落語「山号寺号」の舞台を歩く
八代目春風亭柳枝の噺、「山号寺号」(さんごうじごう)によると。
■萬松山泉岳寺;(まんしょうざん−せんがくじ)港区高輪二丁目11番。慶長17年(1612年)に徳川家康が外桜田に門庵宗関を招いて創建。寛永18年(1641年)寛永の大火で焼失したが、徳川家光の命で、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷・今川の六大名により、現在の高輪の地で再建された。
元禄赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られ、現在も多くの参拝客が訪れる。また、毎年12月13、14日には義士祭が催される。また境内に、赤穂浪士ゆかりの品を所蔵している「赤穂義士記念館」がある。
■東叡山寛永寺;(とうえいざん−かんえいじ)台東区上野桜木一丁目にある天台宗関東総本山の寺院。東叡山寛永寺円頓院と号する。開基(創立者)は徳川家光、開山(初代住職)は天海僧正、本尊は薬師如来。
徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍15人のうち四代家綱公、五代綱吉公、八代吉宗公、十代家治公、十一代家斉公、十三代家定公の6人が寛永寺に眠る。17世紀半ばからは皇族が歴代住職を務め、日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山として近世には強大な権勢を誇ったが、慶応4年(1868年)の上野戦争で主要伽藍を焼失した。
■成田山新勝寺;(なりたさん−しんしょうじ)千葉県成田市成田1番地にある真言宗智山派の寺院。同派の大本山。本尊は不動明王。関東地方では有数の参詣人を集める著名寺院で、家内安全、交通安全などを祈る護摩祈祷のために訪れる人も多い。寺名は一般には「成田不動」あるいは単に成田山と呼ばれることが多い。
■三縁山増上寺;(さんえんざん−ぞうじょうじ)港区芝公園四丁目7番、三縁山広度院増上寺、
浄土宗の七大本山の一つ。開山は酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)上人によって、現在の千代田区紀尾井町の地に創建されました。その後、文明2年(1470)には勅願所に任ぜられるなど、関東における浄土宗教学の殿堂となった。
2.幇間 現在では東京に数名、関西には1名しかおらず絶滅寸前の職業とまで言われ、後継者の減少から伝承されてきた「お座敷芸」が失伝されつつある。古典落語では江戸・上方を問わず多くの噺に登場し、その雰囲気をうかがい知ることができる。台東区浅草にある浅草寺の本坊伝法院には1963年に建立された幇間塚がある。幇間の第一人者としては悠玄亭玉介が挙げられる。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
昔はいろんな遊び方があったんだけど、もう今は駄目だね。みんな杜用族になっちやって、自分のお金で遊ぼうなんて人はいないんだ。今の男の人は、幸せのようで幸せじやあないね。遊びの味を味わおうったって、味わえないんだから。昔は遊びっていうと、お客について、五軒も六軒も歩いて回ったもんだ。居続けなんてのも、しょっちゅうだしね。今じや、宴会の時間なんて二時間で終わりなんて最初から決められているんだから。そんなの遊びじやないよ。女中さんも、板さんも終業時間が決まっているしね。郵便局と同じだよ。味気なんてありやしない。
■一目散随徳寺;(いちもくさん_ずいとくじ)わき目もふらず(ずいとそのままにする意を寺の名めかして言った語) 後の事など構わずに跡をくらますこと。
■南無三;仏・法・僧の三宝に帰依すること。何て言う広壮な事ではなく、驚いた時や失敗した時、また事の成功を祈る時に発する語。しまった。さあ大変だ。なむさん。
■しそんじ(為損じ);やりそこなう。しそこなう。しくじる。
■高島屋さん左団次;歌舞伎役者の名跡、市川左團次(いちかわ さだんじ)のこと。屋号は高島屋。
■山号寺号;日本テレビの看板番組「笑点」の大喜利で使われる、山号寺号がこれです。「・・・さん、・・・じ」と言うのがこれです。
■紺サージ;紺色のサージ。サージ(serge)とは、元絹毛交織を指したが、主に梳毛糸(ソモウシ)を用いて綾織とした服地をいう。近来、合成繊維も使われる。無地が多い。学生服にも使われる。広辞苑
3.下谷黒門町 ■元黒門町;(もと-くろもんちょう)。台東区上野二丁目、不忍池東南に飛び出した街並みと、その南部。 ■西黒門町;(にし-くろもんちょう)。台東区西黒門町、現在の台東区上野一丁目。かつて文楽、今輔の自宅があった地。落語協会事務所(上野一丁目9−5)や講談の定席、本牧亭(上野一丁目11−9)が有ります。
■東黒門町;(ひがし-くろもんちょう)。台東区上野三丁目西側。
4.私も見付けました。
舞台の黒門町を歩く
上野公園を南に下ってくると、左手に広い中央通り、右手に不忍池東側を巡る道が出てきます。その右手の道と奥にある不忍池に挟まれたくさび形の狭い街と南側の街が元黒門町と言います。ここら一帯は映画館やホテル、劇場、飲食店が並びさながら場末の歓楽街のようです。映画館はポルノ系の成人映画が上映されています。
とことこと歩を進め、上野広小路の交差点を渡ります。目の前にお江戸上野広小路亭があって、落語芸術協会が寄席を開いています。左に松坂屋(デパート)が見えます。”洋服屋さん紺サージ”が置いてあるでしょうか。
先程の上野広小路亭側(中央通りの西側)を歩きます。次の路地から西黒門町が始まります。その次の路地角に交番があって、猫の額と言うより、ネズミの額ほどの小さな公園があります。ここを右に曲がって街中に入っていくと、左角に料理屋かと見間違う、講談の定席本牧亭があります。右先には街の名を残す黒門小学校があり、子供達が走り回っていそうなのに、校庭には誰も居ません。 表通りの中央通りに戻ります。松坂屋の店舗の切れた所から南部が東黒門町と呼ばれていた所です。路地で三つほど先で区が変わって千代田区になってしまいます。奥行きもなく、ホントに狭い一区画です。通りを渡って、東黒門町の街に入ると、安売りや呼び込みがあって、おすましの商店街と違って庶民的な街です。
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中央通りにあった案内地図より。左が北になります。
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元黒門町(台東区上野二丁目7、8&12、13、14)
西黒門町(台東区上野一丁目)
東黒門町(台東区上野三丁目13〜18&23、24) 乳母さん子大事 (以下全て、上野一〜四丁目にて)
自動車屋さんガレージ
時計屋さん今何時
洋食屋さんソーセージ
お医者さん疣痔
果物屋さん、オレンジ 2010年8月記 |