「銀が落としてある」


 なにごとに対しても、正直な人を天が見捨てる訳がない。
 大坂の商人(あきんど)が、長いあいだ江戸に店をだして、一生遊んでいける位儲けて、再び大坂に帰り、楽々と暮らしていた。
 ある秋の日、その人が草花を活けて眺めていると、東の山里から、美しい紅茸(べにたけ)というキノコが送られてきた。真紅の傘で、実に旨そうだ。おりしも、近所の男がやって来て聞いた。
「おや、それはなんですか。」
主人は、ひとつからかってやろうと思って、
「これは、昔から、『王者ノ徳、草木ニ至レバ生ズ』というもので、聖人が世に出なさるときに生える霊芝(れいし)というもの。」
と言えば、近所の男は、手に取るのも恐れ多いと、ただ眺めるばかりだった。なんとも正直一途の男である。
「実は、今日お伺いしましたのは、大阪での商いがもひとつ思うようにいきませんので、ひとつ江戸に下って稼ぎたいと思いまして。あなた様は長い間、江戸においでだったので、向こうの様子もなにかとご存じと思い、尋ねて来ました。いまの時勢では、江戸ではどのような商売がよろしいやろか。」
と、その男が聞くので、
「そうですなあ、いまの時勢は銀(かね)を拾うて歩くのが、どんな商売よりもよろしいのやおませんやろか。」
と教えると、くそまじめな男は、この言葉を信じて、
「ほほう、なるほどなあ。これは他人の気の付かんことでおますなあ。ええこと聞きました。江戸へ行って、銀を拾うてきます。」と言う。
 主人は可笑しくて笑いかけたが、ま、行ってみなはれ、と道中の小遣い銭もくれてやり、その上「そちらにかせぎに下る者です。万事よろしく。」と、紹介状を江戸の知り合い宛に書いてやった。

 男は江戸に着いて、紹介された人の家の居候となり、その翌日から股引(ももひき)、脚絆(きゃはん)を身に着けて出掛け、日暮れに帰って来た。それが十日程続いたので、先方の主人も気がかりになり、
「毎日、どこへお出掛けかな。商売の相談もなさらずに・・・。」 と尋ねると、男が声をひそめて、
「ご亭主には隠さずに言いまっけども、わたいは、この江戸に銀を拾いに来ましたのや。」 と言うのだった。
 主人は腹をかかえて笑い、大坂でこの男はだまされて、はるばる江戸までやって来たのだと分かった。
「ところで、毎日出掛けて行きなさるが、銀か拾えますものかな。」 と言うと、
「こっちへ来て、昨日だけはあきまへなんだが、ほかの日は拾いましたで。銀五匁(約一万円)を拾うた日もおますし、七匁の日もおました。それに、先の折れた小刀やとか、天秤の分銅、目貫(めぬき)の片方だけなど・・・。なんやかんやで、四百種位拾いましたで。」 と言う。

  主人はびっくりした。これは、実に珍しい客人だと、近所の人達に話してみると、
「そんな事は、今までに聞いた事もなかった。が、人の言う事を信じて、はるばる大阪の地から正直にやって来たのがおもしろい。ひとつ、わざと落として、その男に拾わせてみよう。これは、後の世までの話の種になろう・・・」と相談し、皆で出し合った小判五両(七十五万円)という大金を、その男に拾わせた。
 それから、しだいにこの男は金持ちになっていった。
 ついには、日本橋きっての繁華な通町(とおりちょう)に屋敷を買い、軒を並べた持ち家にめでたく門松を立て、広い江戸で、正月を何回も迎えて栄えたという話。

 「西鶴諸国ばなし」巻五 「西鶴名作集」藤本義一著 講談社出版より

 

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