落語「ぜんざい公社」の舞台を歩く
この噺はいろいろな噺家さんが演じています。噺の内容も、同じ噺家さんでも、その時々の時事ネタや話題を取り入れてギャグ満載にして客席を笑わせています。この時の落語会は、スゴい名前の会で、「行政改革名人会」の高座からで、さん光改め権太楼襲名の直前の生きのイイ噺です。今回の噺も中曽根康弘や土光敏夫さんが出てきたりその時代の背景が見えてきます。昭和57年7月の録音です。同じ噺家さんでも落語の舞台は公演会場に設定したり、その場でヨイショが出来る場所を設定しています。で、特定の舞台はありませんがこの噺の舞台で歩きます。
タイトルからも分かるように、元は上方の三代目桂文三(1858-1917年。享年57歳)が作った「改良善哉」といった新作落語で、戦後になり、サゲと「ぜんざい公社」というタイトルへ改められた。東西の多くの演者が演じています。いつになっても、公務員というのは・・・。
1.公社(こうしゃ)
3.中曽根康弘
(なかそね やすひろ)
■土光敏夫 (どこう としお);(明治29年(1896)9月15日〜昭和63年(1988)8月4日)、昭和時代の男性エンジニア、実業家、財界人。第4代経済団体連合会(経団連)会長。昭和56年(1981)には鈴木善幸首相、中曽根康弘行政管理庁長官に請われて第二次臨時行政調査(臨調)会長に就任。行財政改革答申をまとめ「増税なき財政再建」「三公社民営化」などの路線を打ち出し、さらに昭和61年(1986)までは臨時行政改革推進審議会の会長を務め、行政改革の先頭に立った。謹厳実直な人柄と余人の追随を許さない抜群の行動力、そして質素な生活から、「ミスター合理化」「めざしの土光さん」の異名で人気があった。
4.言葉
■ホテルニュージャパン;千代田区永田町二丁目13 のホテルニュージャパンで起こった火災で閉館。昭和57年(1982)2月8日3時半ごろに火災が発生。主に火元の9階と10階を中心に同日12時半頃まで9時間にわたって燃え続けた。炎は7階にまで達しており、延焼面積は約4,200平方メートルに達した。ホテルの宿泊客を中心に死者33名・負傷者34名を出す大惨事となった。東京消防庁の調べでは、出火の原因は9階938号室に宿泊していたイギリス人の男性宿泊客の寝タバコが原因であった。廊下での焼死など火災による死者が多かったが、有害ガスを含んだ煙から逃れる為に窓から飛び降りて命を落とした人も13人いた。なお、9階と10階の生存者の中には火災で非常口からの避難が出来ず、シーツをロープ替わりにして窓から下の階へ避難した者や消防隊に救出された者もいた。その後十数年間、惨状を残したまま放置された。オーナー社長の横井英樹は平成5年(1993)11月25日最高裁で業務上過失致死傷罪で、禁錮3年の実刑判決が確定した。
■食料統制令によって認可証;戦後の「食糧管理法」施行規則の改正により、米麦等の輸送を禁止する規定が設けられ、さらに、「物価統制令」、臨時物資需給調整法が施行されて、物価の統制及び物資の配給統制が本格した。あまりにタイミングが悪すぎる冷害と、闇市という不法流通によって攻撃の対象となった。
■火気使用許可書;催事、内装工事、建設現場などで、火気の使用者は事前に担当者に火気の使用とその許可を取ります。
■詐欺罪(さぎざい)になって小菅刑務所に;詐欺罪は刑法の中で規定されている246条1項、2項。250条によって未遂も罰せられる。詐欺罪とは、人を欺いて財物を交付させたり、財産上不法の利益を得ること、または他人にこれを得させることにより成立する犯罪のこと。
舞台の赤坂を歩く
東西に走る外堀通りをはさんで、北側が永田町、そうです、国会議事堂や議員会館、首相官邸があり、ホテルニュージャパン跡もここにあります。南側は赤坂で、赤坂の料亭やTBS(東京放送)、飲食店街等があって賑わっています。
先ずは地下鉄永田町で降ります。毎回の事なんですが、地下から地上に出ると、今どこに出たのか、方向はどっちなのかが分からなくなってしまいます。車や地上を走る電車ならしっかりと把握できるのに困ったものです。まるで夏の海水浴場で目隠しされて、2〜3回まわされてからスイカ割りするのと似ています。
ま、それはさて置き、国会議事堂に向かって歩き出します。ほらほら、もう間違っている。ホントは赤坂見附の交差点に行くつもりだったのです。地図は頭の中に入っているのですが、頭の中の地図が、写真の裏焼き状態になっています。
普通は外堀通りの正面からはいるのが礼儀(?)なのでしょうが、今回は裏側の男坂の階段を登り、境内に出ます。手摺りもなく急勾配な石段は私だけでなく参詣者泣かせです。今までの雑踏を離れて、こんな静かな領域が有るなんて不思議なような有り難いような心安まる領域で、自然と手が合わさります。
日比谷高校脇の裏道を通ってメキシコ大使館の前に出ました。変なコースを歩いていますが、この辺でやっと裏焼き状態から地面に足がついた歩き方が出来るようになってきました。元の永田町の駅に戻ってきました。地下鉄永田町の駅って3路線が入っていて、その上、2路線が合流する赤坂見附駅まで地下で繋がっています。地下鉄音痴の言い訳ですが、地下地図が出ていますが、地上の状態が掴みにくいのです。
青山通りを西に進むと左手に鬱蒼とした茂みの中に、両院の議長公邸があります。右側には赤坂プリンスホテルやホテルニューオータニの高層ホテルが建ち並んでいます。正面に赤坂見附交差点が坂の下に見えます。
先ほどの表通り、外堀通りに出ると、正面に先ほどの日枝神社(山王様)の正面鳥居が建っています。そこから左を見ると高層の白っぽいビルがプルデンシャルタワーです。そこがホテルニュージャパンが有ったところです。
ホテルニュージャパン地下フロアには高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」があり、こちらも豪勢ではあったものの、火事と共に無くなってしまいました。別の所で営業したいた様ですが、私は解りません。そうそう、ここでプロレスの力道山が刺され、死亡の直接原因を作ったところです。
地図
写真
赤坂見附交差点
(青山通りと外堀通りの交差点)
赤坂裏通り(港区赤坂3−10辺り)
日枝神社(千代田区永田町2−10)
ニュージャパン跡(千代田区永田町2−13プルデンシャルタワー)
メキシコ大使館(千代田区永田町2−15) |
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