落語「元犬」の舞台を歩く
 

  
 八代目春風亭柳枝の噺「元犬(もといぬ)」によると、
 

 蔵前八幡の境内に1匹の純白の野良犬が参詣客に大変可愛がられていた。
  参拝客の一人から「しろヤ、おまえのような純白な犬は人間に近いという。次の世には人間になるのだぞ」と言われ続けていた。しろも考えて、人間に御利益があるのなら、この俺にだって叶うはずと、三・七、21日の裸足参り。満願の日風が吹いてくると、体中の毛が抜けて人間になった。ただ、素っ裸で立っていると、三間町の桂庵(けいあん=職業紹介所)武蔵屋、吉兵衛さんに出会い、話をして羽織を着せて貰い店まで連れていって貰う。

 部屋に上がれと言えば、汚い足で上がろうとし、雑巾で足を拭いてからと言えば、口にくわえて振り回すし、女房を紹介すれば、「知ってます。こないだ台所に来たら、水をぶっかけられた」。女房と相談して、とぼけた人が良いという、千住のご隠居に紹介することに。さらしを切って下帯にと出せば、首に巻いてじゃれるし、着物も着込んで出掛けようとすれば、履き物を四つ足に履いてしまう。

 千住に着いて、「地方から来たから、言葉が分からない」と弁解し、待たせている彼を呼ぶと、「寝ちゃている?それはいけません。玄関の敷居に顎を乗せて?」。部屋内に通すと、「この人はきれい好きだ。だってグルグル回って、畳の匂いをかいでいる」。吉兵衛さんが帰って、彼に「生まれは?」「蔵前の掃き溜めの裏で生まれた」「え!・・そうか、卑下をして言うとは偉い」。「両親は?」「両親て何ですか」。「男親は?」「あー、オスですか」「オイオイ」「鼻ずらの色が似ているからムクと違うかと思います」「女親は?」「メスは毛並みが良いと、横浜から連れられて、外国に行っちゃいました」「ご兄弟は?」「三匹です。一匹は踏みつぶされてしまいました。もう一匹は咬む癖があるので、警察に持って行かれました。」「お前さんの歳は?」「三つです」「そうか、二十三位だろうナ」「名前は?」「しろ、です」「白・・と有るだろう」「いえ、只のしろです」「そうか、只四郎か、イイ名前だ」「お前がいると、夜も気強い」「夜は寝ません。泥棒が来たら、向こうずねを食らいついてやります」「気に入った。居て貰おう。ところで、のどが渇いたから、お茶にしよう。チンチン沸いている鉄瓶の蓋を取ってくれ、・・・早く」「ここでチンチンするとは思わなかった」と犬の時のチンチンをする。「用が足りないな。ほうじ茶が好きだから、そこの茶ほうじを取ってくれ。茶ほうじダ」「?」「茶ほうじが分からなければ、ほい炉。ホイロ」「うー〜」。「ホイロ!」「ワン」。「やだね。(女中の)おもと〜、おもとは居ないか、もとはいぬか?」
「今朝ほど人間になりました 」 。
 チョ〜ン、お後がよろしいようで。
 



1.蔵前八幡
 
現在、蔵前神社(台東区蔵前3−14−11)と言い、ここでたびたび相撲興行が行われた。当時は広かったが今は狭くて人々が集まれるだけの境内が無い。
 江戸城鬼門除けとして五代将軍綱吉が京都山城国より石(いわ)清水八幡宮を勧進奉斎したのが始まりで、昭和26年3月蔵前神社と名を変えている。

 相撲とは縁が深く、天明年間には、大関谷風や関脇小野川が、寛政年間には大関雷電などの名力士もここで活躍した。天明2年(1782)2月場所7日目、安政7年(1778)以来実に63連勝中の谷風が新進の小野川に「渡し込み」で敗れた一番は江戸中を騒がせた。現在の『縦番付』は宝暦7年10月、当神社で開催された本場所から始まった。宝暦11年(1761)10月場所より従来の勧進相撲が『勧進大相撲』になり、その後の「全勝負付け」も現存している。明治時代には「花相撲」も行われた。

 勧進大相撲が宝暦7年(1757)10月に始まり文政と約70年の間に、ここで23回行われ、両国回向院、深川八幡宮、とここ石清水八幡宮が三大拠点の一つであった。 第6話「阿武松」より

蔵前神社由来記
 誉田別天皇(ほんだわけのすめらみこと=応神天皇)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)、姫大神(ひめのおおかみ)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、菅原道真公、塩土翁命(しおつちのおきなのみこと)の六神を祀る。お祓いを受けたので全部の神様を書き記した。
 

2.三間町の桂庵(けいあん=職業紹介所)武蔵屋
 三間町(さんげんちょう)は淺草の三間町と言い、台東区駒形1,同寿4にまたがる細長い街です。ここに桂庵(けいあん=職業紹介所)の武蔵屋さんが有りました。ここは石清水八幡宮(蔵前神社)と現在は隣町になりますので、桂庵の吉兵衛さんは良く石清水八幡宮まで参拝に来ていたので、シロを先刻ご承知だったのでしょう。
 隣町の桂庵まで連れ戻るのは造作ない事です。
 また、千住の入口、泪橋までは約2kmの地ですから、おかしなシロを連れて歩いても苦にならない距離でしょう。吉兵衛さんも、おかしな振る舞いは身元が分かっていますので、承知していますが、千住のご隠居は眼をパチクリさせるのは当然です。野良犬の時代に戻るような事無く、長く勤まると良いのですが。
 


  舞台の蔵前神社を歩く
 

 ここは元、2200坪もあった大きな敷地の神社で有ったが、今の境内は600坪しか無い。回りのビルや駐車場などに土地を貸して、神社の運営の足しにしている。ほんの一握りの有名な神社以外は維持管理が大変なのであろう。この神社も蔵前通り(江戸通り)まで敷地があり、その道に接していた。榧寺と同じように裏に引っ込んでしまった。 その榧寺とは隣同士です。
 近くに先月開通したばかりの地下鉄「大江戸線」が走り、蔵前駅も出来た。しかし休みの日は静かなところです。地下鉄開業を祝って12月17日に蔵前神社の本御輿が出て、祝いに華を添えた。

 どれだけ待ちましたかね〜、蔵前神社には野良犬なんてとんと見かけませんでした。

 蔵前神社に菅原道真公が出てくるとは思わなかった。天神さんがここにも居たとは。この1週間の内に彼の住まい、湯島天神、亀戸天神、そしてここ蔵前神社の3ヶ所を回ったことになる。
 蔵前神社は当時別名、蔵前八幡、または蔵前の八幡さまと親しまれたところで、正式名称、石(いわ)清水八幡宮と称した。
 相撲との関係も深く、日本相撲協会から現存の社号標や、栃錦とか北の富士の名前の見える石玉垣が贈られています。
 

地図

    地図をクリックすると大きな地図になります。   

写真

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蔵前神社本堂
正月過ぎの神社本堂正面。大きい写真の中でお賽銭を上げて、お願い事をすれば、願が叶うかも。
蔵前神社
綺麗に清掃された本堂と境内。小ぎれいになっていて、気持ちがいい。
蔵前神社の大宮司
85才になられるが、元気そのもので、今は息子さんに代を譲られている。いろいろなお話や、資料までいただき、帰り際には私に特別お祓いをして下さった。ありがたいことです。
蔵前神社前の犬
神社入り口前を犬が散歩していた。
最近は野良犬は1匹も居ない。現代の東京ではマンションが多く、みんなおとなしい、お利口さんの、小型犬ばかりになった。犬は部屋の中で人間同様に飼われているので、自分は犬と思っていず、人間と思っている。既に人間になってしまった犬がゴマンといる。
古地図の中の八幡宮(この地図は右が北である)
大きな地図の中央下側に八幡宮がある。
この周辺をふらついていた純白の野良くんが、願掛けに成功した。
地図の左下に「蔵前駕籠」で紹介した、米蔵が描かれており、八幡宮の右手に榧寺が描かれている。

                                                        2001年1月記

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