八代目桂文楽の噺、「しびん」(花瓶)によると
これって、我々、いえ私が知っている「しびん」というより、花瓶でしょうね。江戸時代 後期の尿瓶(薩摩焼)、今では花器として・・・。またはヤカンでしょう。水を湧かして、お茶を入れたり、お酒のお燗に使ってしまうでしょう。知る人から聞いていて良かった。
写真;左、「懐かし屋」さんより
http://www.ee-shina.com/07/post_15.html
1.この噺「しびん」は、
オチについて、「小便は出来ない」
2.馬喰町
(ばくろちょう。中央区日本橋馬喰町)
■ちょっと寄り道、江戸馬喰町の七奇異
3.言葉
■5両と20文;10両盗めば首が飛ぶ時代の5両は大金。約4〜50万円、今でも使い古されたしびんに出す金ではない。20文=約300円。
■南蛮物(なんばんもの);ポルトガル、スペインから渡ってきたもの。
■江戸砂子(えどすなご);1723年に発刊された江戸の地誌。菊岡沾涼(せんりょう)著。全6巻8冊。
右図、その中から「御本丸」についてのページ。
■漢楚軍談(かんそぐんだん);江戸中期の読本(よみほん)。明代の「西漢通俗演義」の翻訳。15巻。7巻まで夢梅軒章峰、8巻から称好軒徽庵(きあん)訳。1695年発刊された中国の軍談の仮名草紙。秦の始皇帝から漢の劉邦と楚の項羽とを主人公に、その時代の史実を簡明な読み下し文で述べたもの。中国種の軍談物の先駆。
■東錦絵(あずまにしきえ);上方の錦絵に対して、江戸で刊行された多色摺りの木版の浮世絵。江戸の名物で、鈴木春信がはじめて売り出した当初から、この名を用いた。吾妻錦絵。江戸絵。
■古流(こりゅう);生花の流儀のひとつ。古流は江戸中期頃(明和年間)に今井一志軒宗普(そうふ)によって江戸で創始されました。その後、江戸時代後期にかけて2代松応斎安藤涼宇(あんどうりょうう)、3代関松盛斎本理遊(せきもとりゆう)、その後を引き継いのが4代関本理恩(せきもとりおん)でした。 ■人参(にんじん);朝鮮人参。高麗人参。栽培は半日陰の中で四年ほど掛けた上で収穫されるが六年根も存在する。使われるのは根で、有用成分はサポニン群で、糖尿病、動脈硬化、滋養強壮に効能があり、古くから服用されてきた。また、自律神経の乱れを整える作用もある。
■横道(おうどう);正しい道からはずれたこと。よこしま。不正と知りながら行うこと。
日本橋馬喰町は何回か来た所ですが、改めてまた歩きます。
浅草橋駅から江戸通りを南にチョイと行った所に神田川(江戸城の外堀)が流れています。そこに架かっている橋が河口の柳橋から2番目の浅草橋。JR浅草橋駅にも注意書きがありますが「ここは浅草ではありません」。皆さん、いえ、極一部の方が浅草と浅草橋を間違えるのでしょうね。浅草にある橋が浅草橋ではありません。とは言っても紛らわしいのは事実です。同じように、江戸川橋があります。この橋は江戸川区(東京の最東端の区)に架かる橋のように思い地図で探し始めますが、あるのはずっと離れた都心の文京区水道、神田川に架かる橋です。
江戸通りの先に京葉道路との交差点、浅草橋交差点があります。左(東)を見れば隅田川に架かる両国橋が遠望出来ます。
江戸通り、馬喰町交差点を通り越すと、日本橋小伝馬町、その交差点を右に曲がると、お馴染みの(?)左側に牢屋敷跡があります。江戸で一番怖がられた場所ですが、今では公園になってその隣には、ここで処刑された人達の菩提を弔うためにお寺さんが建立されています。知ってか知らずか、サラリーマンや営業マンが斬首刑が行われていた牢屋敷跡の十思公園で一息ついています。あまり休んでいると、首になってしまいますよ。
馬喰町の道案内図より。江戸後期の地図も合わせて表示。 それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。
柳原(中央区日本橋馬喰町二丁目-7)
浅草橋交差点
江戸通り(中央区日本橋馬喰町一丁目)
馬喰町街中(中央区日本橋馬喰町一丁目交差点)
馬喰町交差点(中央区日本橋馬喰町一丁目)
馬喰町交差点(中央区日本橋馬喰町一丁目) 2011年10月記 |
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