落語「目黒のさんま」の舞台を歩く
金原亭馬生による「目黒のさんま」によると、
屋敷から近いここ目黒の地へ、馬で出かける。
お殿様、野駆けで、行き着いた先が”目黒”この地で空腹を訴えていると、何とも美味しそうな臭い、それが「さんま」の塩焼き。空腹の上運動した後、不味いはずはなく初めて食べた、さんまが忘れられずに殿中に戻っても・・・・
1.舞台となった茶屋が有ったという場所。
目黒区三田2−12近辺に茶屋坂が有り、その中程に「茶屋坂と爺々が茶屋」跡の説明板が、なんと目黒区教育委員会の説明文で立てられている。
坂道は細く曲がりくねっており、20%の急坂で自転車の人も必ず降りて押し上げている程である。回りは高級住宅地でマンションや大使館、旧家等が建ち並び、静かな雰囲気を醸している。
山手通り目黒警察署の脇の道を北に入ると、目黒川が流れ、モダンな中里橋を渡るが、右手には大きな白い煙突が空を突き刺している巨大な目黒清掃工場で、それを過ぎた当たりから道は徐々に上り坂になってくる。まもなくバス停”茶屋坂”、近いぞ〜と言う予感を感じながら、右に曲がるとそこは静かな住宅地、路地2本目の坂道が”茶屋坂”。左手向こうがしに白木の柱が建っている。”茶屋坂”の場所表示と由来が書かれている。左に曲がり急坂を昇ると路は左に大きく曲がるその角に、”茶屋坂と爺々が茶屋”の説明板が立つ(目黒区三田2−12−14)。路なりに昇って行くと突き当たり、右に折れるが、その正面フェンスに広重画の名所江戸百景より ”爺々が茶屋” の浮世絵が写真パネルと説明文付きで掲示されている。 曲がった後、まっすぐ行くとJR山手線に出る。その向こう側が、今話題のスポット”ガーデンプレイス”になる。ここは元恵比寿ビールの発祥の地で、今はサッポロビールの本社があり、三越、東京都写真美術館、ショッピングモール、ウエスティンホテル等があり、連日賑わっている。
少し横道にそれたので、今来た路を戻り、”茶屋坂”の標識を通り越しそのまま坂を下ると、左手に区の小さい公園が表れる(三田2−15)。ここに大きな石碑が建ち、その碑は「茶屋坂の清水碑」と言い、説明板を要約すると、「爺々が茶屋」は三代家光、八代吉宗が鷹狩りのおり、背後にそびえる富士山の絶景を楽しみながら、湧き出る清水で点てた茶で喉を潤したといわれています。中でも八代将軍吉宗公は、祐天寺(ここから、約2キロメートル弱の位置にある)詣でのおりにも利用したと伝えられる。終戦後も清水は守られたが、現在は開発が進み渇き、昭和21年6月建立の碑だけが残った。その碑を住宅地の中から20メートル位離れた現在の公園に移設され、元の清水は場所の特定が出来なくなってしまった。
上の説明にもあるように、茶店は通常景色の良いところで、水の恵まれたところに作られるのが当たり前で、私の推理では目黒区の”爺々が茶屋”の説明板が立つ所に茶屋が有ったのではなく、この公園そばの清水の湧き出る場所に茶屋は有ったと思われるのが自然である。区の説明板より100メートル程下った所ではないかと思われる。
”茶屋坂と爺々が茶屋”の説明板(目黒区三田2−12−14)より
茶屋坂は江戸時代に江戸から目黒に入る道の一つで、大きな松の生えた芝原の中をくねくねと下るつづら折りの坂で富士の眺めが良い所であった。
この坂上に百姓彦四郎が開いた茶屋があって、三代将軍家光や八代将軍吉宗が鷹狩りに来た都度立ち寄って休んだ。
家光は彦四郎の人柄を愛し、「爺、爺」と話しかけたので、「爺々が茶屋」と呼ばれて広重の絵にも見えている。以来将軍が目黒筋へお成りの時には立ち寄って銀一枚を与えるのが例であったという。また十代将軍家治が立ち寄ったときには団子と田楽を作って差し上げたと古文書にも書き残されている。
こんな事から「目黒のさんま」の話が生まれたのではないだろうか。
平成3年3月 目黒区教育委員会
右の版画;広重画の名所江戸百景より ”爺々が茶屋”
2.六代目円生が「歴史の事実と、話の内容は必ずしも一致しない」と言っているが、その通り。話は面白く人を引きつけるように脚色されているので当たり前のことなのです。 この”爺々が茶屋”も古文書によれば団子や田楽を30数回出しているが、秋刀魚の記述は残念ながらどこにも無い。しかし、教育委員会によれば新鮮な秋刀魚は陸路運ばれたのではなく、水路目黒川を使い品川から船で運ばれ、昭和の初め頃まで、水路は利用されていた、とのことです。
目黒区にはJRの駅は一つもなく、舞台の目黒区三田(JR田町駅前の三田とは同名だが違う町)は品川区のJR目黒駅(上大崎)とは隣町で接している。ここには有名な権の助坂や行人坂が微妙に共有しているし、景色も広重画の名所江戸百景に出てくるほど素晴らしい所だった。目黒駅前、こちらが「目黒の秋刀魚」を出した本家かも知れない。と言うので、今年(平成12年)も9月15日に商店会主催で「目黒のさんま祭り」が宮古産秋刀魚4000匹を用意して行われる。
対する”茶屋坂”の目黒区も今年から区民祭りに格上げされて、気仙沼から7000匹の秋刀魚を用意して9月23日に行われる。これだけ一時に焼かれたら落語「さんま火事」の現代版になるかも知れない。
「さんま火事」=常日頃からの恨みを晴らすため、裏の長屋の連中が質屋の裏に集まり気をそろえて何十匹という秋刀魚を一度に焼いて、かし(河岸)だ〜、かしだ〜と怒鳴ると、かじ(火事)だ〜、かじだ〜と勘違いをしてドタバタになる・・・話。
3.2003年9月、サンマまつり、本家はどっち−−品川区「目黒駅前」Vs目黒区「区民まつり」
「サンマは目黒に限る」のオチで知られる落語「目黒のさんま」にちなんだ目黒区と品川区の二つの「目黒のさんま祭り」が、今年も開かれた。商店街や地域活性化のため、ともに96年に始まり、計約6万人が訪れる名物行事に成長した。サンマや付け合わせの材料提供地などさまざまな要素が対照的なため、「目黒のサンマはどちらに限る?」と毎年話題を呼んでいる。
今年は、9月14日にJR目黒駅前の品川区「目黒駅前商店街振興組合」主催の「目黒のさんま祭り」が、9月21日には目黒区民まつりの一環の「目黒のさんま祭」が同区目黒1、田道(でんどう)広場公園で行われ、ともに焼いたサンマが無料でふるまわれ
た。
品川区の「祭り」は、上大崎の誕生八幡神社を中心とした目黒通り沿いで行われる。同振興組合が、急速にビル化された街並みに昔ながらの温かみを取り戻したいと始めた。98年から岩手県宮古市がサンマを、徳島県神山町がスダチを無料で提供。00年からは栃木県黒磯市の青年団が大根おろし用大根を提供している。今年もサンマ5000匹、スダチ1万個と大根が贈られる。
一方、目黒区の「祭」は、宮城県気仙沼市の市民有志が町おこし企画として同区に提案し、同区「田道地区住民会議」の協力で始まった。毎年気仙沼市市民有志から5000匹のサンマ、大分県からカボスが提供される。焼きサンマ配布は、午前10時から整理券が配布される。毎年午後2時ごろまでにはなくなるという。【
毎日新聞 窪田千代】
2003年追記
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