悋気の火の玉の原話


 「怪談」;これは昔、吉原江戸町に上総屋某とて、富貴に暮らす人あり、ただ好色者にて、中近江屋の花魁花里を身請けして、箕輪(三ノ輪)に囲いおきける。上総屋の女房、ほのかに知りて嫉妬の心深く、「何とぞ花里を亡き者にせん」と祈りける。花里もこのこと知りて、「本妻なくば我れ女房にならん」と、その女房をねたみ祈りけるが、互いに祈り勝ち負けなくて、無惨や両人相果てたりし。その夜より、大音寺前へ火の玉二つ出でて打ち合いける。
この事評判強くなりければ、上総屋の主、「これは女房と花里が執念ならん」と、道心に頼み、毎夜大音寺前にていろいろ供養しけれども、さらにそのしるし無く、道心、亭主に申すは、「昨夜も大音寺前へ参り、丑三つまで念仏申しゐけるに、両方より幽霊出できたり、互ひに何やら言う事分からず。顔をよくよく見れば、両人この間暗闇にて出掛け、向こふ見へず突き当たりて、鉢合わせしたると見えて、二人の幽霊、額(ひたい)に団子のやうなるコブあり。案ずるに、互いの執念、コブコブ(五分五分)といふ事ならん。今夜はご亭主参られて、その訳をとくと申され、姉妹分(きょうだいぶん)に縁を結んで、仲良く両人浮かむように申されよ」と勧めければ、亭主心得、「さらば今夜」と受けて大音寺前へ出かけ、待てど暮らせど何事もなし。退屈し果てたる所に、箕輪の方(かた)より火の玉転げくる。
亭主、退屈の所なれば、その火の玉にて煙管(きせる)を取り出し一服のんで待って居れば、また吉原の方より火の玉一つ来る。それより、亭主「ご両人お揃いなら、一通りお話申さう。互いの恨みの執念、無理とはさらさら思はねども、あんまり長いも野暮らしい。両人ながら、おれがかわいいと思ふなら、今得道(とくどう)して仲良く姉妹分となり、心よく浮かんでもらひたい。なんと嬶(かかあ)ァ、そうじゃァねへか」と、又一服吸い付けると、女房の火の玉ふつゝと消へて、「よしなさい。私のでは、おいしくあるまい」。
「延命養談数(えんめいようだんす)」天保4年(1833)刊 桜川慈悲成作 香蝶楼国貞画

 この話は、安永頃の吉原郭内江戸町の張見世の主人上総屋逸麿の妻と妾の間で、三角関係のもつれから互いに嫉妬し恨み合った実際の事件に題材を取ったものと言われる。
 それを幕末の戯作者、鼻山人(はなさんじん)が廓雑談(くるわぞうだん。文政9年(1826))という人情本に怪談風に仕立て、さらに桜川慈悲成が落語風に作り変えた。そして、八代目桂文楽が「悋気の火の玉」として完成させている。

 2012.10.追記 

 

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