落語「妾馬」の舞台を歩く

  
 

 三遊亭円生の噺、「妾馬」(めかうま。円生は「八五郎出世」で演じている)によると。
 

 裏長屋に住んでいるが評判の器量良しの”お鶴”ちゃん、歳は十八孝行娘。たまたま御駕籠で通りかかった丸の内、赤井御門守が見初めて、城に上がるように依頼。200両の持参金を貰って奉公に上げたが、持ち付けない金を持った兄の大工”八五郎”は遊びほおけて家にも寄りつかない。お鶴は殿様のお手がついて懐妊。生まれたのがお世継ぎの男の子であったので、お鶴の方からお側室(へや)様と出世した。この慶事に八五郎は殿様に招かれお屋敷に伺う事になったが、何一つ無い。髪結い、銭湯の銭も大家さんに出して貰い、その上着物一式、羽織袴から褌 (したおび)まで借りて、着せて貰った。がさつ者だから言葉使いには気を付けろ、特に言葉の頭には「御」最後には「奉る」を付け、丁寧に話をしろと注意をされる。

 赤井御門守の屋敷に着いて、重役の田中三太夫に付いて部屋に通された。言葉の行き違いで、どたまを下げろや、即答をぶてと言われ側頭をぶったり、殿様の言葉が分からずにいたり、丁寧すぎて自分の言っている事が分からず、無礼講で良いと言われた。屋敷中、符丁で話しているから分からないと、職人言葉で話し始めた。はらはらするのは三太夫さんだけ。ササは食べるかと言われ、酒の事とわかって所望すると、酒肴がどっさり出てきた。すっかりいい気持ちになって、改めて見ると殿様の隣にお鶴さんが着飾って座っていた。母親が喜んで踊っているし、初孫なのでおしめを洗ってやりたいが身分も違うのでそれもかなわない。と近況を話し、殿様にはお鶴をよろしくとお願い。お鶴には子供が出来たからと自惚れてはおけないと、心から話聞かせた。湿っぽくなったので、都々逸を一声聞かして、座を盛り上げた。
 「おもしろい奴で有る。彼を抱えて使わせ。」鶴の一声で、八五郎出世というおめでたい話です。

 


1.この噺の続き 円生も志ん生も母親の話になってくるとしんみりと、親兄弟の情愛を醸していた。志ん生や他の落語家は題名を「妾馬」(めかうま、”めかけうま”ではありません)としていますが、円生は「八五郎出世」としています。 「妾馬の上」とでも言いましょうか、内容は同じです。噺のここまででは、どうして妾馬なのか分かりません。噺には続きがあって、

 『士分に取り立てられた八五郎は、名を改めて”石垣杢蔵左衛門蟹成”(いしがき もくぞうざえもん かになり)となった。ある時、使者の役を仰せつかり馬に乗って出かけた。もとより馬術など知らないのでこわごわ乗っていたが、そのうち馬が駆けだしてしまった。止める事も知らず、ただ鞍にしがみついていたが運良く家中の者が通りかかり、止めてくれた。「これはこれは、石垣氏、早馬でいずこへ参られる」、「馬が知っておりましょう」。 』

と言う事で、題名「妾馬」の由来が判っていただけたと思います。最後の「馬が知っておりましょう」は落語「素人鰻」のオチと同じで「前に回って鰻に聞いてくれ」を思い出させます。
 またまた、この噺には続きがあって、

 『八五郎、この士分の堅っくるしさに閉口して、武士をやめて職人に戻ってしまった。 殿様から拝領したお金を元に、職人衆も増やし女房も迎えた。がさつさは別にして、元来正直者でいい男だったので、棟梁と呼ばれるようになっていた。おふくろさんも、ほっと一息ついた。』

 

2.丸の内 赤井御門守
 
元はお公家様でご先祖は算盤数衛表(そろばんかずえのひょう)玉成卿(たまなりきょう)と言った。石高が十二万三千四百五十六石七斗八升九合ひとつかみ半の大名であった。
 落語「粗忽の使者」に出てくる粗忽者、地武太治部右衛門(じぶた じぶえもん)が、使者に行く先はここ赤井御門守の屋敷です。
 

3.赤門(重要文化財に指定)
 
現存するのは文京区本郷7丁目東京大学に残る赤門がただ一つです。ここは加賀百万石、前田家の上屋敷跡。十一代将軍家斉の息女溶姫(やすひめ)が文政10年(1827)、 加賀藩主前田斉泰に嫁いだ際に建造したものが御守殿門で、これが朱塗りの赤門です。この門は御守殿の居所(奥方御殿)の表門。全部朱塗りで、黒色の金物を用い、左右に唐破風造りの両番所を設けた。(広辞苑より) この門は消失すると二度と再建する事が出来なかった。
 


 舞台の丸の内を歩く

 東京駅丸の内は今元気です。「丸ビル」が建て直されて36階建ての高層ビルになりました。 今までは、ビジネス街の日曜日と言えばゴーストタウンの様に人は全く居ませんし、車もあまり走っていないし道路に駐車する事もありませんでした。ところが、この丸ビルが出来たら、日曜日でも関係無しに人が集まってきます。お目当ては当然この丸ビルです。B1Fはショッピングゾーン、1〜4Fもショッピングゾーン、5〜6Fはレストランゾーン、どこをとっても高級品が並んでいます。おじさんが来る所ではなさそうです。7Fは400名収容のホール。34Fまでは本来の事務所ゾーン。35〜36Fは高層からの眺め代も入った高級レストラン街です。どこも人出が凄く、予約無しでは直ぐに入れません。ビル側の予定来場者数を大きく上回っています。嬉しい悲鳴が聞こえてきます。来場者を見ても老若男女関係無しに広い層の人達が来館しています。

 JR東日本の本社跡は再開発されて、ホテル、事務所、ショッピング街が建設されます。今は10階まで立ち上がりつつあります。丸の内オアゾと言って、28階160mのビルを初め4棟が建ちます。平成17年竣工です。

 丸の内には当時の落語の舞台はどこにもありません。そこから見える”皇居”は江戸城ですから、江戸の風情は感じられます。
 今年平成15年は江戸開府400年になります。様々な記念イベントが続々用意されています。

2008年(平成20年)10月改めて丸の内に立ち寄りました。以下追記。

 東京駅はただいま改修工事で雑然としています。あと2〜3年は無理でしょうが、完成すると下段のように建設された当時の外観に戻ります。

 

 写真左;「丸ビル」。   写真右;東京駅正面に突き当たる「行幸通り」。突き当たりが皇居、左が丸ビル、右が新丸ビル。

 

 写真左;「新丸ビル」。 写真右;東京駅北口に開発された国鉄本社跡の「丸の内オアゾ」(左の四角いビル)と「丸の内ホテル」(画面中央の細く見えるビル)。

写真4点はクリックすると大きくなります。

 

地図

    地図をクリックすると大きな地図になります。 

写真

それぞれの写真をクリックすると大きなカラー写真になります。

丸の内・丸ビル(千代田区丸の内2−4−1、リンクしてます)
正式名称を丸の内ビルディングと言います。
大正12年2月の竣工以来、70年余を経て経年劣化が進み、部分的な補修や改修では充分な耐震性能を確保できないことを理由に、立替えを決定し、平成11年、着工することとなりました。平成14年(2002)9月6日新築されてオープンされ ました。これで東京駅の流れが変わったのです。
 クリックした写真は東京駅から見た景色で、左側に新築なった丸ビル、右側は(古い?)新丸ビルです。

東京駅丸の内口駅舎
東京の表玄関である赤煉瓦造りの建物はロマンと歴史を感じさせます。一時解体して、新しい東京の顔を造る話もありましたが、保存の方に決まったようです。新しければ何でも良いような風潮はどこか間違っていると思っていましたが、イイ方向で決まってヨカッタと思っています。

赤門
東大のシンボルでもある”赤門”、ここは当時、加賀百万石、前田家の上屋敷跡。この門は御守殿の居所(奥方御殿)の表門。全部朱塗りで、黒色の金物を用い、左右に唐破風造りの両番所(裏側は彩色されていません)を設けた。
この前で記念撮影する姿が多々見られます。

                                                         2003年1月記

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