深川八幡境内の相撲碑群


富岡八幡(深川八幡)の本殿です。写真の右に裏に回る道があり、そこの回廊を潜ると現れます。


「横綱力士碑」
 本堂右奥にある「横綱力士碑」。その裏には歴代横綱の名前が刻まれています。

 

 四代横綱谷風梶之助、五代横綱小野川喜三郎の名が見えます。落語「阿武松」の主人公六代横綱阿武松緑之助の名も見えます。新しい碑の裏には現在の横綱名が並んでいます。

 「横綱力士碑」手前には「超五十連勝力士碑」(左)が建っています。50連勝以上を達成した横綱の名が刻印されています。あと数人分の余白しかありませんが、真っ先に誰が刻印されるのでしょうか。現在当然一位は69連勝の双葉山です。 

 参道入口の所には「大関力士碑」(下)が有ります。

 歴代の有名大関の名が連なっています。ここには左側の白っぽい円柱に刻まれた「巨人力士身長碑」が建っています。一番デカかった力士の内では「釈迦嶽(しゃかがだけ)」だと記されています。右側の黒い円柱が釈迦嶽の実際の身長を表しています。

 左側の写真で見てもその大きさが分かると言うものです。

 釈迦嶽雲右衛門は雷電の弟子として大阪で初土俵、明和7年(1770)江戸の番付に東大関として登場します。
 身の丈七尺五寸(2m27cm)、体重四十五貫八百匁(172kg)の巨体で、江戸場所戦績23勝1分1預という驚異的な数字を残したが、安永4年(1775)26歳の若さで没した。

「巨人力士身長碑」より拾うと、
1位、生月鯨大左衛門(いけづき-げいたざえもん。嘉永3年5月24日24歳で死去。) 7尺6寸(2.3m)
2位、大空武左衛門(天保3年9月5日死去。37歳。肥後出身) 7尺5寸(2.27m)
3位、釈迦嶽 7尺4寸8分(2.26m) 右の「釈迦嶽雲右衛門碑」によると上記のように七尺五寸(2m27cm)と違います。1cmの誤差は計量誤差なのでしょうか。釈迦嶽の説明板によると7尺5寸は2.26mだと解説されています。

 「深川八幡公園地横綱記念碑之図」明治30年 古代出雲歴史博物館蔵 横綱碑建立の為に配布した案内状。八幡境内での相撲風景と横綱碑完成予想図。第12代横綱陣幕久五郎の尽力で明治33年に完成した。

 

 

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