六代目三遊亭円生の噺、「羽織の遊び」(はおりのあそび)によると。
小菅は東京都葛飾区西部の地名。明治10年(1877)以来、小菅監獄(現、東京拘置所)が置かれた所。
■吉原(よしわら);江戸の遊郭。元和3年(1617)市内各地に散在していた遊女屋を日本橋葺屋町に集めたのに始まる。明暦の大火後、千束日本堤下(現在の台東区千束)に移し、新吉原と称した。北里・北州・北郭などとも呼ばれた幕府公認の遊女屋街。昭和33年3月売春防止法により遊郭は消滅。
よしわら‐かご【吉原駕籠】吉原遊郭へ通う遊客を乗せて往来した町駕籠。
2.差配(さはい)
大家の仕事として、大家は家守ともいい、家賃を取り立てることや、長屋を護ることは当然として、町役と言われ店子に対する以下の公私にわたる世話もあった。
家賃の相場は長屋によってまちまちなのは現在と同じですが、だいたい1ヶ月300文から500文が相場でした。なかには300文以下や、月極では払えない人用に8〜12文の日払いもありました。
■廓
(くるわ);城廓と同じように周りを堀で囲まれた地帯。堀で囲まれた遊女屋の集まっている所。遊郭。遊里。東京では吉原。
■カンザシ抜いて
;遊女は床に入るときはカンザシは頭から抜いていた。あんな長いもの差していたら、自分の頭を刺してしまいます。
■しゃっちょこだち(鯱立ち);「しゃちほこだち」の転。逆立ち。
■一中(いっちゅう);【一中節】浄瑠璃の流派の一。延宝(1673〜1681)の頃、京都の初世都一中の創始。早くから江戸にも伝わり、天明(1781〜1789)の頃以降は吉原を中心に伝承。曲風は渋く温雅で、伝統的に上品な浄瑠璃と見なされている。
■越中(えっちゅう);【越中褌】(細川越中守忠興の始めたものという)
長さ1m程の小幅の布に紐をつけたふんどし。
■河東(かとう);河東節の略。浄瑠璃の流派の一。1717年(享保2)に江戸の初世十寸見河東(マスミカトウ)が半太夫節から分派独立して創始。主に座敷芸として伝承。曲風は生粋の江戸風で優美華麗。代表曲「松の内」「水調子」「助六」。
■羽織(はおり);長着の上におおい着る、襟を折った短い衣。
■紋付き(もんつき);紋所を染めぬいた衣服。和装の礼服とされる。一つ紋・三つ紋・五つ紋などがある。
■ウワバミ;【蟒蛇】(ハミはヘミ・ヘビと同源) 大蛇。特に熱帯産のニシキヘビ・王蛇などを指す。
■カタバミ;紋所の名。カタバミの葉を図案化したもの。長宗我部・酒井氏などが家紋として使用。
■結城(ゆうき);結城紬の略。
■祝儀不祝儀
;祝儀は結婚式などのお祝い事、吉事。不祝儀は縁起の良くないこと、葬式など。凶事。
広辞苑より 舞台の小菅と吉原を歩く
(スイマセン地元の方には)小菅と言えば拘置所と決まっています。そのぐらい有名な施設です。2年前に行ったときは・・・、ええ?当然そこに収容されていたのではなく、落語「ぜんざい公社」の取材で訪れた時です。改修工事が進んでいて、外からは工事現場の鉄板の塀が続いていて、建物の様子も見極めることが出来ず、旧来からあったコンクリートの高い壁もあって、さも刑務所という感じでした。が、今はそれも無くなって背丈ほどのフェンスに囲まれているだけです。面会に訪れる人達も重苦しい雰囲気から開放されて入口をくぐることが出来るでしょう。私もカメラを持って建物の面会用玄関まで行きましたが、ガードマンも居ず出入り自由な感じですが、後でよく見たら至る所に警備用のカメラが設置されています。かえって、霞ヶ関の法務省や裁判所の方が警備が厳重で、一般人を寄せ付けない体制になっています。
小菅とはがらっと雰囲気が違う吉原です。何回か訪れた地ですが、外から見る吉原は煌びやかに飾り飾られた店が並んでいますが、さびれた街区のようにお客さんは見当たりません。昼の太陽が真上にある時間ではやむおえないのかもしれません。でも店先には「早朝サービス」の看板もありますし、どの店も入口にはキチッと背広を着込んだ客引きが勧誘をしています。聞くと、吉原は交通機関の駅からは離れているので、最寄りの駅から電話をすると店の車が迎えに来てくれます。でも、初会のお客さんでは無理で、お馴染みさんにならないと店も電話番号も分かりません。私も今度来るときは取材費を潤沢にもらって中から取材をしたいものです。
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2012年5月記
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