落語「幽女買い」の舞台を歩く
   

 

 立川談志の噺、「幽女買い」(ゆうじょがい)によると。
 

 急に暗いような明るいような変なところに来てしまった太助、三ヶ月前に死んだはずの源兵衛に声をかけられてびっくり。

「おめえは確か三ヶ月前に死んだよな」と念を押すと、「おめえ、オレの通夜に来たろ」。
 太助が源兵衛の通夜の席で、「源兵衛は世の中にこんな助平で女郎買いの好きな奴はなくて、同じ夜に女郎を3回も買って、かみさんはあきれて子供を連れて出ていくし、これ幸いと女を次々に引きずり込んだはいいが、悪い病気をもらって、目はつぶれる鼻の障子は落ちる、借金だらけで満足な葬式もできない始末だから、どっちみち地獄堕ちは間違いない。悪いことをするとこの様になると言う見本ですから、弔いはいいかげんにして、焼いて粉にして屁で飛ばしちまおう」、とさんざん悪口を言ったのを、仏さんの源兵衛に全部聞かれていた。
 死骸がまだそこにあるうちは仏さんに全部聞こえるという。
太助は、死んだ奴がどうしてこんなところにいるのか、まだ分からない。ここは冥土だという。
「てめえも死んだからヨ」、「オレが死んだ? はてな」、「どうして死んだ」、「そう言われれば、かみさんが枕元で医者に『間違いなく死にました? 生き返らないでしょうね?・・・先生、お通夜は早めに終わらせてみんな帰しますから、あの〜、夜伺いますから・・・』なんぞと抜かしていたのを思い出した。」、「薬盛られたんだよ」、「ちきしょうめッ」と怒っても、死んでしまったら文句も付けられない。
 「ここも良いところだよ、お前の疝気も治っただろ」、「ホントだ。お前もか」、「当たり前だ」。冥土は乙なところで、暮らし方も同じだ。

 「お前はまだ足があるじゃないか」、「ここのところ飢餓や地震で亡者が多くなり、閻魔の庁でも忙しくて手が回らず、源兵衛も『未決』のまま放っておかれて3ヶ月」だという。それは浄玻璃の鏡も研ぐ時間がないため、娑婆の悪業がよく写らないのを幸い、そのうちごまかして極楽へ通ってしまう算段を聞き、太助も一口乗らせてもらうことにした。
 源兵衛は一杯ご馳走すると言い、刺身より精進料理が好きになったし、白団子を肴にするのが粋だと勧めた。
 飲み終わって、寄席に寄り道しないかいと誘われ、楽屋を訪ねた。円生さんがいて出し物を聞くと「三年目だとかお化け長屋だとか四谷怪談から真景累ケ淵までいろいろあります」。向島の旦那は「野ざらし一本で」、麹池(きくち)さんは「反魂香や、らくだですかね」、美濃部さんは「黄金餅とかお化け長屋などやります」、加藤先生は「私もお化け長屋」、田端の大将は「へえ、化け物使いやへっつい幽霊を」、円生師匠文楽さんは、「あの方は不器用ですから噺が変えられないんです、明烏ばっかりじゃ受けませんや」、前に回って見ると三平さんが前座で出ていた。

 これから遊びに行こう。四宿は死宿で、品川は死んだ川、新宿は死に宿、板橋は死んだ橋、千住は心中。こっちにも吉原ならぬ死(新)吉原があり、遊女でなく幽女買いができるので、ぜひ繰り込もうということになった。
 三枚駕籠の代わりに早桶で大門に乗りつけるのが流行っている、提灯は人魂入りで薄ぼんやり。 吉原に入ると不思議町(伏見町)、江戸町は冥土町、揚屋町はあの世町、仲之町は変えられないから仲之町。女郎はというと、張り見世からのぞくと、いやに痩せて青白い顔。ここではそれが上玉だとか。
 女が「ちょいとそこの新亡者、隠したってダメさ、額に三角の紙がついてる。あたしが看取ってあげるから。私が成仏させたあげるから〜。私で往生しな」と袖をひくのであがると「お見立ては『蓮の衣(はすのい)さん』と『線香』さんお召し替え。御初回ですが通夜は半通夜にしますか?」、「どっと陽気にいこう」、「ここでは陰気に」。芸者が上がってくると首から数珠をぶらさげ、りんと木魚で「チーン、ボーン」。幇間がまざって「えーご陰気にひとつ」と、坊主姿で百万遍。延寿の金が「ボ〜〜ン」となって、お引けになり、部屋に入ると北枕で、枕屏風は逆さまで、枕元に短刀が置いてあった。
 待っていると、襖にサラサラと髪が触れる音がして、音もなく開くと幽霊ポーズで「恨めしい」、「幽ちゃん、待ってました」。

 夜が明けると「百ヵ日も居たいよと言うと、『好きになったよ』って、女が離れねえ。『いっそ二人で生きたいね』、『生きて花実が咲くものか』、なんて、言ってやった」。
 帰りがけに喉がかわいたので、若い衆に所望すると「死に水一丁」、「旨い。『末期の水』って言うのか」、飲み干して「帰ェるよ」、「冥土ありがとうございます」。表へ出ると、
「お迎え、お迎え」。

 



1.言葉

 縁起の良い言葉をわざと冥土だからと、縁起悪い言葉に置き換えています。また、吉原の言葉が沢山出てきますので、その解説も・・・、

■浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ);くもりのない玻璃(=水晶またはガラス)。地獄の閻魔王庁で亡者の生前における善悪の所業を映し出すという鏡。昔の鏡は金属製で曇りやすく、そのつど鏡研師に研がせなければならなかった。

閻魔(えんま);地獄に堕ちる人間の生前の善悪を審判・懲罰するという地獄の主神、冥界の総司。地蔵菩薩の化身ともいう。像容は、冠・道服を着けて忿怒の相をなす。もとインドのヴェーダ神話に見える神で、最初の死者として天上の楽土に住して祖霊を支配し、後に下界を支配する死の神、地獄の王となった。地蔵信仰などと共に中国に伝わって道教と習合し、十王の一となる。閻魔王。閻魔大王。閻魔法王。広辞苑より

■三枚駕籠(さんまいかご);三枚肩ともいい、一丁の駕籠に三人の駕籠かきが付いたもの。急用のとき、または廓通いで見栄を張る場合などに雇った。四枚肩もあった。

お迎え;オチに使われた言葉ですが、娑婆からお迎えが来たのか、閻魔大王からお迎えが来たのか、どちらでしょうか。また、吉原の引手茶屋が紹介した客を、朝迎えに来る時の掛け声を、この様に掛けながら迎えに来た。
 茶屋の若い者と茶屋に戻り、軽く朝食代わりに湯豆腐で一杯飲みながら、遊んだ料金を精算した(遊んだ代金は全て茶屋で支払い)。もう解る方もいないでしょうから、新しいオチを採用したらこの噺、蘇るかも知れません。

疝気(せんき);漢方で腰腹部の疼痛の総称。特に大小腸・生殖器などの下腹部内臓の病気で、発作的に劇痛を来し反復する状態。あたはら。しらたみ。疝病。広辞苑より
 悋気(りんき)は女の苦しむ病気、疝気は男の病気と言われるように、特に男性が掛かる病気だと言われます。

四宿(ししゅく);江戸日本橋を中心に”四街道”の最初の宿場です。宿場と言っても実際は飯盛り女という名の遊女を置いた岡場所であった。吉原は公認の場所で、格式も品格も高かったが、岡場所はそれに対して気安く遊べたので人気があった。落語「四宿の屁」に詳しい。
 品川新宿(しながわ_しんしゅく)、品川区北品川〜南品川。東海道。
 新宿(しんじゅく)、新宿区新宿。甲州街道。
 板橋宿、板橋区板橋〜仲宿〜本町。中山道。
 千住宿、荒川区南千住〜足立区千住。日光街道。

新吉原(しんよしわら);現在台東区千束三・四丁目の内。新吉原と呼ばれ、江戸町、揚屋町、角町、京町、伏見町から出来ていた。古くは元和元年(1617)日本橋近くの葭原(葭町=よしちょう)に有ったのが、江戸の町の中心になってしまったので、明暦3年(1657)明暦の大火直前に、この地に移転してきた。『どの町よりか煌びやかで、陰気さは微塵もなく、明るく別天地であったと、言われ<さんざめく>との形容が合っている』と、先代円楽は言っていた。私の子供の頃、300年続いた歴史も、昭和33年3月31日(実際は一月早い2月28日)に消滅した。江戸文化の一翼をにない、幾多の歴史を刻んだ吉原だが、今はソープランド中心の性産業のメッカです。

伏見(ふしみ);大門を入って直ぐ左に入る路地があります。その道に面した所が伏見町。大見世は無く格が落ちる小見世ばかりが並んでいた。(右図;江戸切り絵図より吉原)
 仲之町、吉原大門をくぐると中央の突き当たりまで通じるメインの通り名。また、その通りに面した街。吉原の別名で”中(仲)”とも言う。
 江戸町、仲之町通り、最初の角を右に曲がると、そこが江戸町一丁目。左に曲がると江戸町二丁目。
 揚屋(あげや)、江戸町の交差点を越えて、吉原中央の交差点を右に曲がると揚屋町。
 京町、仲之町通り、最後の角を右に曲がると、そこが京町一丁目。左に曲がると京町二丁目。
 なお、五丁町(ごちょうまち)とは、江戸新吉原の五つの町を指し、江戸町一・二丁目、京町一・二丁目、角(すみ)町の総称。また、吉原の異名。

大門(おおもん);吉原に入る唯一の出入り口にあった門。江戸時代には黒塗り木造のアーチ型楼門が建設され、明治期には鉄門が築かれたが、明治44年(1911)の大火で焼失。関東大震災を機会に撤去された。

張り見世;遊郭で、娼妓が格子をめぐらした店先に居並んで客を待つこと。また吉原でも格式の低い小見世に限ったもので、三浦屋楼、角海老楼、大文字楼、稲本楼など大見世は、引手茶屋を仲介しないと、あがれない仕組みになっていて、上位花魁は格子内には出ません。

お召し替え;お色直し。何時使われるかというと・・・、客は2階に通されお見立て(指名)した妓が打ち掛けで上がってきて挨拶する。これは一般社会のお見合いの式と同じようなもので、これを引き付けという。引き付けが終わると、若い衆の「お召し替え」の声で遊女は席をはずすと、座敷が改まって、まもなく注文した肴が台屋から届き、盃も重なってくる。遊女が額仕立の常着に着替えて姿を見せる。一座が盛り上がった頃、若い衆が「あちらへ」と客を遊女の部屋に案内する。部屋には既に床が敷かれていて、客は床につきます。これを床が納まると言います。現在のスナックとホテルが一緒になったシステムです。

御初回(会);遊廓にあがり、最初の出合いを初回(会)。同じ相方に二度目の登楼を、裏を返す。三度目の登楼を馴染みと言います。格式のある大見世では馴染みにならないと遊んでくれません。それ以外の見世では初回から遊んでくれましたが。

遊女(ゆうじょ);吉原で客の相手をするプロの女性。江戸後期では3000人を越えた。冥土の遊女=幽女。

芸者と幇間(ほうかん);吉原の芸者は踊りや三味線、唄等の芸事に優れた女性で、芸者は床には入りません。「芸は売っても身体は売らぬ」の見識があった。芸事に優れた男芸者を幇間または太鼓持ちと言います。中には愚図な幇間もいますが・・・。

お引け;夜も更けて吉原の大門を閉める事。その時間。この場合は宴会も終わり個室におさまる時間。

早桶(はやおけ);死骸を入れて運ぶ座棺の桶。今のように既製品は無く、注文のたびにその場で作って、早桶屋さんで待っている間に、作られた。サイズは色々あって、男性用普通サイズ(M)は並一。小柄な人、女性用の小振りなサイズ(S)は並二。少し大きめのサイズ(L)は大一番。特に大きいサイズ(LL)は頭抜け大一番と呼ばれた。落語「付き馬」より

白団子;枕団子。死者の枕もとに供えるだんご。

 狩野一信画「五百羅漢図 六道 地獄」 芝増上寺蔵  左;第22幅 地獄の火焔を消そうと強風を送る羅漢。 右;第21幅 雲上に羅漢、その杖に捕まり脱出する亡者。

娑婆(しゃば);人間が現実に住んでいるこの世界。現世。俗世界。
 冥土(めいど)=死者の霊魂が迷い行く道。また、行きついた暗黒の世界。
 地獄(じごく)=六道の一。現世に悪業をなした者がその報いとして死後に苦果を受ける所。地下にあり、閻魔が主宰し、鬼類が罪人を呵責するという。
 極楽(ごくらく)=地獄の反対語。阿弥陀仏の居所である浄土。西方十万億土を経た所にあり、全く苦患(クゲン)のない安楽な世界で、阿弥陀仏が常に説法している。念仏行者は死後ここに行けるという。
広辞苑より

百万遍(ひゃくまんべん);弥陀の名号を百万回唱えること。多くの僧俗が集まって一つの大きな数珠を繰りまわしつつ皆で念仏を唱える法会。百万遍念仏。広辞苑より
右図;百万遍用大数珠。大数珠を広げ、その外側に座して、みんなで念仏を唱えながら、大数珠を回していく法会。

北枕で、枕屏風は逆さまで、枕元に短刀が置いて;釈迦は入滅する時北枕だったからと、人が亡くなると生前と逆の事をした、その作法。

 

2.寄席の楽屋
 談志は声色を使って楽屋風景を語っています。登場落語家は当然今は物故者で、一世を風靡した有名人です。名人がキラ星のごとくいたのが良く分かります。聞いていて、知る者については懐かしくおかしく思い出されます。

 *円生さんがいて出し物を聞くと「三年目だとかお化け長屋だとか四谷怪談から真景累ケ淵までいろいろあります」。出し物は冥土ですから、それにちなんだ演題が出てきます。
 向島の旦那は「野ざらし一本で」、=三代目春風亭柳好
 麹池(きくち)さんは「反魂香や、らくだですかね」、=八代目三笑亭可楽・麹池元吉(きくち もときち)
 美濃部さんは「黄金餅とかお化け長屋などやります」、=古今亭志ん生
 加藤先生は「私もお化け長屋」、=三代目三遊亭金馬 (普通、先生というと六代目春風亭柳橋を指す)
 田端の大将は「へえ、化け物使いやへっつい幽霊を」、=三代目桂三木助
 円生師匠、文楽さんは「あの方は不器用ですから噺が変えられないんです、明烏(あけがらす)ばっかりじゃ受けませんや」、(談志は文楽にこっぴどく叱られた事があり、それ以後、文楽の悪口には事欠かない)
 前に回って見ると三平さんが前座で出ていた。

 

3.マクラから(江戸小咄)
■みんなに死に方を聞いたら、死ぬんだったら俺は頓死(急死)だな、誰が何と言おうが頓死だ。言った彼が頓死して、ヤツの言う通りになった。さぞかし生きていたら自慢しただろう。

■隅田川で水練の達人を見た。顔を水面に付けたままず〜〜っと、海に流れるように泳いでいった。「それって、土左衛門じゃないのか」、「名前までは聞いていなかった」。

 



  舞台の吉原を歩く

 冥土の死(しん)吉原は行った事も、見てきた事もなく、また、行く事も帰る事も出来ません。道々電柱が立っているのでしょうか、無いと犬ではありませんが匂いの元をしてくる事も出来ません。今回は娑婆(しゃば)の新吉原に行く事にします。娑婆の吉原は落語家が言うには極楽だと言いますし、往生させてくれると言いますが、如何がでしょうか。
 吉原は鉄道駅から離れて、唯一の足はバスぐらいです。そのバスは何処から出ているのかも良く分かりません。いきおい、行くとすれば自分の車かタクシーぐらいになります。でも、店の名前と電話番号が分かっていると、近所の駅から電話をすれば、店の若い衆の運転で車が迎えに来てくれます。
 街を歩く”冷やかし”の客は全く見受けられませんし、車で乗り付けるお客も見掛けません。ま、
取材は昼間にしているので居ないのが当たり前かも知れません。でも、昼時のレストラン街ではランチタイムをやっているように、ここでも、昼からネオンを付けて、若い衆が玄関先に呼び込みで立っています。早朝サービスの看板があるので、やはりお客さんは昼間から通ってくるのでしょうね。よっぽど早死にしたお客なんでしょうか。

 取材費が今回も出ていないので、見世にあがって「御初会さん、どうぞ。どの妓をお見立てですか」なんて、別の世界です。その上、顔を見るのでしょうか、客引きのお兄さん達から声が掛からないのです。うれしいのか寂しいのか分かりませんが、取材には邪魔が入らずに写真撮影が出来るので助かります。だんだん私も大胆になって、通りから一軒一軒様子をうかがいながら、写真が撮れるようになりました。こんな事を自慢してどうなる事でもありませんが、店の前を抜ける時にはお兄さん達の視線を浴びるのが痛いほど分かります。

 吉原の地は吉原神社の氏子達です。その氏子達と町会は大きく括って吉原とか、千束四丁目町会とは言わず、旧町名で一単位の体制をしいています。例えば京町一丁目町会や揚屋町町会と言います。昔の流れを踏襲しているんですね。
 今の吉原は歓楽街と言うにはほど遠く、旧吉原遊廓の奥、京町一丁目はマンションや事務所が建っていて過日の面影は見られませんし、子ども達がランドセルを背負って我が家に急いでいます。現在、大門跡よりに中心は移っています。
 仲之町の通りを抜けると、右側に吉原神社、その先には国際通りに面して、11月酉の日に行われる、熊手で有名な鷲(おおとり)神社があります。通りを渡るとあの、大音寺があり、落語「悋気の火の玉」や「大坂屋花鳥」で訪ねたところです。
 

地図

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写真

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吉原江戸町一丁目
 日本堤(吉原土手)から、吉原の街に入って最初の交差点「吉原交番前」を右(北)に曲がったところ。

吉原路地
 
上記江戸町一丁目の終わるところに、揚屋町に抜ける路地があります。その路地の左右にも店が並んでいます。

吉原江戸町二丁目
 吉原交番前の交差点を左(南)に曲がると、その江戸町通りの左右がそうです。

吉原揚屋町(あげやちょう)
 仲之町通りを吉原の奥に進むと二つ目の信号(千束四丁目交差点)を右に曲がるとこの町です。

吉原角町(すみちょう)
 上記交差点を左に曲がると、この町になります。

吉原京町一丁目
 仲之町通りを奥に進み、三つ目の交差点(千束保険センター)、右側がこの町です。この角には昭和33年まで1,2を争った大見世の「角海老楼」が有ったところですが、今ではマンションが建っています。

吉原京町二丁目
  上記交差点を左に曲がるとここに出ます。

吉原仲之町通り
 吉原大門を入ると奥までメインストリートが走っています。吉原の背骨に当たる道です。その通りを京町から大門方向を見ています。

吉原神社(台東区千束三丁目20)
  仲之町通りを進むと、昔は出られなかった水道尻を抜けた、右側に鎮座しています。吉原の四隅にあった開運、九郎助、榎本、明石の各稲荷と、見返り柳のところにあった玄徳(吉徳)稲荷、吉原公園の弁天を合祀して吉原神社になった。

 

閻魔大王(法乗院、江東区深川二丁目16)
 閻魔堂に陣取る閻魔大王です。ここの閻魔はお賽銭を、合格祈願、家庭円満、交通安全、縁結びなどのコーナーに入れると、それに合った説話をしてくれます。
 ここには「浄玻璃の鏡」は無いようです。

                                                                  2011年8月記

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