落語「干物箱」の舞台を歩く
八代目桂文楽の噺、「干物箱」(ひものばこ)によると。
遊び好きの若旦那(銀之助)は返りが遅いから、いえ、帰ってこないから、どこに行くにも小言で送り出される。風呂に行くと出てきたが、遊びに行きたくてしょうがない。
頼み事があって善公の家に出掛けて来た。声色が上手いと評判で、ある時亀清で、「石町の旦那とお宅の旦那がいる所で、貴方の声色を使ったら本人と間違われた」。親父が騙されたくらいだから上手さは分かるので、ひとつ相談に乗って欲しい、ときりだした。
「花魁の所に行って声色を使って騙して楽しむんでしょう。」、「そうじゃなくて、家に行って親父を安心させてほしいんだ。」、「一緒に行けるんじゃないですか。」、「いやなら、羽織と10円付けて他の奴に頼むから。」、「分かりましたよ。やりますよ。家に行きましょう」。
善公声色で「今帰りました。」、「お帰り。早く寝なさいよ」。完全に騙されている親父だった。一緒に行けない愚痴を言いながらも、若旦那を送り出して、コソコソと2階に上がってしまった。
下から親父が「今朝方いただいた干物は何の干物だった?」、そんな話は打ち合わせていないので、ドギマギする善公であった。「どこにしまったのだ」、「う〜、、、干物箱です。」、「家にはそんな箱は無いよ。」、「では下駄箱でしょう。」、「おいおい、食べ物だよ」、「おやすみなさい」。
「なにか鼠が走っているようだ、見ておくれ」、「・・・」、「私がするから、イイ!」。わぁ〜、羽織抱えて逃げ出したくなった善公であった。若旦那は今頃吉原で楽しんでいるだろうな、と思うとガッカリするだけであった。
まだ寝ることも出来ないので、花魁から来た手紙を盗み見ると、『・・・あの善公は嫌な奴で、こないだは汚き越中褌を忘れて行った。その褌は鼠のケマンのようで、(そう言えば、紐が丸まってほどけないので切ってしまい、布団の下に丸め込んでおいたんだ)翌日布団を上げると臭気甚だしく、仲の町まで匂い(そんなとこまで匂うか)角町・揚屋町まで大評判、衛生係が出張し、石炭酸もよほどの散財、嗚呼嫌な奴。』、「なんで褌忘れたぐらいでこんなに書かれなくてはいけないんだ。こっちは客だぞ!」と、つい声が大きくなる。
その騒ぎを聞いていた旦那は一人ではないと思い、2階に上がってきて、善公の身がばれてしまった。
「お〜ぃ、善公。お〜ぃ、忘れモンだよ。」ドンドンドン「お〜ぃ、洋ダンスの引出し、紙入れ。紙入れ忘れたよ。放っておくれよ。善公。」、
「銀之助。どこをノソノソ歩いてる!」、
「あはは、善公は器用だな。親父そっくり」。
1.「亀清」(かめせい)
現在も台東区柳橋にある料亭「亀清楼」(台東区柳橋1丁目1−4)
。
この亀清楼をはじめ柳橋の料亭の多くは隅田川の川岸に建っていた。しかし、目の前の川岸はコンクリートの護岸で目隠しされて、川面が望めなくなってしまった。亀清楼を残して、川岸の料亭は廃業して事務所ビルが建ち並んでしまった。
昭和36年を最後に、両国の花火が中止になってしまったのも、隅田川は公害で汚れ、交通渋滞が原因で花火どころでは無いというのが理由でしたが、実はそうではなく、あの花火の総費用を柳橋の花柳界で持っていたのです。川面が見られる時はよかったのですが、現在のように壁で目隠しされたらお客さんも来ません。それで費用負担に耐えかねて中止になったと言います。
現在は隅田川花火大会と名を変え上流に移り、昭和53年から約1億五千万円の費用を東京都と近隣の区で約1億円を負担しています。残りをTVの中継料や企業スポンサーに頼って、開催されています。
高級料亭「明治はじめの万八楼」現在の亀清です。 開化写真鏡〜写真からみる幕末から明治へ〜大和書房刊 落語「そば清」にも万八楼の説明があります。 2011.8.追加
「幕末の万八楼雪景色」鹿鳴館秘蔵写真帖より 季節は違いますが落語「船徳」の徳さんがへっぴり腰で、ここ隅田川に出ると船を3回廻してから上流の大桟橋に向かいました。 2011.8.写真追加
2.石町さん
「石町」(こくちょう)は、日本橋本石町の略。ここは大店が軒を並べていた所で、そこの大旦那さんです。現在日本銀行本店を中心に、隣の日本橋室町には三越本店、三井グループの銀行等が並んでいます。
今でも大店ばかりです。
3.けまん【華鬘】
仏前を荘厳にするために、仏堂内陣の欄間などにかける装飾。もとインドの風俗として男女の身体を装飾するために生花の花輪を用いたものであったが、転じて仏具となった。多くは金銅製で、稀に革などで作り、花鳥などを透かし彫りにする。
ここでは、鼠が掛けるような、汚れたけまんのようになったふんどしと言う意味。
右写真;けまん。写真をクリックすると大きくなります。
■干物箱;残念ながらどこを探しても干物箱の現物は見当たりませんでした。
あ、それから、この温気の時季に干物を下駄箱にしまってはいけません。親父さんが言っているように食べ物ですからね。バイ菌より変な匂いが移って全てクサヤになってしまいます。
それから、下駄を知らない人も、下駄を持っていない人も、靴をしまうのは「下駄箱」。これだけ言葉が新しくなって、使用目的から離れても未だ下駄箱。靴箱とかシューズボックスとか何か良い言葉はないものでしょうか。
4.吉原
江戸切り絵図を見ていただけると良く分かるのですが、入口は右側の衣紋坂(五十間道。田と書かれている下)を通り大門(おおもん)をくぐります。そこが吉原遊郭。遊郭の回りはお歯黒ドブで囲まれていて、出入り口は通常大門だけです。
中央に伸びた道沿いを仲町(仲之町)といい、一番繁華な所でメインストリートです。突き当たりが水道尻。左右に伸びた路が手前から江戸町(丁)一丁目、二丁目。真ん中の路が揚屋町、角町。奥の路地に京町一丁目、二丁目があります。
善公の臭気は楼閣から漏れて、中央の仲之町に匂ったというすさまじさです。その話が左右の揚屋町、角町でささやかれ、大評判になったといわれます。ホントに手紙に書く事ではなく、当人にしてみれば声が大きくなるのは当然の事です。
旦那に怒られた上、衛生班が出たなんて・・・。
■石炭酸;フェノール。分子式 C6H5OH
フェノール類の代表的なもの。特有の臭気をもつ無色の結晶。有毒。水に少し溶け、弱い酸性を示す。アルカリと塩(えん)をつくる。コールタールの分留により得られる。殺菌・防腐剤、フェノール樹脂・サリチル酸・染料などの製造原料に用いる。消毒液としてクレゾールがあり、消毒薬・防腐剤に使用。
5.声色(こわいろ、声帯模写、ものまね)
他人の声をまねて楽しむ事。またはその芸。落語協会では鯉川のぼる、ひびき わたる、がいます。物まねでは江戸屋子猫、招き猫が活躍しています。ほかにも芸能界では清水明、コロッケ、清水
ミチコさん達が活躍しています。
舞台の柳橋を歩く
柳橋は隅田川に合流する神田川の最後の橋で、両国橋西岸から北に入る小道を歩けば直ぐに柳橋に出ます。柳橋の上から左を見れば屋形船と船宿がずらりと並んでいます。落語「船徳」で徳さんが居候していた船宿です。左前方に見える橋が浅草橋で、柳橋から右を見れば、橋の下には屋形船、後方には両国橋が見えます。
柳橋右前方には赤茶色の大きなビル、亀清楼があります。低層階は亀清楼で、上層階はマンションになっています。ここで石町の旦那と銀之助の親父さんが一杯やりながら楽しんでいたのでしょう。幇間善公は声色を使って座を盛り上げていたのでしょう。
隅田川岸に沿った道は大きなビルに遮られて、右手の隅田川を直に見ることも出ることも出来ません。その先のJR総武線の高架が見えてきますが、その手前右側に小さな見過ごしてしまいそうな祠があります。その祠が「石塚稲荷神社」で稲荷のいきさつの説明はどこにもありませんが、揚額の肩書きに火伏せと入っています。玉垣や門柱に柳橋花柳組合の文字が読めます。花柳界の守り神様なのでしょう。
JRの高架をくぐり、コンクリート土手に出られる入口を発見。ここから階段を上って、薄い土手の上から初めて広々とした隅田川の流れを見ることが出来ます。降りるとそこはテラスになっていて、両国橋の方まで繋がっているように見えますが、合流する神田川までの静かな洒落たテラスです。
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2008年8月記
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