「青空文庫」三遊亭圓朝 http://www.aozora.gr.jp/cards/000989/files/351.html より転載

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業平文治漂流奇談

三遊亭圓朝

十三〜十七話

 

  十三

 申続(もうしつゞ)きましたる浪島文治郎は、大伴蟠龍軒と掛合になり、只管(ひたすら)柔かに下から縋(すが)って掛合ますると、向うは元より文治郎が来たらば嬲(なぶ)って恥辱を与えて返そうと企(たく)んで居(お)る処でございますから、悪口(あっこう)のみならず盃を取って文治郎の額(ひたえ)に投付けましたから、眉間(みけん)へ三日月形(なり)の傷が出来、ポタリ/\と染め帷子へ血の落ちるのを見ますると、真赤になり、常は虎も引裂(ひっさ)く程の剛敵なる気性の文治郎ゆえ、捨置き難(がた)き奴、彼を助けて置かば、此の道場へ稽古に来る近所の旗下(はたもと)の次男三男も此の悪事に染り、何(ど)の様なる悪事を仕出(しいだ)すか知れぬ此の大伴蟠龍軒を助けて置く時は天下の為にならぬから、彼を討って天下の為衆人の為に後(のち)の害を除こうと、癇癖に障りましたから兼元の刀へ手を掛けようと身を動かすと、水色の帷子に映りましたのは前月(あとげつ)母が戒めました「母」という字の刺青(ほりもの)を見て、あゝ悪い処へ掛合に来た、母が食を止めて餓死するというまでの強意見(こわいけん)、向後(こうご)喧嘩口論を致し、或(あるい)は抜身の中へ割って這入り、傷を受けることがあらば母の身体へ傷を付けたるも同じである、以後慎め、短慮功を為さずと此の二の腕へ母が刺青を為したは、私(わし)が為を思召しての訳、其の母の慈悲を忘れ、義によって斯様(かよう)なる処へ掛合に来て、父母の遺体へ傷を付けるのは済まぬ事である、母へ対して済まぬから此処(こゝ)は此の儘(まゝ)帰って、母を見送ったる後(のち)は彼等兄弟は助けては置かれぬと、癇癖をこう無理に押え付けて耐(こら)えまするは切(せつ)ないことでございます。尚更此方(こっち)は高ぶりまして、
 蟠「やい/\此処(こゝ)を何処(どこ)と心得て居(お)る、大伴蟠龍軒の道場へ来て、手前達が腕を突張(つっぱ)り、弱い町人や老人を威(おど)かして侠客の男達(おとこだて)のと云う訳にはいかぬ、苟(かりそ)めにも旗下(はたもと)の次男三男の指南をする大伴蟠龍軒を何(なん)と心得る、帰れ/\」
 門弟がつか/\と来て、「さア帰らっしゃい、強情を張ると却(かえ)って先生の癇癖に障るから帰れ/\」
 さき「誠に有難うございます、あなた方の前では此の通りでございます、小さくなって碌に口もきけませんが、私のような弱い婆(ばゞあ)の前では、咽喉(のど)をしめるの何(なん)のと云って脅しました、先生の前では何(なん)とも云えまい、咽喉をしめるなら締めて見ろ」
 和田原安兵衞というのが「帰れ/\」と云いながら文治郎の手を取って引こうとすると、七人力あるから中々動きません。
 安「何(なん)だ、帰らぬかえ」
 文「先生、文治郎が能く事柄も弁(わきま)えませずに斯(かゝ)るお席へ参り、不行届(ふゆきとゞき)の儀を申上げて、却ってお腹立の増すことに相成(あいなり)重々恐入ってござる、此のお詫言(わびごと)には重ねて参りますから左様御承知下され」
 とずっと後(あと)へ下(さが)って、兼元の脇差を左の手に提げたなりで玄関から下りようとすると、文治郎の柾の駒下駄が外に投(ほう)り出して、犬の糞(くそ)などが付けてあります。尚々(なお/\)癇癖に障りますが、跣足(はだし)で其処(そこ)を出(い)で、近辺で履物(はきもの)を借り、宅へ帰ったのは只今の七時頃でございます、母は心配して待って居ります。文治郎は中の口から上りますると、森松も案じて、
 森「余(あんま)り帰(けえ)りが遅いから様子を聞きに行(ゆ)こうと思って居りました、お母(っか)さんの前(めえ)は仕方がねえから、前橋(めえばし)の新兵衞さんが来て海老屋で一猪口(いっちょく)始まって居りやすと云って置きやした、蟠龍軒は驚いて直ぐに極(きま)りが付きやしたろう」
 文「心配せんでも宜しい、お母(っか)さまに鳥渡(ちょっと)お目に懸ろう」
 母「文治が帰ったようではないか」
 森「お帰(けえ)りでございます」
 母「さア此方(こっち)へお這入り」
 文「御免下さい、大きに遅なわりました、松屋新兵衞も御機嫌を伺います筈でございますが、繁多(はんた)でございまして、存じながら御無沙汰になりました、宜しく申上げてくれるようにと申し、大きに馳走になりました」
 母「大分(だいぶ)遅いから案じて居ったが、あの人は堅いからお前に助けられた恩を忘れず、江戸へ出さえすれば再度訪ねてくれます、殊に毎度手紙を贈ってくれて、あゝ云う人と遊んで居(お)ると心配はありません、直ぐにお帰りかえ」
 文「直ぐに宿屋まで帰りました」
 母「それは宜かった、お前の帰りが遅いと案じて居(お)る……文治郎お前の額(ひたえ)は」
 文「エ……」
 母「余程の疵だ、又喧嘩をしたのう」
 文「いえ喧嘩ではございません、つい曲り角でそげ竹を担(かつ)いで居(お)る者に出逢い、突掛(つきかゝ)りました、無礼な奴と申し叱りました処が、詫を致しますから捨置きました」
 母「いえ/\竹の疵ではない、お前の帰りが遅いから心配していた、つい先月お前の二の腕に刺青(ほりもの)をしてお父様(とっさま)に代って私が意見をしたのを忘れておしまいか、お前は性来(せいらい)で人と喧嘩をするが、短慮功を為さずと云うお父様の御遺言(ごゆいごん)を忘れたか、母の誡(いまし)めも忘れて、額(ひたい)へ疵を拵えて来るような乱暴の者では致し方がない」
 文「いえ/\中々喧嘩口論などは彼(あ)の後(ご)は懲りて他(よそ)へも出ませんくらいでございますから決して致しません」
 母「いゝえなりません、男親なら手討にする処私も武士の家に生れ、浪島の家へ嫁(かたづ)きましたが、親父様(おやじさま)のない後(のち)は私がなり代って仕置をしなければならぬ、何(なん)のことだか血の流るゝ程面部へ傷を付けて来るとは怪(け)しからぬ、其の方の身体ではあるまい、母の身体であるぞ、其の母の身体へ傷を拵えて来るのは其の方が手を下(おろ)さずとも母の身体へ其の方が傷を付けたのも同じこと、又先方の者を手前が斬って来た様子」
 文「どう致しまして、なか/\人を害すようなことは先頃から致しません」
 母「いゝえ成りません、顔の色が青ざめて唇の色まで変って居(お)る、先方の人を殺さなければ、これから斬込むという様子、若(も)し未(ま)だ殺さなければ母の身体に傷を付けた者を何(な)ぜ斬らぬ、母の敵(かたき)と云って直ぐ斬ったろう」
 文「へー……」
 文治郎は癇癖に障った処へ聞取(きゝとり)を違いまするのは、成程自分の身体は母の身体である、あゝ母の身体へ傷を付けた大伴兄弟を捨置いて其の儘帰ったのは自分の過(あやま)りである、よし/\今晩大伴蟠龍軒の道場へ斬込んで、皆殺しにしてやろうと云う念が起りました。これは聞き様の悪いので、母親は其の心持ではない、文治郎を戒める為にうっかり云いましたことを、此方(こちら)は怒(おこ)っているから聞違えたのでございます。母は立腹致しまして、
 母「次の間へいって慎(つゝし)んで居れ」
 文「へー」
 と文治郎は次の間へ来て慎んで居りましたが、腹の中(うち)では今晩大伴の道場へ踏込んで兄弟を殺し、あゝ云う悪人の臓腑はどういうものか臓腑を引摺り出してやろうと考えて居(お)る。母は文治郎が人を斬って来た様子もないが、今夜抜け出されては困ると思って、
 母「文治、少し気分が悪いから枕もとにいて下さい」
 文「へー、お脊中でも擦(さす)りましょうか」
 母「はい、来て脊中を擦って下さい、そうして読掛けた本を枕もとで読んで下さい」
 仕方がないから本を読んで居りますと、母はすや/\寝るようでございますから抜け出そうとすると、
 母「文治、何処(どこ)へ行(ゆ)きます」
 文「鳥渡(ちょっと)お湯を飲みとうございますから次の間へ参ります」
 母「私もお湯を飲みたいから此処(こゝ)へ持って来て下さい」
 と云う。又少したって寝たようだから抜けようとすると文治々々と呼びます。夜徹(よどお)し起します。昼は文治郎を出さぬように付いて居りますから、仕方なく七日八日過(すご)します。母も其の中(うち)には文治郎の気が折れて来るだろうと思って居りました。お話し二つに分れまして、蟠龍軒はお村を欺き取って弟の妾にして、御新造(ごしんぞ)とも云われず妾ともつかず母諸共(もろとも)に此(こゝ)に引取られて居ります。兄蟠龍軒は別間(べつま)に居りましたが、夕方になりましたから庭へ水を打って、涼んで居ります処へ来たのは阿部忠五郎という男でございます。七つ過ぎの黒の羽織にお納戸献上の帯を締め耳抉(みゝくじ)りを差して居ります。
 忠「誠に存外御無沙汰を致しました、どうも酷(きび)しいことでございます」
 蟠「これは能く来た、誠に暑いことで、先頃は色々お世話になりました」
 忠「先頃は度々(たび/\)お心遣いを頂戴致して相済まぬことで、あゝ首尾好(よ)く行(ゆ)こうとは心得ません、お村さんは御舎弟さまの御新造さまとお取極(とりきま)りになったのでございますか」
 蟠「何処(どこ)からも臀(しり)も宮(みや)も来ず、友之助は三百両持って取りに来ようという気遣いもない、先(ま)ず私(わし)も一と安心した」
 忠「御舎弟様の奥様が極って、お兄(あにい)様の奥様は何か極(きま)ったものはありませんか」
 蟠「どうも小意気なものは剣術遣(つか)いの女房になる者はない」
 忠「昨年の暮浪人者の娘を掛合に往(い)った処が、御門弟を辱(はじ)しめて帰したことがございましたが、彼(あ)の儘でございますか」
 蟠「あれは彼(あ)の儘だ」
 忠「御門弟の方に聞きました処が、脇から妙な者が出て来て、先生のことを馬鹿士(ばかざむらい)とか申したと云って御門弟が残念がって居りました」
 蟠「丁度好(よ)い幸いだ、貴公が来たのは妙だ、貴公の姿(なり)の拵えなら至極妙だ、少し折入(おりい)って頼みたいことがある、今に秋田穗庵が来るから穗庵から細かいことを聞いて、彼(あ)の浪人者の処へ往ってくれまいか」
 忠「何処(どこ)でございます」
 蟠「松倉町二丁目の葛西屋(かさいや)という蝋燭屋(ろうそくや)の裏に小野庄左衞門という者がある、其の娘を貰おうとした処が、私(わし)のことを馬鹿士とか何(なん)とか云ったが其の儘になって居(お)る」
 忠「能く御辛抱でございましたねえ」
 蟠「そこで仕返しをすると他(た)の人がやっても私(わし)のせいになるから、そんな小さい処へ取合わんで、時たってからと思って居った処が、去年の五月から今まで経(た)ったから丁度宜しい」
 忠「へー、あの時お腹立になれば仮令(たとえ)他(ほか)でやっても貴方がしたと思いますが、それを今までお捨置(すておき)は恐入りますねえ、どう云う事になります」
 蟠「貴公が医者の積(つも)りで往ってくれんではいかぬ」
 忠「何処(どこ)へ」
 蟠「浪人者が眼が悪い、三年越しの眼病で居(お)るから、秋田穗庵が薬をやって居(お)る、そこへ貴公が往って向うが内職に筆耕を書くから、親から譲られた書物を版本にしたいから筆耕を書いてくれというと、向(むこう)は目が悪いから、折角の頼みだが目が悪いから書けないという、私(わし)は医者だ、眼病には家法で妙な薬を知って居(お)るが、何処の医者に掛って居(お)るかというと向うで秋田穗庵に掛ったという時蔑(けな)すのだ、彼(あれ)は藪(やぶ)医者でいかぬ、私(わし)の家伝に妙な薬があるからやる、礼はいらぬたゞやると云う、たゞは貰えぬと云うから、そんなら癒(なお)ったら書物を書いて貰いたいという、そこで目を治させるという情(じょう)の処でやるのだ」
 忠「成程、恐入りましたねえ、仇(あだ)のある者に仇を復(か)えさず、仇を恩で復えして置いて、娘を己(おれ)の処へ嫁にくれぬかというと、向うで感心して、手付かず貰えますな」
 蟠「そうではない、向うでも中々学問のある奴だから答が出来んではならぬ、それは穗庵に聞いて薬もあるが、早稲田(わせだ)に鴨川壽仙(かもがわじゅせん)という針医がある、其の医者が一本の針を眼の側(わき)へ打つと、其処(そこ)から膿(のう)が出て直ぐ治る、丁度今日行(ゆ)けば施しにたゞ打ってくれる、目は一時(いっとき)を争うから直ぐ行くが宜しい、私(わし)が手紙を書いても宜しいが、施しだからお出(いで)なさいというと、勧めによってひょこ/\出て行くだろう、処が鴨川壽仙は浅草山の宿(しゅく)へ越したから、それを知らずに早稲田まで行くと空しくなる、これから貴公が往って勧めて早稲田まで行くと夜遅くなり、お茶の水辺りへ来ると、九ツになる、其処(そこ)へ私が待合(まちあわ)せて真二(まっぷた)つにするという趣向はどうだ」
 忠「是は御免を蒙(こうむ)りましょう、先生は御遺恨があるか知れませんが、私(わたくし)は遺恨はございませんから、一刀の下(もと)に斬って捨るのを心得て呼出すのは難儀でございます」
 蟠「貴公が殺すのではない、私(わし)が殺すのだ」
 忠「殺すのではございませんが、蛇が出た時あゝ蛇が出たと云うと、殺した奴より教えた奴に取付くと云いますから止しましょう」
 蟠「そんなら廃(よ)せ、首尾好(よ)く行(ゆ)けば、先達(せんだっ)て貴公が欲しいと云った脊割羽織(せわりばおり)と金を廿両やる積りだ」
 忠「誠に有難うございます、頂戴致したいは山々でございますが、これはなんですなア」
 蟠「貴公だって真面目な人間ではない、先達て友之助を賭碁で欺いたときも同意して、貴公も礼を受けていようではないか、蟠作から礼を受ければ悪人の同類だ、悪事が露顕すれば素首(すこうべ)のない人間だ、毒を喰わば皿までというから貴公も飽(あく)までやりな」
 忠「やりましょう、やりましょうが、医者のことを心得ませんから」
 蟠「それは教われば宜しい」
 と話をしている処へ穗庵がつか/\と這入って参りました。
 穗「へー今日(こんにち)は」
 蟠「さア此方(こっち)へ」
 穗「先刻お人でございましたが、余儀ない用事で遅くなりました…いやこれは阿部氏(うじ)」
 忠「これは久し振りでお目に懸りました、一昨日から飲過ぎて暑さに中(あた)り、寝ていて、今日(こんにち)漸(ようや)く出て参りました、今先生に聞いたが医者のことを聞かせてくれなくってはいかぬ」
 穗「阿部氏は得心しましたか」
 蟠「得心したから教えてくれぬではいかぬ」
 穗「宜しい、眼病には内障眼と外障眼と二つあるが、小野庄左衞門のは外障眼でない、内障眼という治(じ)し難(がた)い眼病だ、僕も再度薬を盛りましたが治りません、真珠(しんじゅ)麝香(じゃこう)辰砂(しんしゃ)竜脳(りゅうのう)を蜂蜜(はちみつ)に練って付ければ宜しいが、それは金が掛るから、娘を先生の妾にくれゝば金を出してやると云うて掛合った処が、頑固な爺(じゞい)で、馬鹿呼(よば)わりをして先生もお腹立であったが、今まで耐(こら)えて居(お)った、貴公が行(ゆ)けば阿部忠庵(ちゅうあん)とでも云えば宜しい、向うは学者で医学の書物を読んで居(お)るから答えが出来ぬでは困るからね」
 忠「此方(こっち)は些(ちっ)とも知らぬから書いて呉れぬといけない」
 穗「宜しい、書きましょう」
 硯箱を取って細かに書きまして、
 穗「さアこれで宜しい、此の薬を服(の)めば必ず全快致す、服薬の法もあります」
 忠「医者の字は読めぬね、何(なん)ですえ、明(あきら)かの樓(たかどの)の英(はなぶさ)の」
 穗「そんな読みようはない、明(みん)の樓英(ろうえい)の著(あら)わした医学綱目(いがくこうもく)という書物がある、その中(うち)の蘆膾丸(ろかいがん)というのが宜しい」
 忠「成程、蘆膾丸か、幾つも名がありますねえ」
 穗「それは薬の名だ」
 忠「成程、棒が二本書いてある」
 穗「蘆膾丸だから棒が二本あるのだ」
 忠「成程、それからウシのキモ」
 穗「ウシのキモでは素人臭い、牛胆(ぎゅうたん)」
 忠「それからカシワゴ」
 穗「カシワゴではない柏子仁(はくしじん)」
 忠「えー、アマクサ」
 穗「アマクサではない、甘草(かんぞう)」
 忠「成程甘草」
 穗「羚羊角(れいようかく)、人参(にんじん)、細辛(さいしん)と此の七味(み)を丸薬にして、これを茶で服(の)ませるのだ」
 忠「成程」
 穗「鴨川壽仙は針の名人だ、昼間傘(からかさ)を差し掛けて其の下へ寝かして置いて、白目の処へ針を打つと、其の日に全快する」
 忠「えらいものだね、真珠に麝香に真砂(しんしゃ)に竜脳の四味(み)を細末(さいまつ)にして、これを蜂蜜で練って付ける時は眼病全快する、成程、宜しい、これを持って行(ゆ)きましょう」
 穗「それを出して読むようではいかぬから暗誦して」
 忠「宜しい、先生恐入りましたが羽織がこれではいけませんから、無地のお羽織を願います」
 蟠「これをやろう」
 とこれから無地の羽織を着て阿部忠五郎が小野庄左衞門の宅へ参りました。庄左衞門の宅では、神ならぬ身のそんな事とは知りませんから、娘が親父(おやじ)の側に居りまして内職を致して居ります。
 忠「御免下さい」
 ま「何方(どちら)から入(いら)っしゃいました」
 忠「小野庄左衞門殿のお宅は此方(こちら)かな」
 ま「お父様(とっさま)、何方(どなた)か入っしゃいました」
 庄「此方へお通り下さい……初めまして手前小野庄左衞門と申す武骨者、えー何方様(どなたさま)でございますか」
 忠「手前は医者で阿部忠いえなに忠庵という者で、親父から譲られた書物がござるが、虫が付きますから版本にしたいと思いまして、就(つい)ては貴方は筆耕の御名人と承わり筆耕をして戴きたいと思います」
 庄「それは折角のお頼みではございますが、手前眼病でな、誠にお気の毒ではございますが」
 忠「それはいけません、誰か医者に診て貰いましたか」
 庄「はい、新井町(あらいまち)の秋田穗庵という医者に診て貰いました」
 忠「彼(あれ)はいけません、あんな医者に掛ると目をだいなしにして仕舞います」
 庄「私(わたくし)の目は外障眼でありませんで内障眼でございます」
 忠「治らぬと申しましたか」
 庄「種々(いろ/\)やりましたが全快覚束(おぼつか)ないということでございます」
 忠「それでは私(わたくし)の家法の薬がありますから唯(たゞ)差上げましょう、其の代りに全快の上は筆耕を書いて戴きたい」
 庄「有難いことで、唯薬を戴けば全快次第書いて上げるのは無論でございますが、どうか頂戴したいものでございます」
 忠「これは家伝の薬で功能は立処(たちどころ)にある」
 庄「どういう薬法でございますか」
 忠「薬法、なんでございますな…」
 どうも教わりたてゞございますから能く分りません、向うは盲人(めくら)だから書いた物を出して見ても宜しいが、娘が居りますから、
 忠「姐(ねえ)さん、お気の毒でございますが水が飲みとうございますから、冷たいお冷水(ひや)を一杯戴きたいもので」
 庄「これ水を上げるが宜しい」
 娘が水を汲みに出て行(ゆ)きましたから、扇へ書いたのをそっと出して見まして、
 忠「家法の薬は蘆膾丸と申しまして」
 庄「ハー蘆膾丸と申しますか、どういうお書物に在(あ)りましたか」
 忠「其の書物は明(あきら)かの樓(たかどの)いえなに明(みん)の樓英の著わした医学綱目という書物がある」
 庄「医学綱目、成程一二度見たことがありました、はゝアどういうお薬でございますか」
 忠「それはその七味(み)あります、これは蘆膾丸というのです」
 庄「お薬品は」
 忠「薬はウーン……ギュウ/\牛胆……それからカシワコではない柏子仁、それからあゝアマ甘草」
 庄「へー甘草」
 忠「それからえー羚羊角、人参、細辛、右七味丸(がん)じまして茶で服薬すれば一週(ひとまわ)りも服(の)むと全快いたします」
 庄「有難いことで、それを戴きたいもので」
 忠「家伝でございますから上げましょう」
 ま「誠に有難うございます、お父(とっ)さまのお目の治る吉瑞(きつずい)でございましょう、秋田という医者も良くないようでございます」
 忠「彼(あれ)は良くございません、それに就いて鴨川壽仙という医学ではない医者がございますね」
 庄「何処(どこ)に居ります」
 忠「京の鴨川(かもがわ)から来た人で、只今早稲田に居ります、早稲田の高田の馬場の下辺りで施しに針を打ちます、鍼治(しんじ)の名人で、一本の針で躄(いざり)の腰が立ったり内障(そこひ)の目が開きます」
 庄「成程、針医の壽仙というのは名高いえらい人で、なか/\頼みましても打ってくれますまい」
 忠「施しにしてくれます、医者も目が悪いと其処(そこ)へ行(ゆ)きます…二七あゝ今日は丁度宜しい、今日行(ゆ)くと施し日だからたゞやってくれます、昼間傘(からかさ)を差掛け其の下へ寝かして、目の脇へ針を打つと膿(のう)が出て直ぐ治ります」
 庄「左様ですか、併(しか)し今日これから行(ゆ)くと遅くなりましょう」
 忠「遅くも往って御覧なさい、目は一時(いっとき)を争います、あなたが針を打った処へ蘆膾丸を上げる」
 庄「どうか其のお薬を頂戴したいもので」
 忠「直ぐに今日入っしゃい、後(おく)れてはいけません、手前お暇(いとま)申す、後れてはいけませんよ、一時を争うから」
庄「誠に有難うございます」
 と上りはなまで送って参りました。阿部忠五郎はまんまと首尾よく往ったと思って振り返り/\行(ゆ)く。此方(こちら)では、
 ま「お父様(とっさま)、おいでなすったら宜しゅうございましょう、私がお附き申しましょうか」
 庄「いや/\仔細ない、微(かす)かに見えるから心配には及ばぬ」
 と出掛けましたが、衣類は見苦しゅうございます、帯は真(しん)が出て居りますが、たしなみの一本を差しまして、深編笠(ふかあみがさ)を冠(かぶ)って早稲田へ尋ねて行(ゆ)くと、鴨川壽仙は山の宿(しゅく)へ越したと云われてがっかり致しましたが、早稲田は遠路のことであるが、これから山の宿へ頼みに行(ゆ)くのは造作もない、此の次は来月二日であるかと云いながら、神楽坂(かぐらざか)まで来ると、車軸を流すようにざア/\と降出(ふりだ)して雨の止む気色(けしき)がございませんから、蕎麦屋(そばや)へ這入って蕎麦を一つ食べて凌(しの)いで居ります。夏の雨でございますから其の中(うち)晴れた様子、代を払って出て行(ゆ)きます。先へ探偵(いぬ)に廻ったのは篠崎竹次郎(しのざきたけじろう)という門弟でございます。此の竹次郎がお茶の水の二番河岸(にばんがし)へ参りますと、其の頃お茶の水はピッタリ人が通りません。
 竹「先生々々」
 「おー」と答えて二番河岸から上って来たのは大伴蟠龍軒、暑いのに頭巾を冠(かぶ)り、紺足袋雪駄穿きでございます。
 蟠「竹、どうした、目腐れ親父はどうした」
 竹「只今これへ参ります、今牛込(うしごめ)の蕎麦屋から出ましたのを見届けました、水戸殿(みとどの)の前を通って参ります」
 蟠「もう程(ほど)のう参るか」
 竹「参ります」
 蟠「手前先へ帰れ」
 竹「宜しゅうございますか」
 蟠「却(かえ)って大勢居(お)ると目立って能くない」
 竹「はい/\」
 と竹次郎は帰って行(ゆ)きました。蟠龍軒は高い処へ上って向うから来るかと見下(みおろ)す、処が人の来る様子がございませんから、神田の方から人が来て認められては適(かな)わぬと思いまして、二番河岸の根笹(ねざさ)の処へ蹲(しゃが)んで居りますと、左官の亥太郎が来ました。これは強い人で、力が廿人力あって、不死身(ふじみ)で無鉄砲で。其の頃は腕力家の多い世の中でございます。亥太郎は牛込辺へ仕事に参りまして、今日は仕舞仕事で御馳走が出まして、どっちり酔って、風呂敷の中は鏝手(こて)を沢山入れて、首っ玉へ巻付けまして、此の人は年中柿色の衣服(きもの)ばかり着て居ります。今日も柿色の帷子を着てひょろり/\と歩いて参り、雨がポツリ/\顔に当るのが好(よ)い心持と見える、二番河岸の処へ来ますと丁度河岸の処に昼間は茶店が出て居ります、其処(そこ)へどしりと臀(しり)を掛けて、
 亥「あゝいゝ心持だ、なんだ金太(きんた)の野郎が酒が強いから兄(あに)いもう一杯(いっぺい)やんねえと云った、いゝなア拳(けん)では負けねえが酒では負けるな、もう一杯(いっぺい)大きいので、もう一杯(いっぺえ)という、悔しいや彼(あ)ん畜生敵(かな)わねえ、滅法やった、いゝ心持だ」
 とぐず/\独語(ひとりごと)を云う中(うち)に居眠りが長じて鼾(いびき)になりました。スヤリ/\と寝付いている。その前を小野庄左衞門笠を冠(かぶ)り杖で拾い道をして来るが、感が悪いゆえに勝手が少々もわからぬ。二番河岸から蟠龍軒が上って、新刀(あらみ)を抜放し、やり過(すご)した小野庄左衞門の後(うしろ)からプツーリッと剣客先生が斬りますと、右の肩から胴の処まで斬り込み、臀餅(しりもち)をついたが、小野庄左衞門、残念と思いまして脇差に手を掛けたばかり、ウーンと云う処へ、プツーリッと復(ま)た一と刀(かたな)あびせ、胸元へ留(とゞ)めを差して、庄左衞門の着物で血(のり)を拭(ぬぐ)って鞘へ納め、小野庄左衞門の懐へ手を入れて見ましたが何もございません、夜陰(やいん)でございますが金目貫(きんめぬき)が光りますから抜いて見ると、彦四郎貞宗(ひこしろうさだむね)。
 蟠「なか/\良さそうだ」
 と云いながらそれを差しまして後(あと)へ下(さが)る時、鼻の先でプツーリッと云う音がして、面部を包んだ士(さむらい)が人を殺して物を取るのが見えるから、亥太郎は心の裡(うち)で此奴(こいつ)泥坊に相違ない、こういう奴が出るから茶飯(ちゃめし)餡(あん)かけ豆腐や夜鷹蕎麦(よたかそば)が閑(ひま)になる、一つ張り飛(とば)してやろうと、廿人力の拳骨を固めて後(うしろ)へ下ろうとする蟠龍軒の横面(よこずっぽう)をポカーリッと殴ると、痛いの痛くないの、ひょろ/\と蹌(よろ)けました。これから蟠龍軒と亥太郎と暗仕合(やみじあい)に相成ります。

 十四

 亥太郎が拳骨を固めて大伴を打ちました時、流石(さすが)の大伴蟠龍軒もひょろ/\として蹌(よろ)めきましたが、此方(こちら)も剣術の先生で、スーッと抜きました。亥太郎が逃げるかと思うと少しも逃げぬ、泥坊士(どろぼうざむらい)と云いながら、斬付けようとする大伴の腰へ組付こうとして胴乱へ左の手を掛け、ウーンと力を入れる時、えいと斬付けましたが、亥太郎は運の良い男で、首っ玉に鏝(こて)と鏝板を脊負(しょっ)て居りました。それへ帽子先が当りましたから疵(きず)を受けませんでコロ/\と下へ落ちました、其の儘上りそうもないものが、此の野郎斬りやアがったな、と又上って来ました。亥太郎が二度目に上った時は、蟠龍軒は風を喰(くら)って逃げた跡で、手に遺(のこ)ったのは胴乱。
 亥「盗人(ぬすっと)が提(さ)げていた恰好(かっこう)の悪い煙草入、これは打(たゝ)き売って酒でも食(くら)え」
 と腹掛(はらがけ)へ突込(つっこ)んで帰りましたが、悪い事は出来ないもので、これが紀伊國屋へ誂(あつら)えた胴乱でございます、それが為に後(のち)に蟠龍軒が庄左衞門を殺害(せつがい)したことが知れます。これは後(のち)のことで。さて庄左衞門の娘町は、何時(いつ)まで待っても親父(おやじ)が帰って来ません、これは大方お医者様に留められて療治をしているのではないかと心配して居ります。夜が明けると斯様(かよう)な者が殺害(せつがい)されている、心当りの者は引取りに来いという貼札(はりふだ)が出る。家主(いえぬし)も驚きまして引取りに参り、御検視お立会(たちあい)になると、これは手の勝(すぐ)れて居(お)る者が斬ったのであるゆえ、物取りではあるまい意趣斬りだろうという。なれども貞宗の刀が紛失(ふんじつ)している。八方へ手を廻して探しましたが分りません。娘は泣く/\野辺の送りをするも貧の中、家主や長家の者が親切に世話をしてくれます。お町は思い出しては泣いてばかり居ります。ふと考え付いたのは流石は武士の娘でございます、お父様(とっさま)を殺したのは意趣遺恨か知れないが、何しろ女の腕では讎(かたき)を討つことが出来ない、自分も二百四十石取った士(さむらい)の娘、切(せ)めては怨みを晴したいが兄弟もなし、別に親類もない、実に情(なさけ)ない身の上であるが、業平橋の文治郎さまという方は情深いお方、去年の暮もお父様(とっさま)が眼病でお困りであろうと、見ず知らずの者に恵んで下さり、結構な薬まで恵んで下さる、真の侠客じゃとお父様がお賞(ほ)め遊ばした、彼(あ)の家に奉公し、辛抱して親の仇(あだ)が知れた時、お助太刀(すけだち)をねがうと云ったら、文治郎さまが助太刀をして下さるだろうと考えて居ります。その一軒置いて隣にまかな[#「まかな」に傍点]の國藏という者、今は堅気(かたぎ)の下駄屋(げたや)をして居ります。一つ長家で親切でございますから、此の事を國藏に頼むと、國藏も根が悪党で、悪抜(あくぬ)けたのでございますから親切がございますから、
 國「感心なお心掛けでございます、旦那も未だ御新造(ごしんぞ)がないから貴嬢(あなた)が往って下されば私も安心だ、何しろ森松をよんで話して見ましょう」
 とこれから女房が往って森松を呼んで来ると、直ぐやって来ました。
 森「御無沙汰しました、丁度来(き)ようと思っていた処だが、旦那をお母(ふくろ)さんが出さねえ、旦那が出なけりゃア此方(こっち)も出られねえ、お母さんは旦那が好きで喧嘩でもすると思っているから困らア」
 國「私(わっち)も御無沙汰したよ」
 森「馬鹿に暑いねえ、団扇(うちわ)か何か貸してくんねえ……何(なん)だい今日呼びに来た用は」
 國「少し相談がある、お前(めえ)も番場の森松、己(おれ)もまかな[#「まかな」に傍点]の國藏、お互いに悪事を重ねて畳の上で死ねねえと思ったのを、旦那のお蔭で世間なみの人間になったのは有難いわけじゃねえか」
 森「実に有難(ありがて)いよ、旦那のお蔭で森さんとか何(なん)とか云われていらア」
 國「主人だね」
 森「主人だ」
 國「旦那に良(い)い御新造(ごしんぞう)の世話をしたい、お母(っか)さんも初孫(ういまご)の顔を見てえだろう」
 森「違(ちげ)えねえ、己もそう思っている、だがね旦那と揃う娘がねえ、器量は揃っても旦那と了簡の出会(でっくわ)せる女がねえ」
 國「処がこれならばというお嬢さんがあるのだ」
 森「どこに/\どこだえ」
 國「ボヤ/\でも尋ねるようだ、此処(こゝ)においでなさるお嬢さんよ、此のお嬢さんを知ってるか」
 森「知ってる、これは思掛(おもが)けねえ、知ってるとも、お前さんの処(とこ)のお父(とっ)さんが目が悪くって、お前(めえ)さんが天神様でお百度をふみ、雪に悩んで倒れている処へ家(うち)の旦那が通り掛り、薬を服(の)ませて立花屋で薬をやった時、旦那がお前(めえ)さんは感心だ、裙捌(すそさば)きが違うと云って大変褒(ほ)めた、そうして金をやった時、あなたは受けねえと云うと、旦那が満腹だと云った」
 國「満腹は腹のくちくなった時のことだ」
 森「何(なん)とか云ったねえ」
 國「感服だろう」
 森「感服だ、感服だと褒めた、旦那が女を褒めたことはねえが、この嬢(ねえ)ちゃんばかりは褒めた、お父(とっ)さんはどうしましたえ」
 國「お亡(かく)れになった」
 森「お亡れになってどうしたね」
 國「死んだのだ」
 森「死んだえ、死んだ時は何(なん)とか云うのだね」
 國「御愁傷さまか」
 森「御愁傷さまだろう」
 國「お父様(とっさま)が亡(な)くなって外(ほか)に親類はなし、行(ゆ)き処のない心細い身の上、旦那様は情深い方だから不憫だと思って逐出(おいだ)しもしめえから、旦那様の処へ御膳炊きに願いてえと云うのだが、御膳炊きには惜しいじゃねえか、旦那と並べれば好(よ)い一対(いっつい)の御夫婦が出来らア」
 森「勿体(もってえ)ねえ/\、旦那の褒めたのはお前(めえ)さんばかりだ、これはしようじゃアねえか」
 國「しようったってお前(めえ)と己(おれ)としようと云う訳にゃいけねえ、お母(ふくろ)さんに話をしてくれ」
 森「己はいけねえ、己がお母さんに話しても取上げねえ、森松の云うことは取留(とりとま)らねえと云って取上げねえからいけねえや」
 國「誰も話のしてがねえから」
 森「お前(めえ)行(ゆ)きねえな」
 國「己は去年の暮強請(ゆす)りに往ったからいけねえ」
 森「そんなら藤原喜代之助さんという浪人者がある、此の人はお母さんの気に合っている、それにおかやさんという娘子(むすめッこ)を嫁にやったから、旦那より藤原さんを可愛がらア、此の人に話して貰おう」
 國「違(ちげ)えねえ、それが良(い)いや」
 森「お前(めえ)往(ゆ)きねえな」
 國「往(い)ってきよう。それじゃア往って来ますから」
 町「國藏さん、嫁の何(なん)のと仰しゃらないで御膳炊きの方を願います」
 女房「貴方(あなた)そんなに御心配なさいますな、向うで嫁に欲しいと云ったら嫁においでなさいな、卑下(ひげ)しておいでなさるからいけません、國藏にお任せなさいよ」
 これから両人で参りますと、藤原喜代之助という右京の太夫(たゆう)の家来でございますが、了簡違いから浪人して居りますが、今ではおかやという女房を持って不足なく暮して居ります。
 森「御免なせい/\」
 藤「森松か、上(あが)れ」
 森「旦那にお目に懸りたいと云う者が参ったのですが、兄い此方(こっち)へ上れ」
 藤「此方へお上り」
 森「旦那、これは國藏と云うまかな[#「まかな」に傍点]の國、今は下駄屋ですが元は悪党で」
 國「何を云うのだ……私(わたくし)は國藏という者で、表の旦那のお世話で今は堅気の職人になりました、旦那様を神とも仏とも思って居ります、旦那の処と御縁組になりました此方へは未だ一度もまいりません、此の後(のち)とも幾久しく願います」
 藤「成程、予(かね)て文治郎殿から聞きました、性善なるもので必ず心から悪人という者はない、却(かえ)って大悪なる者が、改心致す処が早いと云って居りました、能くお尋ね下すって……かやや、お茶を上げな」
 國「貴方から文治郎さまのお母(っか)さまへお話を願いたいので出ました、旦那の方では何(なん)とも思わないでも、私(わっち)の方では主人のように思って居りまして、良い御新造(ごしんぞ)をと心掛けて居りましたがありません、処がこれならばお母(っか)さんの御意(ぎょい)にも入(い)り、恥(はず)かしくない者があるんでございますが、私(わっち)がお母さんに話悪(はなしにく)いから其の当人を御覧になっては如何(いかゞ)でございます」
 藤「成程、それは御親切な、千万辱(かたじ)けない、私(わし)も心掛けて居(お)るが、大概(たいがい)の婦人が来ても気に入らぬ、能く心掛けてくれました、どういう女で」
 國「私(わっち)の一つ長家にいる娘で、先達(せんだっ)て親が死んで、親類もなく、何処(どこ)へ往っても置いてくれまい、旦那には御鴻恩(ごこうおん)になってお慈悲深いから、旦那の処へ御膳炊きに来たいと云います、処が惜しいのです、本所中一番という娘です、処で親孝行娘というものですが如何でございます」
 藤「成程、そんなら文治郎殿から聞いた、孝心の娘があって雪中(せっちゅう)に凍えて居(い)るのを救って、金をやったが受けぬ、今の世の中には珍らしいと云って賞(ほ)めた娘だろう、それは幸いだ」
 國「親里(おやざと)を拵えれば大家(おおや)でも頼むのでございますが、旦那が親になって上げてはいかゞです」
 藤「宜(よ)うございます、叔母に話をしましょう」
 と、これから文治郎の母に話すと、かねて文治郎から聞いているから、何しろ一(ひ)と目見たいと云いますから、そんならばと云うので娘に話し、損料を借りて来る、湯に往って化粧(おしまい)をする、漸く出来上った。
 浪「ちょいと/\お嬢さんの支度が出来たのを御覧よ、こんな美くしいお嬢さんを竈(へッつい)の前に燻(くす)ぶらして置いたと思うと勿体ない」
 國「どう/\、これはどうも、こんな美くしい嬢さんを、どうもお屋敷様だア、紋付が能く似合う、頭の簪(かんざし)は山田屋か、損料は高(たけ)えが良(い)い物を持っているなア、これじゃアお母様(ふくろさま)の気に入らア、これから直(すぐ)に行(ゆ)きましょう」
 浪「あゝ貴嬢(あなた)そんな卑下したことを云わないで、嫁にすると云ったら嫁におなんなさいよ」
 國「手前(てめえ)一緒に行(い)きない」
 浪「わたしは衣服(きもの)も何もないもの、嫌(いや)だよ」
 國「手前(てめえ)はめかすには及ばねえ、行(い)け/\」
 これから連れて参りますと、森松は路地の処に待って居ります。
 森「兄(あに)い々々どうした、お嬢様はどうした」
 國「お嬢さまは此(こゝ)へ連れて来た」
 森「これか、こりゃアお母様(ふくろさま)に気に入らア」
 國「気に入るだろう」
 森「気に入らなければ殴る……旦那、藤原さんえ、来ましたよ」
 藤「何が」
 森「どうもその頭が」
 藤「頭が腫(は)れたか」
 森「腫れたのではありません嫁ッ御(ご)が来ましたよ」
 藤「これは/\」
 國「漸く支度が出来ました」
 藤「叔母も先程から楽(たのし)みにして待って居ります、さア此方(こっち)へ」
 浪「お初うにお目に懸りました、どうか國藏同様御贔屓を願います」
 藤「成程、これがお嫁さんで」
 國「なアに、これは私(わっち)の嚊(かゝあ)です、引込(ひっこ)んでいな」
 藤「このお嬢様、さア/\これへ/\」
 しとやかに手を突いて、
 町「お初うにお目に懸りました」
 と漸(やっ)と手を突いて挨拶をする物の云いよう裾捌(すそさば)き、この娘を飯炊きにと云っても自(おのず)から頭が下(さが)る。
 藤「ハ……お初にお目に懸りました、不思議の御縁で、どうか此の事が届けば手前に於(おい)ても満足致す、今文治の母が参られます、此の後(ご)とも御別懇に……國藏、これだけの御器量があって御膳炊きにしてくれと身を卑下した処に感服しますねえ」
 國「実にこんなお嬢さまはない、親孝行で、お父(とっ)さんのお達者の時分には八(や)ツ九ツまで肩を擦(さす)ったり足を揉んだりして、実に感心致します」
 藤「おかやや叔母に早く来るように話しな」
 か「叔母さんがお出(いで)になりました」
 文治郎の母が参りまして娘に会いますと、
 町「不束(ふつゝか)のもので何処(どこ)へ参っても御意に入(い)らず逐出(おいだ)されたとき宿(やど)がございません、どうかお見捨なく御膳炊きにお置き遊ばして下さい」
 と只管(ひたすら)縋(すが)るのを見て母は気に入り、
 母「心配おしでない、逐出しゃしない、文治郎が気に入らないでも私が貰う」
 と云ったからこれは安心なもので。母は宅へ取って返し、
 母「文治郎、此処(こゝ)へ来な」
 文「お帰り遊ばせ、何か藤原で御馳走でも出ましたか」
 母「思掛(おもいがけ)なくお前の嫁が見付かりましたから婚礼をなさい」
 文「三十にして娶(めと)り、廿にして嫁(か)すということがございます、況(ま)して他人が這入りますとお母(っか)さまに不孝なことでも致すと、浪島の名を汚(けが)しますから、お母様(っかさま)のお見送りを致しましてから嫁を貰うことに願います」
 母「早く嫁を貰って安心させるのが孝行だよ、唯の嫁ではない、あんな嫁を持ちたいと云っても持てない」
 文「何者でございます」
 母「お前も知っている去年金子(きんす)をやった小野の娘」
 文「へー庄左衞門の娘、彼(あれ)は一人娘で他(ほか)へ縁付けることは出来ますまい」
 母「いえ庄左衞門が亡くなられたそうだ」
 文「へー亡くなられましたか、町は嘸(さぞ)嘆いて居りましょう」
 母「可愛そうに、親類も身寄もない、他人へ奉公に往って逐出されても行(ゆ)く処がない、家(うち)へ御膳炊きに置いてくれというが、御膳炊きどころでない、どこへ出しても立派なお嬢さまだから貰いなさい」
 文「嫁はいけません、行(ゆ)く処がなければお側へ置いてお使い遊ばせ、御膳炊きにでもお使い遊ばせ」
 母「御膳炊きなどにはいけませんよ、お前がいやならお前を逐出しても貰いますよ」
 文「大層御意に入りましたな、暫(しばら)くお待ち下さい」
 と暫く考えて居りましたが、母が気をゆるさぬから大伴の道場へ斬込むことが出来ぬ、嫁を貰って母が安心して外へ出せば、彼等両人を殺害(せつがい)して仕舞う、婚礼の晩に大伴の道場へ斬込んで血の雨を降らせようという色気のない話で、嫁は親の仇を討ちたい一心で、此の家(や)に嫁に来るという似た者夫婦でございます。遂に六月廿八日の晩に婚礼を致しますというお話、鳥渡(ちょっと)一服息を吐(つ)きまして申上げます。

  十五

 扨(さて)文治郎とお町の婚礼は別に媒妁(なこうど)も親もない。藤原喜代之助が親里なり媒妁なり致して、ほんの内輪だけでございまして、國藏夫婦が連なり、森松も末席に坐り、目出度(めでたく)三三九度の盃も済み、藤原が「四海浪(なみ)しずかに」と謡(うた)い、媒妁は霄(よい)の中(うち)と帰りました。母も悦び、大いに酒を過(すご)して寝ます。夏のことでございますから八畳の間へ一杯に蚊帳(かや)を釣りまして夫婦の寝る処がちゃんと極(きま)って居ります。娘お町は思掛(おもいがけ)ないことで、飯炊きの奉公に来ようと云ったのが嫁となり、世に類(たぐ)いなき文治郎のような夫を持つのは冥加(みょうが)に余ったことと嬉しいが一杯で、側へも寄ることが出来ず、行燈(あんどう)の側に蚊に食われるのも知らず小さくなって居ります。文治郎は蚊帳の中に風呂敷包を持って来ました。
 文「お町/\」
 町「はい」
 文「此処(こゝ)へおいでなさい、其処(そこ)にいると蚊がさしていかない、なか/\蚊の多い処だから蚊を能く逐(お)うて這入んなさい、少しお前に話す事がある」
 お町は嬉しゅうございますから飛立つ程に思いましたが、しとやかに扇(あお)いで、ずっと横に這入らぬと蚊が這入ります。これが行儀の悪いものはそうは行きません。ばた/\と扇いで立ってひょいと蚊帳をまくって這入りますから蚊が飛込んでいけません。蚊帳の中に這入りましても蒲団の上に乗りませんで蚊帳の側にぴったり坐って居ります。
 文「此方(こっち)へ来なさい、縁あってお前は私(わし)の処に嫁に来ようというは実におもいきや、今日(こんにち)三々九度の盃をすれば生涯(しょうがい)死水(しにみず)を取合う深い縁、お前は来たばかりであるが少し申し聞けることがある、浪島の家風がある、家風は背きはしまい」
 町「恐入りますことを御意遊ばす、私(わたくし)は元より嫁に参りたいと願いました訳ではございません、御膳炊きに参りましたのでございます、親一人子一人の其の父が亡くなりまして、別に頼るべき親族もございませず、何処(どこ)へか奉公に参りましょうと思いましても、不束(ふつゝか)もの逐出されても行(ゆ)き処がございません、心細う思うて居りました、旦那様へ御奉公に参ればお情深い旦那さま、見捨(みすて)ては下さるまい、御膳炊きにでもと思うて居りましたに、思い掛なくお盃を下さいまして冥加に余りましたことでございます、何ごともお辞(ことば)は背きませんが、一々斯(こ)うしろ彼(あ)ア致せと御意遊ばせば、届かぬながらも心に掛けて何ごとでも致し、お母様(っかさま)にも御孝行を尽します、どうか身寄り頼りのない不憫の者と思召して、旦那さまお情を掛けて下さるようお見捨なさらぬように」
 とポロリと溢(こぼ)す一(ひ)と雫(しずく)、文治郎はこれを見て、あゝ嫁に来た晩に荒々しい身なりをして出て行(ゆ)くのを見れば驚くであろうと思いましたけれども、癇癖が高ぶって居りますから気を取直(とりなお)して、
 文「夫婦は其の初見(しょけん)に在りと、初見参(しょけんざん)の折(おり)に確(しか)と申し聞ける事は、私(わし)より母の機嫌を取り能く勤めてくれんではならぬ、又人間は老少不定(ろうしょうふじょう)ということがある、明日にも親に先立ち私(わし)が死ぬまい者でもない、其の折は私(わし)になり代って母に孝行を尽してくれられるだろう、亭主が死んで姑(しゅうと)の機嫌を取るのがいやだと云って此の家を出る志はあるまい、念のため夫婦の道じゃに依(よ)って教え置きます」
 町「それは御意遊ばすまでもございません、貴方はそんなことはございますまいが、お母(っか)さまの御機嫌を取り、御介抱を致しますのは私(わたくし)の役でございまするで、決して粗略には致しません」
 文「はい、私(わし)は性質癇癖持ちで、詰らぬことに怒りを生じて打ち打擲することがある、弱い女や子供を打擲することは嫌いだが、意に逆らうと癇癖に障ります、決して逆らってくれまい」
 町「どう致しまして、お辞(ことば)は背きません」
 文「それは辱(かたじ)けない、それでは申し聞けるが、文治郎今晩これから直ぐに出て行(ゆ)きます、今晩はお前が嫁に来たばかりだから留(とゞま)りたいが、出て行(ゆ)かなければならぬ、私(わし)が出て往った後(あと)で、お母様(っかさま)がお目が覚めて文治郎はとお問い遊ばした時、文治郎は能く眠り付いて居ります、御用なれば私(わたくし)へ仰せ聞けられて下さいと云って、お前が引受けてくれぬでは困る」
 町「何処(どこ)へお出(いで)になります、何時(いつ)お帰りになります」
 文「帰りは明方(あけがた)でございます、若し是非ない訳で帰れんければ四五十年は帰れぬ、たった一人の大切のお母様(っかさま)、私(わし)になり代って孝行を尽してくれぬでは困る」
 町「はい四五十年お帰り遊ばされぬというのは其りゃどういう訳でございますか」
 文「深く問われては困る、義に依って行(ゆ)かなければならぬ処がある、辞返(ことばがえ)しをすることはなりませんよ」
 町「はい」
 とおど/\して見て居りますと、風呂敷包のなかから南蛮鍜(なんばんきた)えの鎖帷子(くさりかたびら)に筋金(すじがね)の入りたる鉢巻をして、藤四郎吉光(とうしろうよしみつ)の一刀に關(せき)の兼元(かねもと)の無銘摺(むめいす)り上げの差添(さしぞえ)を差し、合口(あいくち)を一本呑んで、まるで讐討(かたきうち)か戦争にでも出るようだから恟(びっく)りいたしまして、
 町「旦那さま、どういう御立腹のことがございますか存じませんが、お母(っか)さまも取る年、あなたのお身にひょんな[#「ひょんな」に傍点]ようなことでもございますれば、お母様(っかさま)はどのくらいお嘆きなさるか知れません、どうか私(わたくし)に面じてお許し下さいまし」
 文「あーれ、それだから困る、それだから辞(ことば)を返すことはならぬと申し聞けたではないか」
 町「お辞は返しません」
 文「そんなら宜しい」
 と庭へ下りて、無地の手拭を取って面部を包み、跣足(はだし)で出て行(ゆ)きますからお町はおど/\しながら袖(たもと)に縋(すが)り、
 町「申し、旦那さま、御機嫌よう」
 文「うん頼むぞ」
 三尺の開きを開けて出て行(ゆ)きました。跡を閉(た)てゝお町はあゝ情(なさけ)ないことだと耐(こら)え兼て覚えず声が出ます。泣声がお母(っか)さまに知れてはならぬと袂を噛(か)みしめて蚊帳の外に泣(なき)倒れます。彼(か)れ此れ明(あけ)七つ頃に庭の開きをかち/\と静かに敲(たゝ)きます。
 文「お町/\」
 町「はい、お帰り遊ばしたか」
 と其の儘飛石(とびいし)伝いに下りて行(ゆ)きます。其の晩は大伴を斬り損ないまして癇癖に障ってなりません。これから風呂敷を解いて衣服(きもの)を着替え、元のように風呂敷包を仕舞って寝ようと思いましたが、これまで思い付いた宿志(しゅくし)を遂げないから、目は倒(さか)さまに釣(つる)し上り、手足は顫(ふる)え、バターリッと仰向(あおむけ)さまに寝て仕舞いました。仰向に寝たが寝られませんから、又此方(こっち)を向くと、それでも寝られませんから又起上(おきあが)って見たりいろ/\して居ります。お町はハラ/\して其の儘寝る事もなりませず居(お)る中(うち)に、カア/\と黎明(しののめ)告(つぐ)る烏と共に文治郎は早く起きて来まして、
 文「お母(っか)さまお早う、好(よ)い天気になりました、お町やお母さまのお床を上げて手水盥(ちょうずだらい)へ水を汲むのだよ」
 と云って少しも平生(へいぜい)と変りはありませんから、夕べは玉つばきの八千代(やちよ)までと深く契ったようだと思い、お母さんも安心して居ります。唯気遣(きづか)いなのは嫁でございます。婚礼の晩に早くお床にはいらぬと縁が薄いという其の夫が夜中に出て行って荒々しくして居ります。其の日も暮れ、お母様もお静まりになると、又風呂敷包を持って来まして、
 文「町、昨夜(ゆうべ)云った通りお母さまのことは頼むぞ」
 町「はい、何時(いつ)頃お帰りになりましょう」
 文「多分明方までに帰る、若し明方までに帰らぬと頼むぞよ」
 と間違えば斬死(きりじに)するつもりでございます。大伴の道場には弟子子(でしこ)もあります、飛道具もあります、危いから若し夫婦の交りをすれば、此の女は生涯操(みさお)を立って後家(ごけ)で通さなければならぬから、情(なさけ)を掛けて一つ寝をしないのでございます。お町は夫にお怪我がなければ良いと案じて居りますと、今度は直ぐに帰って来ました。
 文「明けろ」
 前のように鎖帷子を取って風呂敷に包んで寝ました。其の晩も大伴の道場へ斬込むことが出来ぬと見えてバターリッと仰向になって、又起上り、又寝て見たり、癇癖に障って寝られません。斯(か)くすること五日ばかり続けました。其の中(うち)にお町の心配は一(ひ)と通りでございません、五日目の朝でございます。
 文「お母さま御機嫌宜しゅう、お町/\」
 と云って居ります。藤原喜代之助も朝飯(あさはん)を食べて文治郎の家へ参り、お町の様子を文治郎に聞くと、心掛も良し、女も良し、結構だと云うから、昼飯(ひるはん)を食べて暑うございますから涼しい処へでも参ろうと云う処へ、森松が駈込んで参りまして、
 森「旦那、大変でございます」
 藤「どうした」
 森「だって大騒ぎでございます」
 藤「何(なん)だあわたゞしい」
 森「表へ馬に乗った士(さむらい)が参りました」
 藤「どんな姿をして来た」
 森「抜身の槍で鎧(よろい)を着て藤原喜代之助の宅は此の裏かと云いました」
 藤「どういう訳で…其の者はどうした」
 森「今来ますよ」
 藤「槍は鞘(さや)を払ってあるか」
 森「抜身ではありません、鞘を取ると抜身になります」
 藤「誰が来たのだ」
 と覗(のぞ)いて見ると、行儀霰(ぎょうぎあられ)の麻上下(あさがみしも)を着て居ります、中原岡右衞門(なかはらおかえもん)と云う物頭役(ものがしらやく)を勤めた藤原と従弟(いとこ)同士でございます、別当も付きまして立派な士(さむらい)がつか/\と来ました。
 中「藤原殿、思い掛けない訳でございます」
 藤「どうして、これは」
 中「存外御無沙汰今日(こんにち)は思いも掛けない吉事(きちじ)で、早く知らせようと思って、重野(しげの)の叔父(おじ)も殊(こと)の外(ほか)悦んで居りました」
 藤「どう云う訳で……森、彼(あれ)は親族の者だ……此の通り見苦しい訳でお許し下さい」
 中「宜しい、番内(ばんない)は路地に待って居れ」
 藤「それへお上げ下さい」
 中「いや彼方(あっち)へやります、馬の手当を致せ」
 藤「御家来を此方(こちら)へ」
 余り狭くて親類の家というのは間(ま)が悪いから遠ざけまして、
 中「誠に暫く、御壮健のことは下屋敷(しもやしき)に於(おい)て聞いて居りましたが、お尋ね申すは上(かみ)へ憚(はゞか)りがありますからお尋ね申しません、いやお懐かしゅうございました」
 藤「いや面目次第もございません、一時の心得違いから屋敷を出まして、尾羽(おは)打ち枯らした身の上、斯(かゝ)る処へ中原氏(うじ)が参ろうとは存じません、面目次第もございません」
 中「御先妻のあさという婦人がお母(っか)さまに不孝を致し、彼(あ)の婦人の為に屋敷を出る位であったが、其の妻なる者が歿(ぼっ)して二度目の妻(さい)は此の近辺に居(お)る浪島とか云う者の妹が参ったとか、それが叔母さまを大事にするという説が屋敷へも聞(きこ)え、それこれお悦び申す」
 藤「面目次第もございません」
 中「お母さまも御壮健でございますか」
 藤「はい、お母さま/\……年を取りまして……中原岡右衞門が参られました」
 母「おや/\誠に暫く、もうどうも年を取りまして身体もきかず、又目も悪くなり、お前の顔もはっきり分りません、お変りもなくまア/\立派なお身なりにお成りで、お前は若い時分から誠に気性が違い、正しい人だと云って褒めて居りましたが、相変らずお勤めで、お母さまも御機嫌善(よ)いかね」
 中「母も無事でございます、あなたも御不自由でございましょうが、好(よ)いお嫁が参って大切にすると云うことで、中原悦んで居りましたよ」
 母「誠に有難うございます、久し振りで遇(あ)いましてこんな嬉しいことはありません、久し振りで上下(かみしも)を見ましたよ、此の近所には股引(もゝひき)や腹掛(はらがけ)をかけた者計(ばか)り居(お)るから……かやや/\……これは嫁でございます」
 中「左様でございますか、中原岡右衞門と申す者、以後御別懇にねがいます…時に藤原氏(うじ)、此の度(たび)は貴殿をお召し返しになります」
 藤「へー手前がお召し返しになりますか」
 中「はい、親族だけに手前へ此の役を仰せ付けられました、上(かみ)から仰せ付けでございますから、仰せ付けられ書(がき)を一(ひ)と通り読上げた上で緩(ゆっく)りお話し致しましょう」
 藤「お召し返し/\お母さまお召し返しになります」
 母「おや/\、それは有難いことでございます、もう一度お屋敷を見て死にたいと思って居りましたが、それは有難いことで」
 中原は上座へ直りまして、
[#ここから引用文、3字下げ、はじめの「一」のみ2字下げ]
其方儀(そのほうぎ)先達(さきだっ)て長(なが)の暇(いとま)差遣(さしつか)わし候処(そうろうところ)以後心掛も宜しく依(よっ)て此度(このたび)新地(しんち)二百石に召し返され馬廻り役被仰付候旨(おおせつけられそうろうむね)被仰出候事(おおせいだされそうろうこと)   重  役 判
[#ここで引用文終わり]
 藤「はア」
 と藤原は恐入って、思わずポロリと男泣に泣きました。
 藤「あゝ此の上もない有難いことでございます」
 中「誠に御恐悦、これは役だから先(ま)ず役だけ済んだ、これから緩(ゆっく)り話しましょう……時にお差支(さしつかえ)もあるまいが此の中には五十両あります、故郷へは錦を飾れという事でございますから、飾りは立派にして帰れば親族の手前も鼻が高い、茲(こゝ)にあいて居(お)る金が五十金(きん)あるから使って下さい」
 藤「はゝゝゝ誠に千万辱(かたじけ)のうござる、親類なればこそ五十金という金を心掛けて御持参下さる、此の恩は忘却致しません」
 中「直ぐお暇(いとま)致します」
 藤「先ず/\宜しゅうございます」
 中「役目でござるから、家老に此の事を申さなければならぬ」
 と云って中原岡右衞門は屋敷へ帰ります。文治郎も悦びまして、母からはこれは先代浪島文吾左衞門(なみしまぶんござえもん)が差された大小でござる、これは中原岡右衞門という人の手前もあるから遣(や)ったら宜かろうという。又文治郎の方でも持合(もちあわ)せた金がこれだけあるからやる。衣服(きもの)をお母(っか)さまの古いのをおかやにやるが宜(よ)かろうと衣類を沢山に長持に詰めてやりまして、藤原喜代之助は廿八日に松岡右京太夫の屋敷へ帰りました。文治郎は藤原が屋敷へ帰れば、我(われ)が斬死(きりじに)をして母一人になっても母の身の上は安心。大伴の家へ人を廻して様子を聞くに、今夜は兄弟酒を酌(の)んで楽しむ様子だから、今夜こそ斬入(きりい)って血の雨を降らせ、衆人の難儀を断とうという、文治郎斬込(きりこみ)のお話に相成ります。

 

 

  十六

 大伴蟠龍軒の家に連なる者、或(あるい)は朋輩(ほうばい)などは目の寄る処へ玉と云って悪い奴ばかり寄ります。其の中に阿部忠五郎という奴は、見掛けは弱々しい奴で、腹の中は良くない奴で、大伴に諛(へつら)いまして金でも貰おうという事ばかり考えて居ります。丁度七つ下(さが)りになりまして大伴の処へ参りますと、幸い蟠作も居りません、蟠龍軒独りで小野庄左衞門を殺して取った刀へ打粉(うちこ)を振って楽しんで居ります。
 蟠「誰(たれ)だえ」
 忠「阿部でございます、只今お玄関へ参った処が誰(たれ)も居りません、中の口へ参っても御門弟も居りませんから通りました、何(なん)です、お磨きですか」
 蟠「さア此方(こっち)へ来な、誰(たれ)も居らぬが、これは先達(さきだっ)てお茶の水で小野を殺害(せつがい)致して計らず手に入(い)った脇差だが、彦四郎貞宗だ、極(ご)く性(しょう)が宜しい」
 忠「はア、彼(あ)の時の……又先達ては多分の頂戴物(ちょうだいもの)をいたしまして有難うございます」
 蟠「縁頭(ふちかしら)は赤銅七子(しゃくどうなゝこ)に金で千鳥が三羽出ている、目貫(めぬき)にも千鳥が三羽出ている、後藤宗乘(ごとうそうじょう)の作だ」
 忠「大した物ですなア」
 蟠「柄糸(つかいと)も悪くもない、鍔(つば)は金家(かねいえ)だ」
 忠「あの伏見の金家、結構でございますな」
 蟠「鞘は蝋色(ろいろ)で別に見る処もないが、小柄(こづか)はない、貧乏して小柄を売ったと見える」
 忠「思い掛けない物がお手に這入るもので」
 蟠「久しく来ないからどうしたかと思った」
 忠「時に先生、申し兼(かね)ましたが、市ヶ谷の親類の者に子供が両人あって、亭主が暫らく煩(わずろ)うて、別に便(たよ)る者もない、義理ある親類で嘆いて参って、助けてくれぬかと、拠(よんどころ)なく金子を貸してやらなければなりません、手前も貧乏でございますから貸すどころではございません、誠に申上げ兼ますが、先生五十金拝借を願います」
 蟠「フーン、つい此の間廿金やった上に、又三十金というのでお前の云う通り五十両からやってある」
 忠「それは存じて居ります、再度お手数(てかず)を掛けて、こんなことを申し上げるのではございません、拠(よんどころ)ない訳で一時(いちじ)のことで、九月……遅くも十月までには御返金致します、これは別に御返済致します」
 蟠「フン/\、今手許に金がない、お前にも穗庵にもやってある」
 忠「お貸し下さらぬか」
 蟠「はい」
 忠「宜しゅうございます、無理に拝借致そうという訳ではございませんが、先生拝借を願います、足元を見て申上げるように思召(おぼしめ)すか知りませんが、左様な訳ではありません、此の度(たび)は困るからでございますが、手前共のような者でお役には立ちますまいが、手前にこうしてくれぬかという時は先生に御懇命を蒙(こうむ)って居りますから嫌(いや)とは申しません、はいと申します、事露顕致せば命にも係わることでもいやとは申しません、義理というものは仕方がございません、手前も義理だから先方に貸してやらなければならぬ、出来なければ仕方はございませんが、彼(あ)の時命懸けの事をして、其の上ならず貞宗の刀がお手に入(い)れば二百金ぐらいのものがあります、お金が出来なければ其の刀を拝借して質に入れましょう」
 蟠「無礼な事を云ってはならぬ、人の腰の物を借りて質に置くというのは無礼至極だろう」
 忠「そうですか、貴方の刀ではございますまい、小野庄左衞門の」
 蟠「これ/\大きな声をしてはならぬ」
 忠「お貸し下さらんければ宜しゅうございます、一旦金などを貸して下さいと云って貸して下さらぬというと来悪(きにく)くなりますから、御無沙汰になります、手前も一杯飲みますから、うっかり飲んで、口が多うございますから、打敲(ぶちたゝ)きをされゝばお茶の水の事や何か喋(しゃべ)れば貴方の御迷惑になろうと思います」
 蟠「フン、だが此の刀を持って質に入れられては困る、他から預って居(お)る金を融通しよう、いろ/\それに付いて貴公に頼む事がある、貴公も私の悪事に左袒(さたん)して、それを喋って意趣返しをしようということもあるまい、お互いに綺麗な身体にはならないから、もう一と稼ぎしようじゃないか」
 忠「どういうことでございます」
 蟠「家(うち)じゃア話が出来ないから、今に舎弟が帰るから亀井戸の巴屋(ともえや)で一杯やって吉原へ行(ゆ)こう」
 忠「取り急ぎますから金子を拝借します」
 蟠「押上(おしあげ)の金座の役人に元手前が剣術を教えたことがある、其処(そこ)へ行(ゆ)けばどうにかなるから一緒に行(ゆ)こう」
 忠「金さえ出来れば参りましょう」
 とこれから巴屋へ往って酒を飲みます。元より好きだから忠五郎どっさり飲みました。
 忠「もう酔いまして、帰りましょう、金子を拝借したい」
 蟠「これは五十金、私(わし)が金座役人の所へ往って此の金は明日(あした)までに届けなければならぬ金だが、吉原へ行(ゆ)けば才覚が出来る、池田金太夫(いけだきんだゆう)という人を知っているだろう」
 忠「河内守(かわちのかみ)の公用人の」
 蟠「そうよ、内証(ないしょう)で遊びに往っている金太夫に遇うまで貴公は他(た)へ往って、赤い切れを掛けた女を抱いて寝て居(お)れば百金は才覚する」
 忠「久しく遊びに参りませんよ、妻(さい)が歿して二年越し独身で居ります……参りたいな、金子を戴いて待っている間、赤い切れと寝ているなどは有難い」
 蟠「金を早く持って帰らんでは市ヶ谷の親類の方はどうする」
 忠「金を持って行(ゆ)けば明日(あした)でも宜しゅうございます」
 蟠「現金な男だ、駕籠というのも何(なん)だからぶら/\歩こう」
 と貸提灯(かしぢょうちん)を提げて雪駄穿きで、チャラリ/\と又兵衛橋(またべえばし)を渡って押上橋(おしあげばし)の処へ来ると、入樋(いりひ)の処へ一杯水が這入って居ります。向うの所は請地(うけじ)の田甫(たんぼ)でチラリ/\と農家の燈火(あかり)が見えます、真の闇夜(やみ)。
 蟠「阿部」
 忠「へえ」
 蟠「便をしたいが、少し向うから人が来るようだから」
 忠「宜しゅうございます、私(わたくし)も出たいからお附合(つきあい)をしたい」
 蟠「左様(そう)か、そんなら私(わし)が提灯を持ってやろう」
 と元より貸提灯でございますから、
 蟠「ア、燈火(あか)りが消えるようだ」
 忠「消えましたか、困りましたな、一本道だから宜しいが燈火がなくては困りますな」
 蟠「うっかりしていた、困ったなア、何処(どこ)かへ往って借りよう、通り道に家(うち)があるだろう、構わず便(べん)をしなよ」
 忠「左様(そう)でございますか、宜しゅうございます」
 とうっかり向うを向いて便を達(た)そうとする処をシュウと抜討ちに胴腹(どうばら)を掛けて斬り、又咽元(のどもと)を斬りましたから首が半分落るばかりになったのを、足下(そっか)に掛けてドブーンと溜り水の中に落して仕舞いました。懐中から小菊(こきく)を取出して鮮血(のり)を拭い、鞘に納め、折(おり)や提灯を投げて、エーイと鞍馬(くらま)の謡(うた)いをうたいながら悠々(ゆう/\)と割下水へ帰った。其の翌日文治郎が様子を見て大伴の道場へ斬込もうと致しますと、只今なれば丁度午後二時半頃、文治郎の宅の玄関の前を往ったり来たりして居(お)るのは左官の亥太郎。
 森「どうしたえ」
 亥「森松か大(おお)御無沙汰をした」
 森「旦那がどうしたって心配(しんぺい)をしていらア、家(うち)を間違(まちげ)えたのか、往ったり来たりしている、どうも豊島町の棟梁のようだが、どうしたのかと思っていた」
 亥「家(うち)を間違(まちげ)えるような訳で、大御無沙汰」
 森「己(おら)の家(うち)に嫁が来た、良(い)い女だよ」
 亥「冗談じゃアねえ知らしてくれゝば嗅(くせ)え鰹節(かつぶし)の一本か酢(すっ)ぺい酒の一杯(いっぺい)でも持って、旦那お芽出度(めでと)うござえやすと云って来たものを」
 森「未(ま)だ本当の祝儀をしねえから何処(どこ)へも知らせねえのだ、大丈夫だ、心配(しんぺい)しなくもよろしい、祝いものは何処からも来やしねえ、表向(おもてむき)に婚礼をすりゃアお前(めえ)の所へも知らせらア」
 亥「旦那に云ってくんねえ、これは詰らねえ物だがって上げてくんねえ」
 森「旦那、亥太郎が来ました」
 文「そうか、此方(こっち)へお通し申せ……お母(っか)さま、亥太郎が参りました」
 母「そうかえ、まア/\此方(こちら)へ」
 亥「御無沙汰致しまして、お変りもございませんで」
 母「お前さんも達者で、つい此の間も噂をして居りました、さア此方(こっち)へ」
 文「亥太郎さん、文治郎は大きに御無沙汰をした、少し取込んだことがあって」
 亥「今、森に聞けばお嫁さんが来たって、知らねえものだから、知らせておくんなされば詰らねえ祝物(いわいもの)でも持って来なければならねえ身の上で、お祝いにも来ねえで、何(な)ぜ知らせて下さらねえ」
 文「いや/\未だ内輪だけのことで」
 母「只今文治の云う通り内輪だけのことで、改まって婚礼をするときは貴君方(あなたがた)にも知らせる積りでございます」
 亥「だって私(わっち)は内輪でございやす、なアにこれは詰らねえものでございやす、お嫁さんにお目に懸りてい」
 母「町や……年が行(ゆ)きませんから」
 亥「へえ、こりゃアどうも/\そんなに長くお辞儀をなすっちゃアいけねえ、私(わっち)どもは二つずつお辞儀をしなければならねえ、こんな良(い)いお嫁さんはございませんねえ、お姫様のようだ、私(わっち)はぞんぜえ者でございやす、幾久しく願いやす」
 文「御尊父様は御壮健でございますか」
 亥「へえ何(なん)でごぜえやすか」
 文「御尊父様は御壮健でございますか」
 亥「私(わっち)の近所の医者でごぜえやすか」
 文「いえ貴君(あなた)の親御(おやご)さまは」
 亥「私(わっち)の親父(おやじ)ですか、些(ちっ)とも知らねえ……お芽出たい処へ来て、こんな事を云っては何(なん)ですが、親父は此の二月お芽出度(めでたく)なりました」
 文「おや、さっぱり存ぜんで、お悔みにも参りません、何(な)ぜ知らせて下さらぬ」
 亥「私(わっち)共のような半纒着(はんてんぎ)の処へお前(めえ)さんが黒い羽織で来ちゃア気が詰って困るからお知らせ申さねえ」
 文「やれ/\御愁傷さま」
 母「お前さまのような薩張(さっぱ)りした御気性だから口へはお出しなさらないが、腹の中(うち)では嘸(さぞ)御愁傷でございましょう」
 亥「此方(こっち)の旦那のように親孝行をして死んだのでございません、餓鬼の中(うち)から喧嘩早(けんかっぱや)くって私(わっち)故に心配して、あんな病身になって死にました、達者な中(うち)に好(すき)な物でも食わせて死んだのなれば、良(い)いがと思って、死んで仕舞ってから気がついても仕方がねえ、私(わっち)が今度泣くと友達が笑って亥太郎は鬼の目に涙だってねえ」
文「嘸々(さぞ/\)御愁傷のことで、お見送りもしなかったのは残念だ、頼母(たのも)しくない」
 亥「今のお嫁入りとえんだり[#「えんだり」に傍点]にしましょう、私(わっち)共は交際(つきえゝ)が広(ひれ)いものだから裏店(うらだな)の葬(ともれ)えでありながら、強飯(こわめし)が八百人前(めえ)というので」
 文「成程、嘸御立派でございましたろう」
 亥「それで豊島町の八右衞門(はちえもん)さんが一人の親だから立派にしろというので、組合(くみえい)の者が皆(みんな)供に立って、富士講(ふじこう)の先達(さんだつ)だの木魚講(もくぎょこう)だのが出るという騒ぎで、寺を借りて坊主が十二人出るような訳で」
 文「立派なことでございましたなア」
 亥「それも宜(よ)いが、蝋燭だの線香だの香奠(こうでん)だのと云って家(うち)の中(うち)へ一杯(いっぺい)に積んで山のようになりました、金でも持って来れば宜(い)いに、食えもしねえ蝋燭なんぞを持って来て、其の返(けえ)しに茶の角袋(かくぶくろ)でも附けなければならねえ、これが小(こ)千軒あるような訳で」
 文「成程、併(しか)しながら亥太郎さん、一人のお父(とっ)さんのことだから立派になさい」
 亥「へえ…何(なん)だって豊島町の富士講の先達(せんだつ)だの法印が法螺(ほら)の貝を吹くやら坊主が十二人」
 文「成程」
 亥「それも宜(い)いが、蝋燭だの線香だの食えもしねえ物を貰って返(けえ)しをしなければならねえ」
 文「成程、御孝行の仕納めだから立派になすった方が宜しい」
 亥「身に余った葬(ともれ)えで仮寺(かりでら)を五軒ばかりしなければ追付(おっつ)かねえ、酒が三樽(たる)開いて仕舞う、河岸(かし)や何かから魚を貰って法印が法螺の貝を吹く騒ぎ」
 文「成程」
 亥「それも仕方がねえが山のように線香だの何(なん)だの、質にも置けねえ物を貰って、それも宜(い)いが返(けえ)しに菓子と茶を附けなければならねえ」
 文「成程、立派にしてお上げなさい」
 亥「坊主を十二人頼むというので棺台などを二間(けん)にして、無垢(むく)も良(い)いのを懸けろというので、富士講に木魚講、法印が法螺の貝を吹く」
 文「成程立派なことで」
 亥「それも宜(い)いけれども食えもしねえ線香や蝋燭などを山のように積んで、菓子や茶の袋を配るのが千軒もある」
 文「成程、亥太郎さん、貴方のことだからお差支(さしつかえ)もあるまいが、余程のお物いりだね」
 亥「へえ、仕様がねえ」
 文「外(ほか)の事とも違うから、御不足はあるまいが御入用なれば文治郎これだけ入ると、打明けて云うて下さるのが友達の信義だから、多分のことは出来まいが、少々ぐらいのことなら御遠慮なくお云いなさい」
 亥「へえ/\……からビッショリ汗をかいて仕舞った……実は金を借りに参ったので」
 文「道理でおかしいと思った、一つ言(こと)ばっかり仰(おっし)ゃるから、お正直です」
 亥「今まで身上(みじょう)が悪いから菓子屋も茶屋も貸さねえ、仕方がねえから旦那の所へ来たが、玄関の所へ来て這入り切れねえ……旦那済みませんが貸して下せい」
 文「道理で……宜しい/\あなたが道楽に遣(つか)うのでない立派なことです、何程(なにほど)御入用……それで済みますか五十金……お母(っか)さまお貸し申しましょうか」
 母「御用達(ごようだて)申しなともさ」
 亥「有難うごぜえやす……私(わっち)は証文を書くにも書けませんが、こういう詰らねえ物を持って居りやすが、百両の抵当(かた)に編笠ということもございやすから、これを預って下せえ」
 と出したのは高麗青皮(こうらいせいひ)に趙雲(ちょううん)の円金物(まるがなもの)、後藤宗乘の作でございます。
 文「立派な胴乱だ」
 亥「胴乱でごぜいますか」
 文「これは高麗国の亀の甲だというが、類(たぐ)い稀なる物……これは名作だ、結構な物、どうしてこれを御所持でございます」
 亥「それはなに、妙な、なに泥ぼっけになっていたのを拾ったのです」
 文「これはお前さんの手に在(あ)っても入(い)るまい」
 亥「入りませんとも」
 文「抵当(かた)も何も入らぬが、これは預って置きましょう」
 文治郎の手にこれが這入るのは蟠龍軒の天運の尽きで、これが友之助の手に這入って、遂に小野庄左衞門の讎(かたき)が分るというお話、鳥渡(ちょっと)一吹(いっぷく)致しまして申し上げます。

  十七

 文治は予(かね)て大伴の道場に斬入(きりい)るは義によっての事でございまして、身を棄て、義を採ります。命を棄てゝも信を全くする其の志がどう云う所から起りましたか、文治郎は何か学問が横へ這入り過ぎた処があるのではないかと或る物識(ものしり)が仰しゃったことがございます、余り人の為の情(なさけ)と云うものが深くなると、人を害することがあります[#欄外に「玉葉集巻十八、雑五、従三位爲子」の校注あり]「心ひく方(かた)ばかりにてなべて世の人に情(なさけ)のある人ぞなき」と云う歌の通り「情(なさけ)を介(さしはさ)んで害を為(な)す」と云う古語がございます。大伴を討って衆人を助け、殊には友之助を欺いて女房を奪い、百両の金も取上げて仕舞い、彼を割下水の溝(どぶ)の中へ打込み、半殺しにしたは実に大逆非道な奴で、捨置かれぬと云う其の癇癖を耐(こら)え/\て六月の晦日(みそか)まで待ちました。昼の程から様子を聞くと、今日は大伴兄弟も他(た)へ用達(ようたし)に行(ゆ)くことなし、晦日のことで用もあるから払方(はらいかた)を済ませ、家(うち)で一杯飲むということを聞きましたから、今宵(こよい)こそ彼を討たんと、昼の中(うち)から徐々(そろ/\)身支度を致します。お町は其の様子を知って居りますから、暮方(くれがた)になると段々胸が塞(ふさが)りまして、はら/\致し、文治郎の側に附いて居りました。四(よ)つを打つと只今の十時でございますから、何所(どこ)でも退(ひ)けます。母にもお酒を飲ませ、安心させるよう寝かし付け、彼是(かれこれ)九つと思う時刻になると、読みかけた本を投げ棄て、風呂敷包みを持出しましたから、お町はあゝ又風呂敷包みが出たかと思うと、包を解(ほど)いて前(ぜん)申し上げた通り南蛮鍛えの鎖帷子、筋金の入(い)ったる鉢巻を致しまして、無地の眼立たぬ単衣(ひとえもの)に献上の帯をしめて、其の上から上締(うわじめ)を固く致して端折(はしおり)を高く取りまして、藤四郎吉光の一刀に兼元の差添(さしぞえ)をさし、國俊(くにとし)の合口(あいくち)を懐に呑み、覗き手拭で面部を深く包みまして、ぴったりと床(とこ)の上へ坐りまして、
 文「お町やこれへお出で」
 町「はい、お呼び遊ばしましたか」
 文「毎夜云う通り今晩は愈々(いよ/\)行(ゆ)かんければならぬことになりました、多分今宵は本意(ほんい)を遂(と)げて立帰る心得、明け方までには帰るから、どうか頼むぞよ、若し帰らぬことがあったらば文治郎亡き者と思い、私(わし)に成り代って一人のお母様(っかさま)へ孝行を頼みますぞよ」
 町「はい、旦那様、私(わたくし)が此方(こちら)へ縁付いて参りましてから、毎夜々々荒々しいお身姿(みなり)でお出向(でむき)になりますが、どうしてのことか、余程深い御遺恨でもありますことか、果し合とやら云うようなお身姿でございますが、お出(で)遊ばすかと思えば又直ぐお早くお帰りのこともあり、誠に私(わたくし)には少しも理由(わけ)が分りません、元より此方(こちら)へ嫁に参りたいと願いました訳でもございませず、どうか便り少い者ゆえ貴方様へ御飯炊奉公(ごぜんたきぼうこう)に参って居りますれば、不調法を致しましても、お情深い旦那様、行(ゆ)き所もない者と無理に出て行(ゆ)けとお暇(いとま)も出まいと思い、旦那様をお力に親の亡い後(のち)には唯(た)だ此方様(こなたさま)ばかりを命の綱と取縋(とりすが)って、御無理を願いましたことで、思い掛けなくお母様が嫁にと御意遊ばして、冥加に余ったことなれど、実は旦那様は嘸(さぞ)お嫌(いや)であろうと存じて居りました処が、御孝心深いあなた様、お母様の云うことをお背き遊ばさずに、親が云うからと不束(ふつゝか)な私(わたくし)を嫁にと仰しゃって下さりまして、私(わたくし)は実に心が切のうございます、何卒(どうぞ)女房と思し召さず御飯炊の奉公人と思召してお置き遊ばして下さるよう願いとう存じます」
 文「それはお前分らぬことを云う、いやならいやと男だから云います、又気に入らぬ女房は持っている訳にはいかぬもの、一旦婚姻を致したからには決して飯炊奉公人とは思いません、文治郎何処(どこ)までも女房と心得ればこそ母の身の上を頼むではないか、何(な)ぜ左様なことを云う」
 町「ひょっと旦那様は他(ほか)にお母様に御内々(ごない/\)でお約束遊ばした御婦人でもございまして、お母様の前をお出(で)遊ばすにお間(ま)が悪いから、私(わたくし)のようなものでも嫁と定(き)めれば、まさか打明けて斯(こ)うだとお話も出来ないから、其の御婦人の方(かた)へお逢い遊ばしに夜分お出向(でむき)になる事ではないかと、私(わたくし)は悋気(りんき)ではございませんけれども、貴方のお身をお案じ申しますから、思い違えを致すこともございます、何卒(どうぞ)そう云う事でございますならばお母様に知れませぬように、どのようにも私(わたくし)が執(と)り繕いますから、其の女中をお部屋までお呼び遊ばすようになすって下されば、お母様に知れないよう計(はから)います、実は斯うと打明けて御意(ぎょい)遊ばして下さる方が却(かえ)って私(わたくし)は有難いと存じます」
 文「つまらぬことを云うね、妾や手掛の所へ行(ゆ)くに鎖帷子を着て行(ゆ)く者はありません、併(しか)しお前が来てから盃をしたばかりで一度も添寝(そいね)をせぬから、それで嫌うのだと思いなさるだろうが、なか/\左様な女狂いなどをして家を明けるような人間ではございません、言うに云われぬ深い理由(わけ)があって、どうも棄て置かれぬ、お前が左様に疑(うた)ぐるから話すが、私は義に依(よ)って夜(よ)な/\忍び込んで、若し其の悪人を討てば、幾千人の人助けになる、天下のお為になる事もあろう、それ故に母に心配を掛けないよう隠して斯うやって参る、文治郎元より一命を抛(なげう)っても人の為だ、私(わし)がお前と一度でも添臥(そいぶし)すればお前はもう他(た)へ縁付くことは出来ぬ、十七八の若い者、生先(おいさき)永き身の上で後家を立てるようなことがあっては如何(いか)にも気の毒、私(わし)が死んでお母様がお前に養子なさると云えば、一旦文治郎の女房になったと他人(ひと)は思おうとも、お前の身に私(わし)と添臥(そえぶし)をせぬと云う心に力があるから、どのような養子も出来る、添寝をせぬのは実は文治郎がお前を思う故に、情(なさけ)の心からだ、又首尾能(よ)く為終(しおお)した上では、縁あって来た者故添い遂げらるゝこともあろうかと考える、何事も右京太夫の家来の藤原と相談してお母様を頼む、何卒(どうぞ)情(つれ)ない男と思いなさるな、天下のため命を棄てるかも知れぬから」
 町「はい能く打明けて仰しゃって下すった」
 と袖(そで)を噛んだなりで泣き倒れましたが、暫くあって漸々(よう/\)顔を上げまして、
 町「旦那様、そう云うことなら決してお止め申しませんが、何卒(どうぞ)私(わたくし)の申しますこともお聞き遊ばして下さいまし」
 文「何(なん)でも聞きます、どう云うこと」
 町「はい、私(わたくし)が此方(こちら)へ参りましてから、貴方はお癇癖が起って居(お)る御様子、寛々(ゆる/\)お話も出来ませんが、貴方にお恵みを受けました親父(ちゝ)庄左衞門は桜の馬場で何者とも知れず斬殺(きりころ)されましたことは御存じございますまい」
 文「えー……それは知らねど……どうも思い掛けない、何時(いつ)のことで……フーン後月(あとげつ)二十七日の夜(よ)に桜の馬場に於(おい)て何者に」
 町「はい、何者とも知れません、お検死の仰しゃるには余程手者(てしゃ)が斬ったのであろうと、それに親父(ちゝ)がたしなみの脇差を佩(さ)して出ましたが、其の脇差は貞宗でございますから、それを盗取(ぬすみと)りました者を探(たず)ねましたら讐(かたき)の様子も分ろうかと存じますが、仮令(たとえ)讐が知れましてもかぼそい私(わたくし)が親の讐を討つことは出来ませんから、旦那様へ御奉公に上って居りましたら、讐の知れた時はお助太刀も願われようかと存じ、御飯炊の御奉公に願いましたことでございます、貴方のお身の上に若しもの事がありますれば、親の讐を討ちます望(のぞみ)も遂げられまいかと存じます……そればっかりが残念でございます」
 文「フーン、能く親の讐を討ちたいと云った、流石(さすが)は武士の娘だ、あゝそれでこそ文治郎の女房だ、宜しい、私(わし)が附いていて、探(さが)し当て屹度(きっと)討たせます、仮令(たとえ)今晩為終(しおお)せて来ようとも、窃(ひそ)かに立帰ってお前の親の讐を討ったる上で名告(なの)って出ても宜(い)い……併(しか)し直ぐと手掛りもなかろう、彦四郎の刀を取られたのを手掛りとしても、それさえ他(た)に類のあるものでもあり、脇差の拵(こしら)えや何かも女のことだから知るまい」
 町「いゝえ、親父(おやじ)が自慢に人様が来ると常々見せましたが、縁頭(ふちがしら)は赤銅七子(しゃくどうなゝこ)に金の三羽千鳥が附きまして、目貫(めぬき)も金の三羽千鳥、これは後藤宗乘の作で出来の好(よ)いのだそうで、鰐(さめ)はチャンパン、柄糸(つかいと)は濃茶(こいちゃ)でございます、鍔(つば)は伏見の金家(かねいえ)の作で山水に釣(つり)をして居(お)る人物が出て居ります、鞘は蝋色(ろいろ)でございまして、小柄(こづか)は浪人中困りまして払いましたが、中身は彦四郎貞宗でございます」
 文「能く覚えて居(お)る、それが手掛りになりますから心配せぬが宜しい、屹度(きっと)敵(かたき)を討たせましょうが……今夜はどうしても私(わし)は行(ゆ)かなければならぬ、お母様に何卒(どうぞ)知れぬようにして下さい、決して心配するな、直(じ)き往って来るから」
 町「はい、お止め申しませぬ……御機嫌宜しゅうお帰り遊ばして」
 と縁側まで送り出し、御機嫌宜しゅうと袖に縋(すが)って文治郎の顔を見上げる。文治郎は情深い者でございますから、あゝ可愛そうに、己は帰れるやら帰れぬやら知れぬに、気の毒なことゝ思うが、仕方がないから袖を払って三尺の開きをあけて、庭から出まして、これから北割下水へ掛って来ますると、夜(よ)は森々(しん/\)と致して鼻を抓(つま)まれるのも知れません。大伴蟠龍軒の門前まで来ると、締りは厳重で中へ這入る事は出来ません、文治郎は細竹を以(もっ)てズーッと突きさえすれば、ヒラリと高い屋根へ飛上(とびあが)る妙術のある人でございますから、何(なん)ぞ竹はないかと四辺(あたり)を見ると、蚊を取ります袋の付きました竹の棒がある「本所に蚊が無くなれば師走(しわす)かな」と云う川柳の通り、長柄(ながえ)に袋を付けて蚊を取りますが、仲間衆(ちゅうげんしゅう)が忘れでもしたか、そこに置いてありましたから、其の袋を取ってぱっと投げますると、風が這入って袋の拈(より)が戻ったから、中からブウンと蚊が飛び出しました。文治郎は情深い人で、蚊まで助けましたから、今でもブウン/\と云って忘れずに文治郎の名を呼んで飛んで居ります。竹を突いて身軽に門番の家根へ飛上り、又竹を突いてさっと身軽に庭へ下りて、音のせぬように潜み、勝手を知った庭続き、檜(ひのき)の植込(うえご)みの所から伝わって随竜垣(ずいりゅうがき)の脇に身を潜めて様子を窺(うかゞ)うと、長(なが)四畳で、次は一寸(ちょっと)広間のようの所がありまして、此方(こちら)に道場が一杯に見えます。酒を飲んでグダ/\に酔って弟の蟠作が、和田原安兵衞と云う内弟子と二人で話をして居りますが、話をする了簡だけれども、食(くら)い酔って舌が廻りませんから些(ちっ)とも分りません、酒の相手は仕倦(しあ)きて妾のお村が浴衣(ゆかた)の姿(なり)で片手に団扇(うちわ)を持って庭の飛石(とびいし)へ縁台を置き、お母(ふくろ)と二人で涼んで居ります。
 崎「さアお休みなさいよう、お村が早く寝たいと云いますよう……御舎弟様大概に遊ばせよう、お村が怒(おこ)って居りますよ」
 村「若旦那お休みなさいよう」
 蟠「そんなことを云って、まア鬼のいない中(うち)の洗濯じゃアないか……なア安兵衞、兄貴は分らぬてえものだ、此のどうも脇差を弟に内証(ないしょう)で時々ズーッと鞘を払い、打粉を振って磨き、又納め、袋へ入れて楽しんでいるからひどい、今日は留守だから引摺り出したが、私(わし)に見せぬで隠して居(お)るのはひどい」
 安「何時(いつ)の間にお手に入れたか、これは大先生(おおせんせい)より貴方のお持ち遊ばした方が宜しい」
 蟠「兄貴は分らぬ、隠して置くはどうも訝(おか)しい、それに何(な)ぜ此の位の良い脇差に…小柄がないね」
 安「これは何(いず)れ取りあわせて拵(こしら)えるのでしょう」
 村「早くお休みなさいよ、お願いでございますよ、お母(ふくろ)も眠がって居りますから旦那」
 と云うのが庭へ響きます女の声、はア此処(こゝ)にいるのはお村母子(おやこ)だが、此奴(こいつ)を逃してはならぬと藤四郎吉光の鞘を払って物をも云わずつか/\と来て、誰(たれ)かと眼を着けるとお村ですから「友之助ならば斯(かく)の如く」とポーンと足を斬りました。
 村「あゝ人殺し」
 と言いながら前へ倒れる。其の刀でえいと斬るとバラリッとお母(ふくろ)の首が落ちました。随竜垣に手を掛けて土庇(どびさし)の上へ飛上って、文治郎鍔元(つばもと)へ垂れる血(のり)を振(ふる)いながら下をこう見ると、腕が良いのに切物(きれもの)が良いから、すぱり、きゃっと云うばかりで何(なん)の事か奥では酒を飲んでいて分りません。
 蟠「何(なん)だ/\」
 村「人殺し/\」
 安「それは飛んだこと」
 とひょろ/\よろけながら和田原安兵衞が来て、
 安「どう遊ばした、お母様(ふくろさま)も怪(け)しからぬ……何者でござる、確(しっか)り遊ばして」
 と言いながらお村を抱き起そうとする時、後(うしろ)から飛下りながら文治郎がプツリッと拝み討ちに斬りますと、脳をかすり耳を斬落(きりおと)し、肩へ深く斬り込みましたから、あっと仰様(のけざま)に安兵衞が倒れました。蟠作は賊ありと知って討とうと思いましたが、慌(あわ)てる時は往(ゆ)かぬもので、剣術の代稽古をもする位だから、刀を持って出れば宜(よ)いに、慌てゝ居りますから心得のない槍の鞘を払って「賊め」と突き掛る処を、はっと手元へ繰込(くりこ)み、一足踏込んでプツリと斬りましたが、殺しは致しませんで、蟠作の髻(たぶさ)とお村の髻とを結び、庭の花崗岩(みかげいし)の飛石の上へ押据(おしす)えて、
 文「やい蟠作、能くも汝(われ)は大小を差す身の上でありながら、町人風情(ふぜい)の友之助を賭碁に事寄せ金を奪い、お村まで貪(むさぼ)り取ったな、大悪非道な奴である…お村、汝(われ)は友之助と心中致す処を此の文治郎が助け、駒形へ世帯を持たせて遣(や)ったに、汝(なんじ)友之助に意地をつけ、文治郎に無沙汰で銀座三丁目へ引越(ひっこ)し、剰(あまつさ)え蟠龍軒の襟元に付き心中までしようと思った友之助を袖にして、斯様(かよう)な非道なことをしたな、汝(なんじ)は文治郎が掛合に参った時悪口(あっこう)を吐(つ)き、能くも面体(めんてい)へ疵を付けたな、汝(おの)れ」
 と七人力の力で庭の飛石へ摩(こす)り付け、友之助が居(お)ればこうであろうと、和田原安兵衞の差していた脇差を取って蟠作の顔を十文字に斬り、汝(われ)は此の口で友之助を騙(だま)したか、此の色目で男を悩(なやま)したかとお村をズタ/\に斬り、汝(われ)は此の口で文治郎に悪口を吐(つ)いたかと嬲殺(なぶりごろ)しにして、其の儘脇差を投(ほう)り出し、藤四郎吉光の一刀を提(さ)げて「蟠龍軒は何処(どこ)に居(お)るか、隠れずに出ろ、友之助になり代って己が斬るから此処(こゝ)へ出ろ」と云いながら何処を探してもいないから、台所へ来て男部屋を開けますると、紙帳(しちょう)の中へゴソ/\と潜(もぐ)って、頭の上へ手を上げて一生懸命に拝んで、
 男「何卒(どうぞ)お助け下さい、何も心得ません、命計(ばか)りはお助けなすって、御入用なれば何(なん)でも差上げます」
 文「己は賊ではない、汝(てまえ)は奉公人か、当家の家来か」
 男「へえ先月奉公に這入った何も心得ませんもので」
 文「蟠龍軒は何処に隠れて居(お)るかそれを教えろ、蟠龍軒は何処に隠れて居るかそれを言え」
 男「何処だか存じませんが、今朝程築地(つきじ)のお屋敷へ往って浮田金太夫(うきたきんだゆう)様の処へ、竹次郎というお弟子と今一人を連れて参りました」
 文「嘘を云え、何処に隠れているか云え」
 男「嘘ではございません、主人の煙草盆に手紙が挿してあります、浮田金太夫様からのお手紙が参って居ります」
 文「じゃア全く居(お)らぬか……残念な事を致したな、大伴兄弟が居(お)ると思ったに蟠龍軒だけ築地の屋敷へ参ったか……あゝ残念な事をした」
 と云いながらプツーリと癇癪紛れに下男の首を討落(うちおと)しました。奉公人はいゝ面の皮で、悪い所へ奉公をすると此様(こん)な目に遇います。文治郎は刀をさげ、隠れて居(お)るかと戸棚(とだな)を開けたり、押入を引開けて見たが、居りません。座敷の真中(まんなか)に投(ほう)り出してありますは結構な脇差で、只(と)見ると赤銅七子に金の三羽千鳥の縁頭、はてなと取上げて見ると、鍔は金家の作、目貫は三羽千鳥、是は彼(か)のお茶の水で失ったる彦四郎貞宗ではないか、中身はと抜いて見ると紛(まご)う方なき貞宗だから、あゝ残念な事をした庄左衞門を殺害(せつがい)したのは彼等兄弟の所業(しわざ)に相違ないが、是を己が持って帰れば盗賊に陥り、言訳が付かぬ、却(かえ)って刀は此所(こゝ)に置く方が調べの手懸りにもなろうと思い、此の事を早くお町にも話したいと血(のり)を拭(ぬぐ)って鞘に納め、塀を乗越えて立帰りましたが、これから災難で此の罪が友之助に係りまして、忽(たちま)ちにお役所へ引かれますのを見て、文治郎自(みず)から名告(なの)って出て、徒罪(とざい)を仰付(おおせつ)けられ、遂に小笠原島へ漂着致し、七ヶ年の間、無人島(むにんとう)に居りまして、後(のち)帰国の上、お町を連れて大伴蟠龍軒を討ち、舅(しゅうと)の無念を晴すと云う、文治郎漂流奇談のお話も楽(らく)でございます。
 

(拠若林※藏、酒井昇造速記)


  

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底本:「圓朝全集 巻の四」近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
   1963(昭和38)年9月10日発行
底本の親本:「圓朝全集 巻の四」春陽堂
   1927(昭和2)年6月28日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」は、それぞれ「其の」と「此の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※誤記等の確認に、「三遊亭円朝全集 第三巻」(角川書店、1975(昭和50)年7月31日発行)を参照しました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。
入力:小林 繁雄
校正:かとうかおり
ファイル作成:かとうかおり
2000年1月18日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

 



【表記について】

/\……二倍の踊り字(濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」)


本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

 

 若林※藏


第4水準2-80-65

※袍(どてら)


第3水準1-90-18

大刀の※(つか)へ


第4水準2-13-2

※(もじり)などを持って


第4水準2-90-93

※(ほし)殺そうと思って


第4水準2-92-63

※(たが)がゆるんだのだ


 

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