落語「狸賽」の舞台を歩く
   

 

 
 古今亭志ん朝の噺、「狸賽」(たぬさい)によると。

 

 昼間助けてもらった狸の子が、恩返しをするように親狸に言われたと訪ねて来た。「気持ちだけで十分だから帰れ」、というと、「恩を受けて返さないと人間みたいだと仲間内から爪弾きされるから置いてくれ」と懇願。「小僧が来たら何でも仕事させられるが子狸じゃ〜な」、「何にでも化けられます。お金だったら容易いことです。こっちを見たら親方を消さなくてはならない。目をつむって三つ数えてください」、三つ数えると札があった、「一畳敷きもあるお札なんてだめだ、もっと小さくなれ。座布団の大きさでもだめだ、もっと小さく」と指示して本物の大きさにはなったが、裏に毛が生えていた。それも取れて立派なお札になったが、ノミが飛び出した。

 それでは賽に化けてくれと言うと、そっくりな賽が出来上がった。転がすとピンばかりが出る。「ピンはへその穴だから仰向けに寝てれば良い」、無精をしてはいけないと注意すると今度は二ばかり、目玉で立って上を向いていれば良い。二や三は斜に並んでいるから顔を傾けろ。と言うことで、この賽を懐に出かけた。 

 賭場に行って、今日は金があるから胴を取らせろと言い、賽を検分されると、転がらずに畳の上をずっていった。大声を上げて怒ると転がったがどこまでも転がって行った。「捕まえてくれ」。

  狸の賽で勝負が始まった。「ピンが無いから総取りになるよ。ピンだよ、仰向けだよ、へその穴だよ。さーこい。勝負。ほーら、ピンだ」、「さあさ今度は大きいのに張ってもだめだよ。二が空いているから二が出れば総取りだね。さー頼むよ二だよ、二だからね。目の玉、斜になって。勝負」とまた勝つ。「今度は三に来たな、一、二と来たから今度は三か。そうとは限らないぞ」、「ちょっと待った。お前がさっきから言う目が出ている、金が掛かっているんだ、黙ってやれ。みんな気になってんだ」、「え!偶然でしょ。数は言わないが言葉なら良いだろ」、「それなら良い」、「加賀様だよ、梅鉢だ、梅鉢だよ、天神さんの梅鉢だ、天神さんだよ。勝負」。

 開けてみると、狸が冠被って勺持って天神さんの格好で立っていた。

 


 

  伊豆稲取で落語会をやったときの「狸賽」、小三馬師匠の天神さん。


1.天神様
 菅原道真を祀った天神様は全国に多く祀られています。メインでは無く、サブで祀られているのを数えると一番多いのではないかと言われています。ちなみに、防府天満宮によれば全国で約一万二千社(岡田荘司らによれば3953社)有ると言われる。都内には亀戸天神と湯島天神が有名です。どちらも学業の神様ですから、受験時期には若い学生さが多く詰めかけています。
 また、境内のお庭にも道真の、
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
の歌にもあるように梅の木が多く植えられています。 

亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ);江東区亀戸三丁目6。正保(1644-1648)年間、九州太宰府天満宮の神人・菅原信祐(道真の裔孫)は霊夢に感じ管公ゆかりの飛梅で神像を刻み、社殿建立の志願をもって諸国を廻り、寛文元年(1661)江戸に到着し亀戸村にあった天神の少祠に奉祀した。
 明暦3年(1657)の大火後徳川幕府の大事業である本所開発にあたり、天神様を崇敬すること篤かった四代将軍家綱は現在の地に社地を寄進した。そして寛文2年(1662)10月25日太宰府の社にならい、社殿、楼門、廻廊、心字池、太鼓橋などを造営し、以来350年余後の今日まで、数ある東国天満宮の宗社として尊崇されている。
 また、早春の梅、風薫る中の藤、清秋の菊などが楽しめ、鷽替神事(1/24・25)が有名。
 境内には、御嶽神社(商業繁栄・雷除け・火防)、花園神社(安産の神)、弁天社(芸能成就)、紅梅殿などがあります。
亀戸天神案内書による

 

2.菅原道真(すがわら みちざね / みちまさ / どうしん)
 承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日)は、平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。 忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣藤原時平に讒訴(ざんそ=かげぐち)され、大宰府へとして左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。

 出世から左遷 道真は幼少より詩歌に才を見せ、貞観4年(862年)、18歳で文章生(もんじょうせい)となった。以後とんとん拍子に出世し、寛平2年(890年)、任地讃岐国より帰京した。 これまでは家格に応じた職についていた道真は、宇多天皇の信任を受け、以後要職を歴任することとなる。

射手は菅原道真。国宝『北野天神縁起絵巻(承久本)』鎌倉初期(北野天満宮蔵)から。

 皇室の外戚(がいせき=母方の親類)として権勢を振るいつつあった藤原氏に当時有力者がいないこともあり、宇多天皇は道真を用いて藤原氏を牽制した。寛平7年(895年)には従三位権中納言に叙任。長女衍子を宇多天皇の女御とした。寛平9年(897年)宇多天皇は醍醐天皇に譲位したが、道真を引き続き重用するよう求め、右近衛大将・中宮大夫を兼任する。 醍醐天皇の治世でも道真は昇進を続けるが、道真の主張する中央集権的な財政に、朝廷への権力の集中を嫌う藤原氏などの有力貴族の反撥が表面化するようになった。昌泰2年(899年)、右大臣に昇進し右大将を兼任。昌泰4年(901年)、従二位に叙せられたが、斉世親王を皇位に就け醍醐天皇から簒奪(さんだつ=帝位を奪いとること)を謀ったと誣告(ぶこく=わざと事実をいつわって告げること)され、罪を得て九州に左遷される。
 長男高視を初め、子供4人が流刑に処された(昌泰の変)。この事件の背景については、時平による全くの讒言とする説から宇多上皇と醍醐天皇の対立が実際に存在していて道真がそれに巻き込まれたとする説まで諸説ある。
 道真は延喜3年(903年)、大宰府で薨去(こうきょ=皇族または三位以上の人の死去)し同地に葬られた(現在の太宰府天満宮の地)。道真が京の都を去る時に詠んだ「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は有名。その梅が、京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛梅伝説」も有名である。  

右図;「束帯天神像」北野天満宮蔵 14〜15世紀
彼にとっての正装、つまり「束帯」姿で描かれた道真を「束帯天神」と呼ぶ。子狸君もこのような格好で・・・。

  菅原道真の死後、京には異変が相次ぐ。
 まず道真の政敵藤原時平が延喜9年(909)に39歳の若さで病死すると、醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王(時平の甥・延喜23年(923)薨去)、次いでその息子で皇太孫となった慶頼王(時平の外孫・延長3年(925)卒去)が次々に病死。

 さらには延長8年(930)朝議中の清涼殿が落雷を受け、昌泰の変に関与したとされる大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件・上図、北野天満宮縁起)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した。
 これらを道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返された。 延喜23年4月20日(923)、従二位大宰権帥から右大臣に復し、正二位を贈ったのを初めとし、その70年後の正暦4年(993)には贈正一位左大臣、同年贈太政大臣。
 清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられた。火雷天神が祭られていた京都の北野に北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとした。以降、百年ほど大災害が起きるたびに道真の祟りとして恐れられた。
 こうして、「天神様」として信仰する天神信仰が全国に広まることになる。やがて、各地に祀られた祟り封じの「天神様」は、災害の記憶が風化するに従い道真が生前優れた学者・詩人であったことから、後に天神は学問の神として信仰されるようになった。
Wikipedia:ウィキペディア より要約加筆

 

3.サイコロ賭博
 サイコロで行う博打に、一個でやる「ちょぼいち」、二個でやる「丁半」、三個でやる「チンチロリン」(狐)があります。この噺では「ちょぼいち」が行われていた。

ちょぼいち(樗蒲一);ちょぼとはサイコロの別称でサイコロ1個を使って勝負するところからこの名がついたと言われます。第38話落語「しじみ売り」に細述、この噺以外にも「看板のピン」、今回の「狸賽」があります。
 客は何人でもよく、胴親(どうおや)が用意した一から六までの数字が書いてある紙または板の数の上に、思い思いに金銭を賭け、胴親はさいころ1個を壺(つぼ)に入れて振り出し、出た目と同じ数字の上の賭け金にはその4倍を支払い、そのほかの賭け金は胴親がとる。

丁半博打;2個の賽子を振って出た目の合計が”丁”(偶数)か”半”(奇数)かを当てるもの。第39話落語「猫定」に細述。

 ”思うツボ”はサイコロ賭博で丁か半かの壺の中のサイコロの目を思い通りに的中させること。また、”はったり”も「さあ、張った、張った」という呼びかけの言葉からできたといわれる。
 張った金をすぐ勘定できる者を盆が明るいと言い、逆にそれができない者を”盆暗野郎”と言った。今言われる”ボンクラ野郎”はこの賭場の盆からきている。

 ”ピンからキリ”も博打から来ていて、最上等のものから最下等のものまで。最初から最後までの意。
ピン=1、(pintaポルトガル語の点の意) 。カルタ・采の目などの1の数。最上のもの。
キリ=10。クルス(cruzポルトガル)の訛。十字架の意から転じて、十の意。または、それが最後で(キリのないこと)。(花札の桐=12月)から最後の札。

■チンチロリン;参加者のうち1人が親に、残りが子になる。子は場に「コマ(駒)」(お金)を「張る」。親からサイコロを振っていき、親とそれぞれの子との勝敗が決まると勝ち負けに応じた配当が親と子の間でやりとりされる。
 道具立てもさして必要としないうえ、胴元が固定しているのではなく親の権利が順番に回って来る「回り胴」のため、日本の伝統的サイコロ賭博である丁半のように賭場の開帳に暴力団が関与することもなく仲間内で遊ばれることが通常だと考えられる。

チンチロリンルール要約
 6目の方眼を書き、上に1〜6までの目を書き入れる。子はサイコロの目が出そうな数字に掛ける。
 親が3個のサイコロを同時にどんぶりに中に振り入れる。この時の音からチンチロリンと言われます。
 勝敗は3個の内、一つでもその数が出れば別れ(勝ち負け無し)。二つ同じ目が出れば、3倍。三つなら4倍、親が子に支払う。これにローカルルールが付いて複雑になってきます。
やった事がないので、落語「今戸の狐」志ん朝の噺から抜粋。

 

4.言葉
サイコロ(賽);双六・博奕などに用いる具。角・象牙・木・焼き物などの小形の立方体で、その6面に、1・2・3・4・5・6の点を記したもの。さいころ。「骰」「賽」とも書く。

 これだけ沢山あれば、好きな目を選べる?  ピン(1)の裏は6、2の裏は5、3の裏は4と決まっていて、上下を足すと7になる。 

 

 

 


梅鉢(うめばち);菅原道真が梅紋を使用したという記録は残っていないが、梅の名所として有名な、各地の天神様の「社紋」には、現在も梅に関係した紋が使われている。
 右の写真は、亀戸天神の”変わり剣梅鉢紋”です。

 

 


 

左から、東京・湯島天神。福岡・太宰府天満宮。京都・北野天満宮。東京・亀戸天神。
それぞれ梅の紋と言っても、各社それぞれです。

 



 舞台の亀戸天神を歩く


 ”梅は咲いたが桜はまだかいな”の時期です。

 亀戸天神の梅も取材に出掛けた2月の末で4〜5分咲です。気の早い観梅者はお賽銭を上げる前に梅の状況を見て回るほどです。ははは、それは私ですがね。右写真は亀戸天神の禰宜(ねぎ)さんです。

 境内に入ると、あ! 私は脇道から入ってきてしまったので、正面に回って、正面の鳥居からご案内しましょう。
 ここから境内を眺めると、正面に大きな太鼓橋、これが男橋と言って過去を表しているそうです。当然橋が有りますから、その下は池で、心字池と言います。その池には多くの亀と緋鯉や魚達がいます。それを狙って、鷺や鵜が飛来してきます。
 池の左右には藤棚がしつらえてあり、5月になれば藤棚の藤の花が美しく咲き誇ります。と言うと嘘にナリ、心字池や太鼓橋を改修したときに藤棚も触っていますので、藤に元気がありません。毎年藤まつりをやりますが、皆さんガッカリして帰られます。少なくとも、あと5〜10年は元に戻るための時間がかかるでしょう。
 そんな藤の話ではなく、鳥居からでも、太鼓橋の上からでも、1年前に完成したSky Treeが遠望出来ます。スカイツリーからは見えないんですがね〜。そうだ、富士山が見えても、そこから亀戸は見えませんよね。
 太鼓橋を渡ったら、その次の橋は、ごく普通の平らな橋です。ここは、現在を表していると言います。ですから藤が綺麗だからと言って立ち止まってはいけません。その先の小さな太鼓橋、女橋が未来を表しているというので、早く未来に向かいましょう。渡り終わると社殿が目の前に現れます。江戸時代ここに大きな楼門が有って、それは見事だったと話や絵に残っていますが、そこに痕跡すら見付けることが出来ません。有るのは左側に5歳の時の菅原道真公の像が建っています。晩年の道真公の銅像なら解る気もしますが、ご幼少の道真では実感が湧きません。

 社殿の階段を登ると、太宰府天満宮から来たという、紅梅と白梅の鉢が並んでいます。これは満開の花を付けて、すてきな枝振りを示しています。
 社殿から見て右に黒牛の像、皆さんなぜるところは決まっていて、顔から鼻先です。なぜ解るかって、それはそこだけ光っているからです。左には神楽殿があって、お祭りの時はお神楽をやっています。今回はその間の広場で”猿回し”が熱演をしています。
 梅は神楽殿から南にかけて花を付けていますし、いろいろな石碑が並んでいます。神楽殿の横に「塩原太助」が奉納したという燈籠が御嶽神社の入口に建っています。

 ここには猿回しは居ても、狸もサイコロを振り回す人も居ません。屋台の食べ物屋やお土産屋さんがズラリと並んでいるだけです。

 

地図

 地図をクリックすると大きな地図になります。

写真

それぞれの写真をクリックすると大きなカラー写真になります。

太宰府の梅
 本殿の入口に太宰府から贈られた紅白の梅が飾られています。見事に手入れされた鉢植えの梅です。  

本殿
 ここはいつ来ても、受験生の、年頃と思われる若者達が手を合わせています。お宮さんに若者が集まるのは天神様と縁結びの神様、今戸神社だけでしょう。

心字池に架かる太鼓橋
 女橋を渡ると藤棚の向こうに天神様の本殿が見えます。

大鳥居
 天神様の正面入口大鳥居です。紅梅と鳥居の向こうに東京スカイツリーが見えます。

五歳の菅公
 女橋を渡ると、左側に道真ご幼少の銅像が建っています。その時に詠んだ歌、
「美しきや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある」

神職
 自動車のお祓いに向かう禰宜さん。決して賭場の壷の中から出てきたのではありません。

黒牛
 葬送の列が進む中、遺体を乗せた車を曳く黒牛が動かなくなった。道真のお心だとそこを墓所と定めた。社殿を建立御霊を祀ったのが太宰府天満宮です。ここ亀戸にも黒牛があります。

鷽替え(うそがえ)
 毎年1月24、25日に行われる神事。今までの悪しきことも嘘となり、吉に鳥替えるという。雀ぐらいの大きさで「鷽」の木彫りの彫刻を毎年交換すると良いと言われます。

2013年3月記

 

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