落語「欠伸指南」の舞台を歩く

  
 

 柳家小三治の噺、「欠伸指南(あくびしなん)」によると。
 

  昔はいろいろ変わった商売があった。猫の蚤取りとか耳掃除だとかあった。稽古所なども盛んに開かれていた。釣り指南所と言って、部屋の中で教えたり、ケンカ指南所などもあった(?)。

 モテたくて、裏の若い衆が新しい稽古を始めたいので、一緒に来てくれと友達に頼み込んで”欠伸指南所”を訪れた。

 欠伸指南の教えを請うと、心やすく入門を許された。友達を入り口に待たせ、指南が始まった。
「下地はありますか」と、問われたが「欠伸に下地があるとは思わなかった。どっちにしても、あの『あ〜あぁ』と言うヤツでしょ」、「いえいえ、その様な”駄欠伸”とは違います」、「”駄欠伸”・・・?」。
 「ごく、実のある欠伸の中から、”四季の欠伸”から始めるのが、初心者には良いでしょう。秋の欠伸は名月を眺めていたら欠伸が出てきた。冬の欠伸は炬燵から顔を出した猫が、つっぱらかって欠伸をしているところを見ていて、つられて欠伸が出てしまうという。これらは難しいので、後でするとして、今回は夏の欠伸を稽古しましょう」、「『夏だから、ぽかぽかっときて、欠伸が出る』、というヤツですか」、 「それも駄欠伸ですからやりません」。

 「場所は隅田川の首尾の松辺りで、もやった船で船頭と二人っきり。タバコに火を付けて、身体が揺れるような揺れないような、『船頭さん、船をうわてにやっておくれ、船から上がって一杯やって、晩には仲に行って、新造でも買って粋な遊びでもしましょうか。船も良いが一日船に乗っていると・・・、退屈で・・・タイクツで・・・あぁ〜〜あ(と欠伸)・・・ならない』とな」。「上手いもんだな」、「では、私について、覚えてください」。
 タバコを師匠から借りて、一服どころか充分堪能してから始めたが、大旦那風情どころか、職人風の”べらんめぇ”で感じが出ない。吉原に上がって浮いた話になったり、欠伸をかみ殺せなくて、「ハクシッ」とクシャミをしてしまったり様にならない。

 それを見ていた友人が「何を馬鹿な事をやってるんだ。習う方も習う方だが、教える野郎もナンだよ。お前らは良いよ、こっちの身になって見ろよ・・・。退屈で・・・、タイクツで・・・、あぁ〜〜あ (と欠伸)・・・ならない」。「お連れさんの方が上手だ!」。

 


 

1.「首尾の松」

 今の隅田川、蔵前橋の西詰めに石碑と若木が植えられています。往年の首尾の松とは比べようもありませんが、その雰囲気は伝わってきます。
 当時は御蔵前と言って幕府のお米蔵があって、隅田川に突きだした船着き場がありました。櫛の字形に9本の接岸地とその間に上流より1番堀から8番堀まで有りました。丁度中央の4番堀と5番堀の間の突堤に”首尾の松”が枝振り豊かに川面に張り出していました。
 その張り出した松の枝に船をモヤって・・・。人それぞれ目的が違いますから、どの様な状況が繰り広げられていたのでしょうか、それは判りませんが・・・。噺の中の主人公のように、「退屈で、退屈で・・・、あアぁ、ならねぇ〜」とご主人気取りで遊びにもあきたという御仁もいたのでしょう。また、絵のように釣りを楽しむ御一行さんもいたようです。
 落語「船徳」の徳さんも、「お初・徳兵衛浮名桟橋」に出てくるように腕を上げて、この首尾の松に船をモヤって濡れ場になると言う事もあった、のでしょう。
 

2.首尾の松のいわれ
 
この碑から約100m川下に当たる、浅草御蔵(蔵前御米蔵)の四番堀と五番堀のあいだの隅田川岸に、枝が川面にさしかかるように枝垂れていた「首尾の松」があった。
 その由来については次のような諸説がある。
 1.寛永年間(1624〜43)に隅田川が氾濫したとき、三代将軍家光の面前で謹慎中の阿部備後守忠秋が、人馬もろとも川中に飛び入り見事対岸に渡りつき、家光がこれを賞して謹慎を解いた。かたわらにあった松を「首尾の松」と称したという。
 2.吉原に遊びに行く通人達は、隅田川をさかのぼり山谷堀から入り込んだものだが、上り下りの舟が、途中この松陰によって「首尾」を語ったところからの説。
 3.江戸時代このあたりで海苔をとるために「ひび」を水中に立てたが、訛って「首尾」となり、近くにあった松を「首尾の松」と称したという。

 初代「首尾の松」は、安永年間(1772〜80)風災で倒れ、更に植えた松も安政年間(1854〜59)に枯れ、三度目の松も明治の末頃枯れてしまい、その後も関東大震災、戦災で全焼してしまった。昭和37年12月これを惜しんだ浅草南部商工観光協会が、地元関係者と共にこの橋際に碑を建設した。現在の松は七代目といわれる。
台東区教育委員会案内板より

「名木は米の中から枝を出し」 江戸川柳
「首尾の松たびたび見たで不首尾なり」 江戸川柳
等と詠まれていました。

「江戸名所草木尽・首尾の松」 国芳画  首尾の松の下で猪牙(ちょき)船と屋根船が接近しています。
 

3.首尾の松から仲に
 
(なか);之町。吉原の中央通りを之町と言った、つめて””。 で、吉原の事。
 隅田川上流に向かって進むと今の蔵前橋、厩橋、駒形橋、吾妻橋、言問橋の先の山谷堀を左に上ればそこが吉原は日本堤、土手から下りれば見返り柳と吉原大門。しかし山谷堀は埋め立てられて今はない。 吉原もネ。今あるのは隅田川と前にあげた橋のみです。

 志ん生の噺では、「船から上がって一杯やって、晩には仲に行って、新造でも買って粋な遊びでもしましょうか。」と言うところを、同じように繰り返して言ってるつもりが、「に上がると、女が・・・」と、長々と吉原の艶話に移っていってしまう。師匠に注意をされてやり直すが、何回も何回も同じようにモテた時の楽しい話に脱線してしまう。欠伸が出るどころか、目を輝かせて話し込んでしまうのが、たまらない。


4.欠伸
(あくび)
 
つまらない講演(講義)を聞いている時。起承転結のないだらだら会議の時。お見合いでも気のない時(?)、この「欠伸指南」を読んでいる時など、突然欠伸が出て困る事があります。その欠伸をかみ殺す時はなお辛い。欠伸はだらけているから出るのかと思いきや、違うみたいです。

 酸素が不足した脳に酸素を豊富に供給するために、通常の呼吸以上に酸素を取り込もうという、一種の深呼吸なのです。 これは、欠伸が脳の酸素不足によって起こる一種の反射なのです。
 もともと、脳という器官はその大きさのわりにエネルギー源や酸素を大量に必要とすることでも知られています。脳は体重の約2.5%ほどの重さなのに、全身の血液の20%が流れ、呼吸によって取り入れられた酸素の20〜25%を消費しているのです。
 このように多量のエネルギー源や酸素を必要とする脳は、からだの他の器官を犠牲にしても優先的に栄養を摂っているのです。だから、酸素が不足した状態になると、大脳皮質の判断を待つことなしに、強制的に酸素を取り入れようと反射(欠伸)が起こるのです。

 また、欠伸時に大口を開けるのは、空気をたっぷり取り入れ、二酸化炭素を体の外に出します。また、物を噛むときに使う咬筋が強く引き伸ばされ、大脳皮質に刺激が送られ一時的に意識をはっきりさせる効果もあるのです。

  「欠伸」をすることで、脳をはっきりさせ、眠気を防ぐのに役立ちます。

だから・・・、指南されなくても、必要上出てきます。


5.モテるための条件
 落語界でもてる男性の10ヶ条というのがあって、
一見栄(服装・身なり)、二男(男前)、三金(金回りのよさ)、四芸(趣味・特技)、五精(頑張り)、六おぼこ(純情さ)、七台詞(弁舌)、八力(力持ち)、九胆(度胸のよさ)、十評判(人望)」となっています。

女の美しさは
「一髪、二化粧、三衣装」、

遊廓で女を得るのに必要なものは
「一金、二男(いちきん、になん)」

これだけ。特に金がないと絶対モテません。当たり前です、仕事ですから。三、四が無くて、五金。



 

  舞台の蔵前を歩く
 

  7月最後の土曜日すなわち26日が隅田川花火大会です。そのために橋の欄干部分は建築用パイプで補強されています。首尾の松が有るところも侵入出来ないようにバリケードを設けて安全を期してます。その為写真が撮れません。(オイオイ撮れてるだろう!)はいはい、その通り、皆様のために乗り越えて写してきました。(^_^; あと、1週間もすれば無くなるのですが、出来る時に写しておかないと後何時になる事やら・・・。
 隅田川の護岸はコンクリートで垂直な壁です。色気も何もありませんが、そこに気づいた粋な人(?)が、護岸の内側にテラスと称した遊歩道を設けて散策が出来るようになりました。少しは隅田川を散歩する気持ちにさせてくれます。
 蔵前橋付近に、今はなくなりましたが、「御米蔵」が有って札差しなどで大いにお金が動いた所でもあります。また、旧「国技館」があって相撲では名が通ったところです。墨田区側の両国駅前に(新)「国技館」が有ります。今でも相撲部屋が多くあります。その隣には「江戸東京博物館」も有ります。

 

地図

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写真

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首尾の松跡碑
 蔵前橋西詰め南側に細長い三角形の緑地の中にいろいろな木と共に、松の若木と「首尾松」の石碑、説明板が建っています。若木はヒョロヒョロの頼りないもので、往年の名松を想像する事は出来ません。

首尾の松のあったところ
 「首尾の松」碑がある南側にNTTが有ります。その川面にあたるところ、今観光船が通っている、向こう側がその位置だといわれています。そこは私有地ですから入る事は出来ませんが、橋上から見ると、そこには・・・、何もありません。

蔵前橋欄干の絵
 蔵前橋の欄干には透かし彫りの彫刻がはめ込まれています。相撲の錦絵をモチーフにしたものや、この写真のように「首尾の松と屋根船と芸者さん」を描いたものも有ります。

首尾の松跡 御米蔵地図 ) 
 
現代の地図に、江戸時代の御米蔵を重ねて書いてみたもの。赤い線で囲まれた所が、御米蔵で、櫛の歯状に堀が北から1番、2番・・・8番堀まで有った。また御米蔵の周囲は堀になっていた。蔵前通りの下図でいうと国道番号の”6”辺りに鳥越橋があり、茅町から出た駕籠は直ぐのこの橋で、賊の様子をうかがった。御米蔵が終わって間もなく、 榧寺が見えてくる。(第10話「蔵前駕籠」から引用)

影向(ようごう)の松
 江戸川区東小岩2−24「善養寺」にある、都及び区の天然記念物の名松。樹齢約600年、枝下面積約800平方メートルを誇る巨大な黒松。 幹や枝にはコケが生えていますが、四方に広がる枝ほど新芽の伸びが早いといわれるぐらい、まだまだ元気です。『影向』とは神仏が姿を現すという仏教用語です。日本で1,2位を争うほどの名松。
 この松ほどではないでしょうが、大きく張り出した枝振りは首尾の松を彷彿とさせます。

                                                                                                             2003年7月記

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