不忍池地図


1図.江戸時代後期の不忍池

 右(北)上部に流れ込む藍染川の流れは池畔上部を左に流れ、下に向かい、忍川として流れ出ていた。
この流域南端を池之端と言った。この時代、弁天島は東端で繋がって居るのみです。寛永寺寺領の殺生禁断の池でしたし、仏性の池ですから蓮が植えられていました。
不忍池_江戸時代

2図.明治40年の不忍池
 明治に入って、この地が公園になり北(右)側が埋め立てられて、競馬場になり不忍池を一周するスペースが出来たのです。西側に抜ける橋が架かり、池が二分されました。
不忍池_明治40年

 現在、不忍池の周りを南北に「不忍通り」が通っているが、これは明治以降に開通した新道で、それまでは池岸との間に幅7.5メートル程の小川(大下水)が流れていて、そこに架かる橋を渡らないと池畔には出られなかった。
  南の方から「三橋(みはし)」(中央通りアブアブ前三叉路辺り)、「竜門橋」(下町風俗資料館前。碑有り)、「雪見橋」(水上音楽堂辺り)、「中橋」(池之端交差点北)、「花見橋」(横山大観記念館前)、「蓮見橋」(動物園池之端門前)が有った。
台東区ホームページより一部加筆訂正

3図.現代の不忍池
現在の不忍池
不忍池に掲示されている案内板地図(方角を上図に合わせた為、逆さになっています)

全ての地図は右側が北です。

 

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