古今亭志ん生の噺、「おかめ団子」(おかめだんご)によると。
1.おかめ団子
2.大根屋と大根
大根は、江戸近郊では、練馬及び大蔵大根が秋大根(8、9月に蒔き10〜12月収穫)、亀戸が春蒔き大根(3、4月に蒔き5〜7月収穫)、板橋の清水大根が夏大根(5〜7月に蒔き7〜9月収穫) として有名でした。大根屋の在所の目黒は、どちらかといえば筍(たけのこ)の名産地でしたが、この噺で売っているのは秋大根でしょう。江戸の冬は北風が強く吹き、大火はこの時期に起きています。
江戸の大根は練馬大根にトドメを刺すでしょう。起源としての代表的な伝承は「五代将軍綱吉が、まだ右馬之頭(うまのかみ)のとき、重い脚気を患い、占いによると城の西、馬の字の付く所で療養すれば治る、と出たので練馬に家を建て療養をした。しかし、退屈なので尾張国から大根の種を取り寄せ栽培したところ見事な大根が出来た」。それが起源だと区史ではいいます。
上写真;八百屋の店先、深川江戸資料館 右;野菜売りの棒手振り。
練馬大根は沢庵禅師が考案したと言われる沢庵漬けの材料として、無くてはならない野菜となった。右写真;沢庵漬けのために干される大根。沢庵漬けは、切りそろえて食卓に出すと「香々(江戸言葉で、こうこ)」と言われ、丁寧に「お香々」とも言われる。
3.麻布飯倉片町(いいくらかたまち)
この地は江戸時代、武家屋敷に囲まれた、いたって寂しいところ。 もう江戸の郊外といってよく、タヌキやむじなも、よく出没していた。現在も町名に狸穴(まみあな)と有るくらいですからかなり寂しいところ。その狸穴にロシア大使館があります。現在は住居表示で変わってロシア大使館は麻布台になりましたが、その西側には小さくなった麻布狸穴町が有ります。
■中目黒(なかめぐろ);大根屋さんの住まいがあるところ、目黒区中目黒。東急東横線の中目黒駅は北側の上目黒にあり、中目黒には駅はありません。何だか話がこんがらがりそうです。落語「目黒のさんま」の舞台が近くにあります。
3.言葉
■唐土の楊貴妃はなんのその普賢菩薩の再来か;美人を現す時の常套句。
■今朝御前(けさごぜん); 袈裟御前のもじり。遠藤武者盛遠(もりとお)が袈裟御前に懸想して、袈裟は夫、渡辺亘を殺してくれと、夫の部屋で寝ていると、盛遠は忍んで殺し首を持ち帰ろうとする、男の頭にしてはと不審に思い首へ手をやるとご飯粒。
「さては今朝のごぜんであったか」。
■筒袖(つつそで);袂(タモト)がなくて全体を筒形に仕立てた袖。また、その着物。
■浅葱(あさぎ);薄いネギの葉の色(右の色)。薄い藍色。うすあお。
■股引(ももひき);着物の下に履く、現在のズボン状の履き物。
■13貫(13かん);銭の単位。江戸中期で1両=5貫、13貫だと2両と3貫。なお、1貫=1000文。
■文金高島田(ぶんきんたかしまだ);女の髪の結い方のひとつ。島田髷の根を最も高くした、高尚・優美なもの。もと辰松島田。針打ち。文金島田。現在、結婚式など和装で着飾った時の髪型。
■緋縮緬のしごき(ひじりめん−);緋色の縮緬で出来た、女の腰帯のひとつ。一幅の布を適当な長さに切り、しごいて用いる帯。抱え帯。
右図;「忍岡花見所」部分 歌麿画 左の女性が締め直しているのが『しごき』で、ホコリ除けの打ち掛けの上から締めています。お供の右側の女性は帯の下に同じように、垂らしてはいませんが巻いています。頭の白い物は外出時のホコリ除けのかぶり物。現在の花嫁の角隠しに変化しました。2014.08.追記
■蓑亀(みのかめ);緑藻類の付着した石亀のことのことを蓑亀といいます。背中に蓑を羽織ったように見えることに由来し、日本では他に「緑毛亀」「緑藻亀」などと呼ばれる。中国や日本では長寿を象徴する縁起のよいものとして珍重され、古くからさまざまな文学作品や芸術作品に記述が見られる。浦島太郎に出てくる尻尾と言うよりスカートをはいたような亀。品川で釣ってきた亀団子屋の亀は小さな耳が有りますが、右絵図にはありません。
地下鉄の六本木駅で降ります。地上に出ると、東京でも片手の指の中に入る繁華街です。丸の内や神田のようにサラリーマンの群居しているビジネス街では無く、遊興の町六本木です。交差点から南に下れば、六本木ヒルズで、交差点を西に行けば、元防衛庁の跡地に建設された東京ミッドタウン、その南側には国立新美術館が有ります。まぁ〜てんこ盛りの街並みで、遊ぶに良し、勉学にも良し、流行の先端を探すのも良し、どんな要求にも対応出来る街並みです。
その中でも、東に行けば江戸情緒が楽しめる、今回の飯倉片町です。その道が外苑東通りで、通りの正面に何時も東京タワーがあります。六本木五丁目が終わるところに首都高都心環状線が走る高架橋にネームプレートが張り付けられて「飯倉片町」交差点と入っています。右(南)側だけにその町名がありましたが、現在はその町名は無くなって、六本木五丁目と飯倉片町交差点を渡ると麻布台という町名に変わってしまいました。倉片町の名称は交差点名としてだけ残っています。
この事務用品屋さんの脇を入ると永坂に下る道になります。ビル数で10軒も行かない間に急激に下る坂道に出くわします。そこが永坂で、下り口に永坂の標柱が建っています。下りきるともう一つの江戸からの名店、麻布永坂更級(さらしな)本店のお蕎麦屋さんがあります。永坂更級もう一軒近所の麻布十番に有って、そこと名称に関する訴訟沙汰が起こり、大岡政談ではありませんが両者痛み分けになっています。両店舗ともいつ行っても満席状態で賑わっていますが、新しい方が店が大きいので、売り上げも多いことでしょう。歴史の古い”本店”の角を首都高速の下をくぐり抜け東麻布に出ます。
最初の道を左に入り、商店街からがらりと様相を変えた住宅地になります。その先に、狸穴公園が現れます。子供達が遊んでいる横でお母さん達が子供そっちのけで井戸端会議に熱中しています。公園を抜けると鼠坂という急坂に出合いますし、終わったところに左に曲がる坂があって、そこを植木坂と言いますが、私は真っ直ぐだらだら坂を上ります。住宅地のど真ん中に島崎藤村旧居跡の碑が出てきます。
坂を上がりきったところが、外苑東通りです。通の向こう側は外務省公館だったり、郵政省の建物が有り、こちら側には、ロシア大使館が現れます。大使館との間の下り道が狸穴坂と言いますが、現在はタヌキもムジナもこんな騒がしい都心には住めないでしょう。騙されることも無く、この坂を下ると地図では先程の狸穴公園に行き着きます。
それぞれの写真をクリックすると大きなカラー写真になります。
2014年6月記 |
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