落語「人形買い」の舞台を歩く
   

 

 六代目三遊亭円生の噺、「人形買い」(にんぎょうがい)
 

 最近五節句は祝わなくなったが、雛祭りと端午の節句は今も祝います。端午の節句には、武者人形とちまきに柏餅を飾ります。ちまきか柏餅を祝い事だと云い配ると、その返礼だと人形を贈り、それに対して返礼をするという習わしがあった。

 八つぁんと熊さんが長屋の月番だから、神道者の赤ん坊が初節句の祝いに、ちまきを配ったので、長屋中で人形を贈ることになった。100文で24軒から集めて2貫400になるからそれを元手に、十軒店に人形を買いに出掛けることになった。

 十軒店に来てみると、どの人形も生きているようであった。特に暖簾から鼻水垂らして顔を出している子供は生きているようだ。あわてて、あれは当店の小僧だと弁解する店主だった。
 安価のでよいと、人形の値段を聞くと勉強して3貫500だという。当然持ち合わせは無いし、値切って冷や奴で一杯やる金をひねり出す腹づもり。そこで1貫でと値切ったが無理と分かり、2貫300で手打ちとなった。
 候補は太閤秀吉と神功皇后の2品で、どちらに決めるかは長屋に戻り、うるさ方の易者と講釈師の判断を仰がなければならない。先程の鼻を垂らした小僧に2品を持たせ、決まったら一品は返すからと約束して店を出た。
 おしゃべりはイケナイよと釘を差されていたが、ペラペラとしゃべり始めた。元値は1貫でも良かったという。去年の売れ残りで、燃やしてしまおうかと思っていたら、大旦那が出てきて「店に出しておけばどこかの馬鹿が引っかかって買っていくかもしれない」と吹っ掛けて値段をつけた品物であった。精算が済んでる二人は悔しがること。
 大旦那のお伴で出掛けて、食事を食べた話や、若旦那と女中の仲を200文くれたら話すと云い、出さないというと、ただでも話すと云って、二人の痴話をバラし始めた。

 長屋に着いて、易者に意見を求めると、本格的に易を立て、神功皇后が良いと御託宣。立ち去ろうとすると私は易者だから見料をいただきたいと、48文取られてしまった。楽しみにしていた酒2合が1合になってしまった。
 講釈師の所に行き、どちらが良いか聞くと、太閤記を語り出した。三代と続かなかったから太閤より神功皇后の方が良いという。帰ろうとすると、「木戸銭二人前48文置いていきなさい」。これで冷や奴だけになったと嘆いていると「座布団とお茶で4文」、これで余得は何も無し。

 神道者のところに人形を届けに行くと、「あたくしを神職と見立てて、神功皇后さまとは、なによりも結構なお人形」と大喜び。
 「そも神功皇后さまと申したてまつるは、人皇十四代・・・」と講釈を並べ立て始めるから、慌てて
「チョッと待った待った。これを聞くと少しは銭が出るのでしょうが、二人とも一文無しですから、どうかお返しで差っ引いていただきます」。

 


1.人形の太閤秀吉と神功皇后
 五月(さつき)飾りとして武勇に優れた人形を親としたら飾りたかったのでしょう。そのため、子供の成長を祈願して部屋に人形が飾られたのです。鍾馗(しょうき)の掛け軸と大名行列に使う幡(はた)や幟(のぼり)、飾り鎗等を飾りました(右写真;江戸東京博物館蔵)。
 また、各地の祭り山車(だし)に秀吉も神功皇后も大きな人形として飾られ今に残っています。
 
太閤秀吉(たいこうひでよし);豊臣秀吉(とよとみひでよし)、天文6年(1537)?〜慶長3年(1598)8月18日。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・天下人・関白・太閤と呼ばれ、信長、家康と並び三英傑の一人。
 はじめ木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、はじめ平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、豊臣氏に改めた。
 尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれた。当初今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を表した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、織田家内部で勢力争いを起こし、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き関白・太政大臣に就任、豊臣姓を賜り日本全国の大名を臣従させ天下統一を果たした。太閤検地や刀狩などの画期的な新政策で中世封建社会から近世封建社会への転換を成し遂げるが、慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して没した。
 辞世の句は、
 「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢 」。
 墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城など機知に富んだ逸話が伝わり、百姓から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。
文・肖像写真:豊臣秀吉像(狩野光信筆 高台寺蔵 重文) ウィキペディアより加筆

神功皇后(じんぐうこうごう):名は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)。170〜269。14代仲哀天皇の后。古事記の仲哀紀、日本書紀の神功皇后紀に英雄的支配者、神秘的霊威力を示す巫女として記述されている。新羅(しらぎ)から帰国後、大和へ帰り、応神天皇が即位するまで摂政を行い、99才まで生きた。右図、ウィキペディアより

応神天皇(おうじんてんのう):仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と神功皇后の第4皇子。神々の中で最初に仏名を持った神で八幡大菩薩といわれる。
 神功皇后の朝鮮(新羅)から凱旋の日に筑紫の宇美で生れた。幼少時代は神功皇后が摂政として天皇を助けた。
 応神天皇の時代に勢力が発展し、大陸文化が盛んに輸入された。また、儒教が始まった。日本文化の興隆に貢献した大和朝廷の傑出した文化人指導者であった。
 神功皇后とともに、八幡神として、皇祖神や武神として各地の八幡宮に祀られている。

武内宿禰(たけうちのすくね):古事記に、300年以上も生き、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五代の天皇に244年間仕えたとされている。神功皇后の新羅攻略を補佐、景行天皇の時代の蝦夷地視察、応神天皇誕生後の籠坂・忍熊王子の叛乱討伐など功績が多い。
 また、霊媒者として能力を持ち、日本書紀によれば、神功皇后が神田に溝を掘るときに邪魔になった大きな岩を、竹内宿禰が祈ると雷が落ち岩を打ち砕いたという。葛城・巨勢・平群・紀・蘇我は、子孫とされている。
延命長寿、武運長久、厄除けの神として祀る神社が多い。

注;神功皇后の項の記述について、諸説あります。神功皇后の実在説と創作説があるくらいですから。

 市川市・葛飾八幡宮「神楽殿大絵馬」部分より 新羅に出陣中の神功皇后と武内宿禰


2.十軒店
 ”じゅっけんだな”、といい、江戸時代、本石町に有った人形を売る店が集まっていた地。現在の中央区日本橋室町三丁目2〜4、中央通り(日本橋通り)の両側にあった。

 「熈代照覧」(きだいしょうらん)より十軒店部分 ベルリン東洋美術館蔵 複製:江戸東京博物館蔵 
左方向が日本橋、右方向が今川橋(現・神田駅)。
 本石町の両側に十軒ほどの外売りの仮店が並んだのが「十軒店」のいわれ。ひな人形も川に流す”流し雛”から発展し、内裏びなを飾る大名雛となり、町人文化に定着したのが江戸時代。縁起物の値段は交渉次第、それが雛市の楽しみ。同じように端午の節句にも人形の市が立った。

 

 「十軒店雛市」葛飾北斎画 画本東都遊(えほんあずまあそび)より

浅草橋駅近辺;現代はお人形を買うのは百貨店で買うことが出来ますが、浅草橋駅近辺には有名な老舗が集まっています。十軒店と同じように雛祭りの頃、端午の節句頃、羽子板の時期には大賑わいです。3ヶ月で1年分稼ぐのですから大変です。

 

3.言葉
■五節句
(ごせっく);毎年五度の節句。以下を総称して云う。
・1月7日=人日(じんじつ)、東方朔の「占書」に見える中国の古い習俗で、正月の一日から六日までは獣畜を占い、七日に人を占うところから。 七種(ななくさ)の粥を祝う。
・3月3日=上巳(じょうし)、陰暦3月初めの巳(ミ)の日で、後に3月3日。主に女児の祝う節句で、雛祭をする。草餅を食べる。宮中では、この日、曲水の宴を張った。桃の節句。雛の節句。
・5月5日=端午(たんご)、「端」は初めの意。もと中国で月の初めの午(うま)の日、のち「午」は「5」と音通などにより五月5日をいう。古来、邪気を払うため菖蒲や蓬(ヨモギ)を軒に挿し(右写真;畠山記念館)、ちまきや柏餅を食べる。菖蒲と尚武の音通もあって、近世以降は男子の節句とされ、甲冑・武者人形などを飾り、庭前に幟旗や鯉幟(コイノボリ)を立てて男子の成長を祝う。第二次大戦後は「こどもの日」として国民の祝日のひとつとなった。あやめの節句。
・7月7日=七夕(しちせき)、たなばたの祝い。
・9月9日=重陽(ちょうよう)、(陽の数である9が重なる意) 五節句の一。陰暦9月9日で、日本では奈良時代より宮中で観菊の宴が催された。菊の節句。9月の節句。重九。

ちまき(粽);(古く茅(チガヤ)の葉で巻いたからいう) 端午の節句に食べる糯米(モチゴメ)粉・粳米(ウルチマイ)粉・葛粉などで作った餅。長円錐形に固めて笹や真菰(マコモ)などの葉で巻き、藺草(イグサ)で縛って蒸したもの。中国では汨羅(ベキラ=汨羅川)に投身した屈原の忌日が5月5日なので、その姉が弟を弔うために、当日餅を江に投じて竜(キユウリヨウ)を祀ったのに始まるという。

2貫400;1貫は1000文、2貫で2000文、合わせて2400文。江戸時代前期で公定相場金1両は銭4貫文。中期で5貫文、幕末で10貫文までインフレが進んだ。江戸中期で1文=20円位、100文=2000円位、以外と良い値段を集めたものです。ここから、そんなに貧乏長屋では無かったのがうかがえます。4〜5万円のお人形と云えば、長屋住まいには、かなり立派なお人形が買えます。

易者(えきしゃ);人相、手相等、算木(サンギ)・筮竹(ゼイチク)を使い、易によって占うのを業とする人。売卜者(バイボクシヤ)。八卦見(ハツケミ)。最近ではタロット占い、星占い、水晶占いなど多岐にわたっていますが、トランプ占いはお遊びでもします。

講釈師(こうしゃくし);(軍学・兵書に通じている者が軍書を講じたことから) 寄席演芸の一で、軍記物を朗読するもの。明治以後は講談という。前記講釈を演ずる人を講釈師という。または軍談師。

神道者(しんとうしゃ);神道は(もと、自然の理法、神のはたらきの意) わが国に発生した民族信仰。祖先神や自然神への尊崇を中心とする古来の民間信仰が、外来思想である仏教・儒教などの影響を受けつつ理論化されたもの。平安時代には神仏習合・本地垂迹(ホンジスイジヤク)があらわれ、両部神道・山王一実神道が成立、中世には伊勢神道・吉田神道、江戸時代には垂加神道・吉川神道などが流行した。明治以降は神社神道と教派神道(神道十三派)とに分れ、前者は太平洋戦争終了まで政府の大きな保護を受けた。
 この教義を教え進める人を、神道者といった。神官教導職と神道系宗教の教職者。




 
舞台の十軒店を歩く

 

 写真・現在の十軒店跡付近。室町三丁目2、上記熈代照覧に対応して西側を見ています。
 左から、海老屋ビル(古美術店)、室町INビル(カフェ・ベローチェ)、内藤ビル(せきや)。2枚目、茶色のビルがNBF日本橋室町センタービル(りそな銀行)、トラヤビル。3枚目、矢の根寿司、江川春祥堂、路地を挟んで室町中央ビル、(4枚目共。北海道銀行、北陸銀行、ドトール)。その右側(写真の外)が江戸通りと交差する室町三丁目交差点。

 約100mの範囲に上記ビルが並んでいます。2枚目の写真、茶色のビルの1階柱に十軒店の説明が中央区教育委員会の解説で提示されています。この2枚目写真の辺りが十軒店跡です。この近辺には人形を売る店は一軒もなく、十軒店自体も明治に入ると急速に無くなってしまいました。

 今、日本橋北側は再開発が進んでいて、超高層ビルが建ち並び始めています。どの辺までビルが新しくなるのか分かりませんが、2街区が工事に入っていて2014年には完成だと案内板には明記されています。
 落語「百川」で料亭百川楼の正確な位置は分からなくなっていますが、その近所にあった福徳稲荷(現在名:福徳神社)は屋上に祀られていた当時の場所、日本橋室町二丁目4に境内も寄進され新しいガラスケースに入って鎮座しています。その前の道が江戸時代から呼ばれていた”浮世小路(うきよこうじ)”と言います。

 浅草橋にむかいます。
 駅前の道が江戸通りでこの道を南に行けば、上記十軒店があった室町三丁目の交差点に出ます。毎回出てくるように北に行けば浅草です。この江戸通りを中心に浅草橋駅近辺には老舗の人形屋さんや、中小の人形屋さんが集まっています。どの人形屋さんも雛市、五月飾りが終わって、文字通りの夏枯れです。どの店もお人形より、夏物のうちわ、扇子、提灯、等が飾られいますし、駄菓子屋さんの店先を思わせる店(右写真)も、中には花火問屋と見間違うほどの人形屋さんも何軒か有ります。お店のご主人に聞くと「夏は人形が売れないので、花火を売っている」といいます。焼き芋屋さんが、夏には氷屋さんになるのと似ています。シーズン以外は遊んで暮らすのかと思ったら大間違いなことが分かりました。シーズンになれば十軒店より、多くの人出で賑わうことでしょう。


地図

  日本橋三井タワーに有った案内図より作図。右が北側。

 地図をクリックすると大きな地図になります。 

写真

 それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。

十軒店跡(室町三丁目西側)
 中央通りから西側を見ています。茶色のビル辺りに十軒店がありました。現在は日本橋の繁華街でビルに囲まれ、往時のように人形屋さんは皆無です。

十軒店跡(室町三丁目より日本橋方向)
 上記写真の南側、日本橋を見ています。写真中央に日本橋三井タワーがあり、その先にデパートの三越が見えます。

十軒店跡(室町三丁目東側)
 中央通りの反対側、ユニチカビルでその1階には中国銀行が入っています。右側の茶色のビルとの間には小路があって、その道を十軒店新道といいます。

浅草橋駅前(台東区浅草橋)
 シーズンオフの今は閑散とした人形の街になっていますが、造花屋、ショッピング店は元気そのものです。  

久月・秀月(台東区柳橋一丁目)
 駅前江戸通りを渡った正面にあります。店内を覗いても店員さん以外どの店もお客さんの姿はありません。

吉徳(台東区浅草橋一丁目)
 駅を出て浅草橋との中間にある、存在感の大きな店です。

安売り人形(秀月)
 店頭に選り取り見取りの売れ残り人形が、噺の中の人形屋さんのごとく、並んでいます。決して顔を鼠がかじったり、抜ける頭だったりはしません。綺麗な箱に入れれば一桁以上の値が付くでしょうから、二人で飲みつぶれるほどのお金が残るでしょう。

雛人形(柳橋一丁目、昇玉)
 一歩大通りから入ったこの店には、ウインドーに立派なお雛様が飾られています。その実力を感じます。

                                                                  2012年9月記

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