落語「七草」の舞台を歩く
   

 

 三遊亭金馬の噺、「七草」(ななくさ)
 

 明けましておめでとうございます。

正月の7日には「七草粥」を食べますが、前日に新しいまな板に七草を乗せて、すりこぎ、柄杓を並べ、家族を従え囃子に合わせて、「七草なずな、唐土の鳥が日本の土地に届かぬ先に、トントンぱたりトンぱたり、トントンぱたりトンぱたり。(家族が)オテテッテッテッテ・・・・」と歌われているそうです。
 大陸から渡ってくる鳥の翼にはいろいろな害虫や病気があるので、日本に渡って来る前に七草粥を食べて厄を落とし、元気に1年間を過ごそうというらしいが、今は何処もそんなことはしていない。

 昔、吉原が有る当時、七越(ななこし)花魁が居た。彼女は大変な美人だった上に、芸事が出来た才女。どうゆう訳か初会が付くが裏が付かない。商売、裏が付いて初めての花魁なのに。調べてみると、七越花魁はお客さんの前で料理をパクパク食べてしまう。ま、つまみ食いをするという悪い癖があった。御内所に呼ばれて、キツく注意をされた。七越花魁も利発な人だから約束を守った。その為、欠点が取れた花魁、引く手あまたの絶世の人気者になった。

 正月7日、野田のお大尽が芸者、幇間、末社を引き連れて豪遊。そこに七越花魁も呼ばれていた。大尽、宴の途中でトイレに立ち上がり、おべっか連中がお伴して同道した。残ったのは七越花魁だけ。ふと、お膳を見ると尾頭付きという小骨の硬い”ホウボウ”の塩焼きが乗っていた。この魚が寝そべりながら花魁に何か言っているような目つきだった。「花魁、私を食べて下さいよ、そうすれば二度のお勤めをしなくてイイのです」と言っているように見えた。花魁、昔のクセがムラムラっとわき起こり、一口二口と口に含んだその時に、お大尽が戻ってきた。あわてて、魚をひっくり返し、箸跡を隠しゴクリと飲み込んだのは良いが、小骨の多い魚ですから喉にそれが刺さってしまった。吐き出そうとしたが取れず、苦しがったので周りの者が驚いて「医者だ、薬だ」と大騒ぎ。お大尽、騒がず見ると、ホウボウの寝姿が左右逆になっていたので、「騒ぐことは無い。私が治してあげよう」と粋な判断をした。

 象牙の箸を持って花魁の背中を叩いた。「七越泣くな、ホウボウの骨が刺さらぬ先に、二本の箸でトントンぱたりトンぱたり」、七越花魁が「イテテッテッテッテ・・・」。

 



1.七草(七種

 向島百花園の「七草のカゴ寄せ植え」 展示用の大カゴに盛られた非売品 2013.01.04撮影

 春の七草は「せりなずな 御形はこべら 仏の座 すずなすずしろ これぞ七草」  四辻の左大臣 (本名:四辻善成(よつつじのよしなり))の歌によって広まった。春の七草の7種の草とその読み並べ方が定着したといわれる。

  
 左から、(せり);川辺・湿地に生え、柔らかく今でも多いに食べられる。 (なずな)→ペンペン草。御形(ごぎょう)→母子草 。

  
 繁縷(はこべら)→はこべ 。小さい白い花を咲かす。仏の座→田平子(たびらこ)。(すずな)→蕪(かぶ)、お馴染み八百屋で見掛ける。

 左、蘿蔔(すずしろ)→大根、同じく八百屋で見掛ける代表的野菜。

写真7枚は「季節の花 300」 春の七草、よりhttp://www.hana300.com/haru77.html 

 芹、蕪、大根は現在も食べますが、他の4種は雑草としてか認識していません。本当に食べられるのでしょうかね。当時の人が可哀相なくらいです。


 七草は、人日(じんじつ)の節句(1月7日)の朝に、7種の野菜が入った粥を食べる風習のこと。七草粥は、邪気を払い万病を除くとして食べる。縁起的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。ただ、苦さがキツく子供達は砂糖が入らないと食べられなかったと言う。
 七草は、前日の夜にまな板に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。
 囃し歌は鳥追い歌に由来し、これは七草がゆの行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられている。
 「七草粥」の囃子というのは、金馬も噺の中で楽しそうに盛んに言っていますが、
「七草なずな、唐土の鳥が日本の土地に届かぬ先に、トントンぱたりトンぱたり」、「オテテッテッテッテ‥‥」と歌われています。「大陸から渡ってくる鳥の翼にはいろいろな害虫や病気があるので、日本に渡って来る前に七草粥を食べて厄を落とし、元気で1年間を過ごそう」というのが、この囃子の由来だと金馬は説いています。

 右図;武家でも、この日になるとまな板をトントン叩いた。

秋の七草;春の七草は全て食べられる草ですが、秋の七草は鑑賞に堪える草花です。
 「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花 萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌(あさがお)の花」 万葉集 山上憶良(やまのうえのおくら)の歌から、この様に言われています。
 萩(はぎ)
 尾花(おばな)→ 薄(すすき)
 葛花(くずばな)→ 葛(くず)
 撫子(なでしこ)→日本女子サッカーの愛称に使われるが、食べられない。
 女郎花(おみなえし)→女郎_花といって、名前は色っぽい。
 藤袴(ふじばかま)
 朝貌(あさがお) → 「朝顔」ではなく 「桔梗」であるとの説が定説。

 

2.吉原(よしわら)
 浅草の裏に美女三千人を擁した不夜城があったが、昭和33年3月31日に消滅してしまった。(金馬談)
みんな間違えるのですが、現実、吉原が消滅したのは、1ヶ月早い2月の末であった。(「吉原はこんな所でございました」松葉屋女将・福田利子著)

 「扇屋の新年」北斎画5枚続き 太陽浮世絵シリーズ北斎 平凡社より
 クリックすると大きくなり、絵(見世)の状況を説明します。 

裏を返す(うらをかえす);吉原に登楼するとき、最初を「初会」、二度目を「裏を返す」、三度目を「馴染み」と言って、それ以降はお馴染みさんと名前が変わって歓待してくれます。ここから出た言葉ですが、現在も使われる言葉です。
 この噺では、七越花魁は美人の上、芸は出来るのに、なぜか初会のお客さんだけで、次に繋がるお客さんが付かなかった。(金馬談) 今風に言えば、リピーターがいなかったのです。

花魁(おいらん);お女郎では無い。女郎は四宿・岡場所の遊女や吉原の下級遊女。花魁は江戸吉原の遊郭で、姉遊女の称。転じて一般に、上位の遊女の称。
 なぜ花魁というかと言えば、そこの女性は口が上手くて腹に無い事でも平気で嘘が言える。そうやって人を騙す。狐、狸は人を騙すが、尾っぽで騙す。あの人達は尾が無くても騙すから、”尾いらん”花魁と言った。(金馬談)

芸事が出来る;上級の花魁は歌が唄えて、踊りが踊れて、三味線が弾けて、お琴が弾けて、胡弓が弾けて、布団が敷けて、車が引けた。(金馬談)
 志ん生は、見識があり美貌が良くて、教養があり、文が立って、筆が立ち、茶道、花道、碁、将棋が出来て、三味線、琴の楽器が出来て、歌が唄えて、和歌、俳諧、が出来、借金の断りもできた。それも人並み以上の万能選手だった。

御内所(ごないしょ);ご主人がいる場所。番頭、主人などが居る1階にある場所。その部屋。

幇間(ほうかん)と末社(まっしゃ);幇間は男芸者、太鼓持ち。末社は付いてまわりの落語家などの芸人。

二度のお勤めをしなくてイイ;江戸で遊女を買うと、その遊女は、一人だけの客を遊ばせるのでは無く、複数の客の相手をしなくてはならない。これを”回しを取る”という。決して相撲取りが土俵上でマワシを取るのとは違う。遊女からすれば、二度目からのお勤めをしなければ、身体も気持ちも楽になる。

大尽(だいじん);遊里で大金を使って豪遊する「傾城買いの上客」。

 

3.言葉
 

ホウボウ;ホウボウ科の海産の硬骨魚。全長約40cm、体は赤銅色。胸びれは特に大きく、内面は鮮青色で美しい斑点がある。胸びれ下部に、感覚器を兼ねるヒレの変形した3本の指状物があり、これで海底を歩き餌を探す。浮き袋で音を発する。本州中部以南に分布。

 味は淡泊で上品なので、刺身、吸い物、鍋料理、塩焼き、煮物に用いられる。旬は秋から初春まで

 この魚は小骨が多く食べにくいから塩焼きでは誰も食べない。調理場に下がってきた魚を温め直して次のお座敷に回す。この魚だけです、”回し”を取るのは。あちこちの座敷に行くからホウボウと言う。(金馬談)

美人の条件;昔の標準は、「髪は烏の濡れ羽色、三国一の富士額、山谷山谷の三ヶ月まゆ毛、目はパッチリと黒め勝ち、鼻筋通って口元純情おちょぼ口、膚は抜けるように白く、ほっそりした柳腰」。
 昔と今は大違いで、現在は髪の色も染めたりして、まゆ毛も自分で書くから好きなようにし、口元も同じ。一番違うのは柳腰で、今は大きな腰と大きな胸元をよしとするが、当時はダメで”鳩胸出っ尻”と言って嫌われた。世の中が変わると美女の標準も変わるので、今は流行に乗らない人でも、その内、美人の標準になるかも知れない。(金馬談)

 右図;「お仙の茶屋」部分 春信画
 典型的な柳腰の美人、笠森稲荷の茶屋娘お仙さんです。

 



 舞台の春の七草を求めて歩く

 

 春の七草と言えば、毎年春の七草をセットして開園している、都立向島百花園(墨田区東向島三丁目18)を訪ねます。
 まず、百花園の由来を、百花園ホームページから、
 江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て、花の咲く草花鑑賞を中心とし各種山野草で「民営の花園」を造り、開園しました。 
 敷地一万平方メートルに開園当初は、360本の梅が主体で、当時有名だった亀戸の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。その後、ミヤギノハギ、筑波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。「百花園」の名称は、一説では、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。


 ここは都立の公園(庭園)ですが、ガンバって正月の元旦から開園しています。園内に七福神の福禄寿があるためで、公園管理者は居ないので無料開放されています。来園者のお目当ては、七福神と「春の七草セット」です。私もその中の一人ですが、都内では、ここだけでしか見たり、購入が出来る所は無いと思っています。本当は地元の八百屋さんで求められれば、一番イイのですが、残念ながらとんと見掛けません。同じようにお盆の送り火を焚くあのかさかさした木(草?)も、今では売られていません。季節の「ぼたもち」や「おはぎ」は和菓子屋さんに行けば何時でも手に入りますが、江戸からの風俗に関わる物は絶滅の危機に瀕しています。環境省の絶滅「レッドブック」に登録されても良いのではないかと思います。話戻って、

 私は向島百花園に立っています。
 百花園の中の茶店では、今(12月下旬)が発送のピークを迎えて大忙しです。私は七草だから年明けが忙しいだろうと思っていましたが、とんでもない。七草の植え込みは、世話になった人に暮れにお持ちして、正月のお祝いにと贈るのだそうです。年を開けて正月になったら、この七草の寄せ植えは品切れになっているかも知れません。皇室にも送られる七草だそうで、私が話しかけても、うるさそうにせず包装前の鉢を出してくれて、どうぞ、こちらの愛らしい鉢を撮って下さいと、出してくれました。ありがたいことです。いまだ、下町の人情が感じられます。
 ここの寄せ植えは、しっかりと根を張っているので、春先まで丈夫に育ち庭に下ろしてあげれば、一年中楽しむことが出来ます。八百屋さんで売っているような大根や蕪が収穫できるかも知れません。あ、その前にかゆにして食べたらいけませんよ。

 話変わって、今回、吉原に行きたかったのですが、予算獲得が否決され、素見(すけん=ひやかし。ウインドショッピング)だけでは悲しく涙をのんでパスです。吉原は落語の中でも、舞台になる事が多い所ですので、前の噺にさかのぼって探して下さい。
 あ、私、吟醸、本当に行かなかったんですよ。(何も、ムキになって言わなくても良いのに)

 

地図


  地図をクリックすると大きな地図になります。 百花園ホームページより

写真



 それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。

向島百花園(墨田区東向島三丁目18)
 百花園入口です。手前で入場料を払い入ると庭に入るぞと言う、雰囲気の門があります。

茶店(向島百花園)
 上記の門をくぐると、左手に茶店があります。ここで、七草の一切を取り仕切っています。テントの左側にはお持ち帰り用の鉢が並んでいます。

発送を待つ鉢向島百花園
 テントの中には無数の鉢が並んでいます。クリスマスの贈り物より、どれだけ洒落た贈り物になることでしょう。

七草向島百花園
 春の七草は「せりなずな 御形はこべら 仏の座 すずなすずしろ これぞ七草」 と言われるように、この鉢に寄せ植えされています。

福禄寿向島百花園
 隅田川七福神の一つ福禄寿がここに有ります。元旦は向島百花園は都立の庭園ですからお休みです。しかし、隅田川七福神の福禄寿を祀られているので、門は開放されています。と言うことは、無料でここに入園することが出来ます。

冬の庭園向島百花園
 草花が主役の庭園ですから、真冬は見るべきものがありません。春が来るのを、土の下で我慢強く待っている草花たちです。

                                                           2013年1月記


次の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る

 

 

L [PR] @ďAEx ₦΍@킯菤i ^T[o[