落語「金色夜叉」の舞台を歩く
1.初代林家三平(はやしや さんぺい)
家族は、
海老名美どり(長女)峰竜太(娘婿)、泰葉(次女)前夫・春風亭小朝、九代目林家正蔵(長男)、二代目林家三平(次男)の芸能人一家である。
落語は物語(ストーリー)から成り立つ、という固定観念を持つ者には、理解できないどころか耐えられないのが三平落語で、ストーリーもシチュエーションもない。三平落語は、はなから物語を捨てている。
「よし子さん」、「こうやったら笑って下さい(と額にゲンコツをかざす)」、「どうもすいません」、「身体だけは大事にして下さい」、「もう大変なんすから」、「ゆうべ寝ないで考えたんすから」、お客が後から入場すると「お待ちしていましたよ。ここまで話しましたから、よろしくね」などの数々のギャグと仕種で一気にたたみかける爆笑落語で人気を博した。そして、「・・・このネタのどこが面白いかと言いますと、」と現在でいう「スベリ芸」を先駆けるネタも用いた。この噺の中でも随所に出てきます。
志ん生に稽古を付けてもらう三平 三平堂蔵
桂小金治は「三平との付き合いは長く、有るとき沈んでいるので聞くと『ある評論家*から、お前の噺は落語では無い』と強く言われた。八代目文楽や円生といき方は違うが、笑わす技量は三平の方が上だ、と言った」。その後、元気を取り戻し三平落語が復活した。
三平落語は一見ばかばかしい高座のようだが、お客を掴む術に長け、笑わすことだけに務めた。彼にはオーラがあって、舞台に出るだけで喝采となった。そのうわべだけを真似ても、オーラのない息子達がやったら、上滑りするだけです。基本をみっちりこなして、自分流に崩すのは個性ですが、初めから何も無いところから崩しては、それは無茶です。
私も、ダジャレと小咄の羅列で、書きようが無い噺運びのため、三平を取り上げなかったが、今回が最初で最後の取り上げとなるでしょう。
2.金色夜叉
あらすじ
左図;「金色夜叉 熱海の景」 武内桂舟(たけうち・けいしゅう)画 生年;文久 元年(1861) 没年;昭和 17年(1942) 活躍年代;明治 大正 昭和 挿絵画家
四年後、貫一は鰐淵のもとで高利貸しをしていた。ある日、田鶴見(たずみ)子爵邸内の小道で貫一と宮はすれ違う。貫一は涙を浮かべ驚き憤る。宮は恐ろしさと恥ずかしさで一杯である。しかし、宮は今では貫一をどれほど愛していたかを知り、自分が貫一にしたことを悔いている。
貫一が暴漢から怪我を受け入院したり、鰐淵家が金の恨みから放火され、鰐淵夫婦が焼死するなどの事件が起こる。貫一はそれでも金貸しをやめない。
■お宮の松と貫一・お宮の像;熱海市東海岸町(国道135号下り車線沿い)、熱海の代名詞といえば、小説「金色夜叉」に登場する 主人公「貫一とお宮」そして「お宮の松」です。
熱海の海岸にある「貫一お宮の像」舘野弘青作
初代「お宮の松」は、昭和初期まで「羽衣の松」と呼ばれていましたが、大正8年(1919)8月「金色夜叉」を記念して、尾崎紅葉の弟子・小栗風葉の句碑「宮に似たうしろ姿や春の月」を建立したことから、いつしか「お宮の松」と呼ばれるようになりました。 昭和61年(1986)1月17日、熱海ロータリークラブが「貫一・お宮」の銅像(舘野弘青作)を建立しました。
4.言葉
■熱海の海岸;熱海(あたみ)は東海道線で湯河原の神奈川県を越すと静岡県の熱海市に着きます。その先は丹那トンネルを越して函南、新幹線で行くと小田原→熱海→三島です。熱海は典型的な温泉町ですが、最近は別荘マンションが多くなって、温泉街の趣は少なくなりつつあります。海から観る夜景は、最盛期には百万ドルの夜景だと言われていました。箱根、熱海は東京からの温泉保養地として人気の宿泊地でしたが、老舗の上にあぐらをかいていたので、さびれようは大きいようです。金色夜叉の当時は良き温泉街でした。
熱海の海岸。右手前にお宮の松と像、中段にヨットハーバー、半島の先に熱海城。
■変身;TV放送された子供向け人気番組「仮面ライダー」で、等身大のヒーローと怪人が対決する「痛快怪奇アクションドラマ」。従来の実写ヒーロー物とは一線を画した「異形」のヒーロー像と、人間ドラマとしての側面を極力抑えた勧善懲悪劇、怪奇ドラマ的な演出、そして颯爽とオートバイを駆って「ライダーキック」などのダイナミックなアクションによる格闘シーンや、多彩な動植物をモチーフとした特異でグロテスクな怪人の登場が特徴。ヒーローが仮面ライダーに変身する。
■源平盛衰記;鎌倉中期から後期の軍記物語。48巻。作者・成立年代ともに未詳。平家物語の異本の一つとみられる。源氏関係の記事、仏教説話、中国故事などが増補されている。落語になって壇ノ浦の合戦を描き、平家没落の切っ掛けになった話になっている。春風亭小朝や立川談志がやっていたが、三平も遅ればせながら、談志に教わりその仲間に入った。
熱海駅で電車を降ります。平日で有りながら観光客で結構混み合っています。駅前に出ると、さすが温泉街、温泉の湯煙と共に足湯の設備が整っていて、観光客が温泉に足を浸けています。皆さん楽しそう。
熱海の海岸に着きましたが、車では、毎回この前を通過するだけで、馬鹿にしていた名所です。今回はここが目的地ですから、写真を撮って、改めて山肌の斜面に出来た熱海の温泉街を眺めると、虫食い歯のようにホテルが撤退した後が無残な様相をさらけ出しています。
「豆相人車鉄道」 日本国有鉄道・百年写真史
東海道本線が開通した当時(明治22年東京ー神戸間が開通)は御殿場線経由で運行されていて、熱海は丹那トンネルが完成して初めて最短距離で東海道線が繋がります。
根岸に先代林家三平の住まいを訪ねて行きます。三平の住まいは2階が資料館(記念館)になっていて、三平堂と呼ばれています。
それぞれの写真をクリックすると大きなカラー写真になります。 2013年4月記 |
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