三遊亭円生の噺、「汲みたて」(くみたて)によると。
1.稽古事
稽古屋、趣味教養の音曲や踊りを習うところで、稽古屋または指南所と呼ばれた。子供達が習い事で通うのは寺子屋で、武芸などを教えるところはこの様には言わず、道場、武道館(場)などと言いました。
江戸川柳にも
■師匠;学問・技芸などを教授する人。先生。ここでは妙齢の女教師。
2.柳橋(やなぎばし)
■船遊び;夏の隅田川は両国橋を中心に、そこに流れ込む神田川に架かる柳橋の船宿から出船し楽しんだ。夜の船遊びは花火も見られ、川風に吹かれて、贅沢な納涼遊びとして風情があった。この船遊びの船の間に割り込んだのが、無粋な”くさや”の匂いのする船だったとは・・・。
写真;江戸東京博物館 両国広小路ジオラマから、猪牙舟と屋根船。
猪牙舟(ちょきぶね);奥の2隻。江戸で造られた、細長くて屋根のない、先のとがった舟。軽快で速力が早く、漁業・舟遊びまたは隅田川を上下した吉原通いの遊び船に用いられた。船底がV字形をしていたので、スピードは出たが左右に振れて乗り心地は悪かった。スピードが出るといっても、早歩き程度です。
屋根船(やねぶね);手前の2隻。江戸で、屋根のある小型の船。屋形船より小さく、一人か二人で漕ぐもの。夏は簾、冬は障子で囲って、川遊びなどに用いた。日除け船。どう言う訳か、船頭さんにチップをはずむと、スピードを出すより半刻ほど船から降りてくれた。
「東都両国橋夕涼みの図」部分 渓斎英泉画 江戸東京博物館蔵 夕涼みの図ですが何処も同じように、ばか囃子の有象無象連中と、その隣で迷惑そうにしている師匠が居ます。12.07追加
3.肥船
「屎(し)尿着船場」 砂町下水処理場(江東区新砂3-9。現・砂町水再生センター)では昭和28~57年まで船からくみ上げた屎尿を処理していた。
「TOKYO・下水道物語」 東京都下水道局発行より。
江戸時代の肥船は、こんな大きな船ではなく荷足船(下記図)のような和船で、肥樽を並べたり、液体を移し替えて運んでいました。この肥(こえ)が野菜作りの貴重な肥料になった。江戸市中からお金を出して集めてきたものですから、金肥とも言われた大事なものです。
肥船、この資料は大変少なく、探すのに往生しましたが、ましてや浮世絵には残っていません。そうでしょうね、浮世絵って記録を残すものではなく、売り物で商品ですから、誰も買わない絵なぞ、誰も描かなかったのでしょう。また、下水道局にもその資料はないと言います。
人肥としては、下水が発達しない終戦後まで、お百姓さんが汲み取りに来ていました。その後は清掃局がバキュームカーで吸い取りに来ました。その収集したものを上記写真の船に積み替え、処理場まで運ばれたのです。当時一部は大型船で外洋投棄も行われていました。
右写真;当時の肥桶を模して復元されたものです。30リットル入りの桶で前後合わせて60kg近くあった。これが標準ですから、当時の人は力持ちだった。
4.言葉
■建具屋;部屋を区切るために取り付ける戸・障子・襖などを建具と言い、それを作る商売。それを作る職人。
■立て膝;片膝を立てて座ること。着物姿の女性は通常下着を着けていなかった為、立て膝をすると男心をくすぐった。
■有象無象(うぞうむぞう);宇宙にある有形・無形の一切の物。森羅万象。なんて高尚なものではなく、世にいくらでもある種々雑多なつまらない人々。
■糞を食らえ;やけを起したり、相手の言動をののしりかえしたりして言う語。糞食らえ。 舞台の柳橋を歩く
師匠一行が納涼の為、船に乗ったのがここ柳橋の船宿です。柳橋の船宿と言えば忘れてはいけない、落語「船徳」です。遊びすぎて勘当され、ここの船宿で船頭見習いから船頭に腕を上げた徳さんですが、まさか、師匠一行の船を船頭として徳さんが櫓を操ったのではないでしょうね。涼むどころか冷や汗ものです。でも、有象無象にしてみれば面白くてしょうがない、かもしれませんね。 今の神田川は、刑務所のコンクリート塀の様に切り立った薄っぺらい土手が両岸に建っています。見ようによっては、まるで川に落ちない為のコンクリート手摺りです。ですから、趣があるような船宿はありません。最上階に入口があって、その下に事務所兼倉庫のような小さな部屋があります。その下には水面に桟橋が船宿ごとにあります。江戸時代のように、船宿を逢い引き宿のように使った、なんて事は現在あり得ません。船宿はその他にも、恋文の中継所に使われたり、遊び着に着替えるロッカーの役もこなしていました。お馴染みさんになると、いろいろ融通を利かしてくれていたのでしょう。船宿ばかりでなく、馴染みの飲み屋さんでも無理を聞いてくれる事があります。馴染みの強さですよね。船でも、心付けの多寡によって船頭が気を利かせて居なくなるなんて事もなくなりました。また、禁じられた船頭と芸者だけの二人だけで乗る”二人船”も言葉だけで、文字通り過去の事になりました。
今、船宿はここ柳橋だけでなく、各河川の両岸や湾岸地帯にも多くの船宿があります。釣り船を出すのがメインだったのが、いつの頃からでしょうか屋形船が主流になってしまいました。どこでも料金は同じようなものですから、会社からまたは交通が便利な所から乗船してしまいます。 それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。 |