落語「熊の皮」の舞台を歩く
柳家喜多八の噺、「熊の皮」(くまのかわ)
料金に公定相場はないので、自分で勝手に付けられましたが、名医ならば患者が門前市をなしますが、ヤブであれば、玄関に蜘蛛の巣が張ってしまうでしょう。で、自然と相場のような値段が付いてきます。またヤブは自然淘汰されていきます。ですから、無能な者が医者だと言っても長続きはしませんでした。
身分の高い医者は普通、頭を剃って僧形をしていた。
2.日本橋按針町(にほんばしあんじんちょう)
●日本初の折詰料理専門店
時に文化7年(1810)、越後生まれの樋口与一という男が日本橋の魚河岸に「樋口屋」という食事処を開きました。盛りのよさが評判で繁盛していましたが、時間のない魚河岸の人たちは、せっかく食事が出てきても全部食べ切る前に席を立たねばなりませんでした。
三代目樋口松次郎の時代、店も弁当販売が主流となり、「弁当屋の松次郎」略して「弁松」と呼ばれるようになりました。そして、食事処を店じまいし、折詰料理専門店「弁松」を創業しました。嘉永3年(1850)のことでした。
弁松のホームページより http://www.benmatsu.com/history/
3.出典
「熊の皮見て女房の義理を言い」宝暦13年 江戸川柳
もう一話「熊の皮」、
男女の立場を逆にした噺も残っています。
ま、この噺はいくらでもえげつなく出来ますが、喜多八はそこを避けて、品良く(?)逃げています。同じ噺をプライベートのお座敷などに呼ばれ、演じられたらどうなるでしょう。
4.言葉
■赤飯(せきはん);小豆(アズキ)またはささげを煮汁とともに糯米(モチゴメ)にまぜて蒸籠(セイロウ)で蒸した強飯(コワメシ)。おこわ。赤の御飯。多く祝事に用いる。
■口上(こうじょう);言葉で言うこと。口頭で伝えること。また、その内容。口のきき方。弁舌。
■八百屋(やおや);葉菜類、根菜類や漬け物などを売る店。青物屋。この噺の主人公は棒手振りの八百屋さん。
■水を汲まされ;江戸時代は共同の水道井戸があって、そこから水を汲んで、家の台所の瓶に水を汲み込んだ。
■へっつい;かまど。
舞台の日本橋を歩く
落語「子別れ」にも出てくる江戸の弁当屋の老舗。大工の熊五郎、ドブに落ちそうになるのを掴んで止めると、背中の煮物から汁が出て下帯に溜まって気持ちが悪い「このまま死んで焼かれたら照り焼きになっちゃう」。背中に七つ、袖に五つ、懐に三つ貰って来た、これが七五三の振り分けだという。
江戸から明治の初めまでは商標登録という制度はありませんから、江戸でも同名の店が乱立して、どちらが本家本元か分からなくなっています。例えば、
弁松は江戸時代の地に戻ってきて、営業を続けています。この地は、大正時代まで江戸東京の胃袋、魚河岸が有ったところです。
按針町(あんじんちょう);
では、もう一人の船員、八重洲の地名の由来となったヤン・ヨーステンとは、
東京駅八重洲地下街「外堀地下一番通り」壁面にあるヤン・ヨーステンの胸像と説明板。
彼については、八重洲通りと中央通りとの交差点「通り三丁目」中央分離帯にも有ります。
1600年(慶長5年)、オランダ船リーフデ号でウイリアム・アダムスらと豊後に漂着した。そのまま日本に留まり、徳川家康の信任を得て、外交や貿易について進言する役目についた。(ここにある説明板より)
それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。 2014年6月記 |
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