圓朝 「牡丹灯籠」速記から名場面抜き書き

 

 萩原新三郎は(相思相愛の)飯島のお嬢様の事を想って一人くよくよしていた。そこに友人が訪ねてきて、先日紹介した娘は君に恋し、恋煩いで亡くなった。その上女中のお米さんまで亡くなってしまった。「だから念仏でも上げて供養して上げろ。」と言付けて帰っていった。念仏三昧で暮らしていたが、盆の13日縁側に精霊棚をこしらえ、白地の浴衣を着、深草型の団扇を片手に蚊を払いながら冴え渡る十三日の月を眺めています。

 カラコンカラコンとめずらしく駒下駄の音をさせて生け垣の外を通るものがあるから、ふと見れば、先へ立ったのは、年頃三十ぐらいの大丸髷(まるまげ)の人柄のよい年増にて、そのころ流行った縮緬細工の牡丹芍薬(シャクヤク)などの花の付いた燈籠を提げ、その後から十七、八とも思われる娘が、髪は文金の高島田に結い、着物は秋草色染めの振り袖に、緋縮緬の長襦袢に繻子(しゅす)の帯をしどけなく締め、上方風の塗り柄の団扇を持って、パタリパタリと通る姿を、月影に透かし見るに、どうも飯島の娘・お露のようだから新三郎は伸び上がり、首を差し延べて向こうを看ると、向こうの女も立ち止まり、話しかけてきました。

 部屋に入れて話を聞くと、亡くなったと言うのはウソで二人は元気ですよと、言う。家では婿を取れと言うが、それがイヤさで谷中の三崎に住んでいる。では、私の孫店に住んでいる白翁堂勇斎に見つからなければいいからとその晩は泊 めてやり、夜の明けぬうちに帰っていった。それから雨の夜も風の夜も十三日より十九日まで通って来た。座敷に蚊帳を吊り、床の上に新三郎とお露が列んで座っているさまは真の夫婦のようであった。それを不審に思った下男の伴蔵(ともぞう)が覗くと「化け物だ、化け物だ」と言いながら白翁堂勇斎の所に駆けだした。 しかし、怖くて家に帰り丸まって寝てしまった。

 翌朝早く白翁堂勇斎を訪れ、夜の話を細かくした。白翁堂勇斎は新三郎宅を訪ね易を見ると死相が出ていた。話聞かせ、谷中三崎町に探しに行けと忠告。探してみたがお露の住まいは何処にも見当たらなかった。帰り道 、新幡随院を通り抜けようとすると、新墓があり塔婆とその前に綺麗な牡丹の絵柄の提灯が雨に濡れて下がっていた。寺で聞くと牛込の飯島家の娘とお付きの女中の墓だと分かった。
 その事を白翁堂勇斎に話すと、私は手助け出来ないが新幡随院の良石和尚に紹介状を書いてくれた。良石和尚は4寸2分の金無垢の海音如来を肌身離さず着けておき、この事は他言してはいけないと言う。欲の深い者は潰して金に換えてしまうだろう。またお札を入り口という入り口に貼っておくようにと言われた。

 そのうち、上野の夜の八ッの鐘がボーンと忍ヶ岡の池に響き、向ヶ岡の清水の流れる音がそよそよと聞こえ、山に当たる秋風の音ばかりで、陰々寂寞(せきばく)、世間がしんとすると、いつもに変わらず根津の清水谷の方から駒下駄の音高くカランコロンカランコロンとするから新三郎は心の裡でソラ来たと小さく固まり、「雨宝陀羅尼経」を一心不乱読誦していると生け垣の前でピタリと止まった。何処からも入れないと悟った、お米はお嬢様に「心変わりした男はあきらめろ」と諭すがお嬢様は諦めつかず、どんな事をしても新三郎に会わせてくれと懇願した。

 ここから、お米は伴蔵夫婦に新三郎に逢えるように頼み込む事になります。
この続きが本題のお札はがしにつながっていきます。

 

■吟醸注;速記本からの概略をまとめたものですが、一部原文のまま (茶色の書体部分)載せています。

 

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