落語「花見の仇討ち」の舞台を歩く

  
 花見の噺は沢山あります。「長屋の花見」花見小僧「崇徳院」といろいろありますが、花見と言えば、
古今亭志ん朝
の噺「花見の仇討ち」によると、

 江戸中を”アッと驚くような趣向をして”花見をしたいと、中途半端な江戸っ子4人が話し合い、仇討ちという趣向で評判を取ろうと計画する。
 仇の浪人一人に巡礼兄弟の仇討ち、それを止める六部の役どころ。花見の山で人出の多い昼頃に仇が目立つ木下で煙草を吸っているのを合図に、巡礼の二人が「親の敵ぃ〜」と目いっぱい叫び真剣でやり合うが、そこに六部の仲裁が入り酒肴が出て、回りの花見客が呆気にとられている内に、お開き。これは趣向だと分かり、評判を取るという寸法。
 練習を重ね翌日に仇役の建具屋の金さん、きっさぁんとよしさんは巡礼兄弟、ろくさんは六部の出で立ちでそれぞれ飛鳥山に向かう。

 仇役の金さんは朝早くから木の下で合図の煙草を吸いすぎて目の回るほどの気分。
 巡礼兄弟は道々真剣の仕込み杖で練習をしながら歩いていると、酔っぱらった武士の頭に杖がぶつかり、無礼討ちにすると脅されたが、連れの武士に仇を捜していると言い訳すると、もしその時は助太刀してあげると励まされ立ち去った。

 六部のろくさんはおじさんの家に三味線と太鼓を借りに立ち寄ると、耳の遠いおじさんは誤解して家から出して貰えない。おいびつから酒を出して、おじさんを酔い潰してしまうつもりが逆に酔いつぶれてしまい、寝入ってしま った。

 飛鳥山に着くと仇役は待ちくたびれて、いらいらしながら待っていた。
 仇と巡礼兄弟は練習の通り、しどろもどろながら台詞を列べ、「親の敵ぃ〜」と怒鳴ると花見客は回りに集まり野次馬となってきた。輪の後ろの野次馬は中が見えないので勝手なことを言いながら、見物していると、三人は人の多さにボーっとしていたり、三人どうしでこそこそ話し合いながら、変な仇討ちになっている。
 ろくさんが来ないので間が持てないでいると、そこに先ほどの武士が助太刀だと言いながら輪の中に入ってきた。茶番の中に本気の武士が入り、三人がおたおたしていると、スキだらけだからそこをねらえとマジで助言。出来なければ拙者が討ってつかわすと刀を抜くと、「ワー」と三人が逃げ出 した。
 「どうして逃げる、勝負は五部と五部であるぞ」、「肝心の六部が来ません」。


1.舞台
 お花見の舞台設定が二通り有ります。古今亭が飛鳥山(あすかやま)、三遊亭、柳家は上野公園で演じている。当時お花見の名所は飛鳥山、上野公園、向島(隅田公園)、御殿山(品川心中で紹介)等があるが、余興が許されていたのは飛鳥山と向島だけであった。明治に入ってから上野でも許されるようになった。噺の原点は飛鳥山で、後年上野公園でも鳴り物が許されるようになった為、改変された。原作は滝亭鯉丈の「八笑人」から取った噺で、これにも飛鳥山となってい ます。

 「飛鳥山花見」広重画 難解な碑飛鳥山碑は見えます。 北区飛鳥山博物館所蔵。
 

2.六部 六十六部の略 
  廻国巡礼のひとつ。書写した法華経を全国66ヵ所の霊場に1部ずつ納める目的で、諸国の社寺を遍歴する行脚僧。鎌倉末期に始まる。江戸時代には俗人も行い、鼠木綿の着物を着て鉦 (カネ)を叩き鈴を振り、あるいは厨子を負い、家ごとに銭を乞い歩いた。(広辞苑)

 ろくさんはこのオイビツの中に酒肴を仕込み、いざ出陣となったのですが・・・。

左;六十六部。北斎「富嶽三十六景 相州仲原」部分より

 
「六十六部」 明治中期 バックの橋は日光・神橋 「古い写真館」朝日新聞社 2011.07.追加

 

3.迷案
 仇討ちの趣向を決める前に出た迷案が、四人そろいの着物で花見客の前で枝振りの良い横に伸びた枝に一列に並び、帯を外し首を吊ると、後から来た人が「アッと」驚く、そして開いた口が締まらない、こんな事をする連中はもう二度と出ないであろうと後世まで名が残る。後世に山車が出来て花見の首吊り人形が飾られて、お囃子に合わせて縄のれんのように動く様は感動モノだ。こんな良い案はないのだが、一つだけ、評判が聞けないのが残念。「誰が聞くのか?」、「俺だけが残って、聞くよ」と、すごい案もあった。

 


 
飛鳥山
(あすかやま)を歩く
 

 今年(2001)東京地方は満開が4月1日に最盛期で有ったが、都合で1週間後の日曜日8日に飛鳥山に行く。
この1週間はみぞれが降ったりして、花の寿命は長かったが、それでもやはり1歩遅かったの感がするが、花吹雪の凄さと花見客の多さは流石飛鳥山。飛鳥山というと地方の方はどんな山かと思われるでしょうが、小学校の校庭が4−5個ほどの広さで、回りより幾分高い丘のような公園です。東には崖の下にJRが南北に走っています。駅もありここが「王子駅」です。北、西面は都道で山のような風情や色気はありません。ソメイヨシノは盛りを過ぎようとしていますが、八重桜やしだれ桜は最高潮です。
 散り行く桜を惜しみ沢山の花見客が陣取り合戦をして、花の下では花より団子(酒)を楽しんでいます。北区が主催して花の宴が催されていました。また各グループで仮装や三味線やカラオケなどで楽しんでいます。楽しい楽しい行楽日和です。

 飛鳥山には日本一難解な碑面の石碑が建っています(下記写真参照)。飛鳥山にある北区立飛鳥山博物館の協力で、碑面の訳を載せます。訳はここをクリック

 公園の北側には音無川を挟んで王子稲荷や王子神社(王子権現社)があり、34話・落語「王子の狐」の舞台でもあります。
 

地図

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写真

それぞれの写真をクリックすると大きなカラー写真になります。

飛鳥山(北区王子1-1 区立飛鳥山公園)花見の風景1
 
八代将軍吉宗は、鷹狩りの際にしばしば飛鳥山を訪れ、享保五年(1720)から翌年にかけて、1270本の山桜の苗木を植裁した。元文二年(1737)にはこの地を王子権現社に寄進し、別当金輪寺にその管理を任せた。このころから江戸庶民にも開放され花見の季節には行楽客で賑わうようになった。(東京都教育委員会説明板 より)
飛鳥山花見の風景2
 
今、この公園の下を首都高速がトンネルで東西に横切って、走ることになっている(工事中)。飛鳥山自体をいじっていないので、風情が変わらずに済んだ。
飛鳥山花見の風景3
 
区の広報では桜は500本が植えられているとのことです。皆が思い思いに桜の下で散り行く風情を楽しんでいます。

 

 

 

飛鳥山碑
 
八代将軍吉宗が飛鳥山を整備したことを記念して、幕府の儒臣成島道築によって作成されたもので、文体は中国の五経の一つで尚書(しょうしょ)の文体を意識し格調高く書かれており、吉宗の治世の行き届いている太平の世であることを宣伝したものと考えられる。碑文には元亨(げんこう)年中(1321-3)に豊島氏が王子権現を勧請したことから、王子・飛鳥山・音無川の地名の由来を説いて、土地の人々がこれを祀ったこと、寛永年間に三代将軍家光がこの地に改めて王子権現社に寄進した経緯などが記されている。
異体字や古字を用い石材の傷を避けて文字を斜めにするなど難解な碑文であり、「飛鳥山何と読んだか拝むなり」と川柳にも詠まれたほど、江戸時代から難解な碑文として良く知られている。都の文化財に指定されている。(東京都教育委員会説明板)
 私は読めました、”音無川”だけが。皆さんはいかが。
飛鳥山花見の余興1
 
しだれ桜の木の下に天幕を張り廻し、中でパフォーマンスの真っ最中。
区で催しているのか、いろいろなグループが競演していた。

 花見で有名なところは、ここ飛鳥山、上野公園、向島(隅田公園)等があるが、余興が許されていたのは飛鳥山と向島だけであった。明治に入ってから上野でも許されるようになった。

飛鳥山花見の余興2
 
天幕の中の太鼓のグループ。上手いと思ったら、CDも出しているプロだという。
飛鳥山花見の余興3
 
素人の仮装グループ。女性の服装をしているのは全て男性。この女装達の何とも色っぽい事。
いろいろ仮装して楽しみ、これから呑むのだという。飛鳥山らしい。

                                                        2001年4月記

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