え? こんなオフィスビルの中にあるなんて、と言う思いがあります。 今回はここまでですが、横山町の衣料問屋街から、今ではごく普通の裏路地に格下げされてしまた往時の繁華街大伝馬町を抜け、未だ隆盛を保つ日本橋界隈、大手町から丸の内界隈のビジネス街、栄枯盛衰が見えた街並みでした。 地図 地図をクリックすると大きな地図になります。
写真 それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。 横山町(中央区日本橋横山町5~10) 通塩町への入口(中央区日本橋横山町3~4) 緑橋跡(中央区日本橋横山町1~2と日本橋大伝馬町15~16の間) 通油町(日本橋大伝馬町7~14) 通旅籠町(大伝馬町三丁目。現・中央区日本橋大伝馬町7~10) 大伝馬町(水天宮通り先。中央区日本橋大伝馬町1~6と日本橋本町三丁目6~11) 中央通りから本町一・二丁目(中央区日本橋本町三丁目1~5から日本橋室町三丁目、日本橋本石町三丁目) 日本銀行(中央区日本橋本石町二丁目) 常磐橋(日銀脇の外堀に架かる橋) 丸ビル、新丸ビル(千代田区丸の内一,二丁目角) 東京駅(千代田区丸の内)
2009年10月記 |
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