古今亭志ん生の噺、「穴釣り三次」(あなづりさんじ)によると。
1.谷中の龍泉寺(台東区谷中五丁目9) ■上野広小路(うえのひろこうじ);上野寛永寺南前に突き当たる、御成街道には火除けのために、街道を広く取っていた地。下谷広小路とも。江戸三大繁華街、両国広小路、浅草広小路、と並ぶ広小路の一つ。 ■池之端(いけのはた);寛永寺の池で、不忍池の南端の町。江戸時代ここを通って湯島天神から本郷に抜ける幹線で有り繁華街。 ■不忍池(しのばずのいけ);中央に弁天島があり、夜は暗くて歩けなかった。池の東側、上野山内の登り口に花園神社、別名穴の稲荷があります。落語「心中時雨傘」の舞台でもあります。
■どんどん;不忍池の南側に池の水が溢れて滝のようになっていて、そこを俗に”どんどん”と言った。三橋の側にあった不忍池の水の落口。
■忍川(しのぶがわ)の流れ;どんどんから流れ出た川は、忍ヶ丘(上野の山)下を廻って、広小路を三橋で渡し、佐竹が原(佐竹右京大夫屋敷)を通って、三味線堀に入った。
■三味線堀(しゃみせんぼり);三味線の形をしていた、南北に長い堀。現在の台東区小島一丁目5〜6辺り。
■三筋町(みすじまち);三味線堀の東隣には下谷三筋町があった。現在の台東区三筋二丁目の内。落語ではあの綺麗なお嬢さんが居た、紙問屋「甲州屋」があった。
■根津七軒町(ねずしちけんちょう);その様な名前の町名は江戸にはない。七軒町と言えば下谷七軒町で、三味線堀の西側を走る道に面した町。原文だと千駄木と言っている。千駄木は不忍池の北側、根津神社の北側の町。ここに近いところと言えば池之端七軒町。現在の不忍池西北の地で根津神社の南側。落語「阿武松」で、根津七軒町の親方、錣(しころ)山喜平次の部屋があり、阿武松が改めて入門した所。
■生駒(いこま);三味線の弦に対して駒が有った。駒とは台東二丁目と三丁目に掛かる生駒主殿屋敷の事。
■鳥越(とりごえ);三筋町の南にある町で、鳥越神社があるので有名。ここに鳶の頭が住んでいた。
■上州高崎(じょうしゅう_たかさき);上野国の別称=今の群馬県の高崎市。群馬県南部で、中山道から三国街道が分岐する古くからの交通の要地。
2.結婚事情
ここに面白い噺がある、
3.言葉
■手代(てだい);番頭の代理をなす者。江戸時代の商家では番頭と小僧との中間に位する身分であった。
■頭(かしら);一群の人の長。特に、鳶゙職・左官などの親方。大工の長は棟梁(とうりょう。江戸弁でとうりゅう)という。
■50両(50りょう);1両を8万円として、約400万円。寺の修理費用として80両は、約640〜50万円。
■巾着(きんちゃく);布・革などでつくり、口をひもでくくり、中に金銭などを入れて携帯する袋。右写真
■奉行所(ぶぎょうしょ);江戸幕府では旗本から登用し、老中の支配下に置き、行政・司法・警察等をつかさどり、特に町政を管轄し訴訟を吟味し裁決をした。単に町奉行といえば江戸町奉行を指す。江戸には北と南町奉行所が有り、1ヶ月おきに交互に門を開き活動した。
舞台の下谷を歩く
志ん生も噺のマクラで言っているように、この噺の下谷を中心に歩きます。ところで下谷って何処なの。
お梅さんが夜中に店を抜け出した道順を現代に直して歩きましょう。その前に粂之助が店から南の隣町、鳥越神社のある鳥越に住む、頭(かしら)の家に行きます。職人や中小企業や住宅が混在した町で、三筋二丁目も鳥越も特徴の有る町ではありませんので、どうのこうのと説明する街並みもありません。極普通の東京下町にある街の顔をしています。その普通の町に普通の頭が住んでいたことになり、普通の話しの中から粂之助は納得して店に戻ってきます。その日の内に谷中の龍泉寺に向かいます。
話戻って、お梅さんが家出した道は、大まかには街の北側を東西に走る春日通りを御徒町方向に西に向かって歩きます。その隣町は小島町で、その西側に有った三味線堀を左手に見ながら、と言っても夜中には何も見えなかったでしょう。その先は江戸時代佐竹屋敷が有って、これも塀伝いに真っ暗な中を、粂之助に逢いたさに必死で歩いたのでしょう。今は春日通りの下には、地下鉄都営大江戸線の新御徒町駅が有って、その南には佐竹商店街が南に走る、入口があります。遅くになって、ちっとも寂しいことはありません。目の先には昭和通りが交差し、その上には首都高速道路が走っています。当時は武家屋敷や御徒衆の屋敷が建ち並んで、夜道は真っ暗で寂しい所だったはずですが、今はJR御徒町駅周辺の繁華街とアメ横の商店街があって上野駅に掛けては人通りが切れません。ガードをくぐると左には江戸時代から有った、松坂屋があって、この交差点は上野広小路と言います。賑やかさは落語「吉原綺談」をご覧下さい。今でこそ終電まで町中活気が溢れていますが、当時は真っ暗な御成街道(中央通り)を右に曲がって、上野山下の前に架かる三橋を左に曲がり、どんどんから右に曲がって不忍池湖畔に入って行きます。
そう、ここまで来たお梅さんは、ホコリにまみれて、島田に結った髪も崩れ、疲れ切っていますが、心は粂之助に逢えるという気持ちでイッパイです。やはり深窓育ちのお嬢さんですから、谷中の龍泉寺までの道順は分かりません。そこに出ていた屋台のおでん屋で道を尋ねたのですが、けんもほろろに分からないと言います。店の隅にいた、悪の三次が服装から金を持っていそうなお嬢さんだと目星を付けて、声を掛けます。いけない、いけない、真夜中に目付きの悪い男に声を掛けられて、俺と一緒なら安心だと真逆のことを平気で言います。
おでん屋の屋台をあとに、真っ暗な不忍池を左に、右側は上野寛永寺の山です。私だって終電が無くなる前に電車に飛び乗りたいのに、見ず知らずの男に付いて、不忍池の中央にある弁天島から、右側の穴の稲荷(花園稲荷神社)の辺りに来ると、男がお嬢さんの後ろに回ります。
それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。 2014年10月記 |
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