落語「山号寺号」の舞台を歩く
八代目春風亭柳枝の噺、「山号寺号」(さんごうじごう)によると。
2.幇間 現在では東京に数名、関西には1名しかおらず絶滅寸前の職業とまで言われ、後継者の減少から伝承されてきた「お座敷芸」が失伝されつつある。古典落語では江戸・上方を問わず多くの噺に登場し、その雰囲気をうかがい知ることができる。台東区浅草にある浅草寺の本坊伝法院には1963年に建立された幇間塚がある。幇間の第一人者としては悠玄亭玉介が挙げられる。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
昔はいろんな遊び方があったんだけど、もう今は駄目だね。みんな杜用族になっちやって、自分のお金で遊ぼうなんて人はいないんだ。今の男の人は、幸せのようで幸せじやあないね。遊びの味を味わおうったって、味わえないんだから。昔は遊びっていうと、お客について、五軒も六軒も歩いて回ったもんだ。居続けなんてのも、しょっちゅうだしね。今じや、宴会の時間なんて二時間で終わりなんて最初から決められているんだから。そんなの遊びじやないよ。女中さんも、板さんも終業時間が決まっているしね。郵便局と同じだよ。味気なんてありやしない。
■一目散随徳寺;(いちもくさん_ずいとくじ)わき目もふらず(ずいとそのままにする意を寺の名めかして言った語) 後の事など構わずに跡をくらますこと。
■南無三;仏・法・僧の三宝に帰依すること。何て言う広壮な事ではなく、驚いた時や失敗した時、また事の成功を祈る時に発する語。しまった。さあ大変だ。なむさん。
■しそんじ(為損じ);やりそこなう。しそこなう。しくじる。
■高島屋さん左団次;歌舞伎役者の名跡、市川左團次(いちかわ さだんじ)のこと。屋号は高島屋。
■山号寺号;日本テレビの看板番組「笑点」の大喜利で使われる、山号寺号がこれです。「・・・さん、・・・じ」と言うのがこれです。
■紺サージ;紺色のサージ。サージ(serge)とは、元絹毛交織を指したが、主に梳毛糸(ソモウシ)を用いて綾織とした服地をいう。近来、合成繊維も使われる。無地が多い。学生服にも使われる。広辞苑
3.下谷黒門町 ■元黒門町;(もと-くろもんちょう)。台東区上野二丁目、不忍池東南に飛び出した街並みと、その南部。 ■西黒門町;
■東黒門町;(ひがし-くろもんちょう)。台東区上野三丁目西側。
4.私も見付けました。
舞台の黒門町を歩く
上野公園を南に下ってくると、左手に広い中央通り、右手に不忍池東側を巡る道が出てきます。その右手の道と奥にある不忍池に挟まれたくさび形の狭い街と南側の街が元黒門町と言います。ここら一帯は映画館やホテル、劇場、飲食店が並びさながら場末の歓楽街のようです。映画館はポルノ系の成人映画が上映されています。
とことこと歩を進め、上野広小路の交差点を渡ります。目の前にお江戸上野広小路亭があって、落語芸術協会が寄席を開いています。左に松坂屋(デパート)が見えます。”洋服屋さん紺サージ”が置いてあるでしょうか。
先程の上野広小路亭側(中央通りの西側)を歩きます。次の路地から西黒門町が始まります。その次の路地角に交番があって、猫の額と言うより、ネズミの額ほどの小さな公園があります。ここを右に曲がって街中に入っていくと、左角に料理屋かと見間違う、講談の定席本牧亭があります。右先には街の名を残す黒門小学校があり、子供達が走り回っていそうなのに、校庭には誰も居ません。 表通りの中央通りに戻ります。松坂屋の店舗の切れた所から南部が東黒門町と呼ばれていた所です。路地で三つほど先で区が変わって千代田区になってしまいます。奥行きもなく、ホントに狭い一区画です。通りを渡って、東黒門町の街に入ると、安売りや呼び込みがあって、おすましの商店街と違って庶民的な街です。
中央通りにあった案内地図より。左が北になります。
それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。
元黒門町(台東区上野二丁目7、8&12、13、14)
西黒門町(台東区上野一丁目)
東黒門町(台東区上野三丁目13〜18&23、24) 乳母さん子大事 (以下全て、上野一〜四丁目にて)
自動車屋さんガレージ
時計屋さん今何時
洋食屋さんソーセージ
お医者さん疣痔
果物屋さん、オレンジ 2010年8月記 |