落語「藪入り」の舞台を歩く
   

 

 三代目(先代)三遊亭金馬の噺「藪入り(やぶいり)」によると。
 

 奉公に出て3年目の初めての藪入りの日、
 「藪入りや何にも言わず泣き笑い」。

 男親は朝からソワソワしています。いえ、前の晩からです。男親は女房に奉公に出た一人息子が帰ってきたら、ああしてあげたい、こうしてあげたいと、言って寝かせません。
 暖かい飯に、納豆を買ってやって、海苔を焼いて、卵を炒って、汁粉を食わしてやりたい。刺身にシャモに、鰻の中串をご飯に混ぜて、天麩羅もいいがその場で食べないと旨くないし、寿司にも連れて行きたい。 ほうらい豆にカステラも買ってやれ。
 「うるさいんだから、もう寝なさいよ」、「で、今何時だ」、「2時ですよ」、「昨日は今頃夜が明けたよな」。
 湯に行ったら近所を連れて歩きたい。赤坂の宮本さんから梅島によって本所から浅草に行って、品川の松本さんに挨拶したい。ついでに品川の海を見せて、羽田の穴守さんにお参りして、川崎の大師さんによって、横浜の野毛、伊勢佐木町の通りを見て、横須賀に行って、江ノ島、鎌倉もいいな〜。そこまで行ったのなら、静岡、豊橋、名古屋のしゃちほこ見せて、伊勢の大神宮にお参りしたい。そこから四国の金比羅さん、京大阪回ったら喜ぶだろうな。明日一日で。
 「おっかぁ、おっかぁ、って、うるさいんだから」、「で、今何時だ」、「3時少し回ったよ」、「時間が経つのが遅くないか。時計の針を回してみろよ」。
 「な、おっかぁ」で5時過ぎに起き出して、家の回りを掃除し始めた。普段そんなことした事がないので、いぶかしそうに近所の人達が声を掛けても上の空。

 抱きついてくるかと思ったら、丁重な挨拶をして息子の”亀ちゃん”が帰ってきた。父親の”熊さん”に言葉がないので、聞くと喉が詰まって声が出ない。
 病気になった時、お前からもらった手紙を見たら、字も文もイイので治療はしていたが、それで治ってしまった。それからは何か病気しても、その手紙を見ると治ってしまう。
 「おっかぁ、やろう、大きくなったろうな」、「あんたの前に座っているだろ。ご覧よ」、「見ようと思って目を開けると、後から後から涙が出て、それに水っぱなも出て、見えないんだよ」。
「あっ、動いている。よく来たなぁ。おっかぁは昨日夜っぴて寝てないんだよ」、「それはお前さんだろ」。

 落ち着いた所で、亀ちゃんはお湯に出掛けた。
「おっかぁ。立派になったな。手を付いて挨拶も出来るし、体も大きくなって、手紙も立派に書けるし、着物も帯も履き物もイイ物だ。奥様に可愛がられて居るんだろうな」。「お前さん、サイフの中に小さく折り畳んだ5円札が3枚有るよ」、「子供のサイフを開けてみるなよ」、「15円は多すぎるだろ、なにか悪い了見でも・・・」、「俺の子供だ、そんな事はない。が、初めての宿りで持てるような金ではないな。帰ってきたら、どやしつけてやる」。
 そこに亀ちゃんが湯から気持ちよさそうに帰ってきた。「そこに座れ。おれは卑しい事はこれっぽっちもした事はねぇ。それなのに、この15円は何だ」、「やだな〜。財布なんか開けて。やる事がげすで、これだから貧乏人はヤダ」、「なんだ、このやろう」と喧嘩になってしまった。
 亀ちゃんが言うには、ペストが流行、店で鼠が出るので、捕まえて警察に持っていくと、銭が貰える。そのうえ、ネズミの懸賞に当たって15円もらった。今日までご主人が預かっていたが、宿りだからと持って帰って喜ばせてやれと、持たせてくれた。その15円だという。

 「おっかぁが変な事を言うものだから、変な気持ちになったのだ。懸賞に当たってよかったな〜。許してくよ。主人を大事にしなよ。”チュー”(忠)のお陰だから」。

 


 
1.藪入り (やぶ‐いり、家父入)
 
奉公人が正月および盆の16日前後に、主家から休暇をもらって親もとなどに帰ること。また、その日。盆の休暇は「後の藪入り」ともいった。宿入(やどいり)広辞苑より
 先代三遊亭金馬が良くやっていましたが、親子の情愛が色濃く出ていて、他の落語家さんがやれなかったぐらい素晴らしかったものです。噺の中で、前の晩から寝られずに子供の帰りを待つ男親の気持ちが滲み出ています。
 藪入りとは商家の奉公人などが主人から一時、休みをもらい、家に帰ることが許された。丁稚や徒弟制度など,奉公人が住み込みで働いていた頃の風習で、年に1月と7月の16日にしか休みがなかった時代の話です。
 主人公の息子も、里心がつくと言って3年間は休みを貰えなかった。その三年目の初めての休み。出掛ける時は、
藪入りに旅立ちほどのいとまごい
で、家に喜び勇んで帰ってきたのですが・・・。
 


2.ネズミ取り
 
金馬さんは、噺のマクラで説明しています。それによると、
 そのころ、ネズミが多くて、ネズミの家に人間が居候しているようだった。その為プロのネズミ捕りがいた。パチンコと言って、板の上に針金のバネがついたものにエサを付けて、夕方ドブやゴミ箱の横に置いて、翌朝それを回収して歩いた。それで商売になった。
 小僧さん達はネズミを捕らえると交番に持っていく。すると、ネズミの足に木の札を付けて焼却炉に放り込んだ。替わりに小さな紙をもらい、それを役所に持っていくと2銭の金が貰えた。当時の2銭は結構なもので、小遣い稼ぎになった。ペストがはやると、4銭になった。で、バイキンといった(笑い)。
 その他に懸賞があって、5円、10円、15円というのが当たった。15円とは大金であった。
 時代によって貨幣価値は違いますが、仮に大胆な換算をしてみます。小僧が2銭で小遣いになったのですから、1銭100円として、2銭では200円。バイキンの4銭で400円。5円では5万円、15円で15万円。これは大金です。 母親が驚くのも無理はありません。

 日本で初めてのペスト患者が出た翌年の明治33年1月、当時の東京市は「ネズミ券」の配布を始めた。ペスト菌を媒介するネズミの死骸を1匹につき五銭で買い上げ、伝染病の広がりを未然に防ごうという狙いだ。
 区役所や警察署、近くの交番にネズミを届けると、引き換えに切符をくれた。これがネズミ券。区役所や銀行で換金することができた
 東京市の買い上げは十年ほどで打ち切られた。ネズミが減ってペスト対策が万全になったからではない。子を産ませて、商売しようという連中が出てきて、ネズミが増えすぎてしまったためだ(出久根達郎著『本を旅する』)
 飼育して金に換えようと考える人間が出てくる。そんな想定をした役人はいなかったのではないか。よかれと考えた政策が思いもよらぬ反応を招き、逆効果になってしまうことは決して珍しくはない。
 2013年7月10日 東京新聞紙面「筆洗」から 2013/07/10追記

 

3.一日で連れて歩きた〜い
 
赤坂から梅島に寄って本所から浅草に行って、品川で挨拶したい。ついでに品川の海を見せて、羽田の穴守さんにお参りして、川崎のお大師さんによって、横浜の野毛、伊勢佐木町の通りを見て、横須賀に行って、江ノ島鎌倉もいいな〜。そこまで行ったのなら、静岡豊橋名古屋のしゃちほこ見せて、伊勢の大神宮にお参りしたい。そこから四国の金比羅さん、京大阪回ったら喜ぶだろうな。
 スゴイですね。京大阪まで連れて行ってしまうなんて。親バカっていいですね。でも、その気持ち分かります。

 現在の電車で移動してみましょう。 自宅→赤坂→地下鉄千代田線・『北千住』・東武線17.4km・37分・\390→梅島→東武線『押上』9.4km・23分・\190→本所→都営浅草線1.5km・3分・\140→浅草→都営浅草線『泉岳寺』京急11.1km・24分・\390→品川→京急羽田線10.6km・19分・\190→羽田の穴守→
 
私はこれ以上はついて行けません 。京大阪までは。
 当時は地下鉄も私鉄も完全には出来上がっていなかったでしょうから、これだけで都内の大変な”旅”になったでしょう。次の目的地、川崎大師は落語「大師の杵」で歩いた所です。

 距離は鉄道乗車距離。都内の赤坂→穴守稲荷駅間、鉄道総距離50.0km。待ち時間入れて約2時間。\1,300。皆さんも鉄道最短ルート見つけてください。

 
  1900年撮影の旧穴守稲荷鳥居

 ■穴守(あなもり)稲荷社伝に云う。文化元年の頃(1804年頃)鈴木新田(現在の羽田空港内)開墾の際、沿岸の堤防しばしば激浪のために害を被りたり。或時堤防の腹部に大穴を生じ、これより海水侵入せんとす。ここにおいて村民等相計り堤上に一祠を勧請し、祀る処稲荷大神を以てす。これ実に当社の草創なり。爾来神霊の御加護あらたかにして風浪の害なく五穀豊穣す。その穴守を称するは「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」という心なり。そもそも稲荷大神は、畏くも伊勢の外宮に斎き祀られる豊受姫命にましまして、衣食住の三要を守り給える最も尊き大神なり。穴守稲荷は明治以来、大正・昭和を通じて、最も隆昌に至った。参拝の大衆日夜多く境内・社頭又殷賑を極め、崇敬者は国内は勿論違く海外にも及べり。
穴守稲荷神社略記より
 

4.ほうらい豆(蓬莱豆)
 1.ほおらい豆は、いんげん豆の仲間で平べったくて大きく、栽培されているのは非常に珍しい豆です。岩国市青木出荷組合で栽培。
 畑にお・じゃ・ま http://www.icn-tv.ne.jp/resipi/200506/resipi15.htm より

 2.豆の表面に砂糖とメリケン粉をまぶしたほうらい豆という菓子。源平豆、源氏豆の別称。煎った豆に砂糖をかけ、紅色と白色とにした菓子。明治から昭和のはじめまでの東京の代表銘菓で、文豪の夏目漱石もこよなく愛した一品 とか 。
 
和風プチギフト館 http://www.wafu-gift.com/shohin/others/genji.html より

 この噺では子供の事ですから、野菜ではなく、菓子の源氏豆の事でしょう。

 

5.労働基準法
 この法律は昭和22年4月に制定されていますから、それ以前では労働者の為の今のような法律はなかったのでしょう。だからといって、過酷な労働を強いていたのではなく、噺の中の熊さんが言っているように、「こんなに大きくしていただいて、その上、挨拶も出来て、手土産持参で来るくらい人間的にも育ててもらった」と言っています。『可愛い子には旅させよ』や『苦労は買ってでもしろ』を実践しています。「藪入りや何にも言わず泣き笑い」の気持ちが良く分かります。

 労働基準法第1条(労働条件の原則)で、
 「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなくてはならない。」と記されています。
 人馬同じ、いえ、馬の方が人より大事と言われた、旧日本軍のような事が許されないのがよく分かります。

 同じく第32条(労働時間)で、
 「使用者は、労働者に、休暇時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。」
 第35条(休日)で、
 「使用者は、労働者に対して、毎週少なくとも一回の休日を与えなければならない。」
 第56条(最低年齢)で、
 「満十五才に満たない児童は、労働者として使用してはならない。」

 


  舞台の西新井大師・穴守稲荷を歩く

 今回は「後の藪入り」に合わせて・・・・歩きます。

 東武線西新井の一つ先、盲腸線の大師前で降りると目の前に西新井大師があります。決して交通便利なところではありませんが、「花のお寺」と言う別名があるように、牡丹、藤、桜、紫陽花、菖蒲等々が年間を通して美しく咲き乱れています。特に牡丹は百品種、4500株が植えられた牡丹園を無料で楽しむ事ができます。

 西新井大師しおりから西新井大師のはじまりをのぞいてみましょう。
 西新井大師は天長3年(826)、弘法大師さまによって開創されました。諸国を巡る旅に出られたお大師さまが当地に立ち寄られたところ、日照りによる水不足で作物は枯れ、悪い病気が曼延して人々が苦しんでいました。そこでお大師きま自ら十一面観音の尊像を刻まれ、その残った木材で御自身の像を作り、すべての災厄はこの像が身代わりになるようにと、これを涸れ井戸に投じて二十一日間の御祈願をされました。
 するとその井戸からこんこんと泉が湧き出て、その水を病気の村人達に分け与えたところ、病がたちまち平癒したといわれております。
 このことに喜んだ村人達がお大師さまの指揮のもとに、ここにお寺を建て「五智山偏照院總持寺」と名付けました。また、その井戸が寺の西側にあったことから「西新井」の地名がついたと伝えられております。

 西新井大師を後に、羽田の穴守稲荷神社を訪ねます。

 昭和二十年八月終戦にのぞみ、敗戦と云う未曾有の大混乱の中、米軍による羽田空港拡張の為、従来の鎮座地(東京国際空港内)より四十八時間以内の強制退去を命ぜられた。同年九月、地元崇敬者有志による熱意の奉仕により境内地七百坪が寄進され、仮社殿を復興再建。現在地(大田区羽田五丁目二番)に遷座せり。穴守稲荷神社略記より
 終戦直後でしたから、こんな強引な移転がまかり通ったのでしょう。今だったら考えられない事です。
 羽田空港から神社移転時、いろいろな災いが関係者に発生し、空港中央の大鳥居だけは撤去出来なかった。平成11年2月までその地にあったが、空港拡張の為恐る恐る移動した。 が、結果、何でもなかった。外国からの観光客にしてみれば、JAPANに着いたという印象が強かったのではないだろうか。

 西新井大師と違って、ここは静かなお宮さんで、時々訪ねてくる参拝客がいるだけで、清掃が行き届いた境内がモッタイナイくらいです。ここには「御神砂」があって、備え付けの封筒に入れて持って帰れます。八百万 (やおよろず)の功徳があって、その願掛けによって、商売繁盛・家内安全に玄関に撒いたり、病気全快には床の下に敷いたり、新築時敷地に撒いたりと効能はありそうです。 いただいてくれば良かった。

 

地図

   
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写真

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赤坂(あかさか、港区赤坂)
赤坂見付交差点付近。写真の左、プリンスホテル。右ビルの奥がTBS-TVの局舎があり、繁華街になっています。

梅島(うめじま、足立区梅島)
ここは駅があるだけで、何もありません(失礼)が、その先の西新井大師で有名です。写真正面のガード上が梅島駅です。

西新井大師(足立区西新井1−15)
川崎大師に並んで、東京の北に鎮座しています。お花の寺としても有名で、四季の花が楽しめます。
右;四国巡礼八十八ヶ所がお地蔵さんになって、迎えています。

本所(ほんじょ、墨田区本所)
落語「文七元結」の舞台、達磨横町が有る所です。
写真正面は吾妻橋際のアサヒビールのビルです。

浅草(あさくさ、台東区浅草)
浅草と言えば、もうここしかありません。浅草寺。

品川の海(しながわ、品川区北品川)
落語「品川心中」の舞台、島崎楼の先の海、今は埋め立てられて、船溜まりになっています。 奥の高層ビル街は新しくなった品川駅東口前に建った超高層ビル群です。
この船溜まりは「品川浦とつり船」として、しながわ百景に選ばれています。

羽田の穴守(はねだのあなもり、大田区羽田五 −2・穴守稲荷)
羽田空港にあった大鳥居はここの神社の鳥居でした。
右;奥社につながる鳥居のトンネルは心が引き締まります。

羽田の鳥居(弁天橋際空港敷地内)
元羽田空港駐車場内にあった大鳥居。米軍の強制撤去で神社は移転しましたが、この大鳥居だけは関係者に災いをきたしたので撤去できずに駐車場内に取り残されていました。
今では神社の管理下から離れて、有志が管理しています。07.2月追加

                                                        2006年7月記

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