片棒についての考察(ハリトさんへの返信)

 

 この文は、筑波大学の留学生としてトルコから来日し、落語大好き人間”ハリト”さんが 卒論で取り上げたテーマを完結するために私に送られた質問から片棒について、回答し たものの一部です。
 彼は今母国のトルコにいますが、無事優秀な成績で卒業出来たとお礼のメールをいた だきました。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ハリトさん こんにちは
落語「片棒」について、私なりの見方を書き記しました。
ハリトさんと切り口が違う事をまず断っておきます。
ハリトさんは日本語や漢字が自由に操れるので、書き方を変えることなく書きましたので 読みにくいところはご容赦下さい。



片棒

1)後継ぎを誰にするか、あかにしや吝兵衛の眼に叶った息子はだれかを、死・お葬 式で試そう、というもの。結婚式や病気あるいは建前・上棟式などではなく、死・お 葬式を取上げている所が、この落語の面白い所。誰もが避けては通れない死、そして お葬式、そこに親近感と観客を引き付ける効果を考えているのではないでしょうか。
いかがでしょうか?


私の考え;その通り。また、お葬式でなくても舞台設定が出来ます。落語「親子酒」では 大酒のみの親子がお互いに禁酒しますが、親父が息子の留守に飲んで酔っぱらった。 そこに息子が帰ってきたがへべれけ、親父が怒って、「こんな息子に、身代はやれない」、 息子「こんな、グルグル回る家なんかいらない!」。どちらの噺も親子は似るもの。似た 子は可愛い。
  極限状態の舞台設定がされているので、そこから逸脱したところが面白い。結婚式や 病気あるいは建前・上棟式などは各自様々、標準はありませんし、どんなやり方でも許 されます。ところが葬儀だけは最低限の決まりがあります。その決まりから3人の息子 とも逸脱するところが面白いので、最後の親父まで勘違いするのが妙に納得しながら 笑えるのが不思議です。
ですから、宗教観からではなく、舞台は”葬式”でなくてはならないのです。


2) お葬式に関して

 お葬式は、人間最後のセレモニーですから、敬意を以って、荘厳に、しめやかに行わ れるべきものです。これは世界共通だと思います。でも同じ仏式のお葬式でもかなりの 相違があります。火葬、土葬は一般的です。風葬、鳥葬となると、今の日本人は ギョーッとするでしょう!!。

  お葬式も昔のほうが趣があった。火葬になり時間も短縮化し、お葬式が告別式に変わ り、現代のように、葬儀社が取り仕切るようになると、本当に殺風景なものになって しまった。一昔前まで、特に明治以前、江戸時代までは、お葬式・お弔いは村落共同 体つまり村でやっていた。人が亡くなると、その内の者は喪に服す。村の者はお互い に助け合いながら、お葬式を執り行っていた。

私の考え;ハリトさんよく調べましたね、感心。その通りで付け加えるところがありません。 村八分と言う言葉をご存じですか? これは村の慣習に従わず自分勝手な事ばかりして 村人に迷惑を掛けている人(家)に対して村の付き合いを止める事。また、仲間はずれの 事です。しかし、全部の付き合いを止めるのではなく(8分だから)二分だけ残していました。 それは”火事”と”葬儀”です。それほど葬儀は村中で執り行うものでした。


3)身代を譲る、つまり後継者を誰にするか。

 禅門に、「見、師と同じくして師の半徳を減ず。見、師を超えてはじめて師の法を継 ぐ。」と言う語があります。「片棒」の三番目の息子はまさにこれに該当する。そこ で、あかにしやは喜んで片棒を担ぐことになったと思う。

私の考え;ハリトさんそれは考えすぎ。考えてください。ケチな人が浪費家と付き合いま すか? 全財産を譲る息子だって同じ事。ハリトさん、も一つ考えてください。この噺の その後はどうなったと思いますか。その一、この息子に譲ってめでたしめでたし。その二、 譲ってもらった息子は口先だけで、その代で財産を食いつぶした。さぁ、どちらでしょう。


4)漬物樽と棺桶と葬列

 棺は坐棺いわゆる樽桶、この中に故人は座禅の姿でおさまる。蓋をして縄で縛る。こ れを御輿で担ぐ。片棒では漬物樽が棺になる。漬物樽は確かに臭い。しかし、もし新 しいものであれば違和感は全く無いでしょう。

私の考え;ハリトさんが言われるように、当時は座棺でした。早桶屋があって即席に注文 に応じて各サイズの中から作られましたが、出来たものは大きな漬け物樽と一見同じでし た。だから貧乏葬儀では漬け物樽で代用されたのです。あかにしやさんは出ゼニを押さ えれば当然この樽になったでしょう。


5)樽を担ぐ

 樽(桶)を担ぐ、は姿が面白い、愛嬌がある。先棒と後棒とのコンビ、呼吸が合わな いと調子が悪い。駕籠担ぎにしても樽桶担ぎにしても、リズムと言うか掛け声が聞こ えてきそう。禅語の、「他の痴聖人を雇って、雪を担って共に井を埋む」が思い出さ れます。

私の考え;樽を担ぐ、と言っても二通りの見方があります。一つ、担ぎ棒を渡し、樽を つり下げて運ぶ。二つ目複数の棒の上に樽を乗せて担ぐ。これは祭りの御神輿と同 じ方法です。今回の噺では一つ目のぶら下げて運ぶ方法です。
  葬儀ではかけ声は掛けません。ただただ黙々と葬列を組んで運んだそうです。悲しみ の中です、おしゃべりして歩くような不届き者はいないはずです。


6)行列、葬列

 古典落語を好む人は古きよき日本の心を懐かしむ。噺を聴きながら教養を深め楽し み、そして自分の心を和ませる。この落語「片棒」を聞いて、私が一番面白く感じた 所は、次男坊二郎の噺です。行列とその囃子の真似が面白い。

柳家さん喬の片棒より:

  「・・・私は古典でやりたいと思います。 お練りを出します・・・」 木遣り、木 遣り歌。これは重い材木を運ぶときに、掛け声をかけ心を一つにして呼吸を合わせる ための仕事歌。てこ舞いも似たような物で、広辞苑によると祭礼の余興に出たもの。
  やはり景気付け、元気付けの威勢のいいものです。荘厳、厳粛なお葬式には、およそ 似つかないものです。山車も出てくる。山車も派手で賑やかで元気が出るもの。しか も、あかにしやけち兵衛の人形まで乗っている。日本人は祭りが好きでしょうね。そ して行列と祭り囃子を聞くと、もう居ても立っても居れなくなる。この「片棒」もこ こが大きな山場だと思う。祭囃子、屋台囃子を如何に上手に真似て演じるかが、落語 家の力量の問われる所だと思う。

  「テケテン テケテン ドドン ドン チーヒーりー ピリ、オヒャラ、ヒャラ、ド ンドン、お父さんの人形が、テンテン、ドンドン、ドンドン、テンテン・・・その後 から、御輿が出る、お父さんの御霊を御輿にまつります。・・・」

  この御輿に御霊を祀ることは、土葬の葬列では現実に行われていたそうです。葬列の 中心は何といっても、故人である。いわゆるホトケサマである。そのホトケサマを坐 棺の樽桶に納め、それを御輿に乗せる。その御輿は、南無阿弥陀仏と書いた紙のお札 を張り詰める。四面には発心、修行、菩提、涅槃の鳥居がある。屋根の天辺には極楽 の鳳凰が飾られる。この御輿を6人あるいは8人で担ぐ。別の者がそれに天蓋を添え る。この御輿を白い善の綱で導師の住職が引く。この前後にそれぞれ役を持った列が 続く。「片棒」の行列は賑やかな祭り行列ではあるが、葬列の臭いもする。


私の考え;前に述べたように普通は黙々と歩くものですが、お祭りと混同して話していま すので、ハリトさんのような誤解が生じます。御輿の輿は棒の上に乗ったものですが、 この輿の中は「神様」や「高貴な人」で仏様ではありません。地方によってはハリトさん が言われるような情景もあったかも知れませんが、一般的ではありません。江戸では そのような事はありません。
  葬儀を祭り(祝事)のようにして、茶化しているのです。その対比が聞いている者は面 白いのです。


7)弔辞

 弔辞はもちろん祭りには無い、お葬式のもの。「片棒」には、お祭りとお葬式がごっ ちゃになっている。そこが面白い。この弔辞の段で、声の調子が一転して荘厳にな る。

  「ちょうじ!それ、つらつらおもんみるに、生者必滅会者定離とは言いながら、誰か 天寿の長からんことを請い願わざらん者はあらんや。粗食にあまんじ、ただただ銀行 の預金が殖えるのを唯一の楽しみとなせしが、不幸、病におかされ、栄養不良の結果 ・・・」(こう言うことは弔辞では禁句となっている。弔辞ではひたすら故人を称え るのみ)

私の考え;その通り。だから面白い。


8)結

 「片棒」には、一郎二郎三郎と三人の息子が登場するが、私の印象では二郎に一番ポ イントが置かれている、と思う。お練り、行列、山車、囃子の鳴り物と仕種の真似が この落語の盛り上がる所ではないでしょうか?しかも弔辞で引き締めている。仏教の 肝心な所も押さえている。生者必滅会者定離、これは仏教の根本の教え、四苦八苦に 出てくる。ちなみに四苦八苦とは、生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦 ・五陰盛苦である。「片棒」は笑いの中にお説法がきちんと入っている。

私の考え;ハリトさん、そー正面から物を見ないの。貴方は正直すぎます。人との付き 合いも満足にせず、ただひたすらにお金の収集を趣味にしているケチ(倹約家、質素 な人とは違います)な人が、当時の江戸っ子から見れば最悪な人種に見えたでしょう。 そこを庶民感情としてバカにしながら笑い飛ばしているのです。その落差の大きい葬儀 という舞台を借りてです。

最後に
  ハリトさん、あまりこの噺と宗教とを関連付けて考えると、間違った方向に行ってしまい そうです。極限での人間の考え方は普段と違ったものです。その極限の状態を設定し て、ケチの親子とその逆の息子達を対比させて、笑い飛ばしています。江戸っ子の宵 越しの金を持たない聞き手の気持ちは、ケチ(大概は金持ち)に対する(裕福に)やっ かみとイヤミと反感が複雑に心の中で交錯しています。その聞き手の気持ちを察し、 溜飲を下げさせているのです。早い話ケチを笑ってやるのです。
 落語は寄席に来たお客さんに失礼な噺はしません。目が不自由なお客さんがいる時 は決して”めくら”の噺はしません。しかし、徹底的にやっつけてもイイ相手がいます。そ れは”ケチ”それは寄席に来ない、”泥棒・悪党”自分は泥棒だ!とは名乗らない。これ らは徹底的にやっつけてもかまわないのです。そうする事によって、寄席に来たお客さ んに優越感とこきおろしを楽しませるのです。
 私は決して、この噺が宗教観に立って作られたり、布教活動があったり、訓話的な事 が織り込まれているような教育的なところは無いと思っています。
 ハリトさんの意に反した考察になってしまいましたが、あしからず。


 それでは、お時間をかけていろいろ教えていただけますようお願い申し上げます。
トルコでこういう研究を進めるのは非常に難しくて、資料なども非常に限っています ので、お忙しいことが分かっておりますが、ご協力お願いいたします。

 

ハリト・ムズラックル



---------------------------------------------------------------------
2003.4.30.

ハリトさん

今回も書かしていただきます
先に断っておきますが、この考えは標準的な考えではなく
あくまでも、私個人の考え方ですので、お間違えの無いように。

では、

  死のユーモア  
 死を扱っている噺がなぜ多いのか?なぜ死なのか?
1)江戸時代では、死と儀式は生活の中で身近なものであったから。(でも、それを 証明 することはできませんでしょうか、その点困っています)


■考え1.
  死に対する儀式は古今東西変わらないと思います。人の心は皆同じだからです。
特に封建時代、日本では天皇(皇族)が一年中いろいろな儀式を執り行っていま した。季節に対してのお祭り事(注:季節事のイベントを表にして添付しました) は大変重要でしたし、子供が生まれた時はこれも最大級の慶事でした。また、死 も避けては通れない式典ですし、天皇や江戸時代では将軍の死は国政が変化する ほどの一大事です。これは世界中どこでも同じ事だと思います。ですから、悲し いとか言う思いの前に庶民では次の政治はどの様になるのか、自分の生活はどう 変わってしまうのか不安でもありました。政治の中枢にある者については次期政 権を取れるかどうかが最大の関心事になります。落語「紀州」はこの辺を上手く 題材にしています。

  死そのものは、江戸時代の平均寿命が50歳でしたから、結構早く人々は死のお 迎えを考えていた事でしょう。(ハリトさん、出番が出てきましたよ。)

  江戸時代、”士農工商”という階級制度がありまして、ご存じのように”武士、 農民、職人、商人”という順番でしたが、実質、人口の一番多い農民が一番生活 が苦しく貧困の中にありました。その為、何かにすがらざるを得ませんでした。
  そこに新しい宗教が芽生えてきたのです。でも、基本は仏教ですから、多くの派 が誕生していっても大元は同じです。現世利益がある宗派、地獄の思想で今を説 いた宗派、他宗派を異教とし独自性を表にした宗派、念仏さえ唱えればいいと言 う宗派等々、たくさんの宗派が生まれました。その中に民衆は極楽を見たのでしょ う。宗教とは教えであり思想ですから、本来は葬儀とは別の世界にあったもので すが、思想の中に生死観があり、それを治める力もありましたので、死後の世界 に橋渡しをするのが”お坊さん”と言う事になっていきました。どの宗教でも儀 式は大切なセレモニーです。厳正、荘厳に執り行うのが世の習いです。

  話を戻します。そのような重々しい儀式の中に笑いの”わの字”すら無いのが普 通です。葬儀も同じ。なのに羽目を外した、二人の息子の式次第。それは親父だ けでなく誰でも怒るでしょう。ハリトさん、貴方の親に同じ事を言ったら、一生 口を利いてもらえないかも知れませんね。その上、祝典と同じようにすると言わ れたら、もう大変。ケチなのを忘れて、お客はそのギャップに笑い転げるのです。
  3人目の息子はその正反対の事を言い出します。またその落差に親父はメロメロ になってしまい、オチのような解ったような解らない事を口走ってしまうのです。

  江戸時代は先ほど貧困の中にあったと言いますが、都市・江戸の市中では繁栄を 極め職人はそこそこの生活が出来ていたようです。職人達は貯蓄をせずとも日々 の生活には困りませんでした。その為生活信条として「江戸っ子は宵越しのゼニ は持たない」と言うのがあります。生活が安定していて仕事さえすれば誰でも生 活出来たので、江戸っ子は見栄っ張りが身上で派手好きでした。その反対がケチ。 だからバカにして笑い飛ばし、下に見ていたのです。そのような土壌が江戸には あったのです。



2)死がタブーと思われていたので、極限の考え方がユーモアになりやすいから。

■考え2.
  全段で説明し尽くしています(?)ので、言い残したところだけを。
  死がタブーと言われますが、私はそのようには思っていません。忌み嫌うもので はなく、ごく自然な人生というサイクルの中のひとつの出来事だと思っています。 自分の身内の者の死は心まで押しつぶすものがありますが、少し離れたところの 人の死は客観的に見る事が出来ます。立場が変わると見方も変わってきます。 「片棒」でも、当事者とお客では受け方が違います。その辺が解って作者は噺を 創っています。最初の2人の息子は自分の親だという認識が希薄というか解って いないのでしょう。早い話がバカ息子です。実生活でも当事者が見るバカ息子は 悲しくなりますが、なんの利害関係のない者は、ただ笑ってみている事が出来ま す。
  人の生=生まれる事、人の性=信仰の対象にもなったくらいおおらかなものでし た。前に話した”混浴”や”性器崇拝”等はごく自然に違和感なく生活の中にあ りました。人の死=必ず訪れる現象。人々は長命を祈っていましたが、死に様 (ざま)の美しさを望んでいました。決して見苦しい死に方はしたくないと望ん でいました。それは仏教の死生観の影響でしょう。
  仏教のある宗派によっては”輪廻(りんね)”また生まれ変わって、この世に生 を受ける、と言う考え方があります。死は終わりではなく、始まりの一歩なのか も知れません。その考えかたかたをすると、タブーではなく、ごく自然なサイク ルの一つでしかありません。そのような考え方もありました。
  もう一度言います。死は身内にとっては最大の悲しみですが、部外者は冷静に事 実を見る事が出来ます。



3)仏教の影響。(安楽庵策伝(落語の祖)とか、なぜお坊さんが登場する噺が多い のかとか。。)


■考え3.
  仏教の影響は話してきましたので、お坊さんの事を書きます。
  お坊さんの戒律は最近と違って厳しいものがありました。結婚してはならない。 酒を飲んではならない。肉食、魚などの生き物を食べてはいけない。快楽に溺れ てはいけない。等々・・・。一日中戒律に囲まれた質実で、指導的な立場で生活 を送っていました。尊敬出来る地域の先生だったのです。
と言う事を下敷きにすると、尊敬し人の上に立つ人が、悪さをすればそれが公 (おおやけ)事であれ、私的な事であれ回りから軽蔑の目で見られるのは仕方が ない事です。
  かんざし(女性の髪飾り)を買うお坊さん。酔っぱらったお坊さん。寺のものを 勝手に売り払って飲み代に回してしまうお坊さん。遊郭(ゆうかく=男女の秘め 事を楽しませる所、今は無い)通いのお坊さん。
  みんなあり得ない事ですが、もしそれがあれば噺の題材になってしまいます。な ぜ?って、それはギャップが大きすぎるのとお坊さんでも突き詰めて考えるとや はり人間なんです。人間の根源のところでは、本能や、弱さがあり、一皮むけば 庶民も武士も坊さんも同じなのです。

  いつもはすまして偉そうな事を言っても、同じ人間なんだとみんな知っています。 表向きはそんな事言えませんし、知りませんという顔をしていますが、落語の噺 の中でその事を笑っているのです。ギャップの大きさと人間くささをです。(決 してバカにしてはいません)。

  その対象はお坊さんだけでなく、武士、そのボスである大名にも同じように社会 性のなさ(浮世離れした言動)やスケールの大きさを題材におかしみのある噺が 沢山あります。



 それから、片棒では、なぜ「葬式と祭り」という質問の答えが現れてきましたね。
両極ということでしょう。いろいろ調べたところ、世界では葬式を祭りのように行う 国があるようです。たとえば、ガーナではお葬式は華やかで賑やかに行われるそうで す。そこを聞きたいのですが、お葬式と祭りの近似点がどのぐらいあるのでしょうか ?例えば、「片棒」の行列は賑やかな祭り行列ではあるが、葬列の臭いもしないで しょうか?いかがでしょうか?



■最後に
  「葬式と祭り」は式典ごとですが、中身はご存じのように全く違います。葬儀は 涙が主役で祭りは汗です。「葬式と祭り」は陰と陽。悲しみと喜び。期待しない ものと待ちわびるもの。心沈むものと心躍るものです。どちらもイベントですが 正反対の内容です。
  そこを押さえた上で、葬儀でも悲しみを乗り越えて、華やかに故人を送り出して あげようとする心意気はあるものです。日本でも酒を振る舞って大騒ぎするもの や芸者を呼んで騒いだり、故人の好きだった派手な音楽を流したりすることもあ りますが、それはごく少数派です。例外とでも言いましょうか。

  日本の隣の韓国では”泣き女”と言う人がいて、葬儀の最中大声で泣いて場の雰 囲気を盛り立てます。
中国(台湾)では派手な霊柩車(れいきゅうしゃ=死者を運ぶ自動車)が走って います。ギラギラに飾り付けをして警笛を鳴らしながら陽気(?)に走っていき ます。
国や地方によって、習慣が違いますので、死者の送り方もまた、まちまちです。 でも、根底には死者に対する尊敬や慈しみ、悲しみを失ってはいないはずです。
  ハリトさん、例えばの話ですが、身内の方が亡くなられたら、嬉しさのあまり踊 り出しますか? 祝典の様にはしゃぎますか?
  いくら派手でも楽しいお祭りとは違います。私はそのように思います。

ですから「片棒」では葬列はあっても祭列はありません。無いものを有るように 話をする所がおかしいので、バカ息子のあり得ない空事です。


  ハリトさん、充分に内容は出来ていると思います。後は仕上げだけ、良い論文を。


 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送