落語「船徳」の舞台を歩く
 

  
 八代目桂文楽の噺、「船徳(ふなとく)」によると。
 

 遊びすぎて勘当された「若旦那の徳さん」が船宿の二階で居候している。船頭になるからみんなに紹介してくれと言う。呼ばれた若い衆は親方に小言を言われると思い、先に謝るとみんな初耳だと言われ、全て耳に入れてしまう。今日から”徳”と呼び捨てにしてくれと頼む。念願叶って船頭になって自分で一人前と思える四万六千日、暑い盛り。
 柳橋の大升に二人の客が来るが船頭が居ないからと断るが、柱に持たれて居眠りをする徳を見付け、約束の時間まで返すからと強引に頼み、本人も「こないだのように、舟をひっくり返しませんので」と行きたがるので、女将は心ならずとも引き受ける。舟に2人を待たせに待たせ髭を当たってから、ハチマキをする徳さん。まだ”もやった”舟は竿を張るがどうしても出ない。やっと漕ぎ出して大川に出るが3度グルグル回って、櫓に変わる。「太った旦那!もっとこっちへ寄って下さい。舵が取りにくい」・・・土手の上に向かって「竹屋のおじさ〜ん、これから大桟橋まで送っていきますから」「徳さん一人か〜い。だいじょぶか〜い」。連れの客がたまらず「おい、俺はここで上げて貰いたい」「だいじょーぶだよ!、な、若い衆」「このまえ子供を連れた女の人を落としたものだから、心配してくれているのです」。舟は石垣によって行き、石垣に張り付いてしまう。コウモリ傘で石垣を突くが傘が刺さったまま舟は出てしまう。「二度と戻れません」。「舟は揺れるね〜」「それより流されているよ!」「へい!暑くて汗が目に入って前が見えません。舟が来たら避けて下さい」。やっとの事で近くまで来たが、真っ青になってへたり込んでしまった。「若い衆!アト一息だよ」。桟橋まで着かないので、止む終えず浅くなった河の中を歩くことにし、相棒をオブって岸にやっと上がる。振り返ったお客が「だいじょ〜ぶかぃ、しっかりおしぃ」「お客さん、お上がりになりましたら、船頭を一人雇って下さい」。


似顔絵;山藤章二「文楽」 新イラスト紳士録より



1.
四万六千日(しまんろくせんにち)
 毎年浅草寺で開かれる縁日で、7月9,10日にお詣りすると、四万六千日お詣りしたと同じ御利益があると言われています。宿の女将は六千日さんと詰めて言っている。昔は旧暦の7月、今の8月中旬過ぎです。暑い盛りです。この日、境内では「ほおずき市」が開かれ、50万人以上の参拝が有る。四万六千日とは大変良い響きのある言葉ですが、46,000日は年数に直すと126年になります。この日に一回参拝すれば一生参拝しなくてもイイと言うほどの長さです。二度と浅草寺には行かない? 毎年参拝すると、どうなることか。私はこの1年、46,005日位通いましたか。
 この日の他に、功徳日として九十日応当、2月末日。百日応当、1月1日、3月4日、4月18日、5月18日。三百日応当、9月20日。四百日応当、6月18日、10月19日。ここから桁が変わって四千日応当、8月24日、12月19日。六千日応当、11月7日があります。しかし、何と言っても飛び抜けたサービスデーは、四万六千日です。夏の人枯れするときに、惜しげもなく功徳を与え、参拝を集めるのでしょう。

「四万六千日の暑さとはなりにけり」 久保田万太郎
 

2.大桟橋
 吾妻橋の一つ下流に架かっている駒形橋の西詰めに小さなお堂が有り、これが駒形堂。 ここに大川に突き出た桟橋が有った。桟橋から上がると、雷門、浅草寺と繋がる入り口に当たる。
 駒形堂は天慶五年(942)創建で大変古くから有り、大川から見ると駒が駆けているように見えたので、この様な名前になった、とも言われる。北斎、広重などが浮世絵の題材にしている。堂は関東大震災で焼けたが、昭和八年現在の堂に再建された。
 

3.柳橋
 
両国橋の西側、神田川が合流する、その際に架かった橋。その北側には柳橋と言う町があり、柳橋花柳界で金持ちの江戸っ子は遊んだ。橋のたもとには細い土手ずたいに7棟(6店)の船宿が今でも営業しているが、2階に居候するほどの部屋はない。どこも2階が店舗で出入り口、1階が事務所兼休憩室の様な作りになっている。今は交通手段で舟を出すより、釣り船や屋形船で遊ばせる様になっている。
子規の句で、「春の夜や女見返る柳橋」、「贅沢な人の涼みや柳橋」
 

4.ぼうず(墨田区両国1−9−7)
 軍鶏料理の老舗で東京中に知れ渡った店。
 親方に呼ばれ、小言を回避するため先に白状した話は、『お客さんに沢山祝儀を貰ったのでたまには手銭でと、”ぼうず”に行って呑んだのは良いが、喧嘩して徳利や皿を割ってしまった』と言う。その店は今でも有り、両国橋東詰め最初の信号の角、今ニュースで話題の「KSD」ビルを右に曲がり数件先の右側に黒塀に囲まれて盛業中。
 最近は”ぼうず”で判らない客のためギャグを変えてやっている(古今亭)。『蕎麦屋が天麩羅蕎麦を2杯、出前を間違って持ってきた。判っていたが黙って食べてしまい、空き丼を隣の家の台所先に置いておくと、お金がその上にチャリーンと乗っていた。そのお金を持ってきてしまった』と替えてやっている。これはこれで面白い。
 

5.この噺の続き
 
この噺は「お初・徳兵衛浮名桟橋」の前半の話で、中段はこんな白い肌のドジな徳さんでも
 
『年季が入って上手くなって、粋な船頭になった。芸者衆にも”モテ”て、芸者衆から名指しで注文が来るようになった。ある日、芸者のお初姉さんを乗せて大川を下り、途中 前も見えないような雨になったので、蔵前の”首尾の松”に舟をもやう。外は雨。「中に入りなさい」との優しい言葉、「それは出来ません」と断るが、雨が強くなって、再度「中に入りなさい」との言葉。遠慮しながら中にはいると、お初は「あなたのことは5年前から知っています」との事。「そんなことはありません。まだ船頭になって、そんなに日にちは経っていません」 、「私は初めて貴方の席に呼ばれて行った時、何と素敵なお人だと想い、それ以来遠くから何時も見ていました」、「お姉さんは男嫌いで有名ではありませんか」、「貴方は苦労人。女の私から話させるのですか。・・貴方のことが忘れられず、その様にしているだけです」。外の雨は益々激しくなり、雷が混じるようになってきた。近くに雷が激しく落ちると、お初は前後も判らず、徳にかじりつく。お初のビンの送れ毛と熱い吐息と女の香りが、木石ならない徳をジーンとさせる。背中に回った手に力が入る。お初の裾が乱れ真っ赤な襦袢の裾が割れて、真っ白な足がすーと表れ・・・。ここで本が破れて先が判らない』。
(落語「宮戸川」の最後にも、こんなシーンが・・・。)  志ん生の「お初・徳兵衛」より
落語ではここまでしか聞いた事がない。
 後半は心中まで起こすが幸い助かり、後はめでたし、めでたしになり、お初・徳兵衛全巻の終わり。
 



 柳橋から吾妻橋を歩く

 隅田川に架かった両国橋を川風に吹かれながら、柳橋をボーと眺めていると遊覧船や屋形船や作業船が通りすぎます。今も重要な航路として役に立っているのが判ります。
 柳橋に立つと神田川の両岸に船宿が浅草橋まで続きます。小松屋、井筒屋、あみ春、あみ新、田中屋、鈴木屋と6店が土手と言うよりコンクリート壁にへばり付いて居ます。川面には釣り船より屋形船が頑張っています。タクシーのような「チョキ船」は既にありませんが、移動目的の舟はどこにもありません。全てレジャー船です。白い肌の女性の船頭さんも居ます。
 ここから大桟橋の有った駒形堂まで、どんなに石垣をこすったり、3回まわっても約2km弱の距離です。今はJR総武線の鉄橋をくぐり、首尾の松を左手に見ながら、蔵前橋、厩橋、その次の駒形橋が大桟橋の有ったところです。
 歩く速度でも30分あればお釣りが来ます。通常では半分以下の時間で着いたことでしょう。今は無いが大桟橋に立つと、そこは駒形堂のある駒形橋。ここから雷門は正面に見えます。馬生師は見えていてもなかなか着かないと、言っていますが、直線の正面に見える雷門と浅草寺はなかなか近づきません。でも、舟を下りたここからは2−3分の距離で、雷門です。
 かえって雷門から仲見世を通って本堂前に着く方が人混みで時間が掛かります。ずぶ濡れのお客と傘無しの太ったお客は何処まで行ったことでしょう。もしかして、帰り道に大桟橋を覗いたら、まだ青い顔をした徳さんが居たりして・・。本当、駒形堂の裏には4〜50人乗れる屋形船がもやってあります。だーれも乗っていません。静かにもやってありました。

地図

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写真

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柳橋と船宿
写真の中に詳しく説明しています。
駒形堂
駒形橋の西詰めにある馬頭観音を祀るお堂。
奥に青い駒形橋が見える。この地に大桟橋が有った。
首尾の松
蔵前橋の西詰めに有る昭和37年に植えられた7代目の松。元来はお米蔵の中程に大川に突き出て生えていた大松。今の蔵前高校の土手辺りであろう。いろいろ説があるが、この松の下で、吉原の帰り昨夜の首尾を語り合ったので、こう言われるようになった、とも言われる。今の松はまだ完全に成木になっていず、少々物足りない。
ぼうず 志やも
天和三年(1683)創業で、昔は「丸屋」と言っていたが、ある時、主人が丸坊主になって喧嘩を仲裁し納めたことから、それが評判になり「ぼうず」と屋号を替えた。軍鶏料理の老舗。特に軍鶏鍋が有名。
四万六千日=ほおずき市
浅草寺で毎年7月9,10日に開かれる御利益日。この日にお詣りをすると46,000日お詣りしただけの御利益があるというサービスデー。この日は境内中にほおずき市が立ち、ほおずきを売る店が並び活況を呈している。
2001年7月追記

                                                  2001年5月記

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