落語「富久」の舞台を歩く
 

  
 ”黒門町”で有名な八代目桂文楽、十八番の噺「富久(とみきゅう)」によると、
 

 浅草阿倍川町に住む、酒癖が悪くて贔屓(ひいき)のお客さんをことごとくしくじって、年の瀬を迎えた幇間の久蔵は、たまたま買った富札「松の百十番」、大神宮のお宮にお札を納めて、千両当たったら、ああする、こうすると、考えながら寝入ってしまう。



 夜半日本橋横山町の元の旦那越後屋さんが火事だという。急いで駆けつけると、出入りを許され力仕事を手伝うが、ろくな手伝いもできないで居ると、火事は消えて一安心。見舞い客の手伝いをしながら、主人の許しを得て一杯やっていると、疲れも出て寝入ってしまう。また半鐘が鳴り、聞くと、久蔵の住まい安倍川町だという。

 急いで戻ると、長屋は丸焼け。ガッカリして横山町に戻って居候をしている。旦那の好意で元のお客さん回りを始めるが、深川八幡で興行される富の当日、見事千両富に当たる。
 しかし、富札が無くては一文も貰えないと分かると、気落ちして安倍川町に戻ってくる。そこで鳶の頭に会い、大神宮さんの神棚を火事場から持ち出したという。気が触れたようになりながら神棚を開けると、富札がそこに無事有った。無礼を頭に詫びて、いきさつを話すと、
頭は「この暮れに千両、おめでたいな〜、おい、久さん、どうするぃ」、
「へぇ、これも大神宮様のお陰でございます。ご近所のお祓い(=お払い)をいたします」。

 

 浮世絵:広重23歳の時の肉筆画「江戸乃華・毎町自身番屋」部分。四谷消防博物館蔵



1.演者によって舞台が少しずつ違っています。
■文楽は久蔵の住まいを浅草阿倍川町(台東区元浅草3.4丁目東半分)。旦那の住まいを日本橋横山町(中央区日本橋横山町。「宿屋の富」の宿屋があった馬喰町の南東隣)。富札の番号は「松の百十番」、深川八幡(江東区富岡1丁目)で富興行が行われる。

■志ん生は久蔵の住まいを浅草三間町(台東区雷門一丁目の南半分と寿四丁目)。旦那の住まいを芝の久保町(港区西新橋1丁目)。富札の番号は「鶴の千五百番」、椙森神社(すぎのもり、宿屋の富で紹介した神社。)で富興行が行われる。
■志ん朝は親父の志ん生と同じ設定。
兄の馬生は旦那の住まいを日本橋石町(中央区日本橋本石町、室町、本町の江戸通りの南側)としているのが違うだけで、あとは同じ。
■可楽は久蔵の住まいを日本橋へっつい河岸(中央区人形町2丁目)。旦那の住まいを芝の久保町。富札の番号は「鶴の千五百五十五番」、湯島天神(文京区湯島3-30)で富興行が行われる。
■小さんは久蔵の住まいを浅草三間町。旦那の住まいを芝の久保町。富札の番号は「鶴の千八百八十八番」、湯島天神で富興行が行われる。
■談志は久蔵の住まいを深川あんじん町。旦那の住まいを芝の久保町。富札の番号は「鶴の千五百番」、椙森神社で富興行が行われる。
 あんじん町;安針町。中央区日本橋室町1丁目東側(日本橋三越本店近く)にありました。深川にはありませんので、談志の言い間違いでしょう。

 ある噺家が言うには、富の番号は難しい番号だとあとでその番号が分からなくなって、一番富の番号が合わなくなってしまうので、なるべく簡単な覚えやすい番号にしているとの話です。

 桂文楽はキッチリとした落語を演じるので有名ですが、一字一句ないがしろにせず、贅肉を削り落とした噺を演じる。この噺でも、横山町の旦那の家で火事見舞いのお客を久蔵が接待する場面で、来客の順序は毎回決まっていた。この順番が崩れてはいけないので、高座に上がるときは、手拭いの間にカンニングペーパーを挟んで、見ながら演じた。またある時は扇子の隅に書き込んでいる時もあった。私らから見れば、来客順は関係なく、アバウトでも良さそうなものであったが、文楽は違った。

富くじ売り
 噺の中では富くじはアルバイト半分で売り歩かれていましたが、常駐のくじやさんもありました。
 今で言う第一勧銀いえ、みずほ銀行や駅前で売られている宝くじのように店舗を張って、くじを売っていました。

左図;「江戸見世屋図聚」 三谷一馬著 中央公論社より『富くじ屋』 クリックすると大きくなります。
 

2.お祓い箱
 神棚の大神宮様は毎年暮れに、神官が各家庭を回って、お祓いとして大神宮様のお札を取り替えに来て、厄除けの祈祷をした。また、回収したお札を入れる箱をお祓い箱と言い、社員のクビ切ることを”お祓い箱”というのは、ここから来ている。
 この落ちは、このお祓いと借金の支払い(=払い)とを掛けています。
 

3.なんごのわたぬき目刺し
 旦那のお店で頂いた肴「なんごのわたぬき目刺し」。「なんご」は神奈川県茅ヶ崎市南湖(なんご)。かってこの一帯は鰯の名産地であった。おもに街道沿いの茶店等で出していたらしい。なお、「わたぬき」は内臓を抜いた物か。ワタを抜く事で塩を強くしなくとも、日持ちがするものであった。また、地元で長く魚屋を営んでいる古老に聞くと、この地ではワタ抜きの目刺しを作っていた事が無いという。目刺しは春がその旬であることから、4月1日(わたぬき)と言う説もあります。
 


 
  舞台の素敵な旦那の横山町を歩く
 

 暮れの話は「芝浜」、「尻餅」、「二番煎じ」や「掛け取り」等、いろいろあるが、やはりこの噺、「富久」がぴったりであろう。また、この「富久」は結構長い噺で、各演者とも大変な熱演で文楽も負けそうなぐらい、名演が揃っている。

 久蔵の住まい浅草阿倍川町から見に行く。阿倍川町は現在の元浅草3.4丁目約東側半分で、この北側には合羽橋商店街があり、ここは厨房機器や料理用具なら何でも揃うという街で、大変な人出である。舞台のここは商店が少なく、袋物の加工業者が多く町工場も散在するので、暮れの今日12月30日には閑散としている。何の特徴もない、ごく普通の街である。(失礼)

 一番可愛がってくれた旦那が住んでいる、日本橋横山町は衣料問屋や小売店が並ぶ街で、普段は二重、三重に駐車して車の流れは無いのと同じくらいの、混雑ぶりであるが、さすがにこの日は人も歩いていない。2.3日前までは1年の内でも一番忙しかったのに。
 阿倍川町から日本橋横山町までは2.3kmあり、歩いても30〜40分。走れば10分もかからず到着できたであろう。
 文楽は始め、旦那の住所を芝神明(港区芝大門1-12-7)の辺りと演じていたが、ある時、有名な落語評論家が、「芝神明では少〜し遠いのではないか、走っていく間に火事は消えてしまうのではないか」と言われ、それいらい日本橋横山町で演じている。

 富の興行が行われた所が深川八幡(江東区富岡1丁目)です。ここは第6話「阿武松」で紹介した所で、相撲に関する石碑や記念碑が沢山ある神社。
 この深川八幡、湯島天神、芝神明何処もこれからの新年の初詣に供えての準備に忙しそうであった。
 湯島天神については、次回「初天神」で詳しく、書くことにします。

 この久蔵さん、「人間万事塞翁が馬」ではないが、波瀾万丈。 この後、彼はどうなるのであろうか。
 当たった千両は何処に隠しておいたのか? 持ち付けない大金をどう使ったのか? 「芝浜」の勝つぁん家の様に幸せな家族になれたのか、はたまた、遊郭通いで身上をなくしたのか?  年明け後、酒癖の悪いのは直ったのか? お客は戻ったのか? 好きなあの万梅(料亭の名。浅草寺境内にあった)のお松っつぁんと夫婦になれたのか? 
 考え始めると、夜も眠れなくなってしまう、私です。

 

地図

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写真

それぞれの写真をクリックすると大きなカラー写真になります。

阿倍川町
現在の元浅草3.4丁目で、この写真の右側一帯がそうであった。
久蔵はここから走り始め、写真の奥の方、蔵前、浅草橋、馬喰町と駆け抜けた。
この先左側に、「蔵前駕籠」で登場の榧寺があるくらいの所であるから、当時夜は真っ暗であったろう。
日本橋横山町(現在の住所も同じ)
この町は衣料品の問屋街なので、通常は大変な賑わいであるが暮れの30日はゴーストタウンと化している。また古き良きものはなく、完全に物流の街と化している。
深川八幡(江東区富岡1丁目20)
通称で正式には富岡八幡宮と言い、江戸最大の八幡さまである。
3年に1度の本祭りは盛大で120基以上の御輿が出て江戸三大祭り(神社説明)として有名。御輿と担ぎ手に水を掛けるところから、水掛祭りとも言われる。平成8年には100万人の人出を記録している。
湯島天神(文京区湯島3-30-1、正式には湯島天満宮)
ご存じ、菅原道真を祀る神社で、東京には他に亀戸天神がある。ここと椙森神社、深川八幡が富の興行で江戸三大興行神社として有名。境内には富に関する祈念碑などは皆無である。
落語「初天神」の舞台にもなっている。
芝神明(港区芝大門1-12-7、正式名;芝大神宮)
芝神明だらだら祭りで有名。ここは伊勢神宮の御祭神をお祀りしている。約一千年の昔に建立されて、関東の御伊勢(芝神明)様として有名。
 この裏というか、隣に有名な芝増上寺がある。「芝浜」、「時蕎麦」の鐘で登場の寺。その門前に位置している。

                                                       2000年12月記 

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