三代目桂三木助の噺、「ねずみ」によると
1.この噺「ねずみ」は、
木曾海道六拾九次之内「贄川(にえかわ)」広重画 東京国立博物館蔵
2.左甚五郎
落語に登場する左甚五郎は、一本の竹から彫った水仙に水をやると花が開く、「竹の水仙」は有名だが、これは、宿賃もなしに豪遊してしまう、だらしない大酒呑み甚五郎が、宿賃の代わりに彫ったものです。また、落語「ねずみ」、「三井の大黒」にも登場しこの噺のマクラで、飛騨高山の人と言っています。
甚五郎の素姓について、その七世の孫、左光挙は以下のような考鉦をしています。
*
禁裏(きんり);宮中、皇居、御所、禁中、など、みだりにその中に入るのを禁ずる意。
■政五郎;落語「三井の大黒」の世界では、江戸っ子大工の棟梁(とうりょう。江戸訛りで、とうりゅう。大工の頭)です。甚五郎のスポンサーでもあった。 ■飯田丹下(いいだ たんげ);落語「ねずみ」の噺では、仙台伊達藩お抱えの彫刻師、日本一とうたわれた腕を持っていたが、三代将軍家光公の前で二人は三階松に鷹を彫った。しかし、甚五郎に破れ日本一の面目を潰された。元は講談で「講釈師見てきたような嘘をつき」の部類なのでしょう。そのため現存する作品もありません。
3.橘町(たちばなちょう)
■仙台、伊達藩(だてはん);江戸時代に主として現在の宮城県全域と岩手県南部(北上市まで)および福島県新地町を領地とした藩。居城は現在の仙台市にある仙台城で、石高は62万5千石。江戸時代全期を通じて外様大名の伊達家が治めた。
■伊達藩上屋敷;江戸上屋敷は芝口三丁目。屋敷地25,800余坪。北隣は落語「赤垣源蔵」で歩いた脇坂淡路守邸です。現在の汐留、港区東新橋一丁目。ゆりかもめ新橋駅、日本テレビタワー(ビル)が建つ。
■同中屋敷;上屋敷から旧東海道を渡った南側、港区新橋五〜六丁目の内。屋敷地10,200余坪。
■同下屋敷;港区南麻布一丁目西側半分。この中に韓国大使館があり、北側道路を仙台坂と言います。屋敷地21,300坪。屋敷南側に麻布絶江釜無村の木蓮寺がありました。落語「黄金餅」の終点木蓮寺ですが、絶江坂を下った絶江和尚が居た曹溪寺(港区南麻布二丁目9)は東側。門前の公園が絶江児童遊園です。
もう一ヶ所、品川の先、大井村に2,134坪の屋敷を構えていました。江戸の朱線引きに接する南側ですから、江戸市中ではなく、在になるでしょう。現在の品川区東大井四丁目北側にあった。北側に接する坂道をやはり仙台坂(くらやみ坂)と言い、東に下ると旧東海道です。
■同蔵屋敷;江東区清澄一丁目2。屋敷地5,400坪。この南側に流れる掘り割りを、屋敷の名前から仙台堀川と言います。東側には現在、清澄公園、深川図書館、岩崎弥太郎が買い取ったという都立清澄庭園があります。
4.虎
左から、佐々木美山画。岸駒画。無款。伝・李公鱗画(韓国) 全て部分。
「虎を画きて猫に類す」 良寛
日本にトラは生息していませんので、当然ながら、昔の画家で本物の虎を知っている者はいなかった。知ってても虎の敷物ぐらいです。しかし、勇猛な虎という存在は、日本画でも好んで描かれる画材です。
■ねずみ;十二支の中に一番で出てくる”子”(ね)でもあり、米を食い散らかす害獣でもあり、その為に猫を飼われたとも言われます。逆に大黒様のお使いでもあり、善悪両方を持ち合わせた鼠です。
5.言葉
■日光東照宮の眠り猫;あまりにも有名な牡丹と猫の彫り物です。右図。
■上野寛永寺鐘楼の龍;あまりにも素晴らしい龍なので、夜ごと隣の不忍池に降りて水を飲んだ。円生は鼻面に引っ掻き傷の鯉が増えたと言っています。落首が立って「甚五郎左が過ぎて水を飲み」。
上野公園内の上野東照宮唐門(唐破風造り四脚門。重要文化財)。日本には一つしかない金箔の唐門。扉には梅に亀甲の透かし彫り、門柱左右に左甚五郎作昇り龍(左)、降り龍(右)の高彫りがあります。ここの龍は飛び立たないので現存しています(ジョークですよ、燃えなかっただけです)。
■三井の大黒;落語「三井の大黒」をご覧下さい。
■端な木れ(はなぎれ);端材。端木れ。切り裁ちして使わなかった部分。
■11町;距離の単位。約1.2km。当時の人だったら、約15分で行けたでしょう。宿賃と奥さんの焼き餅を考えたら帰りたい距離です。
6.仙台の旅籠ねずみ屋跡は
上野にはもう一ヶ所、龍の彫り物を残しています。先程の小松宮銅像の左側を入ると上野東照宮に入っていきます。上野動物園は寛永寺の寺領だった所ですから、墓所や五重塔が園内に残されています。その五重塔(右写真)が東照宮の参道の右側に、動物園の塀の直ぐ向こうに望めます。
残念ながら仙台まで行けませんので、仙台藩江戸屋敷を訪ねます。
上屋敷は現在最先端の街として再開発された、新橋駅東側の汐留跡地がそうで、北側から脇坂・播磨竜野藩上屋敷約八千坪、その隣今回の主人公仙台藩上屋敷約二万五千坪、その南隣陸奥会津藩中屋敷約二万九千坪の三大名の屋敷が並んでいました。その中央の屋敷地ですから、現在の開発地の中心地で、湾岸のお台場に行く愛称”ゆりかもめ”線の汐留駅と新橋駅を抱えて、日本TV、ロイヤルパークホテル、汐留シティセンター、電通本社、等々のそうそうたる高層ビルが建ち並んでいます。あまりにも斬新な街造りになっていますから、大名屋敷があった事すら想像も出来ません。
中屋敷は西側の15号線東海道を渡った所にあります。なんの変哲もないビジネス街になっていますから、ここも屋敷地跡だったなんて想像も出来ません。五丁目と六丁目の境の道が中屋敷の真ん中ですが、この道を西に500m程行くと、江戸では見晴らしの良い小高い山の一つで、愛宕山と言います。25.7mの標高が記録されている自然の山でしたから、初期のNHK送信所が建てられ、現在はNHK放送博物館になっています。そんな高い山ですが、先程の中屋敷跡からは手前のビルが邪魔して望む事は出来ません。
下屋敷は元気いっぱいの街、麻布十番の南にあります。中屋敷の北側に接する坂を”仙台坂”と呼び、仙台藩の屋敷があった事をかろうじて現在に伝えています。仙台坂を東に下ると国道1号線に出ます。出た所の南側が落語「搗屋幸兵衛」(小言幸兵衛)の舞台、麻布古川町です。
これでお終いと思ったら、蔵屋敷もありました。蔵屋敷の南側に流れる堀川を”仙台堀川”と言います。スゴいですね、自分の屋敷の名前を川に命名してしまうのですから。それも、隅田川に接する江東区の西の端から、東に江東区の終点近くまで流れ、進路を北に変えて小名木川に接する川です。仙台坂のように百m前後にも満たない距離ではないのです。途中、木場公園の先から”仙台堀川公園”と名を変えて、小川のように川幅を狭めて岸辺を、緑多い公園に生まれ変わっています。あまりにも自然すぎて、都会には住まないと言う野鳥”カワセミ”が住み着いています。
長い道のり、ご苦労様でした。一息入れましょうね。ビールでもやりながら。
それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。
橘町(中央区東日本橋三丁目)
東日本橋駅(中央区東日本橋三丁目)
横山町(中央区日本橋横山町)
馬喰町(中央区日本橋馬喰町)
仙台藩上屋敷跡
(汐留跡地=港区東新橋一丁目)
仙台藩中屋敷跡
(港区新橋五&六丁目の半分)
仙台藩下屋敷跡
(港区南麻布一丁目西半分)
仙台藩蔵屋敷跡
(江東区清澄一丁目2)
上野東照宮(上野公園内)
小松宮彰仁親王銅像(上野公園内、動物園入口左) 2011年11月記 |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||