落語「替わり目」の舞台を歩く
   

 

 五代目古今亭志ん生の噺、「替わり目」(かわりめ)によると
 

 「大将、俥(くるま)差し上げましょうか」、「お前はそんなに力があるのか」、「いえ、帰(けえ)り俥ですから、お安くしておきます。乗ってくださいよ」、「やだ。でも、頼まれれば乗ってやらぁ」、「お願いします」、「俥もってこい」、「何処に行きます」、「お前が乗せたのだから、好きな所にやってくれ」、「そんな」、「何処にも行きたくない。だったら、お前の家に行こう」、「では、真っ直(つ)ぐ行きましょうか」、「家壊して真っ直ぐ行け。取りあえずかじ棒上げてみてくれ。おい、一寸待った。この家へ『こんばんは』と訪ねてくんねぇ」、「左様ですか。『こんばんは、こんばんは』」。
 「開いてますよ。どうぞ。あらまぁ、へべれけで。家に入りなさい」、「この親方がお宅によっていくと言うもんですから・・・」、「私(あたしん)とこの人よ。いくら。何処から乗せたの」、「何処から・・・っていってもね、お宅の戸袋のところから。まだ車が動(いごい)ていないんです」、「お手数掛けましたね」、「いいんです。俥賃は」、「そんなこと言わず、取って下さい。そこ閉めて下さいね」。

 「どうして家の前から乗るの」、「頼まれたから乗ったんだ。俥賃いらないと言ったのになぜやるんだ。稼いでも金がないと思ったら、みんな俥屋にやるな」、「ずいぶん酔ってるね。お寝なさい」、「寝ない。一寸こんなことやりたい」、「これってな~に」、「酒だよ」、「そんなに飲んできて、その上飲むの。飲ませません。飲んでなければ飲ませますけれど。そんなに酔っていては飲ませません」、「飲ませません?そんな権利はお前にはあるのか。お前はこの家の何だ。かかあのくせして女房で女。俺は亭主だぞ、一軒の家では主(あるじ)が一番偉いんだぞ。嘘だと思ったら区役所で聞いてみろ」、「もう飲めませんよ」、「飲める。口から飲めなければ鼻から飲む。俺が帰(けえっ)てきたら『お帰りなさい。ずいぶんお召し上がりですが、外は外、内は内、私のお酌ではやでしょうけれど一杯召し上がりませんか』と聞かれてごらん、もうよそうよ、となるんだ。それを『飲んじゃいけねぇ』と言うんだ、百年前のトカゲみたいな顔しやがって、だから、飲む~っと言うんだ」、「そ~ぉ、ずいぶんお召し上がりですが、外は外、内は内、私のお酌ではいやでしょうけれど一杯召し上がったらどぉ」、「じゃぁ、飲もうか」。
 「遅いから、何にもないよ」、「いい。何か摘むものはないか」、「鼻でも摘んだら。もう少し早かったらアブラムシが居たんだが」、「そんなものでなく、台所に行けばなにか」、「ない」、「納豆の残った35粒あっただろ」、「ありません。食べちゃった」、「顔が曲がっちゃうだろ。そーいう時は『いただきました』と言うんだ」、「いただきました」、「我慢しよう。ラッキョウは」、「いただきました」、「目刺しがあったな」、「いただきましたよ」、「もう何もないの。私がみんないただきましたから」、「香香は」、「漬けてないの」、「生でもイイ、後からぬかを食べて頭に重石を乗せておく」。

 「横町のおでんを買ってこようか」、「イイね。直ぐ駆け出さないで、食べたい物を聞きなさい」、「はい。何がイイの」、「俺の好きなものは”焼き”」、「焼きって何ぃ」、「焼き豆腐のことだ。や・き・ど・う・ふ、と言っていたら舌を噛むことがある。江戸っ子は”焼き”と言えば焼き豆腐だとピンとくる」、「それから」、「”ヤツ”だ」、「ヤツガシラ」、「そうだ。それに”がん”だ」、「鳥の雁だね」、「違うわい。すぐにマヌケになるね。ガンモドキ。それにお前の好きなもの買って来な」、「じゃぁ、”ペン”がいい」、「なんだそれ」、「ハンペン」、「変な詰め方するな。早く買ってきな。なんだよ、鏡台の前に座って。そんな事しなくったって良いんだ、お前なんて、頭なんか無くったって良いんだ、足と手があれば良いんだ。早く買ってこい、お多福め。買いに行っちまった」。

 (独り言)「この飲んだくれを世話してくれるのは三千世界を探しても、あの女房以外にないんだよ。世の中に女房ぐら有り難いものはないね。それで、器量だって悪くはないし、近所の奥さん達は『貴方の奥さんは、本当に美人ですね。貴方には勿体ないですよ』なんて、ふふふ、俺もそう思う。イイ女だな、と思うけれどそんなこと言ったらダメなんだ。脅かしたりするが、心の中では『すまないな』と思っているよ。どうしてこんな美人がもらえたのかと思うけれど、口では反対のことを言ってしまう。おかみさん、スイマセン、貴方のような美人をもらえて、陰で侘びてますよ。許して下さい。貴方みたいなイイ女を女房にもらへて勿体ないくらいだ。ん?・・・まだ行かないのか」。

 

志ん生;「新イラスト紳士録」山藤章二


1.替わり目後半
 この噺ではどうして題名が「替わり目」になったのか解りませんよね。この噺には後半があって、
 「奥様がおでんを買いに行った留守にうどん屋が家の前を通りかかった。うどん屋を呼び止めて、冷や酒の徳利を出してお燗をしてもらったが、うどんは嫌いだからとか、餅は酒飲みが食べるものではないと、うどん屋を追い払ってしまった。そこに奥様が帰ってきて、お燗が出来ているので聞くと、うどん屋に燗してもらったが、何も食べなかったと言う。奥様、それではうどん屋さんが可愛そうだからと言って、何か注文しようとうどん屋さんを呼んだが、うどん屋さんは知らん顔をしていた。近くにいた客が、呼んでいるよと教えると、『だめだよ。丁度今がお銚子の替わり目だ』」。
 このオチから「替わり目」と言う題が付いています。志ん生は奥様に腹の内を聞かれたところで終わっていますが、噺家さんによっては後半の替わり目まで演じます。

2.人力俥
 人をのせ、車夫がひいて走る一人乗もしくは二人乗の二輪車。明治2年(1869)和泉要助・高山幸助・鈴木徳次郎らが発明し、翌年東京府下で開業したのに始まる。大正後期より衰退。腕車(ワンシヤ)。俥(クルマ)。人車(ジンシヤ・クルマ)。力車。
(広辞苑)
 人力車が発明され、こいつは便利だというのでたちまち全国に流行して、外国まで輸出され、明治4年には東京で4万台にも急増。上記ジオラマ、明治の「銀座の人力車」江戸東京博物館蔵。
 明治8年には新橋駅(東海道線の終点駅)の前だけで270台からの俥があり、これでも足りないというのでまた70台ばかり増やす事になりました。
 明冶13年になると、一人乗りが10万5千台、二人乗りが5万1千台、合わせて15万6千台以上が、鑑札を取って営業し、町中を流していた。何処でも俥は拾えた。
 そんな車夫の服装はというと、紺の股引きにわらじばき、上は半纏を着て帯でキュッと結んでいる。頭はまんじゅう傘というのをかぶって、首には豆絞りか何かの手拭を結んでいた。みんな威勢が良くて早そうに見えた。

 人力車については、落語「反対車」に詳しい。

 今は芸者さんが料亭に出勤するのにわずかながら残ったのと、観光目的に観光地で活躍するものが、残って活躍しています。台東区で開業している俥屋さんは、浅草の観光が主な活躍場所です。

株式会社くるま屋    東京都台東区寿4丁目5-2  http://jinrikishahanbai.main.jp/
岡崎屋惣次郎  東京都台東区雷門2丁目9-2  URL http://www.okazakiya.com
株式会社プラネス  東京都台東区雷門1丁目8-1
時代屋  東京都台東区雷門2丁目3-4 http://www.asakusa-e.com/jidaiya/jidaiya.htm
えびす屋雷門店  東京都台東区浅草1丁目34-1  URL http://www.ebisuya.com
くるま屋日本橋 東京都中央区日本橋人形町2丁目1-7 URL http://www.kurumayanihonbashi.com 
日吉組  東京都中央区銀座8丁目18-3

かじ棒;俥の引き手棒。

 

3.うどん屋
 江戸時代の江戸の市中においても、うどんは一般に普及していた。特に江戸前期にはまだ麺類としてのそば(そば切り)が一般に普及しておらず、 そばがきとして食べられていたこと(麺状に切られたのが天正2年(1574)、寄進物一覧の中に「振舞ソハキリ 金永」と確認できる)から、麺類としてはうどんに人気があったようである。しかし、のちに麺類としてのそばが普及したこと、またそばとそば屋が独自の文化を育む母体となっていったこと、脚気防止のためにそばが好まれたことなどにより、うどんは江戸における麺類の主流としての地位をそばに取って代わられる。
 右写真;明治23年(1890)「屋台の蕎麦屋」江戸東京博物館蔵

 江戸の食文化は、白米が主食で、おかずは少なく白米で満腹にしていたので、これによりビタミンB1欠乏症から脚気の発症が多かった。将軍をはじめとした上層武士に脚気患者が多かった。脚気は、元禄年間に一般の武士にも発生し、やがて地方に広がり、また文化・文政期に町人にも大流行し、”江戸患い”と呼ばれた。また、酒飲みはアルコールを分解する時にビタミンB1を大量に消費するので、脚気には成りやすい。この噺の主人公も、嫌いの一言抜きに食べておいた方が自分のため、うどん屋のためでもあった。その為蕎麦を食べることによって脚気から自然と遠のくことを経験から江戸っ子は知っていたのであろう。また、蕎麦の名産地が信州等にあり、その為に江戸ではそば食いが多くなった。

 現在の関東地方は、東京都多摩地区の武蔵野(小平市、東村山市など)、埼玉県西部及び北部、群馬県などでは、「武蔵野うどん」をはじめとするうどん専門店が街中に多く美味い。平成19年(2007)度のうどんの生産量でも1位は讃岐うどんで知られる香川県だが、2位は埼玉県であり、群馬県もベスト3に入っている。これらの地域では二毛作による小麦栽培が盛んで、うどんは日常的な食事だった。

 1位 香川 60,650  2位 埼玉 22,.545  3位 群馬 15,253  4位 愛知 12,204  5位 北海道 8,958 単位トン
なお、蕎麦粉の出荷量は12万トン、うどんの生産量27万3千トンです。平成19年度。
 平成21年度で見ても、うどんは1位 香川 、2位 埼玉、3位 群馬、4位 愛知。
総合食料局消費流通課 米麦加工食品生産動態統計調査年報より
 香川県は人口で割ると、一日の内1食はうどんを食べている勘定になります。隣の県は平均値なのに香川県だけはどうしてダントツの日本一なのでしょう。埼玉にはうどんの名店が多く、わざわざ東京から車で食べに出掛けますが、何処も満員で美味い。

 

4.言葉
■戸袋;開けた雨戸を納めておくために縁側の敷居の端に設けた袋状の造作物。

香香(こうこう);香のもの。漬け物=野菜などを塩または糠(ヌカ)味噌などに漬けて、ならした食品。こうこ。

目刺し;鰯などに塩をふり、数尾ずつ竹や藁で目の所を刺し連ねて乾した食品。

ラッキョウ(薤・辣韭);ユリ科ネギ属の多年生作物。中国原産。日本でも古くから栽培。葉は細く、秋に花茎を出し、その先に球状に集まった紫色の小花をつける。冬を越して、初夏に地下に生ずる白色の短紡錘形の鱗茎は一種の臭気を有し、漬けて食用とする。ラッキョウを甘酢などで漬けたラッキョウ漬けは美味。

三千世界;われわれが住む世界の全体。須弥山(シユミセン)を中心に、日・月・四天下・四王天・三十三天・夜摩天・兜率天・楽変化天・他化自在天・梵世天などを含んだものを一世界とし、これを千個合せたものを小千世界、それを千個合せたものを中千世界とし、それを千個合せたものを大千世界とする。大千世界のことを三千大千世界ともいう。一仏の教化する範囲(一仏世界)。三千界。

おでん;大根、コンニャク、竹輪など汁をたっぷり使って煮込む。関西で言う関東煮です。関西でおでんと言えば串に刺した具に味噌を付けて食べます。

 「人情のほろびしおでん煮えにけり」 久保田万太郎
 「おでん屋に同じ淋しさおなじ唄」 岡本眸


 貴方の好きなもの有りますか。セブンイレブンのおでん。

焼き豆腐;おでん種の一つ。豆腐をあぶって焼いたもの。あぶり豆腐。

ヤツガシラ(八頭);おでん種の一つ。サトイモの一品種。親芋の肥大が早くとまり、数個の同大の子芋を生じ、これらは癒合して直径10cm余の塊をなす。芋は濃密・粘質で美味だが、収量は少ない。八頭芋。

ガンモドキ(雁擬き);おでん種の一つ。 (雁の肉に味を似せたものの意) 油揚げの一種。昔のは麩を油で揚げたもの。今のは豆腐を崩して、つなぎにヤマノイモ・卵白などを加え、細かく刻んだゴボウ・ニンジン・ギンナン・アサの実などを混ぜて丸め、油で揚げたもの。

ハンペン(半片・半平);おでん種の一つで、奥様の好物。(一説に、駿河国の料理人半平の創製による名という) 魚のすり身にヤマノイモ・澱粉などを加え、半月形・方形などに作ってゆでたり蒸したりしたもの。

セブンイレブンのおでん種、http://www.sej.co.jp/products/oden1109.html ここには上記4品は有るでしょうか。

ファミリーマートのおでん種 http://www.family.co.jp/goods/ff/oden/ ここなら有るか。




 舞台の浅草を歩く

 人力車を探しに浅草に行きます。  

 浅草に観光人力車が登場して約15年になります。最初の頃は歩道に人力車が止まっていたりしたものですが、今では路上に専用駐車場が出来て浅草雷門を中心に呼び込みが華やかに行われています。浅草という観光の地に実用的な乗り物と言うより、観光案内で裏から浅草を盛り上げています。江戸時代の高速船、猪牙舟のように目的地に行くためでは無く、屋形船や屋根船のように川からの遊覧を目的とした船があったのと同じです。

 浅草の人力車の会社は数社有って、十数台所有しているところから、個人の車夫まで入り乱れての競争激化地帯です。客引きはそれ専門の係では無く、お客さんを勧誘した者が車夫としてお客さんを乗せます。もうここから力仕事の車夫だけでは無く、人とコミュニケーションが上手く出来なければ、いつまで経ってもお客は付きません。「帰り車」だからと言う勧誘も出来ません。強く言えば「うるさい」と言って逃げられるでしょうし、柔らかく言えば、スルッと逃げられてしまいます。その呼吸が難しいのでしょう。
「連れ込むな! わたしは急に 泊まれない」(紫武都) サラ千・入賞作より。その間合いの上手さがその気にさせるのでしょう。

 二人乗りが当たり前の人力車ですが、乗っている人達のなんて幸福そうな顔なのでしょう。道中のひとときの幸せを満喫しています。二人乗りですから家族や友達同士でも楽しそうですが、恋人同士のそれは嬉しさを通り越して気恥ずかしさと”二人”と言う充実感が見る物にもひしひしと感じられます。冬ですから膝掛けに”赤ゲット”すなわち、赤い毛布を二重に掛けてもらい、幌も頭上にかかり、後は車夫任せの道行きになります。ディズニーランドのガイドのお兄さん達より、エンターテイメントとしては優れているのでは無いでしょうか。浅草の地理は勿論のこと、歴史からポイントの説明、彼らの知っている隠れた穴場や、隠れた話はお客を飽きさせません。彼らといって、車夫を一握りに話していますが、女性のそれも若い娘さん方も車夫として頑張っていますし、六十を越えた車夫も若者に負けず頑張っています。

 笑顔の中で人力車を楽しむお客さん達。

 そうそう、二人乗りですから、結婚式のイベントとして新郎新婦が俥に乗って一回りするのがトレンドのようです。私も何度か目撃していますが、車夫の他に回りに何人かの同僚が提灯を持ったり、赤い道行きの大傘を差し翳しながら行列を作っているのを見たことがあります。二人の幸せな表情が思い出されます。
 浅草寺周辺はおおむね平地で俥を引くのも楽です。最近名所の一つに数えられてきた東京SkyTreeに行くこともありますが、隅田川を越え、横十間川を渡る坂道に人力だけの車夫は汗水垂らしての大仕事になります。経営者はその汗を見るのが醍醐味だといっていますが、お客としては気が細ります。中には電動自転車ならぬ電動人力車もあるご時世です。

地図


  地図をクリックすると大きな地図になります。
 Googleマップ、空中写真「雷門」より

写真


 それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。

人力車駐車場(雷門前)
 集合して出発を待つ人力車群。写真の前方に隅田川に架かる吾妻橋があります。アサヒビールのビルの左側にはSkyTreeが見えます。
駐車禁止の補助標識に人力車を除くと入っています。

時代屋案内所(台東区雷門2-3)
 十数台の人力車と20名近い車夫を抱える老舗です。ここには大正時代や昭和のよき時代の衣装が揃っていて、それで人力車の客にも、記念撮影も出来ます。

お祭りミュージアム(台東区雷門2-3)
 浅草は1年中祭りのメッカ。その地に助成を受けてミュージアムが誕生しました。お祭り好きの血湧き肉躍る若き館長が浅草のために頑張っています。また、すてきな手ぬぐいが数多く揃っています。

客引き(雷門前)
 客引きと言えば品が無くなりますが、案内役と考えれば気もおさまります。真剣に客を納得させる表情が良い。恋もこのくらい真剣であったら、草食系は居なくなるのになぁ。
約10分コース3,000円(二人)
約30分コース8,000円(二人)

磨き込まれた人力車
 お客さんを乗せるものですから大切に扱われている、というより、商売に徹して車体を磨き込んでいます。

笑顔を送ってくれるお嬢さん
 どうしても人力車という異次元の乗り物に乗ってしまうとテンションが上がるのでしょうね。スピードがあるのにピースサインを送ってくれました。

                                                     2012年1月記

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