落語「皿屋敷」の舞台を歩く

  
 

 春風亭小朝の噺、「お菊の皿 (別名;皿屋敷)」によると。
 

  「昔、番町に青山鉄山という御武家さんの屋敷があった。そこに器量よしの腰元のお菊さんがいた。鉄山はお菊さんに横惚れをして気を引いたが”三平さん”という夫が居たので首を縦に振らなかった。その為意趣返しと言う事で、10枚組の葵の皿を預けた。1枚だけ隠して、組み皿を持ってこさせたが、何回数えても1枚足りない。お菊さんを井戸に吊しせっかんしたが、元より知らない事、返事が出来ない事をイイ事に斬り殺して、そのまま井戸に投げ込んだ。その後、お菊さんの幽霊が出て、 『1枚、2枚・・・・9枚』と皿を数えた。そして鉄山は気が触れて自決した」と、横町の隠居が説明してくれた。
 町内の連中は今でも出るなら見に行くと言い出したが、最後の9枚を聞いたら死んじゃうから5〜6枚目で帰ってくれば大丈夫だろうと注意された。

 怖いもの見たさで、みんなで出掛けた。井戸の回りで待っていると、丑三つ時に、陰にこもって鐘が、「ゴォ〜〜ン」と鳴ると月も隠れて人魂がポッポッと現れて、お菊さんの幽霊が出てきた。
 「1枚〜ぃ、2枚〜ぃ・・」、「おいオイ、見ろよ、いい女だぜ」、「ホントだ、下を向いている場合ではないよ。見てみな!」、「3枚〜ぃ、4枚〜ぃ・・」、「もうすぐ逃げだすからな」、「5枚〜ぃ、6枚〜ぃ」、「それ逃げろ!」で、逃げ帰ってきた。

 怖かったがあまりのい〜い女なので、翌日は何人か増えて見に行った。1週間もすると100人を越えた。 ザワザワしながら時を待っていると、時間前に既に横に出ていた。世間話をして井戸の中に隠れてしまったので、呼び戻すと皿を数え始めた。
 「1枚〜ぃゴホゴホ、2枚〜ぃゴホゴホ・・」、「どうしたの」、「風邪を引いたの」。6枚を聞いて逃げ帰ってきた。

 評判が評判を呼び、興行師まで出てきて、屋敷は満員になってしまった。
 「1枚〜ぃゴホゴホ、2枚〜ぃゴホゴホ・・」、「可哀相に、まだ風邪が治っていないぜ」、「3枚〜ぃゴホゴホ、4枚〜ぃゴホゴホ・・」、「そろそろ逃げる準備をしろよ」。「5枚〜ぃゴホゴホ、6枚〜ぃゴホゴホ・・」、「逃げられないよ。先が詰まって、動けない」。「7枚〜ぃゴホゴホ、8枚〜ぃ・・」、「オイ、何とかしろよ、死んじゃうよ。」、「9枚〜ぃ。10枚〜・・」、「アレ? 11枚・・・17枚って言ってるぜ」、「18枚〜ぃ、お終い」、「オイオイ、お菊さん18枚とはどういう事だ!」、「何枚数えたって私の勝手だろ」、「お前は皿の数が足りなくて、鉄山に恨みを込めて9枚まで数えるのに、何で倍の18枚まで数えるだ」、「分かんない人達だねェ〜、明日は休むんだよ」。

 



上図、幽霊の写真は北斎描くところの「百物語 さらやしき」です 》
 首を何枚も連なった皿で表現しており、それにまとわりついている黒髪が不気味さを演出しています。たれ目のお菊さんがユーモラス。
 表題の「百物語」は、数人が夜中に集まり交代で怪談を語り、話が終わるごとに蝋燭の明かりを消していき、最後の蝋燭が消えると怪奇現象がおこるとされた江戸時代に流行した遊びです。現在5枚の作品が確認されています。
左図は「百物語 お岩さん」

 「お菊と焼き接ぎ屋」広重画 広重の漫画チックでユーモア溢れたお菊さん。割れた一枚を焼き接ぎ屋さんに直してもらいたくて、呼び止めたが・・・。2014.08.20追記

 題名の「お菊の皿」は小朝や権太楼が、「皿屋敷」は小南、円生、上方の露乃五郎、桂春団治、枝雀、が演じています。内容は同じものです。
 

1.皿屋敷出典
「牛込御門の内。昔物語に云、下女あやまって皿を一つ井戸に落とす、そのトガにより殺害せられたり、その念此所の井に残り、夜ごとにかの女の声をして、一つより九つまで十をいはで泣き叫ぶ、声のみありてかたちなしと也、よって皿屋敷とよびつたえたり 」。 「江戸砂子」(享保17(1732)年刊)

2.「 播州姫路でお家乗っ取りをたくらむ青山鉄山一味は家臣の妻お菊に聞かれた。そこでお菊が殿様から預かっていた皿の1枚を隠し責任を負わせて殺害し、井戸に投げ込んだ。その 後お菊が化けて出て青山一味を懲らしめた」。 浄瑠璃「播州皿屋敷」

3.「 血の気の多い旗本青山播磨は、花の盛りの山王神社で出会った町奴の放駒とあわや喧嘩になろうとするところへ、来かかった伯母に止められる。播磨と腰元のお菊は相思相愛の仲だったが、播磨が頭の上がらぬ伯母御から縁談をすすめられているのを知ったお菊は、播磨の愛を確かめようと青山家の家宝の皿を打ち割る。愛しいお菊の過失と軽く許した播磨だったが、故意に割ったことが後から露見し、心の内を疑われたと知ると、代々伝えられる皿を割ったお菊を手討ちにする。 主膳はそれから人が違ったように荒れ、幽霊の噂も広がり、青山家の屋敷は荒廃に向かっていく。(幽霊は出てこない)」。 「半七捕り物帖」で有名な岡本綺堂(1872〜1939)の「番町皿屋敷」

4.彦根伊井藩士、孕石(はらみいし)家の世継、政之進と侍女お菊は相思相愛の仲だったが、政之進には亡き親の取り決めた許婚がいた。お菊は思案のあげく、政之進の本心を確かめようと、家宝の皿十枚のうち一枚を故意に割ってしまった。誠意を疑われ、憤慨した政之進は、お菊の面前で残り九枚の皿を打ち割り、お菊を手打ちにしたという。
  この皿は初代藩主、伊井直政が関が原の戦いの功により、徳川家康から拝領した中国古来の白磁の皿で、悲運の死を遂げたお菊の供養のために、お菊の母が寺に奉納したもの。現在は六枚だけが残る。(滋賀県・長久寺所蔵。長久寺・お菊の皿 (sakura.ne.jp) 皿の写真があります。写真下)

落語噺の出典お菊の亡魂、古井戸より出でて、一皿、二皿と数えて、九皿といって、わっと泣き声するゆえ、旅僧きたり、さてさてふびんなると思ひ、水晶の数珠を出し、「俗名お菊、頓生菩提、ナンマイダなんまいだ」といへば、お菊の亡魂現れ出でて、「どう勘定しても、九枚でござります」。
「落としばなし」より”皿屋敷” 寛永3年(1850)刊 梅亭金鷲・五返舎半九作 橘蝶楼貞房画
2012.10.追記


2.お菊の墓・井戸

神奈川県平塚紅谷町公園
 伝説によると、 お菊は平塚宿役人真壁源右衛門の娘で、 行儀作法見習のため江戸の旗本青山主膳方へ奉公中、 主人が怨むことあって菊女を斬り殺したという。
 
一説によると、旗本青山主膳の家来が菊女を見染めたが、 菊女がいうことを聞かないので、その家来は憎しみの余り家宝の皿を隠し、主人に菊女が紛失したと告げたので、 菊女は手討ちにされてしまったが、後日皿は発見されたという。 この事件は元文5年(1740)2月の出来事であったといい、 のちに怪談「番町皿屋敷」の素材となっという。
 また他の話によると菊女はきりょうが良く小町と呼ばれていたが、 24才のとき江戸で殺されたといわれている。死骸は長持詰めとなって馬入の渡場で父親に引き渡された。 このとき父親真壁源右衛門は、「あるほどの花投げ入れよすみれ草」 と言って絶句したという。源右衛門は刑死人の例にならい墓をつくらず、センダンの木を植えて墓標とした。

 戦前はこの付近が墓地で菊女の墓もここにあったが、 昭和27年(1952)秋、戦災復興の区画整理移転により 現在の立野町晴雲寺の真壁家墓地に納められている。 
「平塚市観光協会の立て看板より」

お菊塚
 昭和27年、平塚市では戦災復興の区画整理のためにお菊の遺骨を掘り起こし、市営共同墓地に移動しました。現在は立野町青雲寺の真壁家墓地に納められています。 また、最初に遺体が埋められた場所は、現在は紅谷公園となり、「お菊塚」として残っています。傍らには平塚市観光協会による説明書きの看板もあります。
 (平塚市観光協会ホームページより、右写真も)
 旧眞壁家墓地跡は整理されて平塚駅西口(北側)近くの紅谷町公園の一部になっており、ここに移転時、平塚市が立派なお菊塚を建立してくれた。このお菊塚は現在も東海道本線平塚駅近くの紅谷町公園の片隅に存在している。また移転後の晴雲寺隣で光円寺北側道路の2列目奥にある3段の階段付き眞壁家墓所には「貞室菊香信女」と戒名が刻まれたお菊の墓石が現存し、その向いに墓標がある。

福岡県嘉穂郡碓井町
 
「お菊大明神」が奉られて、そのすぐ横にお菊が身を投じたと言われている井戸もあります
 「一枚、二枚、三枚……九枚」と数えてからワァーと泣きくずれる、有名な皿屋敷伝説の地はここです。
 昔たいそうな豪農がいました。ある日大切な客があり、家宝の皿十枚を出してもてなし、後片付けすると一枚足りません。下女のお菊は主人から尋ねられたので、たしかに十枚を奥さんに渡したと答えました。しかし、信じてもらえず激しく責めたてられたので、思いあまったお菊は裏の井戸に身を投じました。それから毎夜、皿を数えるお菊の声が聞こえるようになったのです。
 後日談として、いいなずけの三平がお菊の母と慰霊のための西国巡礼に行きます。播磨国でお菊の母が亡くなったとき、一人の女が来て供養するので、夫婦になるのですが、お菊の亡霊であったという話もあります。
 お菊の墓といわれるものが、上臼井の永泉寺に台石だけあります。お菊大明神は、腰から下の病に効くといわれ、かつて広く信仰を集めていました。裏のお菊が身を投じたといわれる井戸は、近代に改修されたものです。
「説明文より」
写真と説明が「闇の日本史」にあります。

播州姫路・姫路城
 兵庫県姫路市姫路城内。墓はありませんが、ここには伝説の井戸があります。話も浄瑠璃「播州皿屋敷」の舞台です。

 永正年間(1500頃)城主小寺則職の執権
青山鉄山が主家横領を企てているのを、忠臣衣笠元信の妾(いいなずけ)で、青山家に住み込んでいたお菊が探知し、元信に知らせて城主の難を救いました。
 しかし、鉄山は浦上村宗等の加勢によって則職を追放し、一時主家を横領した。
 村宗等を招いた饗宴の際、お菊を横恋慕していた町坪弾四郎は、家宝の十枚揃いの皿の一枚を隠し、お菊を責め殺し井戸に投げ込んだ。
 その後、毎夜この井戸から皿を数えるお菊の声が聞こえたという。やがて、元信らが、鉄山一味を滅ぼし、お菊は「於菊大明神」として、十二所神社の境内に祀られました。
姫路城「お菊井」の解説板より。08.3.11撮影追記。
写真「お菊井」をクリックすると大きな写真になります。


3.帯坂(千代田区五番町と九段南4丁目の間の坂 )
 
市ケ谷駅前東京三菱銀行から南へ, 水道会館の横に出る坂道。新坂(日テレ通り)の東隣。
 名称は歌舞伎で有名な番町皿屋敷の旗本青山播磨の腰元お菊が髪をふり乱し帯を引きずってにげたという伝説によります。また一名切通し坂ともいわれたのは、寛永年間(1624-1643)外堀普請の後に市ケ谷御門へ抜ける道として切り通されたのでその名がつけられたといいます。( 千代田区帯坂説明文より)

 その名の由来は、千代田区の説明にもあるように、坂の突き当たりに番町皿屋敷で有名な青山播磨の屋敷があり、お菊さんが帯をひきずりながら逃げたからといわれています。江戸時代には「切通し坂」と呼ばれ、狭くて急な坂道でした。しかし、現在の 日テレ(日本テレビ)通りの上り坂は大正初期に新しく出来たもので、それまではこの帯坂が、市ヶ谷から麹町に向かうメインストリートだった。城下町特有のお城に向かう真直ぐの道を作らず、敵に攻められた時のことを考えてジグザグに道を作った名残りでしょう。特にこの番町は道 (ブロック)に関係なく12町(丁)名が入り乱れ、当時屋敷には表札は掛かっていませんので、不案内でした。その為江戸切り絵図(地図)の発生もここに起因していました。

 帯坂の中程には日本棋院があります。碁会所の親玉(失礼)です。
 依田紀基十段は「二分もあれば着く市ケ谷駅まで一時間もかかったことがある」そうだ。終わったばかりの碁の着手の是非を、仲間と検討しながら深夜の帯坂を下りるうち、足が前に進まなくなったらしい。
 同じく深夜の帯坂を若い女流棋士が、友に肩を抱かれてよろよろと下りていくのを見たことがある。女流棋戦の大事な対局で一手のミスで勝ち碁を敗局とした後で、背中が悔恨で震えていた。
 お菊の恨みか、帯坂はときどき「嘆きの坂」になる。(加藤洋二)
 
日本棋院ホームページより
 



  舞台の番町を歩く
 

  JR市ヶ谷駅を降りると目の前が幹線の”靖国通り”で、駅前が交差点になっています。通りの先に靖国神社があって、この様に呼ばれています。靖国神社方向に向かい最初の右側に入る路地の入り口に東京三菱銀行が有ります。一方通行出口の標識がある道が”帯坂”で、前方を見ると緩い昇りで150mも行くと”二七 (にしち)通り”に突き当たって、坂が終わります。坂の終わりの左側に千代田区が建てた”帯坂”標柱が立っています。

 この界隈は江戸時代は旗本屋敷の街であり、忍者ハットリクンのモデルの服部半蔵の屋敷がこの近くにあった。現在は、一番町から六番町まであ りますが、昔、番町と言った所で、「お菊さん」の亡霊で有名な岡本綺堂の傑作講談「番町皿屋敷」の舞台となった街です。「お岩さん」で有名な「四谷怪談」の四谷は隣町です(第11話「ぞろぞろ」)。
 「番町で目あき目くらに道をきき」の主人公、盲目の国学者”塙(はなわ)保己一(ほきのいち)検校”が和学講談所を主管していた。幕府の研究機関でここに住んでいた。息子、次郎も学者で多くの人に”人の道”を教えた。

 番町にあったという「青山主善」の屋敷跡は見当たりません。当然で、この噺は岡本綺堂のフィクションで、伝説ですから、実在しないのはしょうがありません。そうすると”帯坂”のいわれはどこから出てきたのでしょう。こちらの方が怪談じみてきます。

 

地図

  地図をクリックすると大きな地図になります。 

写真

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帯坂1(千代田区五番町と九段南4丁目の間の坂 )
千代田区で建てた標柱が有ります。


帯坂2
帯坂を上から靖国通りの方向を見ています。バックのビルは水道会館

帯坂3
帯坂を下(靖国通り)から見上げています。坂の突き当たりにはビルが有り、そのビルが写真でも解ります。そのぐらい短く緩やかな坂道です。

                                                                                                           2003年5月記

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