落語「芝浜」の舞台を歩く

 

 三代目桂三木助の「芝浜」によると、

 棒手降(ぼてふり、又は振り売り)の魚屋勝五郎は遊びすぎて釜の蓋も開かない状態になって、やっと河岸(かし)にいやいやながら行く気になる。河岸に来るとまだ人は誰もいず、芝 切り通しの鐘の音を聞いて、時を間違え早く出て来たことに気が付き、芝の浜でゆっくり煙草を吸っていると、流れ着いた革の財布を海の中から拾う。その革の財布の中には金82両という大金が入っていたので、さ〜大変・・・。


 演者によって、主人公の名前も、拾った金額もまちまちだが、元々は三遊亭円朝が即席三題話の「酔っぱらい」「芝浜」「革財布」で作ったもので、そう細かいことは抜きにして、人情の機敏さの本筋さえきちんと押さえていれば、良いのではないかと思う。
 緻密な構成と人情味、そして素晴らしい賢夫人。将来も幸せに暮らしたであろう。誰もが特に私はこんな良い女房殿に出会えていたらと願うほどの賢夫人ではないか。

似顔絵;山藤章二「三木助」 新イラスト紳士録より


 落語「芝浜」の原話について三田村鳶魚(えんぎょ)は次のように書き残しています。
 

今の芝浜を歩く

 JR山手線「田町」または都営地下鉄「三田」駅で降り国道1号線に沿って日比谷通りとの交差点「芝5丁目」、右側今話題の三菱自動車本社ビルと第2田町ビルの間の路地を入る。この三菱自動車本社ビルはもと薩摩藩屋敷跡が有ったところで、路地入り口に丸い石碑で田町薩摩邸跡の碑が建っている。ここに薩摩”西郷隆盛”と幕府”勝海舟”が江戸城無血開城の話し合いが行われた、歴史的な場所であると記されている。
 路地を入るとすぐ左手に「鹿島神社」(港区芝4−15)が見える。この境内に寄席文字の橘右近書「芝浜囃子の碑」が有る。ここから路は公園に突き当たり左に曲がる。ここから数十メートル間が「芝浜」で、江戸時代「沙濱」と記され、この本芝公園が昔入江になっていて、舟で魚を運んでここで河岸としての商いが行われていた。
 公園の向こう側、浜と平行して東海道線が走り新幹線も走る所であるが、明治の始め新橋−横浜間に汽車が開通したとき海の上にレールを走らせたので、こんな形になってしまった。その後この入り江が埋め立てられて公園になり線路下の水路は地下道として向こう側に渡れる様になっている。舟になったような気持ちでガードをくぐると、芝浦公園になる。ここも当然埋め立てられた跡に出来た公園で、その先には昔しながらの入り江というより、運河が見え屋形船がもやっている。この公園と運河の上をモノレールが走る。
 下の地図で、赤い線が「芝浜」で、青線で囲っている部分が昔入り江で今は公園とガードになっている。

モノクロ図版;『魚屋』、「江戸見世屋図聚」 三谷一馬著 中央公論社より
勝っつぁんの住まいもこの様であったのであろう。送り出す奥様の顔が良い事。

 本芝公園に建つ説明板より
 
この付近は、芝(*)
の中でも、古川河口の三角州に、 江戸時代よりも昔から開けたところで本来の芝という意味で、本芝と呼ばれ た。
 公園の位置は、東海道(現在の第一京浜国道)のうらあたりの海に面した 砂浜で、江戸時代には、魚が水揚げされたので雑魚場と呼ばれた。
 明治5年に開通した鉄道は、軍部の意向で海上の堤防を走ったが、雑魚 場はガード下から東京湾に通じていた。最後まで残っていた江戸時代の海 岸線であったが、芝浦が明治の末から次第に埋め立てられ、漁業も行われ なくなって海水が滞留したので、昭和43年に埋め立てて、本芝公園として 開園した。
 
港区土木維持課の説明文より。

 *国語辞典より;東京都港区南部の地名。北は新橋、南は品 川に接し、江戸時代は東京湾に臨む景勝地で、増上寺、青松寺、泉岳寺、愛 宕神社などの寺社や武家屋敷が並んだ。

 この「芝浜」は”日本橋の河岸”より古く”雑魚場”(ざこば;上方落語の桂ざこば師匠とは違う。あれッ、分かっている?すいません)と呼ばれ、江戸前(東京湾)の魚を主に扱い今獲れたばかりの小魚を扱っていた。ウナギ、アナゴ、キス、ハゼ、カレイ、シャコ、スズキ、アジ、海老、蛤、アサリ等多くの魚貝類が商われた。江戸っ子は新鮮な江戸前ものを”芝肴”として珍重し、喜んだ。

 広重描くところの芝肴

 しかしこの雑魚場は、昼に水揚げされた小魚をその日の夕方から始まる河岸で取引され、「夕河岸」と呼ばれ日本橋の河岸の様に早朝からは商われなかった。
 ・・・と言うことは、即席話で創られたときの河岸=早朝という誤解で、勝五郎がどんなに寝坊して河岸に行ってもまだ問屋は閉まっていたはず、この話が実証的には成り立たないのであるが、話の構成の素晴らしさにこの事も忘れて、楽しむことになる。

地図

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写真

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本芝公園
ここが昔「芝浜」の入江になっていて、
埋め立てられた跡にこの公園となる。
脇を新幹線や東海道線が走り、列車の切れる間が無く、
うるさい公園である。
本芝公園中央から芝浦公園に抜けるJRガード
昔はここが入江で外海とつながる水路になっていた。
今はこのように人や自転車が通れる通路に変身している。
鹿島神社
鹿島神社の向こうに本芝公園「芝浜」、その向こうに新幹線
が走る。当時を忍ぶ唯一の景観がこの神社。
時の鐘の”芝切り通し”の鐘。
今は有りません。
隣の、日本一の音と言われる芝増上寺の大梵鐘を紹介。
延宝元年(1673)品川御殿山で椎名伊予守によって鋳造されたもので、高さ一丈(約3メートル)、重さ四千貫(15トン)の大梵鐘。時の四代将軍家綱の命により、奥方のかんざしなど多くの寄付を集めて江戸で初めて造られた鐘である。
  今鳴るは 芝か上野か 浅草か
  江戸七分 ほどは聞こえる 芝の鐘
東京湾を渡った木更津でも聞こえたといわれ、江戸庶民に親しまれ、川柳も沢山詠まれた。
三菱自動車本社ビル前に建つ「江戸開城」の碑
この碑の左側路地を入ると突き当たりから左に「芝浜」が有る。

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