落語「狸賽」の舞台を歩く
伊豆稲取で落語会をやったときの「狸賽」、小三馬師匠の天神さん。
1.天神様
■亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ);江東区亀戸三丁目6。正保(1644-1648)年間、九州太宰府天満宮の神人・菅原信祐(道真の裔孫)は霊夢に感じ管公ゆかりの飛梅で神像を刻み、社殿建立の志願をもって諸国を廻り、寛文元年(1661)江戸に到着し亀戸村にあった天神の少祠に奉祀した。
2.菅原道真(すがわら みちざね / みちまさ / どうしん)
出世から左遷 道真は幼少より詩歌に才を見せ、貞観4年(862年)、18歳で文章生(もんじょうせい)となった。以後とんとん拍子に出世し、寛平2年(890年)、任地讃岐国より帰京した。
これまでは家格に応じた職についていた道真は、宇多天皇の信任を受け、以後要職を歴任することとなる。
射手は菅原道真。国宝『北野天神縁起絵巻(承久本)』鎌倉初期(北野天満宮蔵)から。
右図;「束帯天神像」北野天満宮蔵 14〜15世紀
菅原道真の死後、京には異変が相次ぐ。
さらには延長8年(930)朝議中の清涼殿が落雷を受け、昌泰の変に関与したとされる大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件・上図、北野天満宮縁起)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した。
3.サイコロ賭博
■ちょぼいち(樗蒲一);ちょぼとはサイコロの別称でサイコロ1個を使って勝負するところからこの名がついたと言われます。第38話落語「しじみ売り」に細述、この噺以外にも「看板のピン」、今回の「狸賽」があります。
■丁半博打;2個の賽子を振って出た目の合計が”丁”(偶数)か”半”(奇数)かを当てるもの。第39話落語「猫定」に細述。
”思うツボ”はサイコロ賭博で丁か半かの壺の中のサイコロの目を思い通りに的中させること。また、”はったり”も「さあ、張った、張った」という呼びかけの言葉からできたといわれる。
”ピンからキリ”も博打から来ていて、最上等のものから最下等のものまで。最初から最後までの意。
■チンチロリン;参加者のうち1人が親に、残りが子になる。子は場に「コマ(駒)」(お金)を「張る」。親からサイコロを振っていき、親とそれぞれの子との勝敗が決まると勝ち負けに応じた配当が親と子の間でやりとりされる。
チンチロリンルール要約
4.言葉
これだけ沢山あれば、好きな目を選べる?
ピン(1)の裏は6、2の裏は5、3の裏は4と決まっていて、上下を足すと7になる。
■梅鉢(うめばち);菅原道真が梅紋を使用したという記録は残っていないが、梅の名所として有名な、各地の天神様の「社紋」には、現在も梅に関係した紋が使われている。
左から、東京・湯島天神。福岡・太宰府天満宮。京都・北野天満宮。東京・亀戸天神。
亀戸天神の梅も取材に出掛けた2月の末で4〜5分咲です。気の早い観梅者はお賽銭を上げる前に梅の状況を見て回るほどです。ははは、それは私ですがね。右写真は亀戸天神の禰宜(ねぎ)さんです。
境内に入ると、あ! 私は脇道から入ってきてしまったので、正面に回って、正面の鳥居からご案内しましょう。
社殿の階段を登ると、太宰府天満宮から来たという、紅梅と白梅の鉢が並んでいます。これは満開の花を付けて、すてきな枝振りを示しています。
ここには猿回しは居ても、狸もサイコロを振り回す人も居ません。屋台の食べ物屋やお土産屋さんがズラリと並んでいるだけです。
それぞれの写真をクリックすると大きなカラー写真になります。 2013年3月記 |
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