落語「雪とん」の舞台を歩く
   

 

 五代目古今亭志ん生の噺、「雪とん」(お祭り佐七)によると。
 

 雪は豊年の貢ぎと言われるほど風情があるものです。

 船宿に昔世話になった、地方から出てきた大事なお客様の若旦那を泊めていた。なん日か江戸見物などしていたが、若旦那が体を壊してしまった。女将が聞き出すと”恋患い”だという。本町2丁目の評判娘、糸屋の娘”お糸”が 恋患いの相手であった。男嫌いの娘だから諦めろといったが聞き入れず「杯の一つでも酌み交わし、その杯を持って国に帰れたらそれでイイ。」という。女将はお糸の女中に話をし、小判2枚を包んで渡した。人の命には替えられないので・・・、と言う事で明日の晩、四つ時にトントンを合図に裏木戸を開ける手はずが整った。

 その晩大雪になっていた。若旦那は道を間違えて木戸を叩いたがどこも開けてくれなかった。

 そのころ、年の頃二十五・六で役者に負けないイイ男が吉原に一晩遊びに行く所であった。雪の為、足駄に雪が挟まり黒塀に近づいてトントンと雪を落とした。合図と思った女中に強引に連れ込まれてしまった。あまりにもイイ男だったのでお糸さんも、ブルブルっと震えて、その晩泊める事にした。
 朝、彼は木戸から送り出された。一晩中雪の中を歩いていた若旦那はたまたまそれを目撃してしまった。後を付けていくと宿泊している船宿の女将と話をしていた。女将に聞くとお祭佐七と言って、あまりにもイイ男なので、彼が歩いていると街中の女達が取り巻いてお祭のようだと言うので、お祭佐七とあだ名されていた、と言った。
 「お祭りだって!それでダシにされた」。

 


1.お祭り佐七
 
粗筋・序;円生が演じています。
 久留米の藩士であった飯島佐七郎は、あまりにいい男だったので女達が騒ぎ、そのねたみから城を追い出され、親からも勘当される。江戸の火消でめ組の鳶頭(かしら)、清五郎を父が世話をしていた縁から、ここの居候となり、火消になろうとする。この佐七郎が木遣りがうまく、男前でもあったので、祭となると方々から声が掛かる。どこの祭でも彼の姿が見えたことから「お祭佐七」と呼ばれるようになった。
  さて、若い衆が品川へ遊びに行ったが代金が払えず、佐七が居残りとなった。朝早く、若い者が雑巾掛けをしているのを見ると、三十間もあろうという廊下をあざやかに拭く。これを見た佐七が、「見事であっても、お前達は自然に任せているだけだ。術を加えたならば、一層みごとに なろうから」と雑巾を奪ってやってみると、これがまた実にみごとに拭き、女郎達までが称賛する。これを繰り返すうちに、見世に人がいない折を見計らって逃げ出してきてしま った。
  この話を聞いて呆れる鳶頭に、若い者達が佐七を若い者に加えるように願い出る。いい男だが力もあるというのだ。
 越前屋という米屋に四紋龍という仇名をつけられた力自慢がいて、これと佐七が喧嘩をしたというのだ。佐七が四紋龍を肩へかついで投げると、目の前の金物屋を通り越して、砂糖屋の店先に積んである砂糖に スパッと入った。見物人が、「やァ、砂糖漬けになったとは、甘え野郎だ」と声を上げたというのだ。
「気を失った四紋龍を引きずり出して、若旦那、えいッと鯖(さば)ァ入れたんです」
「何だ鯖ってェのは?」
「鰹だろう」
「ああ、そうそう、鰹ゥ……えへへ、昨日食った鮭ァまずかった……」
「それは活を入れたてぇんだろう」
「そうそう、若旦那がそう言ったよ。『野郎をかついだときに、金物屋へ放り込もうと思ったが、あそこじゃァとんがった物があって顔でも破くといけねえから、むこうの砂糖へ放り込んだ。相手が乱暴な野郎だから、砂糖漬けにしたのは正当(精糖)防衛だ』って」
「何を言ってるんだい」
「お祭り佐七」の発端でございます。

「雪とん」の後半
 さて、振られたお大尽が金の力でお糸の両親を動かし、自分との結婚を決めてしまう。お糸は婚礼の日、行方をくらます。両親が調べると、佐七と一緒に馬喰町の叔父のところへ駆け落ちをし ていたのだった。
「お祭佐七と逃げた……なるほど、道理で佐野の大尽はダシに使われた」。  (円生)

と言う訳で、「雪とん」はお祭り佐七の一部です。


2.本町二丁目
(現在の中央区日本橋室町2.3丁目中央通り西側) 
 糸屋のお糸さんが住んでいた所。今の日本橋本町2丁目とは違います。「帯久」では帯屋久七が住んでいた所です。落語界の有名人が住んでいたんですね。
  今は三井村と言われ、三井の中枢が集まっています。本町二丁目の南側には新築なった三井の中枢・日本橋三井タワービル、三越があります。三越は落語「死神」 で歩いたところで 、この本町二丁目は前回「帯久」で歩いた所です。


3.三井タワービル 
http://www.mitsuitower.jp/building/
  1929年に竣工した三井本館(1993年重要文化財指定)の歴史・文化を受け継ぎつつ日本橋地区の再開発を両立するというコンセプトのもと建築された都市再生の象徴ともいえる39階建て超高層ビルです。2005年竣工の人と街の調和をはかった日本橋地区のランドマークとなる建物です。

 三井本館7階には三井記念美術館(http://www.mitsui-museum.jp/index2.html)があり、 落語「三井の大黒」の左甚五郎作で有名な大黒さんもここにあります(ウソ、有りませんよ)。
 三井記念美術館が所蔵する美術工芸品は、現在約3700点、切手類が約13万点に及んでおり、このうち国宝が6点、重要文化財が20点(本館所管1点を含む)、重要美術品が44点を数えます。美術工芸品は茶道具を中心に、絵画、書跡、刀剣、能面、能装束、調度品など多岐にわたり、おもに三井家十一家のうち北家(惣領家)、新町家、室町家から寄贈されたものです。また、切手類は南家からの寄贈品と、三井家以外ですが、元ダイセル社長の昌谷忠コレクションがあります。このほか、三井家同族の浅野氏から雛人形を、三井家と姻戚関係のある鷹司家から刀剣類の寄贈を受けています。  
 所蔵品の中核をなす茶道具には、国宝「志野茶碗 銘卯花墻」や重要文化財「黒楽茶碗 銘俊寛」、「大名物 唐物肩衝茶入 北野肩衝」をはじめとする名品・優品が含まれています。
絵画では、三井家と親交のあった江戸時代中期の画家・円山応挙の国宝「雪松図屏風」を筆頭に、円山・四条派の作品が比較的多く、また重要文化財「日月松鶴図屏風」や梁楷筆「六祖破経図」なども著名です。

三井記念美術館ホームページより。
写真;国宝・「志野茶碗 銘卯花墻(うのはながき)」
 

4.時刻と足駄(あしだ)
 四つ時;今の夜10時前後。皆が寝静まった頃ですが、私=お糸だけがまだ起きている時間。雪が降り積もり、シ〜ンとしたとした中で、佐七を引き入れ、四畳半で二人きりになったら・・・・。本が破れて、気が付いたら朝になっていた。(いいなぁ〜〜)
 足駄;下駄の一種で、高下駄(たかげた)ともいいます。差歯下駄のうち歯の短いものを足駄とよびました。古代では足の下に履くものをアシシタと呼び、それがなまったものだと言われています。差歯には、ほうの木やかしの木が使われたといいます。足駄は、昭和10年頃までは 一般に使われ、雨の日や霜どけなどでぬかるみを歩くときに使われたとのことで、歯の減り方で履いた人の歩き方がよく分かるといわれました。そして歯が減ってしまったものは歯をいれかえて使われました。

 


  舞台の本町二丁目を歩く

 この噺はもう少し後で紹介するつもりでいましたが、東京に10年ぶりとかの大雪(?)が降りました。気象庁発表では5cm、郊外では10cmの積雪を記録したと言っています。カメラを持って出掛けてみましたが、JRの電車は間引き運転ですが、雪は降れども積雪は有りません。コンクリートや建物は地熱や暖房の影響でしょうか全く雪は積もっていません。わずかに花壇や軒先にわずかの雪が見られるだけです。「雪とん」のように、足駄の歯の間に雪が挟まって、それを取る為に黒板塀に寄りかかってトントンする事もありません。
 今の東京の雪なんてこんなものです。

 地下鉄「三越前」で降りて北側の方に出ると、そこに三井タワービルがあります。日本橋の発展の中心をなすビルと位置づけられています。
 前回の「帯久」で訪れたばかりですが、雪の日はまた感じ方が違うようです。
 今は近代的なオフィスビル群が軒を連ねていますが、当時は黒板塀の仕舞た屋が店舗に付随して有ったのでしょう。当時も日本橋は繁華街の中でも一等地でしたので、お糸さんは大変裕福な暮らしをしていた事でしょう。
 今は近所に三越本店、日本銀行本店、中央三井信託銀行、三井住友銀行などが営業しています。江戸時代の面影はありませんが、三井ビル前には三越の前身、三井越後屋呉服店の店舗を模した外装が施されたイベントホールがあります。 外装は当時の雰囲気を出しています。

 

地図

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写真

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本町二丁目
手前の左右に走る道路が中央通り。左・日本橋、右・神田です。左側のビルが三井タワービル、奥の突き当たりが皆さん大好きな日本銀行本店です。

三井タワービル http://www.mitsuitower.jp/building/
1929年に竣工した三井本館(1993年重要文化財指定)の歴史・文化を受け継ぎつつ日本橋地区の再開発を両立するというコンセプトのもと建築された都市再生の象徴ともいえる39階建て超高層ビルです。2005年竣工の人と街の調和をはかった日本橋地区のランドマークとなる建物です。

三井越後屋ステーション  http://m-echigoya.jp/
屋根に極わずかの雪が認められる、イベントホール三井越後屋です。
2006年3月までの半年間限定オープンです。

三井越後屋
横殴り(?)の雪が舞っていますが、ご覧のように積雪はなく、女中の間違いも起こりません。

三井越後屋
中央通りを渡った所に見える、三井本館で、その右側にタワービルが見えます。三井本館の7階に三井記念美術館があり、国宝数点と重要文化財も何点か所蔵しています。過日の三井財閥の懐のあつさが感じ取れます。

黒板塀
三井越後屋の近所にあった黒板塀の飲み屋さん。最近花柳界でも見る機会が少なくなった黒板塀です。やはりその情緒を彷彿とさせますが、ここでトントンとしても、美女の中の美女・お糸さんは現れません。

                                                        2006年2月記

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