怪談牡丹灯籠
寛保3年4月11日、湯島天神の祭礼当日、本郷三丁目の刀屋で、旗本の飯島平太郎は酒に酔って無礼を働いた浪人黒川孝蔵を斬る。「斜に三つに切られ、亀井戸(亀戸)のくず餅のようになったしまった」。
平太郎は家督を継ぎ、平左衛門と名を改めた。奥方は器量好しの一人娘お露を生んでまもなく他界したので、女中お国を妾に直した。 飯島平左衛門は新らたに召し抱えた若党・孝助の身の上を知る。孝助は平左衛門が手に掛けた黒川孝蔵の息子で、父の仇を捜し歩いていた。お国は隣家の旗本の伜、宮野辺源次郎と密通、平左衛門暗殺を謀る。それを知って孝助は心を痛める。 「新三郎の家にお露とお米が訪れる」。(御札はがし)
隣家の不義をはたらく宮野辺源次郎と思ってヤリで突いた孝助は、それが主君平左衛門なので驚く。平左衛門は覚悟の上、仇討ちをさせた旨、物語り、隣家に行って宮野辺源次郎の足に傷を負わせ、息絶える。 「伴蔵夫婦は栗橋宿で荒物屋を始める」。(栗橋宿) 殺したおみねの死霊が女中に取り憑き、「伴蔵さん貝殻骨から乳の下に掛けてズブズブと伴蔵さんに突き通されたときの痛かったこと」。医者として来た山本志丈に知られ、伴蔵二人は盟約を交わす。 根津に埋めた海音如来を掘り出しに来た伴蔵と志丈は、御用となる。 人相見白翁堂勇斎(はくおうどう
ゆうさい)の邸で、孝助は八卦見に来た生母りえと対面する。母の再婚先は宇都宮樋口屋で、お国は先妻の娘だったと分かる。お国は性が悪く、手に負えない娘だったので、武家に見習い奉公に出していた。 それから孝助は主人飯島平左衛門のため、お露のため、萩原新三郎のため、「谷中新幡随院に濡れ仏を建立いたした」という。
「牡丹灯籠人物相関図」 圓朝ざんまい 森まゆみ著 文久元年(1861)、この牡丹灯籠が完成する。あのいじめられた師匠二代目円生が同年8月死去し、兄の永泉も暮れに旅立ってしまった。明治はそこまで来ている。明治元年(1868)、圓朝三十歳になっていた。
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