仙台のねずみ屋跡は



 

「現在の仙台市内」、Googleマップより。

 地図中央東西に流れているのが『広瀬川』(名取川に合流して太平洋に注ぐ)です。江戸時代の仙台の町は、この広瀬川の北側にありました。街並みは奥州街道ぞいと西側の青葉城(注*)城下町で構成されていますが、旅籠街は青葉区二日町及び国分町三丁目(宮城県庁西隣)に集中していました。
 また、仙台の町外れで、宿の子供に出合ったとすると、広瀬川の南端、河原町か長町辺りでしょう。長町は江戸時代には「長町宿」とよばれ、宿場町を形成していました。長町の宿場には客引きが居てもおかしくはないでしょう。

 旧住所にみえる宮町の「旅籠町」は戦後に呼ばれた通称で、江戸時代には仙台東照宮(地図の北東、駅名にもなった)の門前町でした。明治に入り旧仙台城下で営業を許されるようになった遊廓が、明治27年(1894)以降に宮町の一角に移転させられました。その後、旅館に改装したところがあり、「旅籠町」と呼ばれました。そのため、江戸時代に旅籠があった場所ではありません。
仙台市歴史民俗資料館解説

注* 伊達政宗(1567-1636)独眼竜の武名を響かせ奥羽を席捲。天正19年、豊臣秀吉の命で出羽米沢から陸奥へ移封。玉造郡岩出山を居所とし、慶長5年から仙台に新城を築く。 

 

 新幹線も停まる現在の中心地、仙台駅

 国分町三丁目、国分町通り(上下2枚とも。仙台市役所西側の道)。江戸時代旅籠が多くあった地域。老舗の味噌醤油屋、お菓子屋、仏壇屋などが連なっています。特にホテルが多いわけではありません。

   

 旅籠「虎屋」が有ったわけでは無く、ここは仙台一の飲み屋街です。青葉区国分町2丁目です。この碑の裏に「長崎の医師、玄林が国分町東南角に薬種店を開いたとき、店頭に木彫りの虎を飾り、虎屋と称したことに由来するという」。

写真;2011年12月、小三馬師撮影のもの。小三馬さんアリガトウございました。

2012年1月追記      



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