古今亭志ん生の噺、「吉原綺談」(よしわらきだん)、芳原綺談雨夜鐘(あまよのかね)によると。
■第六天(だいろくてん);台東区蔵前一丁目4にある第六天榊神社(だいろくてんさかきじんじゃ)。元々は神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたものですが、明治の神仏分離の際、多くの第六天神社がその社名から神世七代の第6代の面足命・惶根命(オモダル・アヤカシコネ)に祭神を変更した。
■摩利支天の長屋(まりしてん);摩利支天は、原語のMariciは、太陽や月の光線を意味する。摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化したものです。 陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。護身、蓄財などの神として、日本で中世以降信仰を集めた。 ■下谷長者町(したや・ちょうじゃまち);お仲がお湯屋から出てきた街。台東区東上野三丁目南部、JR山手線の西側の湯屋。上記摩利支天の長屋は北隣町。
■下谷仲町(したやなかちょう);仲町と言えば深川の門前仲町を指しますが、上記長者町の湯屋から帰ってくるのには遠すぎます。また、御成街道の常楽院(現在は無い、アブアブの地)の門前町。又は不忍池南端の池之端仲町を言うのか、どちらにしても、どこも町名が違い仲町は無い。下谷で御成街道に面したと言っているので、常楽院門前町を言っているのだろう。常陸屋喜右衛門が骨董屋を営んでいた所。ここから奥に引っ込んだ裏長屋に喜右衛門さん一家が住んでいた。 ■御成街道(おなりかいどう);将軍が御成の時に通る街道。江戸城から神田川に架かる昌平橋(現在の万世橋)を渡って真っ直ぐ北に向かい、菩提寺・上野寛永寺に至る、現在の中央通り。芝増上寺に至る街道や日光東照宮に至る街道も御成街道と言われた。 ■加賀様(かがさま);現石川県、加賀金沢藩松平加賀守百万石の大名の家来と新之助は公言し、お仲に近づいた。加賀上屋敷は現在の本郷東京大学にあたる。落語「粗忽の使者」に詳しい。 ■立花楼(たちばなろう);吉原の江戸町二丁目の遊廓で、大門をくぐって最初の四つ角を左に曲がった両側の街。見世に立花という花魁がいたが、当然、現在はありません。 ■大音寺前(だいおんじまえ);大音寺=台東区竜泉一丁目21、吉原の裏にあたります。 立花が自害し、この前で吉原から火の玉が飛んでくるのを見た武士二人。落語「悋気の火の玉」の重要な舞台。どうして大音寺前に火の玉が集まるのでしょう。
■芝神明の弁財天;立花の死霊(しりょう)を封じ込めたところ。芝神明(明治5年から芝大神宮=港区芝大門一丁目12)の境内には現在無く、本殿に合祀された。合祀される前は末社として、市杵嶋神社(市杵島姫命=イツキシマヒメノミコト)として、弁財天が祀られていた。芝大神宮は伊勢神宮の内外両宮の祭神を祀ることから、関東における伊勢信仰の中心的な役割を担い、「関東のお伊勢様」とも尊称された。だらだら祭りの様子は落語「江島屋騒動」の一千年祭りをご覧下さい。
芝公園西側の宝珠院内の弁天堂
2.吉原
■おばさん;遣り手。妓楼で遊女を取り締まり、万事を切り回す年増女。普通は女郎を卒業した女がなる。
■御職(おしょく);その遊女屋で一番上位の遊女。初めは吉原に限られたが、後には岡場所でも言った(板頭と言った)。御職女郎。
■花魁(おいらん);人を騙すのが商売だが、尾っぽが無くてもできるので「お(尾)いらん」(志ん生説)。江戸吉原の遊郭で、姉女郎の称。転じて一般に、上位の遊女の称。娼妓。女郎。
■仕掛け(しかけ);遊里で、うちかけをいう。また、小袖をいうこともある。着物の上から羽織る一回り大きな着物。
■大引け(おおびけ);遊郭で、定められた閉店時刻午後12時を中引けと呼ぶのに対し、午前2時ごろの最終閉店時刻をいう。
■上草履(うわぞおり);屋内用草履。吉原の花魁は素足に厚めの草履を履いていた。
■見世に出る;花魁はお客を引くのに、街路に面した籬(まがき)のある張り見世に出ます。そこで、お客からのお見立てがあります。
悲しい花魁・若紫について;
本堂砌(みぎり)の左方に角海老若柴之墓あり。碑背の文に曰ふ。若紫塚記。
3.言葉
■旦那(だんな);家人召使いが主人を呼ぶ語。妻が夫を呼ぶ語。また、妾や囲い者の主人。パトロン。
■品川の問屋場(といやば);この場合は「とんやば」とは言いません。新之助が遊んでいたところ。東海道最初の宿品川に設けられた、人馬の継立などの事務を行なった所。
■御家人(ごけにん);直接にその主君に属する家臣。特に、江戸時代、将軍家に直属した家臣で1万石未満の者をすなわち旗本、御目見以下(江戸幕府将軍直参の武士のうち、将軍にお目見する資格のないもの。)を御家人という。
■会所(かいしょ);吉原では大門を入った右手に4人ずつ1日3交代で勤務、町奉行所と連絡しながら廓内の秩序維持にあたった。その監視人は世襲の四郎兵衛と言われ、四郎兵衛会所とも言われた。その主たる職責は、遊女の逃亡を見張ることであった。大門の反対側には会所に対して、”門番所”があった。番所の格子の中から大門の内も外も見張れるようになっていた。町奉行所隠密廻りの同心が、二人ずつ昼夜交代で詰めていた。同心は岡っ引きを使って怪しい奴を取り押さえ、番所内で取り調べた。
■起請(きしょう);起請文。神仏に誓いを立て自分の行為・言説に偽りのない旨を記すこと。また、その文書。起請誓紙。落語「三枚起請」に詳しい。
■洗い髪(あらいがみ);女性の長い髪を洗った後の髪形の状態。当然正式な髪形では無いので人前には出られない。通常幽霊の定型髪形。下記2図。
左より、「月百姿・源氏夕顔巻」 月岡芳年画、 右、「鮑取りの海女」 歌麿画
■暮れ六(くれむつ);日の入りの時刻。夕方6時頃。
■蛤の吸い物;ハマグリの二枚の殻は、対になっている者同士しか合わないから、結婚式の祝い膳に出されます。蝶つがいのような元の部分が、別々の貝の殻だと絶対に合わず、閉まることもなければ、綺麗な形に合わさることもありません。そこから良い夫婦の象徴ともされています。縁起物のお吸い物なのに・・・。
■比翼の紋(ひよくのもん);比翼紋。自分の紋と情人の紋とを組み合せた紋。ふたつもん。関係の無い花嫁の頭から、お仲と新之助の比翼紋が入った櫛が落ちるわけは無いのだが・・・。
舞台の下谷を歩く
JR御徒町駅で降り南口から街に出ます。西側には新築なった吉池が垢抜けて再生されました。ここには日本全国の銘酒(?)といわれる日本酒が集まっていて、当たり外れを楽しむことが出来ましたが、売り場が縮小され新潟を中心に東北の酒が置いてあります。そうそう、酒の話しでは無く、表に出ると奥(御成街道)に松坂屋上野店が一回り上の高級品を並べています。寄り道しないで歩きます。
上野広小路交差点から西に行くと、湯島天神を越した先、本郷を右に入ると東京大学です。そこが加賀様の屋敷跡です。
また、この上野広小路を北に行くと、上野公園にぶつかるようになりますが上野駅前を道なりに進み、今の昭和通りを三ノ輪方向に進み、竜泉で右に曲がると吉原の裏手、大音寺前に出ます。吉原は裏手ですから現在は有りませんがお歯黒ドブにそって大門まで回って、正面から入ります。その途中の竜泉三丁目にはお札の顔になった樋口一葉が住んでいて、現在は一葉記念館になっています。現在の吉原はドブも大門も遊廓も有りませんから好きなところから出入りできます。
それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。 2014年9月記 |
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