「青空文庫」三遊亭圓朝 http://www.aozora.gr.jp/cards/000989/files/351.html より転載

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

業平文治漂流奇談

三遊亭圓朝

五〜八話

 

 引続きまする業平文治のお話は些(ち)と流行遅れでございまして、只今とは何かと模様が違います。当今は鉄道汽車が出来、人力車があり、馬車があり、又近頃は大川筋へ川蒸気が出来て何もかも至極便利でありますが、前には左様なものがありませんから、急ぐ時は陸(おか)では駕籠(かご)に乗り川では船に乗ることでありましたが、お安くないから大抵の者は皆歩きました。只意気な人は多く船で往来致しましたから、舟が盛んに行われました。扨(さて)友之助は乗りつけの船宿から乗っては人に知られると思うから、知らない船宿から船に乗って来て桐屋河岸に着けて船首(みよし)の方を明けて、今に来るかと思って煙草を呑みながら時々亀の子のように首を出して待ちあぐんでいると、お村は固(もと)より死ぬ覚悟でございますから、鳥渡(ちょっと)お参りの姿(なり)で桐屋河岸へ来て、船があるかと覗(のぞ)いて見ると、一艘(いっそう)繋(つな)いであって、船首の方が明いていて、友之助が手招ぎをするから、お村はヤレ嬉しと桟橋(さんばし)から船首の方へズーッと這入(はい)ると、直(すぐ)に船頭さん上流(うわて)へ遣っておくれと云うので河岸を突いて船がズーッと右舷(おもかじ)を取って中流へ出ます。そうするとお村は何(なんに)も言わずに友之助の膝(ひざ)に取付き、声を揚げて泣きますから、友之助は一向何事とも分らぬから、兎も角も早く様子が聞きたいと云うので、向島(むこうじま)の牛屋(うしや)の雁木(がんぎ)から上り、船を帰して、是から二人で其の頃流行(はや)りました武藏屋(むさしや)と云う家(うち)がありました、其の家は麦斗(ばくと)と云って麦飯に蜆汁(しゞみじる)で一猪口(ちょく)出来ます。其の頃馴染(なじみ)でございますから人に知れないように一番奥の六畳の小間を借りまして、様子を聞こうと思うと、お村は云う事もあとやさきで只泣く計りでございますから、
 友「どうも何(なん)だか唯泣いてばかりいては訳が分らないじゃアないか、冗談じゃない、又お母(っかあ)と喧嘩でもしたのだろう、お前のお母のあの通りの気性は幼(ちいさ)い時分から知ってるじゃアないか、能く考えて御覧、都合の好(い)い時分に何か買って行って、これをおたべ、これをお着と云って菓子の折(おり)か反物(たんもの)の一反も持って行(ゆ)けばニコ/\笑顔(わらいがお)をするけれども、少し鼻薬が廻らなければ、脹面(ふくれッつら)をして寄せ付けねえと云う不人情なお母だから、どうせお前は喰物(くいもの)になるので可愛そうな身の上だが、これも仕様がないが、まアどう云う喧嘩をしたのだか、手紙に死ぬと書いてあったが、死ぬなどゝ云うのは容易な事じゃアないが、一体どう云う訳だえ」
 村「此の間話したが、アノーお客の御舎(ごしゃ)さんと云う人が手を廻して、お月姉さんから色々私の方へ云ってくれたが、お月姉さんが其の事を直(じき)にお母に云って仕舞ったから、お母は何(なん)でもお客に取れと云うけれども、私は厭だから厭だと云ったら怖ろしく腹を立って、私の結いたての頭髪(あたま)を無茶苦茶に打(ぶ)って、其の上こんな傷をつけて、お客を取らなければ女郎に売って仕舞うと云うのだが、随分売り兼(かね)ない気性だから、若(も)し勤めに入れば、もう逢える気遣(きづか)いはなし、義理のわるい借金もあり、私もお前さんと一緒にならなければ外(ほか)の芸者衆(しゅ)にも外聞がわるいから、寧(いっ)そ死んで仕舞おうと覚悟をしたが、一目逢って死にたいと思うばッかりに忙がしいお前さんにお気の毒をかけましたが、今日は能く来ておくんなさいました、私の死ぬのは私の心がらで仕方がないのだが、私の亡(な)い後(のち)にはお前さんは情婦(いろ)も出来ようし、良(い)いお内儀(かみ)さんも持ちましょうけれども、私はどんな事をしたって思いを残す訳じゃアないが、余所(よそ)は仕方がないが、どうか柳橋では浮気をしておくれでない、若し柳橋で浮気をなさると、友さん私は死んでも浮ばれませんよ」
 友「詰らない事を云うぜ、お前ほんとうに死なゝけりゃア行立(ゆきた)たないかえ」
 村「あゝ私ゃ本当に死のうと思い詰めたから云いますが、こんな事が嘘に云われますか」
 友「そうか、そんなら話すが実は己(おれ)も死のうと思っている、という訳は、旦那の金を二百六十両を遣(つか)い込んで、払い月だがまだ下(さが)りませぬ/\と云って、今まで主人を云い瞞(くろ)めたが、もう十二月の末で、大晦日(おおみそか)迄には是非とも二百六十両の金を並べなければ済まねえから、種々(いろ/\)考えたが、此の晦日前では好(い)い工夫もつかず、主人に対して面目ないし、自分の楽(たのし)みをして主人の金を遣い果たして、高恩を無にするような事をして実に済まねえ、どうも仕方がないから死のうと覚悟はしても、死にきれねえと云うのは、お前(めえ)を残して行(ゆ)くのはいやだ、と思って七所借(なゝとこが)りをしても、鉄の草鞋(わらじ)を穿(は)いて歩いても、押詰(おしつま)った晦日前、出来ないのは暮の金だ、おめえ本当に覚悟を極めたら己と一緒に死んでくれないか」
 村「えー本当、どうも嬉しいじゃアないか、私も実は一緒に死にたいと思っても、お前さんに云うのが気の毒で遠慮していたが、お前さんと一緒なら私ゃ本当に死花(しにばな)が咲きます、友さん本当に死んで下さるか」
 友「静かにしねえ、死ぬ/\と云って人に知れるといけないから、斯(こ)う云う事なら金でも借りて来て総花(そうばな)でもして華々しくして死ぬものを、たんとは無いが有りッたけ遣(や)って仕舞おうじゃないか、お前も遣ってお仕舞い」
 村「死ぬには何(なん)にも入らないから笄(かんざし)も半纒(はんてん)も皆(みん)な遣って仕舞います」
 友「それでは其の積りで」
 村「本当かえ、嬉しいねえ」
 と迷(まよい)の道は妙なもので、死ぬのが嬉しくなって、お村は友之助の膝に片手を突いて友之助の顔を見詰めて居りましては又ホロリ/\と泣きます。其の時に廊下でパタ/\と音がするから、人が来たなと思い、それと気を付ける時、襖(ふすま)を明けて女中が見えました。
 女「お銚子がお熱くなりました、誠に大層お静かでございます…お酌を致しましょう」
 友「はい願いましょう、毎度御厄介を掛け、世話をやかしてお気の毒さま、もう私もこれぎり来られまい、遠方へ行(ゆ)きますから、姉さんの顔も是が見納めでしょう」
 女「まア厭でございますねえ、そんな事を仰しゃると心細うございますよ、此の間も久しいお馴染になったお客様がお役で御遠方へお出(いで)になるゆえ、お送り申して胸が一ぱいになりました、いけませんねえ、お村姉さんは度々(たび/\)お客様をお連れ下すって、柳橋にはお村さんより外(ほか)に好(よ)い芸者衆(しゅ)は無いと宅(うち)のお内儀(かみさん)も云って居りました、お村さんいけませんねえ」
 村「私も一緒に行(ゆ)くような事になりました」
 女「羨(うらや)ましい事ねえ、結句どんな所でも思う人と行っていれば辛いと思うものでございませんよ」
 友「これはほんの心ばかりだが、どうぞ親方とお内儀に上げて下さい、これは女中衆(しゅ)八人へ、これは男衆(しゅ)へ、たしか出前持とも六人でしたねえ」
 女「毎度どうも、御心配なすってはいけません、誠に恐入(おそれい)りますねえ、只今親方もお内儀もお礼に出ますからお村さん宜しく」
 友「此の羽織はいらない羽織で、だいなしになって居りますが、毎度板前さんにねえ我儘(わがまゝ)を云いますから、何卒(どうか)上げて下さい」
 女「誠にどうも有難うございます」
 友「此の烟草入(たばこいれ)はくだらないが毎(いつ)も頼む使(つかい)の方に」
 村「此の羽織はいけないのですがあのお金どんに、此の笄は詰らないのですがお前さんに上げるから私の形見と思って指(さ)して下さい」
 女「形見だなんぞと仰しゃると心細うございますねえ、本当に嘘でしょう、本当、まアどうも恟(びっく)りしますねえ、珊瑚樹(さんごじゅ)の薄色(うすいろ)で結構でございますねえ、私などはとても指す事は出来ませんねえ、これを頭へ指そうと思うと頭を見て笄が駈出してしまいますよ、笄には足がありますから、おやこれも、恐れ入りますねえ、少し横におなりなさいまし」
 と屏風(びょうぶ)を立廻(たてまわ)し、枕元に烟草盆を置いて、床を取って、
 女「お休みなさいまし」
 と云って襖を締めて行(ゆ)きましたが、二人は今夜死のうというのですから寝ても寝られません。種々(いろ/\)に思返(おもいかえ)して見たが、死神に取付かれたと見えまして、思い止ることが出来ません。其の内に夜(よ)も段々更けて世間が寂(しん)として来ましたから、時刻はよしと二人はそっと出まして、牛屋の雁木へ参りますと、暮の事でございますから吾妻橋の橋の上には提灯(ちょうちん)がチラリ/\見えます。
 村「友さん」
 友「えゝ」
 村「まだ吾妻橋を提灯が通るよ」
 友「余程(よっぽど)更けた積りだが、そうでもなかったか」
 村「これから二人で行(ゆ)くのだが、私も今日昼過から家(うち)を出たから屹度(きっと)お母(っかあ)が捜しているに違いない、若(も)し人目に懸って引戻されるともう逢う事は出来ないから、迂濶(うっかり)とは行かれないから、此の牛屋の雁木からでいゝから飛込んでおくれな」
 友「此処(こゝ)はねえ浪除杭(なみよけぐい)が打ってあって、杭の内は浅いから外へ飛込まなければならんが飛べるかえ」
 村「飛べますよ、一生懸命に飛込みますから」
 友「浪除杭の外は極(ごく)深い所だ」
 村「じゃア、さア此処から飛込みましょう、お前さん一生懸命に私の腰をトーンと突いて下さいよ」
 友「さア」
 村「さア是で別れ/\にならないように帯の所へ縛り付けて下さい」
 と緋(ひ)の絹縮(きぬちゞみ)の扱帯(しごき)を渡すから帯に巻付けまして、互に顔と顔を見合せると胸が一杯になり、
 友「あゝ去年の二月参会の崩れから始めて逢ってお前と斯(こ)う云う訳になろうとは思わなかったなア」
 村「私のようなものと死ぬのは外聞がわるかろうけれども、友さん定(さだま)る約束と諦めて、どうぞ死んで彼世(あのよ)とかへ行っても、どうぞ見捨てないで女房(にょうぼ)と思っておくんなさいよ」
 友「あいよ/\主人の金を遣(つか)い果たして死ぬのは、十一の時から育てられた旦那様に済まねえけれど、どうか御勘弁なすって下さい、己もお前も親はなし、親族(みより)も少い体で斯うなるのは全く宿世(すぐせ)の約束だなア」
 村「あい、さア、友さん早く私を突飛(つきとば)しておくんなさい」
 と二人共に掌(て)を合せて南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)/\と唱えながら、友之助がトーンと力に任せてお村の腰を突飛すと、お村はもんどりを打って浪除杭の外へドボーンと飛込んだから、続いて友之助も飛びましたが、お村を突飛ばして力が抜けましたか、浪除杭の内へ飛込んだから死ねません、丁度深さは腰切(こしっきり)しかありませんから、横になって水をがば/\飲みましたが、苦しいから杭に縋(すが)って這上(はいあが)りますと、扱帯は解けて杭に纒(から)み、どう云う機(はず)みかお村の死骸が見えませんで、扱帯のみ残ったから、
 友「おいお村/\、おいお村もう死骸が見えなくなったか、勘忍してくんな、己だけ死におくれたが、迚(とて)も此処じゃア死(しね)ねえから吾妻橋から飛込むから、今は退潮(ひきしお)か上汐(あげしお)か知らないが、潮に逆らっても吾妻橋まで来て待ってくんな、勘忍してくんな、死におくれたから」
 と愚痴を云いながら漸(ようや)く堤(どて)を上(のぼ)りましたが、頭髪(あたま)は素(もと)より散(さん)ばらになって居り、月代(さかやき)を摺(す)りこわしたなりでひょろ/\しながら吾妻橋まで来たが、昼ならどのくらい人が驚くか知れません。其の時まだチラ/\提灯が見えて人通りがあるから、人目に懸ってはならんと云うので吾妻橋を渡り切ると、海老屋(えびや)という船宿があります。其処(そこ)へ来てトン/\/\/\、
 友[#「友」は底本では「村」と誤記]「親方々々私だ明けておくんなさい/\、親方私だよ」
 親方「何方(どなた)です」
 友「私だよ」
 親「何方です」
 友「芝口(しばぐち)の紀伊國屋(きのくにや)の友之助ですよ」
 親「友さんお上りなさい、誠にお珍しゅうございます、おやどうなすった」
 友「もうねえ、余所(よそ)のねえ、知らない船宿から乗って上ろうとして船を退(ずら)かしたものだから川の中へ陥(おっ)こって、ビショ濡れで漸(ようや)く此の桟橋から上りました」
 親「まア怪(け)しからねえ奴だねえ、無闇とお客を落すなどゝは苛(ひど)い奴です、嘸(さぞ)お腹が立ちましたろう、何しろ着物を貸して上げましょう、風を引くといけません、何(なん)です紅(あか)い扱帯が垂下(ぶらさが)っていますねえ」
 友「船頭がこんな物を垂下げやがって、仕様のねえ奴です…親方、何(なん)でも宜しゅうございますが気の付くように飲まない口だが一杯出してお呉(く)んなさい」
 親「宜しゅうございます、おい己の※袍(どてら)を持って来な」
 と着物を着替(きか)え、友之助は二階の小間(こま)に入って、今に死のう、人が途断(とぎ)れたら出ようと思って考えているから酒も喉(のど)へ通らず、只お村は流れたかと考えて居りますと、広間の方で今上って来たか、前からいたのかそれは知りませんが、がや/\と人声がするから、能く聞いてみると、どうもお村の声のようだから、はてなと抜足(ぬきあし)をして廊下伝いに来て襖に耳を寄せると、中にはかん/\燈火(あかり)が点(つ)きまして大勢人が居ります。
 文治「姉さん、お前能く考えて御覧なさい、お前さんは義理を立って又飛込(とびこも)うと云うのは誠に心得違いと云うものだ、と云うはお前さんの寿命が尽きないので、私共の船の船首(みよしはな)へ突当(つきあた)って引揚げたのは全く命数の尽きざる所、其の友さんとかは寿命が尽きたから流れて仕舞ったのだに、それをお前さんが義理を立って又飛込(とびこも)うと云うのは誠に心得違いだ、それよりは友さんも親族(みより)のない人なら其の人の為には香花(こうはな)でも手向(たむ)けた方が宜しい、またお母(っか)さんもお前さんを女郎に売るとか旦那を取れとか、お前さんの厭な事をしろと云う訳はないから、それは私がどうか話を付けて上げよう、左様ではございませんか」
 田舎客「左様でがんすとも死のうと云うは甚(はなは)だ心得違い、若い身そらと云うは差迫りますと川などへ飛込んでおっ死(ち)んで仕舞うが、そんな駄目な事はがんせん、能く心を落付けてお頼み申すが宜(え)い」
 森松「本当です、お前は芸者じゃアないか、お前は芸者だから先が惚れたんだ、いゝかえ、己(うぬ)が勝手に主人の金を遣(つか)やアがって言い訳がないから死ぬのだが、それに附合(つきあ)って死ぬやつがあるものか、死んだ奴は自業自得(じごうじとく)だ、お前は身の上を旦那に頼んで極(きま)りを付けて仕舞って、跡へ残って死んだ人の為に線香の一本も上げねえ、ウンと云って仕舞いねえ、旦那に任せねえ」
 村「はい、有難う存じます、どうぞお母(ふくろ)の方さえ宜(よ)い様にして下されば、折角の御親切でございますから、私の身の上は貴所方(あなたがた)にお任せ申します」
 と云うのが耳に入ると、友之助は怒(おこ)ったの怒らないのじゃアない、借着の※袍(どてら)姿(なり)で突然(いきなり)唐紙(からかみ)を明けて座敷へ飛込みまして物をも云わせずお村の髷(たぶさ)を取って二つ三つ打擲致しましたから、一座の者は驚いて、
 森「何(なん)だ/\/\何だ/\何処(どこ)の人だか此処(こゝ)へ入ってはいけません」
 友「はい/\此のお村に誑(ばか)されまして、今晩牛屋の雁木で心中致しました自業自得の斃(くたば)り損(ぞこな)いでございます」
 文「それじゃアお前さんがお村さんと約束をして飛込んだ友之助さんと云う人かえ」
 友「へいそうです…これお村、能く聞け、手前のような不実な奴が世の中にあるか、手前の方で一人で死ぬと云って愚痴を云い、己(おれ)も死のうと云うと一緒なら死花(しにばな)が咲くと云ったじゃないか、己は死後(しにおく)れて死切(しにき)れないから漸(ようや)く堤(どて)へ上って、吾妻橋から飛込もうと思って来た処が、まだ人通りがあって飛こむ事もならねえから、此の海老屋へ来て僣(ひそ)んでいたから手前が助かって来た事を知ったのだ、若(も)し知らずに己が吾妻橋から飛こんで仕舞ったら手前は跡で此の方に身を任せて、線香一本で義理を立(たて)る了簡(りょうけん)だろう、そんな不人情と知らずに多くの金を遣(つか)い果たして実に面目ない」
 文「まア/\待ちなさい、暫(しばら)く待っておくんなさい、どうか待って下さい、腹を立ってはいかない、お村さんはお前さんが死んで仕舞ったと思って義理がわるいから是非死のうと云うのを、私(わし)が種々(いろ/\)と云って止めたからで、決して心が変ったと云う訳ではないから落付いて話が出来ます」
 友「宜しゅうございます、そう云う腹の腐った女でございますなら思いきりますから、女房(にょうぼ)にでも情婦(いろ)にでも貴方(あなた)の御勝手になさい、左程(さほど)執心(しゅうしん)のあるお村なら長熨斗(ながのし)をつけて上げましょう」
 文「私(わし)はお村さんとやらに初めてお目に懸ったので、此の上州前橋の松屋新兵衞さんと云うお方と一緒に、今日上流(うわて)で一杯飲んで帰る時、船首(みよし)にぶつかった死骸を引揚げて見ると、直(すぐ)に気が付いたから、好(よ)い塩梅(あんばい)だと思って段々様子を聞くと、これ/\だと云って又飛込もうとするから、一旦助けたものを、そんなら死になさいとは云われないから、種々(いろ/\)異見をして死ぬ事を止めたのだが、お前さんが助かって来ればこんな目出たいことはない、元々二人とも夫婦になれば宜(い)いのでしょう、私(わし)が惚れてゞもいると思われちゃア困りますが、家(うち)の一軒も持たせる工夫をして上げましょう、そうしたらお前さんの疑(うたぐ)りも晴れましょう」
 友「へー、それはどうも有がとうございます、此の方(かた)は本所の剣術の先生かえ」
 村「いゝえ何処(どこ)の方か初めての方が、実に親切に介抱をして下すったから、お礼を云うのを彼様(あんな)悪たいをついて済まないじゃないか、謝まっておくんなさい」
 友「誠に私(わたくし)があやまった、誠にどうも相済みません、私(わたくし)は取上(とりのぼ)せていて貴所方(あなたがた)はお村の身請(みうけ)をするお客と存じまして、とんでもない事を申しましたが、どうか御勘弁を願います、貴方は何方(どちら)の方でございます」
 文「私も取紛(とりまぎ)れてお近付きになりませんが、私は浪島文治と云う浪人でございます、不思議な御縁で今晩お目に懸りました、どうか幾久しゅう」
 友「お村と私(わたくし)を本当に媒人(なこうど)になって夫婦にして下さいますか、どうぞ願います、拝みますから」
 文「無闇に拝んでも行けませんが、どうすれば夫婦になれるか、其の様子を伺いたい」
 友「別にむずかしい事はございません、私(わたくし)は主人の金を二百六十両余遣い果たして居りますから、これはどうしても大晦日までに返さんければ主人の前が立ちません、其の外(ほか)にもありますが、先(ま)ず二百六十両なければどうしても生きてはいられない義理になって居りますから此の世で添えないくらいなら死ぬ方がましと覚悟を致しました、お村も義理のわるい借財があって、旦那を取らんければどうしても女郎(じょうろ)に売られるから死んで仕舞うと覚悟を致した処から、終(つい)に心中する事になりました、どうか大晦日までに二百六十両を貴方御才覚下すって、返して下さいまして、其の外に百両程ありますから其の借を返して下さいまして、お村のお母(ふくろ)は慾張った奴でございますから、貰い切(きり)にするには三百両とも申しましょう、それをお母に遣って下さいまして、店の一軒も持たせて下さるように願います」
 文「莫大(ばくだい)に金が入(い)る、それは困ります、中々私(わし)は無禄(むろく)の浪人で金の生(な)る木を持たんから六七百両の金はない。殊(こと)に押詰(おしつま)った年の暮でしようがないが、金をよしにしてどうか助ける工夫はありませんか」
 友「それがいけない故に死ぬ了簡にもなったのでございますから、若し金が出来なければどうでもこうでも死にまする覚悟でございます」
 文「そんな事とは知りませんから、うっかりお助け申そう夫婦にして上げようと云ったのは過(あやま)りだ、飛んだ事をしましたねえ、併(しか)し一旦助けようと云って、そんなら金が出来ん手を引くから死になさいと云うのも男が立たず、新兵衞さん当惑致しましたねえ」
 新「文治郎様それは御心配なさいますな、松屋新兵衞が附いて居ります、二人には何も縁はねいが、貴方(あんた)には何(なん)でアノ業平橋で侍に切られる処を助かった大恩があるから、お礼をしていと思っても受けないから、何(なん)ぞと思っていた処、好(い)い幸(さいわ)いだから金ずくで貴方の男が立つなら金を千両出しましょう、えー出しやす」
 文「いゝや」
 新「いや出します」
 文「でも」
 新「金は千両位(ぐらい)出します、足りなければ三千両出しやす」
 文「お前さん方は仕合(しやわ)せだ、此の方がねえ金を出して下さると云うから命の親と思うが宜しい、こんな目出たい事はない」
 友「有難うございます、松屋さまどうぞ決して御損はかけません、稼ぎますればどうかしてお返し申しますから、只今の処一時お助けを願います」
 村「有がたい事、斯(こ)う遣(や)って二人で助かる訳なら笄なども遣って仕舞わなければよかった」
 とこれから松屋新兵衞は山の宿(しゅく)の宿屋へ帰り、お村と友之助は海老屋へ預けまして、翌日紀伊國屋の主人からお村のお母(ふくろ)へ掛合に参りますのが一つの間違いになると云うお話になります。

  

 文治が友之助を助けた翌日、お村の母親の所へ掛合(かけあい)に参りまして、帰り掛(がけ)に大喧嘩の出来る、一人の相手は神田(かんだ)豊島町(としまちょう)の左官の亥太郎(いたろう)と申す者でございます。其の頃婀娜(あだ)は深川、勇みは神田と端歌(はうた)の文句にも唄いまして、婀娜は深川と云うのは、其の頃深川は繁昌で芸妓(げいぎ)が沢山居りました。夏向座敷へ出ます姿(なり)は絽(ろ)でも縮緬(ちりめん)でも繻袢(じゅばん)なしの素肌(すはだ)へ着まして、汗でビショ濡(ぬれ)になりますと、直ぐに脱ぎ、一度切(ぎ)りで後(あと)は着ないのが見えでございましたと申しますが、婀娜な姿(なり)をして白粉気(おしろけ)なしで、潰(つぶ)しの島田に新藁(しんわら)か丈長(たけなが)を掛けて、笄(こうがい)などは昔風の巾八分長さ一尺もあり、狭い路地は頭を横にしなければ通れないくらいで、立派を尽しましたものでございます。又勇みは神田にありまして皆腕力があります、ワン力と云うから犬の力かと存じますとそうではない、腕に力のあるものだそうでございます。腕を突張(つッぱ)り己(おれ)は強いと云う者が、開けない野蛮の世の中には流行(はやり)ましたもので、神田の十二人の勇(いさみ)は皆十二支を其の名前に付けて十二支の刺青(ほりもの)をいたしました。大工の卯太郎(うたろう)が兎(うさぎ)の刺青を刺(ほ)れば牛右衞門(うしえもん)は牛を刺り、寅右衞門(とらえもん)は虎を刺り、皆紅差(べにざ)しの錦絵(にしきえ)のような刺青を刺り、亥太郎は猪の刺青を刺りましたが、此の亥太郎は十二人の中(うち)でも一番強く、今考えて見れば馬鹿々々しい訳ですが、実に強い男で「これは亥太郎には出来まい」と云うと腹を立(たっ)て、「何でも出来なくって」と云い、人が蛇や虫を出して、「これが食えるか」と云うと「食えなくって」と云って直ぐに食い、「亥太郎幾ら強くってもこれは食えめえ」と云うと「食えなくって」と云いながら小室焼(こむろやき)の茶碗や皿などをぱり/\/\と食って仕舞い、気違いのようです。或(ある)時亥太郎が門跡様(もんぜきさま)の家根(やね)を修復(しゅふく)していると、仲間の者が「亥太郎何程(なにほど)強くっても此の門跡の家根から転がり堕(おち)ることは出来めえ」と云うと「出来なくって」と云って彼(あ)の家根からコロ/\/\と堕ちたから、友達は減ず口を利いて飛んだ事をしたと思って冷々して見ていると、ひらりっと体(たい)をかわして堕際(おちぎわ)で止ったから助かりましたが危い事でした。門跡様では驚いて、これから屋根へ金網を張りました。あれは鴻(こう)の鳥が巣をくう為かと思いました処が、そうではない亥太郎から初まった事だそうでございます。此の亥太郎が大喧嘩をいたしますのは後のお話にいたしまして、さて文治はお村を助けました翌日、友之助の主人芝口三丁目の紀伊國屋善右衞門(ぜんえもん)の所へ参り、友之助は柳橋の芸者お村と云うものに馴染み、主人の金を遣(つか)い込み、申訳がないから切羽詰って、牛屋の雁木からお村と心中するところを、計らずも私(わし)が通り掛って助けたが、何処までもお前さんが喧(やか)ましく云えば、水の出花の若い両人(ふたり)、復(ま)た駈出して身を投げるかも計られないから、何(ど)うか私(わし)に面じて勘弁してくれまいか、そうすれば思い合った二人が仲へ私(わし)が入り、媒妁(なこうど)となって夫婦にして末永く添遂(そいと)げさせてやりたいから、と事を分けて話しました処が、紀の善も有難うございます、左様仰(おっし)ゃって下さるなら遣い込の金子は、当人が見世を出し繁昌の後少々宛(ずつ)追々に入金すれば宜しい、併(しか)し暖簾(のれん)はやる事は出来ないが、貴方(あなた)が仰しゃるなら此の紀伊國屋の暖簾も上げましょう、代物(しろもの)も貸してやりますが、当人の出入(でいり)は外(ほか)の奉公人に対して出来ませんから止める。と事を分けての話に文治も大(おおい)に悦んで、帰り掛けに柳橋の同朋町(どうぼうちょう)に居るお村の母親お崎婆(ばゞあ)の所へ参りました。
 文「森松、己(おれ)は斯(こ)う云う所へ来たことはないから手前が先へ往(ゆ)け、此処(こゝ)じゃアないか」
 森「此処です……御免ない、お村さんの宅(うち)は此方(こっち)かえ」
 文「なんだ愚図々々分らんことを云って、丁寧に云えよ」
 森「丁寧に云い付けねえから出来ねえ……お村さんの処は此方(こちら)かね」
 さき「はい、誰だえ、お入りよ、栄(えい)どんかえ」
 森「箱屋と間違えていやアがらア」
 と云いながら、栂(つが)の面取格子(めんとりごうし)を開けると、一間(けん)の叩きに小さい靴脱(くつぬぎ)がありまして、二枚の障子が立っているから、それを開けて文治が入りました。其の姿(なり)は藍微塵(あいみじん)の糸織の着物に黒の羽織、絽色鞘(ろいろざや)に茶柄(ちゃつか)の長脇差を差して、年廿四歳、眼元のクッキリした、眉毛(まゆげ)の濃い、人品骨柄(こつがら)賤(いや)しからざる人物がズーッと入りましたから、婆(ばゞあ)はお客様でも来たのかと思って驚き、
 婆「さア此方(こちら)へ、何(ど)うも穢(きたな)い処へ能く入っしゃいました」
 文「御免なさい、始めてお目に懸りました、お前さんがお村さんのお母(っか)さんですか」
 さ「はい、お村の母でございますよ、毎度御贔屓(ごひいき)さまになりまして有難うございます、宅にばかり居りますから、お座敷先は分りませんで、お母(っか)さん斯う云う袂落(たもとおと)しを戴いたの、ヤレ斯う云う指環(ゆびわ)を戴いたのと云いましても、私(わたくし)にはお顔を存じませんから一向お客様の事は存じませんが、彼(あ)の通りの奴で何時(いつ)までも子供のようですから、冗談でもおっしゃる方がありますと駈け出して仕舞う位で、お客様に戴いた物でも持栄(もちばえ)がございません、指環を嵌(は)めてお湯などへ往ってはげるといけないと云うと、はげやアしない真から金(きん)だものなどと申して誠に私(わたくし)も心配致します、オホヽヽヽヽ、貴方様(あなたさま)は番町の殿様で」
 文「いや手前は本所業平橋に居(お)る浪島文治郎と申す至って武骨者、以後幾久しくお心安く」
 さ「はい、業平橋と云う所は妙見様(みょうけんさま)へ往(ゆ)く時通りましたが、あゝ云う処へお住いなすっては長生(ながいき)をいたしますよ、彼処(あすこ)がお下屋敷(しもやしき)で」
 文「いえ/\、私(わし)は屋敷などを持つ身の上ではありません、無禄の浪人です、お母(っか)さん実はお村さんのことに就(つ)いて話があって来ましたが、お村さんは私(わし)の処へ泊めて置きましたが、お知らせ申すのが遅くなりましたから、嘸(さぞ)お案じでございましょうと存じまして」
 さ「おや、お村があなたの所に、そんなら案じやしませんが、朝参りに平常(ふだん)の姿(なり)で出ました切(ぎ)り帰りませんから、方々探しても知れませんでしたが、貴方様の所へ往(い)っていると知れゝば着替えでも届けるものを、何時(いつ)までもお置きなすって下さいまし、安心して居りますから」
 文「いやそう云う訳ではない、お母さんが聞いたら嘸お腹立でしょうが、実は芝口の紀の善の番頭友之助がお村さんと昨年来深くなり、其の友之助もお村さんゆえ多くの金を遣い果し、お村さんも借財が出来、互いに若い同士で心得違いをやって、実は昨夜牛屋の雁木で心中する所を、計らず私(わし)が助けたから、直ぐにお村さんばかり連れて来ようとも存じましたが、若い者が何か両人(ふたり)でこそ/\話をしているのを、無理に生木(なまき)を裂くのも気の毒だから、昨夜は私(わし)の家(うち)へ両人を泊めて置いて、相談に参った訳です」
 さ「あらまア呆れますよ、心中するなんて親不孝な餓鬼ですねえ、まアなんてえ奴でしょう、そうとも存じませんで方々探して居りました、何卒(どうぞ)直ぐにお村を帰して下さい」
 文「それは帰すことは帰すが、そこが相談です、それ程までに思い合った二人だから、夫婦にしないと又二人とも駈出して身を投げるかも知れないから、私(わし)が中へ入って二人共末長く夫婦にしてやりたい心得だから、何(ど)うか唯(たっ)た一人のお娘子だが、友之助にやっては下さらんか、私(わし)が媒妁(なこうど)になります、紀の善でも得心して私(わし)が様(よう)な者でもお前さんに任せると云って、見世を出し、代物(しろもの)まで紀の善から送ってくれるから、商売を始めれば当人も出世が出来、お前さんがお村さんをやってくれゝば、事穏(おだや)かに治(おさま)りますから何(ど)うか遣(や)って下さいな」
 さ「いえ/\、飛んでもない事を云う、お気の毒だが遣れません、唯(たっ)た一人の娘です、それを遣っては食うことに困ります」
 文「それは遣り切りではない、嫁にやるのだからお前さんは何処までも姑(しゅうと)だによって引取っても宜しいのだが、お前さんも斯う云う処に粋(すい)な商売をしている人だから、矢張り隠居役に芸者屋をして抱えでもして楽にお暮しなさい、其の手当として友之助の方からは一銭も出来ませんが、私の懐から金子五十両出して上げますから、それで抱えでもして気楽にお在(い)でなさる方が宜しかろうと考える、又毎月(まいげつ)の小遣(こづかい)も多分は上げられないが、友之助に話して月々五両宛(ずつ)送らせるようにするから何(ど)うか得心して下さい」
 さ「お気の毒だが出来ません、能く考えて下さい、何(なん)だとえお前さんなんぞは斯う云う掛合を御存じないのだねえ、お前さんは生若いお方だから、斯う云う中へ入ったことがないから知らないのだろうが、お村はこれから私が楽をする大事の金箱娘(かねばこむすめ)です、それを他所(よそ)へ遣って代りを置けなんて、流行(はや)るか流行らないか知れもしない者に芸を仕込んだり、いゝ着物を着せておかれるものか、それで僅(わず)か五両ばかりの小遣を貰って私が暮されると思いますかえ、お前さんは柳橋の相場を御存じがありませんからサ、朝戸を開ければ会の手拭の五六本も投げ込(こま)れて交際(つきあい)の張る事は知らないのだろう、お前さんじゃア分らないから、分る者をおよこしなさい、お村は直ぐに帰しておくれ」
 文「だがお母(っか)さん、五両と極めても当人が店を出して繁昌すれば、十両でも廿両でも多く上げられるようになるのが友之助の仕合せと申すもの、無理に二人の中を裂いて、又駈出して身でも投げると、却(かえ)ってお前さんの心配にもなるから、昨夜(ゆうべ)牛屋の雁木で心中したと思って諦めて下さい」
 さ「死んで見れば諦めるかもしれねえが、あのおむらが生きている中(うち)は上げられません、七歳(なゝつ)のときに金を出して貰い、芸を仕込んで今になってポーンと取られて堪(たま)るものかね、出来ません、お帰(けえ)しなすって下さい、いけ太(ぶて)い餓鬼だ、私を棄てゝ心中するなんて、そんな奴なら了簡があります、愚図々々すれば女郎(じょうろ)にでも打(たゝ)き売って金にして埋合(うめあわ)せをするのだ」
 文「それじゃア私(わし)の顔に障るからどうか私(わし)に面じて」
 さ「出来ませんよ、お前さんなんざア掛合をしらねえ小僧子(こぞっこ)だア、青二才(あおにせい)だ、もっと年を取った者をお遣(よこ)し、何(なん)だ青二才の癖に、何だ私の目から見りゃアお前(めえ)なんざア雛鳥(ひよっこ)だア、卵の殻が尻(けつ)に付いてらア、直ぐに帰(けえ)してくんな、帰(けえ)しようが遅いと了簡があるよ、親に無沙汰で何故娘を一晩でも泊めた、その廉(かど)で勾引(かどわかし)にするからそう思え」
 森「旦那黙っておいでなせえ、此の婆(ばゞあ)こん畜生、今聞いていりゃア勾引だ、誰の事を勾引と云やアがるんだ、娘の命を助けて話を付けてやるに勾引たア何(なん)だ」
さ「ぐず/\云わずに黙って引込(ひっこ)んでいろ、兵六玉屁子助(ひょうろくだまへごすけ)め」
 森「おや此の畜生屁子助たアなんだ」
 文「これさ黙っていろ、それでは何(ど)うあっても聞入れんか」
 さ「肯(き)かれなけりゃアどうするのだ」
 文「肯かれんければ斯(こ)うする」
 と云いながら、婆(ばゞあ)の胸ぐらを取ってギューッと締めましたから、
 婆「あ痛(い)た/\どうするのだ」
 文「何うもしない、手前のような強慾(ごうよく)非道な者を生かして置くと、生先(おいさき)長き両人の為にならん、手前一人を縊(くび)り殺して両人を助ける方が利方(りかた)だからナ、此の文治郎が縊り殺すから左様心得ろ」
 さ「あ痛(いた)た/\恐れ入りました、上げますよ/\、上げますから堪忍して下さい、娘の貰引(もらいひき)に咽(のど)を締る奴がありますか、軍鶏(しゃも)じゃアあるまいし、上げますよ」
 文「屹度(きっと)くれるか、これ/\森松、此の婆の云う事はグル/\変るから店受(たなうけ)か大屋を呼んで来い」
 と云うから森松は急いで大屋を呼んで来ました。
 大「道々御家来様から承りますれば、お村を助けて下すった其の御恩人の貴方様へ此の婆が何か分らんことを申すそうで、此奴(こいつ)は苛(ひど)い婆です、貴方様の御立腹は御尤(ごもっと)もの次第です」
 と此の家主(いえぬし)が中へ入りまして五十両の金子を渡しまして、娘を確かに友之助に嫁に遣ったと云う証文を取り、懐中へ入れて文治はお村の宅を出まして、
 文「森松何(ど)うだ、苛(ひど)い婆だなア」
 森「苛い奴です、咽を締めたから死ぬかと思って婆が驚きやアがった」
 文「なアにあれは威(おど)したのサ、あゝ云う奴は懲(こら)さなければいかん、併(しか)し大分(だいぶ)空腹になった」
 森「くうふく[#「くうふく」に傍点]てえなア何(な)んで」
 文「腹が減ったから飯を喰おうと云う事よ、何処(どこ)か近い処にないか」
 森「馬喰町(ばくろちょう)三丁目の田川(たがわ)へ往(い)きましょう」
 と二人連れで馬喰町四丁目へ掛ると、其の頃吉川(よしかわ)と申す居酒屋がありました。其の前へ来ると黒山のように人立(ひとだち)がしているのは、彼(か)の左官の亥太郎ですが、此の亥太郎は変った男で冬は柿色の※袍(どてら)を着、夏は柿素(かきそ)の単物(ひとえもの)を着ていると云う妙な姿(なり)で、何処で飲んでも「おい左官の亥太郎だよ、銭は今度持って来るよ」と云うと、棟梁(とうりょう)さん宜しゅうございますと云って何処でも一文なしで酒を飲ませる。其の代りには堅いから十四日晦日に作料を取れば直ぐにチャンと払いまして、今度又借りて飲むよと云うから、何時(いつ)でも棟梁さん宜しいと云われ、随分売れた人でした。それが吉川では番頭が代って亥太郎の顔を知らなかったのが間違いの出来る原(もと)で、
 亥「番頭さん相変らず銭がないから今度払いを取った時だぜ」
 番「誠に困りやす、代を戴かなくちゃア困りますなア」
 亥「困るって左官の亥太郎だからいゝじゃアねえか」
 番「亥太郎さんと仰(おっし)ゃるか知れませんが銭がなくっては困ります」
 亥「左官の亥太郎だよ」
 番「誰様(どなたさま)かは存じませんが、飲んで仕舞ってから払いをしなければ食逃げだ」
 亥「ナニ食逃げとは何をぬかす」
 と云いながら職人で癇癖(かんぺき)に障ったから握り拳(こぶし)を以(もっ)て番頭を撲(なぐ)りましたが、右の腕に十人力、左の手に十二人力あります、何(ど)うして左の手に余計力があるかと云うに、これは左官のせいで、左官と云う者は刺取棒(さいとりぼう)で土を出すのを左の手の小手板で受けるのは何貫目(なんがんめ)あるか知れません、それゆえに亥太郎の左手が力が多いので、その大力無双(だいりきぶそう)の腕で撲られたから息の根が止るばかりです。
 亥「これ、能く己(おれ)の顔を見て覚えて置け、豊島町の亥太郎だぞ」
 と云う騒ぎに亭主が奥から駈出して来て、
 主人「申し棟梁さん、腹を立たないでおくんなさい、これは一昨日(おとゝい)来た番頭でお前さんの顔を知らないのですから」
 亥「己は弱い者いじめは嫌(きれ)えだが食逃げとはなんでえ」
 主「棟梁さん勘忍しておくんなさい」
 と頻(しき)りに詫をしている。只今なれば直(じ)きに棒を持って来てこれ/\と人を払って、詰らぬものを見ていて時間を費(ついや)すより早く往ったが好かろうと保護して下さるが、其の頃は巡査がありませんから追々人立がして往来が止るようになりました。文治は斯う云う事を見ると捨てゝ置かれん気性でございますから心配して、
 文「大分(だいぶ)人立がしているが何(なん)だえ」
 森「生酔(なまよい)が銭がねえと云うのを、番頭が困るって云ったら番頭を撲りやアがって」
 文「可愛そうに、商売の障りになるから其の者が銭がなければ払ってやって早く表へ引出してやれ」
 森「え、御免ねえ/\、おい兄い々々爰(こゝ)でそんな事を云っちゃア商売の障りにならア表へ人が黒山のように立つから此方(こっち)へ来ねえ/\」
 と引出して、今ではありませんが浅草見附(あさくさみつけ)の石垣(いしがき)の処へ連れて来て、
 森「兄い々々腹ア立っちゃアいけねえ、彼処(あすこ)でごた/\しちゃア外聞(げいぶん)が悪いやア」
 亥「おいよ、有難(ありがて)え、己は弱い者いじめは嫌いだが食逃と云ったから撲ったのだ、商売の妨げをして済まねえが後(あと)で訳を付ける積りだ、お前(めえ)誰だっけ」
 森「己は本所の番場の森松よ」
 亥「そうか、本所の人か、己(おら)ア又豊島町の若(わけ)い衆(しゅ)かと思った、見ず知らずの人に厄介(やっかい)になっちゃア済まねえ」
 森「これサ、銭があるのねえのと外聞(げいぶん)が悪いじゃアねえか、銭がなけりゃア己が払ってやるから後(あと)に構わず往って仕舞いねえ」
 亥「なに、銭がなけりゃア払って置くと、何(な)んだこれ、知りもしねえ奴に銭を払って貰うような亥太郎と思ってやアがるか」
 森「おや生意気な事を云うな、銭がねえってから己が払ってやろうってんだ、何(なん)でえ」
 亥「なに此の野郎め」
 と力に任せてポーンと森松の横面(よこっつら)を打(ぶ)ちましたから、森松はひょろ/\石垣の所へ転がりました。文治は見兼てツカ/\とそれへ参り、
 文「これ/\何(なん)だ、何も此の者を打擲する事はない、これは己の子分だ、少しの云い損いがあったればとて、手前が喧嘩をしている処へ仲人に入った者を無闇に打擲すると云うのは無法ではないか、今日(こんにち)の処は許すが以後は気を注(つ)けろ、さっさと行(ゆ)け」
 亥「なに手前(てめえ)なんだ、これ己の名前目(なめえもく)を聞いて肝っ玉を天上へ飛ばせるな、神田豊島町の左官の亥太郎だ、己を知らねえかい」
 亥「そんな奴は知らん、己は業平橋の文治郎を知らんか」
 亥「なにそんな奴は知らねえ、此の野郎」
 と文治郎の胸ぐらを取って浅草見附の処へとつゝゝゝゝと押して行(ゆ)きました。廿人力ある奴が力を入れて押したから流石(さすが)の文治も踉(よろ)めきながら石垣の処へ押付けられましたが、そこは文治郎柔術(やわら)を心得て居りますから少しも騒がず、懐中から取出した銀の延煙管(のべぎせる)を以て胸ぐらを取っている亥太郎の手の上へ当てゝ、ヤッと声を掛けて逆に捻(ねじ)ると、力を入れる程腕の折れるようになるのが柔術(じゅうじゅつ)の妙でありますから、亥太郎は脆(もろ)くもばらりっと手を放すや否や、何(ど)ういう機(はずみ)か其処(そこ)へドーンと投げられました。力があるだけに尚(な)お強く投げられましたが、柔術で投げられたから起ることが出来ません。流石の亥太郎も息が止ったと見えましたが、暫(しばら)くすると、
 亥「此の野郎、己を投げやアがったな、覚えていろ」
 と云いながら立上ってばら/\/\と駈出しましたから、彼奴(あいつ)逃げるかと思って見て居りますと、亥太郎は浅草見附へ駈込みました。只今見附はございませんが、其の頃は立派なもので、見張所には幕を張り、鉄砲が十挺(ちょう)、鎗(やり)が十本ぐらい立て並べてありまして、此処(こゝ)は市ヶ谷長円寺谷(ちょうえんじだに)の中根大隅守様(なかねおおすみのかみさま)御出役(ごしゅつやく)になり、袴(はかま)を付けた役人がずーっと並んでいる所へ駈込んで、
 亥「御免なせえ、今喧嘩をしたが、空手(からって)で打(ぶ)つ物がねえから此処にある鉄砲を貸しておくんねえ」
 役人「何(なん)だ、手前狂人(きちがい)か」
 亥「狂人(きちげえ)も何もねえ、貸しておくんねえ」
 と云いながら突然(いきなり)鉄砲を提(ひっさ)げ飛ぶが如くに駈出しましたが、無鉄砲と云うのはこれから始まったのだそうでございます。文治郎はこれを見て驚きました。今迄随分乱暴人も見たが、見付の鉄砲を持出すとは怪(け)しからぬ奴だが、鉄砲に恐れて逃げる訳には往(ゆ)かず、拠(よんどこ)ろないから刀の柄前(つかまえ)へ手を掛け、亥太郎の下りて来るのを待って居りました。これが其の頃評判の見附前の大喧嘩でございますが、これより如何(いかゞ)相成りましょうか、次回(つぎ)に申し上げます。

  

 偖(さて)前回に演(の)べました文治郎と亥太郎の見附前の大喧嘩は嘘らしい話ですが、神田川(かんだがわ)の近江屋(おうみや)と云う道具屋の家(うち)に見附前の喧嘩の詫証文(あやまりじょうもん)と、鉄拵(ごしら)えの脇差と、柿色の単物が預けてあります。これは現に私(わたくし)が見たことがございますので、左官の棟梁亥太郎の書いたものであります。幾ら乱暴でも公儀のお道具を持出すと云うのはひどい奴で、此の乱暴には文治郎も驚きましたが、鉄砲を持って来られては何分(なにぶん)逃げる訳にもゆかんから、關兼元(せきかねもと)の無名擦(むめいす)りあげの銘剣の柄(つか)へ手を掛け、居合腰(いあいごし)になって待って居りましたが、これは何(ど)うしても喧嘩にはなりません。見付の役人が捨(すて)ておきません。馬鹿だか気違いだか盗賊だか分りませんが、飾ってある徳川政府のお道具を持出しては容易ならんから、見附に詰め合せたる役人が、突棒(つくぼう)刺股(さすまた)※(もじり)などを持って追掛(おっか)けて来て、折り重り、亥太郎を俯伏(うつぶせ)に倒して縄を掛け、直(すぐ)に見附へ連れて来て調べると、亥太郎の云うには、
 亥「私(わっち)が黙って持って往ったら泥坊でしょうが、喧嘩をするのに棒がねえから貸しておくんねえって断って持って往ったから縛られるこたアねえ、天下(てんが)の道具だから貸しても宜(い)いだろう、私(わっち)も天下(てんか)の町人だ」
 と云って訳が分らないが、天下の町人と云う廉(かど)で見附から町奉行(まちぶぎょう)へ引渡しになって、別に科(とが)はないが、天下の飾り道具を持出した廉で吟味中入牢(じゅろう)を申し付けると云うので、暮の廿六日に牢行(ゆき)になりました。此の事を聞いて文治郎は気の毒に思い、段々様子を聞くに、亥太郎には七十に近い親父(おやじ)があると云う事が分り、義のある男ですから何(ど)うか親父を助けてやりたい、稼人(かせぎにん)が牢へ往(ゆ)き老体の身で殊に病気だと云うから嘸(さぞ)困るだろう、見舞に往ってやろうと懐中へ十両入れて出掛けました。其の頃の十両は大(たい)した金です。森松を供に連れて神田豊島町二丁目へ参り、大坂屋(おおさかや)と云う粉屋(こなや)の裏へ入り、
 文「森松こゝらかな」
 森「へえこゝでしょう、腰障子に菱左(ひしさ)に「い」の字が小さく角(すみ)の方に書いてあるから」
 文「こゝに違いない、手前先へ入れ」
 森「御免なさい」
 と腰障子を開けると漸(やっ)と畳は五畳ばかり敷いてあって、一間(いっけん)の戸棚(とだな)があって、壁と竈(へッつい)は余り漆喰(じっくい)で繕って、商売手だけに綺麗に磨いてあります。此処(こゝ)に寝ているのが亥太郎の親父(おやじ)長藏(ちょうぞう)と申して年六十七になり、頭は悉皆(すっかり)禿げて、白髪の丁髷(ちょんまげ)で、頭痛がすると見え手拭で鉢巻(はちまき)をしているが、時々脱(ぬ)け出すのを手ではめるから桶(おけ)のたがを見たようです。
 森「御免なせえ」
 長「へえお出(いで)なせえ、何(なん)です長屋なら一番奥の方が一軒明いている、彼所(あすこ)は借手(かりて)がねえようだが、それから四軒目の家(うち)が明いているが、些(ちっ)とばかり造作があるよ」
 森「なんだ、長屋を借りに来たのだと思ってらア、旦那お上(あが)んねえ」
 文「初めてお目に懸りました、貴方(あなた)が亥太郎さんの御尊父さまですか」
 長「へえお出(いで)なさい、誠に有難う、御苦労様です、なに大(たい)したことはありませんが、何(ど)うもお寒くなると腰が突張(つっぱっ)ていけません、奥の金(きん)さんが私(わっち)の懇意のお医者様があるから診て貰ったら宜かろうと云ったから、なアにお医者を頼む程じゃアねえと云っておいたが、それで来ておくんなすったのだろう、早速ながら脈を診ておくんなさい」
 森「何を云ってるんでえ」
 文「医者ではない、お前さんは亥太郎さんの親父(おとっ)さんかえ」
 長「へえ、私(わし)は亥太郎の親父(おやじ)です」
 文「私(わし)は本所の業平橋にいる浪島文治郎と云う至って粗忽者(そこつもの)、此の後(ご)とも御別懇に願います」
 長「なに、そう云う訳ですか、生憎(あいにく)亥太郎が居りませんが、もう蔵は冬塗る方が保(もち)がいゝが、今からじゃア遅い、土が凍りましょう」
 森「何を云うのだ、聾(つんぼ)だな…そうじゃアねえ、お前(めえ)さんは左官の亥太郎さんの親父(おとっ)さんかと聞くのだ、此方(こなた)は本所の旦那で浪島文治郎と云うお方だ」
 長「なに、江島(えじま)の天神さまがどうしたと」
 森「分らねえ爺(と)っさんだ、旦那が声が小せいから尚お分らねえのだ、最(もっ)と大きな声でお話なせえ」
 文「私(わし)は本所業平橋の浪島文治郎と申すものです」
 長「はア、本所業平橋の浪島文治郎と仰(おっし)ゃるのか、亥太郎の親父(おやじ)長藏と申します、お心易(やす)く」
 文「此の度(たび)は誠にお前さんにお気の毒で」
 長「なアに此の度ばかりじゃアない、これは時々起るので、腰が差込んでいけません」
 森「そうじゃアねえ、旦那がお前に近付(ちかづき)に来たのだよ」
 文「亥太郎さんと私(わし)と見附前で喧嘩を致しましてねえ」
 長「へえ五時(いつゝ)前に癲癇(てんかん)が起りましたえ」
 森「そうじゃアねえ、亥太郎兄(あにい)と此の旦那と見附前で喧嘩をして、牢行(ゆき)になったから気の毒だって、爺(とっ)さんお前の所へ此の旦那が見舞(みめえ)に来たのだ」
 長「はあお前さん、何(ど)うも貴方の様に人柄の優しい人と喧嘩をするとは馬鹿な野郎で、大方食(くれ)え酔(よっ)て居たのでございましょう、子供の時分から喧嘩早(けんかッぱよ)うございまして、番毎(ばんごと)人に疵(きず)を付け、自分も疵だらけになって苦労ばかりさせるが、貴方は能くまア腹立もなく見舞(みめえ)に来て下すって、誠に有難うございます、亥太郎が牢から出れば是非お詫事に連れて出ますから、何うか私(わし)に免じて勘弁しておくんなさい」
 文「何う致しまして、これは心計りですが、亥太郎さんも御気性だから健(すこや)かで速(すみやか)に御出牢になりましょうが、それまでの助けにもなるまいが、真(ほん)の土産のしるしに上げますから、何か温(あったか)い物でも買って喫(あが)って下さい」
 長「これはなんです」
 森「これは亥太郎さんが牢へ行っているから、旦那が見舞に下すったのだ、金が十両あるのだ」
 文「そんなことは云わんでも宜しい」
 森「聾的(つんてき)で分らねえな、お前(めえ)に土産にやるんだよ」
 長「なに十両私に下さるとは何たる慈悲深(なさけぶけ)いお方ですかねえ、亥太郎は交際(つきあい)が広いから牢へ差入れ物をしてくれる人は幾らもありますが、老耄(ろうもう)している親爺(おやじ)の所へ見舞に来て下さる方はありません、本当に貴方はお若いに似合(にあわ)ない親切な方です、暮に差掛(さしかゝ)って忰(せがれ)はいず、何(ど)う為(し)ようかと思っている処へ、十両と纒(まと)まった金を下さるとは有難いことで、御恩の程は忘れません、旦那様何卒(どうぞ)御勘弁なすって下さい」
 文「なに誠に聊(いさゝ)かですよ」
 長「赤坂へお出(いで)なさるとえ」
 森「聾(つんぼ)だからしょうがねえ、行(ゆ)きましょう/\」
 文「さア帰ろう」
 と森松を連れて宅へ帰りまして、其の年の内にお村と友之助に世帯を持たせなければならんから、諸方を探すと、浅草駒形(こまかた)に小さい家(うち)だが明家(あきや)がありましたから之(こ)れを借受け、造作をして袋物屋の見世を出しました。袋物屋と云うものは店が小さくても金目の物が置けますから好(い)い商売でございます。友之助は荷を脊負出(しょいだ)して出入先を歩く、宅(うち)にはお村が留守居ながら商売が出来ます。お村が十九で友之助が二十六ですから飯事(まゝごと)暮しをするようでございます。其の年も暮れ、翌年になり、安永九年二月の中旬(なかば)に、文治郎の母が成田山(なりたさん)へ参詣に参りますに就(つ)き、おかやと云う実の姪(めい)と清助(せいすけ)と云う近所の使早間(つかいはやま)をする者を供に連れて出立(しゅったつ)しました。跡には文治郎と森松の両人切(ふたりぎ)りで、男世帯に蛆(うじ)がわくという譬(たとえ)の通り台所なども手廻りませんで、お飯(まんま)を炊くと柔かくってお粥(かゆ)のようなのが出来たり、硬(こわ)くって焦げたのなどが出来たりします。友之助はお村に云い付けて、斯う云う時に御恩を返さなければならん、お前お菜(かず)を拵(こしら)えるのが面倒なら、料理屋から買(かっ)てゞもいゝから毎日何か旦那の所へ持っていってお上げ。と云うので毎日昼頃になると、お村が三組(みつぐみ)の葢物(ふたもの)に色々な物を入れて持って参ります。文治は「お前がそうやって毎日長い橋を渡って持って来るのは気の毒だから来てくれないように」と断っても此方(こちら)は友之助に云い付けられたから、毎日々々雨が降っても風が吹いても吾妻橋を渡って参ります。或日の事文治郎は森松を使(つかい)に出して独りで居りますと、空はどんよりとして、梅も最(も)う散り掛って暖(あった)かい陽気になって来ました。お村の姿(なり)は南部の藍の乱竪縞(らんたつじま)の座敷着[#「着」は底本では「看」と誤記](ざしきぎ)を平常着(ふだんぎ)に下(おろ)した小袖(こそで)に、翁格子(おきなごうし)と紺繻子(こんじゅす)の腹合せの帯をしめ、髪は達摩返しに結い、散斑[#「斑」は底本では「班」と誤記](ばらふ)の櫛(くし)に珊瑚珠(さんごじゅ)五分玉(ごぶだま)のついた銀笄(ぎんかん)を挿(さ)し、前垂(まえだれ)がけで、
 村「旦那、今日(こんにち)は遅くなりまして」
 文「また来たか、誠に心にかけて毎度旨い物を持って来てくれて気の毒だ、商売をしていれば嘸(さぞ)忙(せわ)しかろうから態々(わざ/\)持って来てくれなくもいゝのに」
 村「おいしくなくっても私(わたくし)が手拵(てごしら)えにして持って参りますが、其の代りには甘ったるい物が出来たり塩っ辛い物が出来たりしますが、旦那に上げたい一心で持って参りますのですから召上って下さいまし」
 文「お前の手拵えとは辱(かたじけ)ない、日々(にち/\)の事で誠に気の毒だ、今日は丁度森松を使(つかい)にやったから、今自分で膳立(ぜんだて)をして酒をつけようと思っていた処で、丁度いゝから膳を拵えて燗(かん)をつけておくれ、手前と一杯やろう」
 と云うので、お村は立って戸棚から徳利(とくり)を出して、利休形の鉄瓶(てつびん)へ入れて燗をつけ、膳立をして文治が一杯飲んではお村に献(さ)し、お村が一杯飲んで又文治に酬(さ)し、さしつ押えつ遣取(やりとり)をする内、互いにほんのり桜色になりました。色の白い者がほんのりするのは誠にいゝ色で、色の黒い人が赤くなると栗皮茶のようになります。
 文「お村や、手前は柳橋でも評判の芸者であったが、私(わし)は無意気(ぶいき)もので芸者を買ったことはないが、手前に恩にかける訳ではないが、牛屋の雁木で心中する処を助けて、海老屋へ連れて来て顔を見たのが初めてゞ、あゝ美しい芸者だと思った其の時の姿は今に忘れねえが、彼(あ)の時の乱れた姿は好(よ)かったなア」
 村「おや様子のいゝ事を仰しゃること、家(うち)にいると私のような無意気者はないと姉さんに云われましたのを、美くしいなどと仰っては間がわるくって気がつまりますよ」
 文「いや真に美くしい女だ、手前が毎日路地を入って来ると、文治郎の家(うち)には母が留守だから隠し女でも引入れるのではないかと、長屋で噂をするものがあるから、それで手前に来てくれるなと云うのだ、友之助も母の留守へ度々来るのは快くあるまいから、もう今日切(ぎ)り来てくれるなよ」
 村「あら、参りませんと叱られますから来ない訳には参りません、旦那様は大恩人ですから斯う云う時に御恩返しをして上げろと申し、私(わたくし)も来たいから甘(おいし)くなくっても何か拵えてお邪魔に上ります」
 文「手前が来てくれゝば己は有難いが、心中する程思い込んだ同士が夫婦になり、女房が無闇に一人で出歩けば亭主の心持は余りよくあるまい、己は独り者でいる所へ手前が毎日来て、ひょっと悋気(りんき)でも起しはしないかと思って、それが心配だ」
 村「彼様(あん)なことを仰(おっし)ゃる、悋気などはございません、何時(いつ)でも往って来い、彼様(あゝ)やって心中する処を旦那のお蔭で助かったのだから、浪島の旦那がお前を妾(てかけ)に遣(よこ)せと仰ゃれば直ぐに上げると云って居ります」
 と一寸(ちょっと)云う口も商売柄だけに愛敬に色気を含んで居ります。まさか友之助がお村を妾(めかけ)にやるとも申しますまいが、自然と云いように色気があるので、何(ど)んなものでも酒を飲むと少しは気が狂って来るものと見え、文治もお村を美(い)い女だと思った心が失せないか、
 文「手前と斯うやって酒を飲むのが一番いゝ心持だが、若(も)し己が冗談を云いかけた時は手前は何(ど)うする」
 村「おや旦那旨いことばかり仰(おっし)ゃって私などに冗談を仰ゃる気遣(きづか)いはありませんが、本当に旦那様の仰ゃることなら私は死んでも宜しい、有難いことだと思って居ります」
 文「それだから手前は世辞を云ってはいかんと云うことよ」
 村「お世辞でも何(なん)でもありません、有難いことゝ思っても仕方がないが、旦那様のような凛々(りゝ)しくって優しいお方はありませんよ」
 文「それそう云うことを云うから男が迷うのだ、罪作りな女だのう」
 と常にない文治郎は微酔(ほろよい)機嫌(きげん)で、お村の膝へ手をつきますから、お村は胸がどき/\して、平常(ふだん)からお村は文治郎に惚れて居りましたが、何時(いつ)でも文治はきりりっとしているから云い寄る術(すべ)もなくっていたのが、常に変って色めきました文治郎の様子に、
 村「旦那、本当に左様(そう)なら私は死んでも宜(よ)うございますよ」
 と云いながら窃(そ)っと文治郎の手を下へ置いて立上り、外を覘(のぞ)いて見てぴったり入(いり)□□□□□□□、□□□□□□□□、□□□□□□閉(た)て、薄暗くなった時、文治の側へぴったり坐って、
 村「旦那、貴方は本当に私の様なものをそう云って下されば、私は友之助に棄てられても本望(ほんもう)でございますが、其の時は貴方私のような者でも置いて下さいますか」
 と文治郎の□□□□□□□□□□□が、こんな美しい女に手を取られて凭(もた)れ掛(かゝ)られては何(ど)んな者でもでれすけになりますが、文治郎はにやりと笑い、お村の手を払って立上り、九尺四枚の襖を開け、小窓の障子を開け、表の障子も残らず開け払って元の席へ坐り、
 文「お村もう己の所へ来てくれるな、能く考えて見ろ、去年の暮友之助と牛屋の雁木から心中する所を計らずも助けて、両人(ふたり)の主人と親に掛合い、世帯(しょたい)を持たせ、己が媒妁(なこうど)になって夫婦にした処、友之助も手前も働き、店が繁昌すると云うから目出たいと思い、蔭ながら悦んでいた処、母が留守になり、毎日旨い物を持って来てくれるから、友之助の云い付けもあろうが斯うやって一人でいる文治郎の所へ若い女が毎日来ては、世間に悪評を立てられるかも知れんし、友之助にも済まんと云うのを肯(き)かずに毎日来るが、今手前の云った言葉は何(ど)うしたのだ、命を助けられた文治郎の云うことだから否(いや)と云うことが出来ず、世辞に云ったか知らんが、仮令(たとえ)世辞にもそれは宜しくない、手前がそう云う心得違いでは友之助に言訳が立つまい、今日のは手前が世辞で云ったのであろうけれども宜しくないことだ、此の程も噂に聞けば、友之助の留守には芸者や幇間(たいこもち)が遊びに来るのをよいことゝし、酒を飲んで三味線(さみせん)などを弾いて遊んでいると云うことだが、それは廃(よ)せよ、商人(あきんど)の女房になって其様(そん)なことをしては宜しくない、今までの芸者屋とは違うぞ、世間の評も宜(よろし)くないから、友之助の留守には何(ど)んな男が来ても留守だから上げることは出来んと云って速(すみやか)に帰せよ、必ず浮いた心を出すな、手前は今のような世辞を云うのが持前であるが、若し誰か手前に惚れて今のように凭(もた)れ掛り、手前のような挨拶(あいさつ)をすれば、それは男だから何(ど)んな間違いが出来るか知れん、其の時は友之助に対して操(みさお)を破らなければなるまい、己が冗談を云ったら己の手を払い除(の)け、旦那貴方は宜(よ)くないお方だ、私共(わたくしども)両人(ふたり)を助けて夫婦にして下すった恩人でありながら、苟(かりそ)めにも宜くない、此の後(のち)は貴方の所へは参りませんときっぱり云ってくれるくらいな心があれば、己も嬉しく思う、今日の処は冗談にするが以後はならんぞ、さ一杯飲んで帰えれ/\」
 と云われてお村は間(ま)が悪いから真赤になって、猫が紙袋(かんぶくろ)を被(かぶ)ったように逡巡(あとびさり)にして、こそ/\と台所から抜出して仕舞いましたが、さアもう文治郎の所へ行(ゆ)くことは出来ません。友之助はそんなことは少しも知りませんから、
 友「お村、此の頃は旦那の所へ往(ゆ)かないが何(ど)うしたのだえ」
 村「旦那は機嫌かいで、機嫌のいゝ時と悪い時とは大変違いますよ、そうして幾ら堅いと云っても若いから、時々厭なことを云うから余(あんま)り近く往(ゆ)かない方がいゝよ、何処(どこ)か離れた所へ越そうじゃないか」
 と云われ、友之助は素(もと)より気のいゝ人だから、
 友「そうか、そんなことがあるのか、それなら他へ越そう」
 と女房の云いなり次第になり、遂に文治郎に無沙汰(むさた)で銀座三丁目へ引越しましたが、後に文治郎が無名国へ漂流するのもお村の悪い為でありますから、女と云う者は恐るべきものでございます。さてお話二つに岐(わか)れまして、彼(か)の喧嘩の裁判は亥太郎が入牢(じゅろう)を仰せ付けられ、翌年の二月二十六日に出牢致しましたが、別に科(とが)はないから牢舎(ろうや)の表門で一百の重打(おもたゝ)きと云うので、莚(むしろ)を敷き、腹這(はらんばい)に寝かして箒尻(ほうきじり)で脊中を打(ぶ)つのです。其の打人(うちて)は打(たゝ)き役小市(こいち)と云う人が上手です。此の人の打(う)つのは痛くって身体に障らんように打ちますが、刺青(ほりもの)のある者は何(ど)うしても強そうに見えるから苛(ひど)く打ちまして、弱そうな者は柔かに打(ぶ)ちます。亥太郎は少しも恐れないで「早く打(ぶ)ってお呉(く)んねえ」などと云い、脊中に猪の刺青が刺(ほ)ってあり、悪々(にく/\)しいからぴしーり/\と打(う)ちます。大概(たいがい)の者なら一百打つとうーんと云って死んで仕舞うから五十打つと気付けを飲まして、又後(あと)を五十打つが、亥太郎は少しも痛がらんから、
 獄吏「気付けを戴くか」
 亥「気付なんざア入らねえ、さっさとやって仕舞ってくんねえ」
 と云うから尚お強く打つが、少しも疲(よわ)りませんで、打って仕舞うとずーっと立って衣服(きもの)をぽん/\とはたいて、
 亥「小市さん誠にお蔭様で肩の凝(こり)が癒(なお)りました」
 と云ったが、脊中の刺青が腫(は)れまして猪(しゝ)が滅茶(めっちゃ)になりましたから、直ぐ帰りに刺青師(ほりものし)へ寄って熊に刺(ほり)かえて貰い、これから猪(い)の熊(くま)の亥太郎と云われました。其の後(のち)小市さんの所へ酒を二升持って礼に参り「あなたのお蔭で脊中の刺青が熊になった」と云われた時は流石(さすが)の小市も驚いたと云う程強い男ですから、牢から出ると、喧嘩の相手の文治郎のどてっ腹を抉(えぐ)らなければならんと云うので胴金(どうがね)造りの脇差を差して直ぐに往(ゆ)こうと思ったが、そんな乱暴の男でも親の事が気に掛ると見えまして、家(うち)へ帰って見ると、親父はすや/\と能く寝て居りますから、
 亥「爺(ちゃん)能く寝ているな、勘忍してくんねえ、己(おら)ア復(ま)た牢へ往(ゆ)くかも知れねえ、業平橋の文治を殺して亥太郎の面(つら)を磨くから、己(おれ)が牢へ往って不自由だろうが勘忍して呉んねえ」
 と云われ長藏は目を覚し、
 長「手前(てめえ)は牢から出て来ても家(うち)に一日も落付いていず、やれ相談だの、やれ何(なん)だのと云ってひょこ/\出歩きやアがって、何(なん)だ権幕(けんまく)を変えて脇差なんどを提(さ)げて、また喧嘩に往(ゆ)くのだろうが、喧嘩に往くと今度は助かりゃアしねえぞ、喧嘩に往くのなら己(おら)ア見るのが辛(つれ)えから、手前(てめえ)今度出たら再び生きて帰(けえ)るな」
 亥「爺(ちゃん)、己(おら)ア了簡があって業平橋の文治郎のどてっ腹を抉って腹癒(はらい)せをして来るのだ」
 長「何だ、腹が痛(いて)えと」
 亥「そうじゃアねえ、業平橋の文治郎を打(たゝ)っ斬って仕舞うのだ」
 長「此の野郎とんでもねえ奴だ、業平橋の文治郎様の所へは己(おれ)がやらねえ、死んでもやらねえ、業平文治郎さまと云うのは見附前(めえ)の喧嘩の相手だろう、其の方(かた)を斬りに往(ゆ)くんなら己を殺して往け」
 亥「なんだって文治郎を殺すのにお前(めえ)を殺して往くのだ」
 長「何もあるものか、手前(てめえ)は知るめえが、去年の暮の廿六日に手前(てめえ)が牢へ往って其の留守に、忘れもしねえ廿八日、業平橋の文治郎様が来て金を十両見舞に持って来てくれた、手前(てめえ)が牢へ往って己が煩っていて気の毒だ、勘忍してくれと云って十両の金をくれた、其の金があったればこそ己が今まで斯うやって露命を繋(つな)いで来た、其の大恩ある文治郎様に刃物を向けて済もうと思うか、さア往(ゆ)くなら己の首を斬って往け、殺して往け、恩を仇(あだ)で返(けえ)すのは済まねえから殺して往け、さア殺せ」
 亥「待ちねえ爺(ちゃん)、何か全く文治郎さんがお前(めえ)の所へ金を持って来てくれたに違(ちげ)えねえか、爺」
 長「暮になって何(ど)うも仕様のねえ所へ十両の金をくれて、それで己が今まで食っていたのだよ」
 亥「そうとは知らずにどてっ腹をえぐろうと思っていた」
 長「なに小塚原(こづかっぱら)へ往くと、己やらねえ」
 亥「そうじゃアねえ、己が知らねえからよ」
 長「なに不知火関(しらぬいぜき)を頼むと」
 亥「全く金を十両くれたかよ」
 長「そうよ」
 亥「あゝ後悔した」
 長「なにそんな事を云っても己(おれ)アやらねえ」
 亥「本所から度々名の知れねえ差入物が来ると云ったが、それじゃア文治郎が送ってくれたか、又己の留守に金を十両持って見舞(みめえ)に来てくれたとは己は済まねえ」
 長「何をぐず/\云っている、己出さねえ、やらねえ」
 亥「爺(ちゃん)、知らねえと云って済まねえなア」
 長「うん済まねえ」
 亥「知らねえからよ」
 長「牢から出たら手前(てめえ)を連れて詫に往(ゆ)こうと思っていた」
 亥「直ぐに詫に往くよ」
 長「嘘をつけ、そんなことを云ってまた喧嘩に往くんだろう、己やらねえ」
 亥「大丈夫だよ、案じねえように脇差をお前(めえ)に預けるから」
 長「何処(どこ)でこんな物を買って来(き)やがった、詫に往かなければ己を殺せ」
 亥「何か土産を持って往きてえが何がいゝだろう、本所は酒がよくねえから鎌倉河岸(かまくらがし)の豐島屋(としまや)で酒を半駄(かたうま)買って往こう」
 長「なんだ、年増と酒を飲みに往く、そんなことはしねえでもいゝ」
 亥「そうじゃアねえ、済まねえから詫に行(ゆ)くのだ、安心して寝ていねえ」
 長「己も往きてえが腰が立たねえからとそう云ってくれ」
 亥「それじゃア往って来るよ」
 と正直の男だから鎌倉川岸(がし)の豐島屋へ往って銘酒を一樽(たる)買って、力があるから人に持たせずに自分で担(かつ)いで本所業平橋の文治の宅へ参り、玄関口から、
 亥「御免なせえ/\」
 森「おゝ、こりゃアお出(いで)なせえ」
 亥「いやなんとか云ったっけ、森松さんか、誠に面目ねえ」
 森「己の所の旦那が阿兄(あにき)のことを彼(あ)ア云う気性だから大丈夫だと安心していたがねえ、まア出牢で目出度(めでてえ)や」
 亥「去年の暮お前(めえ)を手込(てごめ)にして済まなかった、面目次第もねえ、勘忍してくんねえ、己(おら)ア知らねえで旦那のどてっ腹をえぐりに来(き)ようと思ったら、己の所(とこ)の爺(とっ)さんの所(ところ)へ旦那が見舞(みめえ)をくれたと云うことを聞いて面目次第もねえ、旦那にそう云ってくんねえ、土産を持って来るのだが、本所には碌(ろく)な酒はあるめえと思って」
 森「酷(ひど)い事を云うぜ」
 亥「豐島屋の酒を持って来た、旦那に一杯(ぺい)上げて盃を貰(もれ)えてえってそう云ってくんねえ」
 森「少し待っていねえ、お母様(ふくろさん)に喧嘩の事なんぞを云うと善(よ)くねえから、旦那に内証(ないしょ)で話して来るから」
 と森松は奥へ往きますと、文治は母親に孝行を尽して居りますから、森松はそっと、
 森「旦那え/\」
 文「何(なん)だ」
 森「見附前(めえ)の鉄砲が来ましたよ」
 文「亥太郎が来たか」
 森「来ました、驚きましたねえ、酒を一樽荷(かつ)いで来て旦那に上げてくれって来ました」
 文「逢いたいが、お母様(っかさん)の前で彼(あん)な荒々しい奴が話をしては、お驚きなさるといけないから、角(かど)の立花屋(たちばなや)へ連(つれ)って往って、酒肴(さけさかな)を出して待遇(もてな)してくれ、己が後(あと)からお暇を戴いて往(ゆ)くから」
 森「へー」
 と云って森松は亥太郎を連れて立花屋へ参り、酒肴を誂(あつら)え待っている所へ文治郎が参りまして、
 文「さア此方(こちら)へ/\」
 亥「誠にどうも旦那面目次第(しでえ)もございません、去年の暮は喰(くれ)え酔って夢中になったものだから、お前(めえ)さんに理不尽なことを云いかけて嘸(さぞ)お腹立でござえやしょう、御勘弁なすって下せえ」
 文「どう致して、先(ま)ず目出度(めでたく)御出牢で御祝(ごしゅく)し申す、どうしても気性だけあって達者でお目出たい」
 亥「へーどうも」
 文「先刻は又お土産を有難うございます」
 亥「いや最(も)う何(ど)うも、誠につまらねえ品でござえやすが、本所にはいゝ酒がねえと思って豐島屋のを一本持って来て、旦那に詫をして盃を貰(もれ)えてえと思って来ました」
 文「私(わし)も衆人(しゅうじん)と附合うが、お前のような強い人に出会ったことはない、どうも強いねえ」
 亥「私(わっち)も旦那のような強い人に出会ったことはねえ、初めてだ」
 文「見張所の鉄砲を持ち出したのはえらい」
 亥「どうも面目もございません、旦那は喧嘩の相手を憎いとも思わず、私(わっち)の爺(ちゃん)の所へ金を十両持って来てくれたそうで、随分牢へは差入物をよこす人もあるが、爺の所へ見舞(みめえ)に来て下すったはお前(めえ)さんばかりで、私(わっち)のような乱暴な人間でも恩を忘れたことはねえから、旦那え、これから出入(でいり)の左官と思って末長く目をかけておくんなせえ、お前(めえ)さんに金を貰ったから有難いのじゃアねえ、お前(めえ)さんの志に感じたからどうか末長く願います」
 と云うので、文治郎が盃を取って亥太郎に献(さ)して、主(しゅう)家来同様の固めの盃を致しましたが、人は助けておきたいもので、後に此の亥太郎が文治の見替りに立ってお奉行と論をすると云うお話でありますが、次回(つぎ)にたっぷり演(の)べましょう。

  

 業平文治が安永の頃小笠原島(おがさわらじま)へ漂流致します其の訳は、文治が人殺しの科(とが)で斬罪(ざんざい)になりまする処を、松平右京(まつだいらうきょう)様が御老中(ごろうじゅう)の時分、其の御家来藤原喜代之助(ふじわらきよのすけ)と云う者を文治が助けました処から、其の藤原に助けられまするので、実に情(なさけ)は人の為ならでと云う通り、人に情はかけたいものでございます。男達(おとこだて)などは智慧もあり又身代(しんだい)も少しは好(よ)くなければなりませんし無論弱くては出来ませぬが、文治の住居(すまい)は本所業平村の只今植木屋の居ります所であったと云うことでございます。文治の居ります裏に四五軒の長屋があります、此処(こゝ)へ越(こし)て来ましたのは前(ぜん)申上げました右京様の御家来藤原喜代之助で、若気(わかげ)の至りに品川のあけびしのおあさと云う女郎に溺(はま)り、御主人のお手許金(てもときん)を遣(つか)い込み、屋敷を放逐(ほうちく)致され、浪人して暫(しばら)く六間堀(ろっけんぼり)辺に居りました其の中(うち)は、蓄えもあったから何(ど)うやら其の日を送って居りましたが、行(ゆ)き詰って文治の裏長屋へ引越(ひきこ)し、毎日弁当をさげては浅草の田原町(たわらまち)へ内職に参ります。留守は七十六歳になる喜代之助の老母とおあさと云う別嬪(べっぴん)、年は廿六ですが一寸(ちょっと)見ると廿二三としか見えない、うすでの質(たち)で色が白く、笑うと靨(えくぼ)がいります。此の靨と云うものは愛敬のあるもので私(わたくし)などもやって見たいと思って時々やって見ましたが、顔が皺(しわ)くちゃだらけになります。おあさは小股(こまた)の切り上った、お尻(しり)の小さい、横骨の引込(ひっこ)んだ上等物で愛くるしいことは、赤児(あかご)も馴染むようですが、腹の中は良くない女でございますけれど、器量のよいのに人が迷います。所で森松が岡惚(おかぼれ)をしましてちょく/\家(うち)の前を通りまして、
 森「えー今日(こんち)は」
 などと辞(ことば)をかけたり水を汲んでやったり致しますが、妙なもので若い女が手桶(ておけ)を持って行(ゆ)くと「姉さん汲んで上げましょう」と云いますが、これがお婆(ばあ)さんが行って「一つ汲んでおくんなさい」と云うと、井戸を覗いて見て「好(い)い塩梅(あんばい)に水があればいゝが」と云うくらいなことで。森松がちょく/\水を汲んでくれたり、買物や何かして遣(や)りますから、おあさは手拭の一筋もやったりなどして居りますと、或日のことおあさが云うに、
 あさ「お母(っか)さんが煩っていてじゞ穢(むさ)くって仕様がないよ、何かする側で御膳を喫(た)べるのは厭(いや)だから、森さんお前さんの知っている所でお飯(まんま)を喫べよう」
 と云われた時は森松は嬉しくって、
 森「参りやすとも、角の立花屋へ往って待っておいでなせえ」
 と約束して、これから森松は借物の羽織で小瀟洒(こざっぱり)した姿(なり)をして出掛けて往(ゆ)き、立花屋の門口から、
 森「親方今日(こんちや)あ」
 立[#「立」は底本では「五」と誤記]「いや森さんかえ」
 森「二階に(こゆびを見せる)こりゃアいやアしませんか」
 立「なんだい小指を出して、お前さんのお連(つれ)かえ、先刻(さっき)から来ているよ」
 と云われ、森松はニコ/\しながらとん/\/\と二階へ上(あが)ると、種々(いろ/\)な酒肴(さけさかな)を取っておあさが待って居りまして、
 あ「ちょいと遅いことねえ、お前(ま)はんが来ないから私は極りが悪くって仕様がないよ」
 森「宅(うち)を胡麻化して来ようと思ってつい遅くなりやした」
 あ「あら髪なんぞを結って来るんだものを」
 森「なアに家(うち)を出る時髪を結って来ると云って出ねえと極りが悪いから」
 あ「気にも入るまいが色か何かの積りで緩(ゆっ)くり飲んでおくれな」
 森「大層お肴がありやすねえ」
 あ「さアお喫(あが)りよ」
 森「戴きやす、御新造(ごしんぞ)のお酌で酒を飲むなんて勿体(もってえ)ねえことです、えーどうも旨いねえ」
 あ「ちょいと種々(いろ/\)森さんのお世話になり、買物をするにも勝手が知れないから聞くと、私が買って上げようと云ってお世話になるから、何か買って上げようと思ったが、宅(うち)へ知れると年寄に訝(おか)しく思われるから思うようにいけないが、これは少しだがお前さんに上げるから」
 森「こんな事をなすっちゃアいけませんよ」
 あ「ちょいと私が、お前さんに袷(あわせ)の表を上げたいと思って持って来たよ、じゃがらっぽいがねえ銘仙(めいせん)だよ、ぼつ/\して穢(きたな)らしいけれども着ておくれでないか」
 森「戴く物は夏もお小袖と云うから結構でござえやす」
 あ「斯うしよう、お前の着物の寸法を書いておよこし、良人(うち)の留守の時縫って上げよう」
 森「こりゃア有難い、これはどうもお前さんのような御気性な人はねえや、ちょくで人を逸(そら)さないようにして…あなたの所(とこ)の旦那はお堅うござえやすねえ」
 あ「屋敷者だもの、だから不意気(ぶいき)だよ」
 森「朝ね、黒い羽織を着て出る時、何時(いつ)も路地で逢うから、旦那お早うと云うと、好(い)い天気でござるなんかんて云うが、あんな堅い方はありません、一杯戴きやしょう、好い酒だ、私(わっち)アね何時でも宅(うち)を出る時、極りが悪いからちょっと往って来(き)やすよと云うと、旦那ア知ってるから森やア酔わねえように飲めよと云われるが、宅じゃア気が詰って飲めねえし、どうも酔えねえようには出来ねえが、宅の旦那は妙ですねえ…どうも有難うござえやす」
 あ「私(わたし)アあねえ気が合わないから宅(うち)の藤原と別れ話にして、独り暮しになるからちょく/\遊びに来ておくれよ」
 森「へー往(ゆ)くくらいじゃア有りやせん、へえ別れるねえ」
 あ「別れると宅(うち)のも屋敷へ帰るし、私もいゝから別れようと思うのさ」
 森「成程気が合わねえ、へえ成程、へえお前さんが独りになればポカ/\遊びに往(ゆ)きますよ」
 あ「こんな事を云って、私が一生懸命の事を云うが、お前叶(かな)えておくれか」
 森「何(なん)の事ですか、あなたの云う事なら聴きますともさ」
 あ「女の口からこんな事を云って聴かないと恥をかくからさ」
 森「聴きますよ、えゝ聴きますとも」
 あ「蔑(さげす)んじゃアいけないよ」
 森「蔑すむ処(どころ)か上げ濁(にご)しますよ」
 あ「本当に無理な事を云って蔑んではいけないよ」
 森「それとも…私(わっち)のような者に惚れる訳はないもの」
 あ「あれさお前じゃアないよ」
 森「私(わっち)じゃアねえ、然(そ)うだろうと思った」
 あ「お前の処(とこ)の文治さんにさ」
 森「こりゃア呆(あき)れたねえ、こりゃア惚れらア、男でも惚れやすねえ」
 あ「男振(おとこぶり)ばかりじゃアないよ、世間の様子を聞くと、お前の所の旦那は下(しも)の者へ目をかけ、親に孝行を尽すと云うことだから私アつく/″\惚れたよ、何(ど)うせ届かないが森さん、私が一人で暮すようになれば旦那を連れて来ておくれ、お酒の一杯も上げたいから」
 森「こりゃア惚れますねえ、宅(うち)の旦那には女ばかりじゃアねえ男が惚れやすが、堅いからねえ、何(ど)うとかして連れて往(ゆ)きましょう、私(わっち)が旦那を連れて新道(しんみち)を通る時、お前さんが森さんお寄んないと云うと、私(わっち)が旦那こゝは先(せん)に宅(うち)の裏にいた藤原の御新造(ごしんぞ)の家(うち)だから鳥渡(ちょっと)寄りましょうと云うので連れ込むから」
 あ「私ア素人っぽい事をするようだが、手紙を一本書いておいたから、旦那の機嫌の好(い)い時届けておくれ」
 森「大形(おおぎょう)になりやしたなア、こりゃアお前さんが書いたのかね」
 あ「艶書(いろぶみ)が人に頼まれるものかね」
 森「それじゃア機嫌の好い時に届けやしょう」
 と云って互いに別れて宅(うち)へ帰って、森松は文治に云おうかと思ったが、正しい人ゆえ、家(うち)にいても品格を正しくしているから口をきく事が出来ません。或日の事母が留守で、文治が縁側へ出て庭を眺(なが)めて居りますから、
 森「旦那え」
 文「何(なん)だの」
 森「今日(こんち)は誠に結構なお天気で」
 文「何だ家(うち)の内で常にない更(あらた)まってそんな事を云うものがあるものか」
 森「何時(いつ)でも御隠居さんが、文治に好(い)い女房(にょうぼ)を持たせて初孫(ういまご)の顔を見てえなんて云うが、あんたは御新造をお持ちなせえな」
 文「御新造を持てと云っても己(おれ)のような者には女房(にょうぼ)になってくれ人(て)がないや」
 森「えゝ、旦那が道楽の店でも出せば娘っ子がぶつかって来ますが、旦那は未(いま)だに女の味を知らねえのだから仕方がねえや、何(どん)なのが宜(よ)うごぜえやすえ、長いのが宜うがすかえ、丸いのが宜うがすかえ」
 文「それは長いのが宜(い)いと思っても丸いのを女房(にょうぼ)にするか皆縁ずくだなア」
 森「裏へ越して来た藤原の御新造は何(ど)うです」
 文「左様々々、彼(あれ)は美人だの」
 森「なアに、そうじゃアありやせん、彼は何(ど)うです」
 文「大層世辞がいゝの」
 森「彼は何うです、彼になせえな」
 文「彼になさいと云っても彼は藤原の女房(にょうぼう)だ」
 森「女房じゃアありません、来月別れ話になって、これから孀婦(やもめ)暮しにでもなったら、旦那を連れて来てくれってんです」
 文「嘘をいうな」
 森「嘘じゃアねえ私(わっち)を立花屋へ連れて往って御馳走をして、金を二分(ぶ)くれて、旦那を斯(こ)うと云うのです」
 文「嘘を吐(つ)け」
 森「嘘じゃアありやせん、この文(ふみ)を出して、何(ど)うか返事を下さいってんでさア、返事が面倒なら発句(ほっく)とか何(な)んとか云うものでもおやんなせえ」
 文「これは彼(あ)の女の自筆か」
 森「痔疾(じしつ)なんざアありやせんや、瘡毒(とや)に就(つい)て仕舞っているから」
 文「そうじゃアない彼の女の書いたのか」
 森「先(せん)にゃア人に頼んだろうが、今じゃア人には頼めやせんや」
 文「何(なん)だってこれを持って来た」
 森「何(なん)だってって旦那に返事を書いて貰ってくれと云うから」
 文「痴漢(たわけ)め」
 森「あゝ痛(いて)い、何をするんで」
 文「苟(かりそめ)にも主(ぬし)ある人の妻(もの)から艶書を持って来て返事をやるような文治と心得て居(お)るか、何(なん)の為に文治の所へ来て居る、汝(わりゃ)ア畳の上じゃア死(しね)ねえから、これから真人間になって曲った心を直すからと云うので、己の所へ来ているのじゃアないか、人の女房から艶書を貰うような不義の文治郎の所に居ては貴様の為にもならん、さア大事は小事より起るの譬(たとえ)で、片時(かたとき)も置くことは出来ん、出て往(ゆ)け」
 森「何(ど)うか御勘弁を」
 文「ならん、二言(ごん)は返さん、只今出て往け」
 森「大失策(おおしっさく)をやった、大違(おおちげ)えをやったなア、考えて見りゃア成程何(ど)うも主(ぬし)ある女の処から艶書(ふみ)なんぞを持って来(き)ちゃア済まねえ、旦那には御恩になっても居りますし、人中(ひとなか)へ出て森兄(あに)いと云われるのも旦那のお蔭でござえやすから何(ど)うか人間になりてえと思って、旦那の側に居りやすが、御恩送りは出来ねえから身体のきくだけは稼(かせ)いで御恩返(ごおんげえ)しをしようと思って、親爺(おやじ)の葬式(とむらい)まで出してくだすった旦那の側を離れたくねえから、若(も)し知らねえ御新造が来て、森松なんぞのような働きのねえものを置いちゃアいけねえと云われて、逐出(おいだ)されでもするかと思うから、何(ど)うかいゝ御新造をお持たせ申してえと思っている処へ、話があったからうっかりやったんで、今逐出されると往(ゆ)き処がねえから、仕方なく又悪い事を始めて元の森松になるとしょうがねえから、堪忍して置いておくんなせえ、これから気を注(つ)けやすから」
 文「往き処のない者を無理に出て往けとは云わんが、能(よ)く考えて見ろ、藤原の女房を私(わし)が家内にして為になると心得て居(お)るか、それが分らんと云うのだ、藤原が右京の屋敷を出たのも彼(あ)の女の為に多くの金を遣(つか)い果し今は困窮して旦(あした)に出て夕(ゆうべ)に帰る稼ぎも、女房(にょうぼ)や母を糊(すご)したいからだ、其の夫の稼いだ金銭を窃(くす)ねて置けばこそ、手前に酒を飲ませたりすると云う事が分らんかえ、痴漢(たわけ)め」
 森「分らねえから泡(あわ)アくって仕舞ったので、その文(ふみ)を返(けえ)しましょうか」
 文「これは己が心あるから取り置く」
 と文治の用箪笥(ようだんす)の引出へ仕舞い置きましたのは親切なのでございます。左様なことは知らんから、おあさの方では返事が来るかと思って何をするにも手に付かず、母に薬もやらず、お飯(まんま)も碌々食べさせないから饑(ひも)じくなって、私にお飯(まんま)を食べさせておくれと云うと皿小鉢(さらこばち)を叩き付ける。藤原が帰って来て其の事を母が話すと、
 あ「いゝえお母(っか)さんは今日は五度(いつたび)御膳を食(あが)って、終(しま)いにはお鉢の中へ手を突込(つッこ)んで食(あが)って、仕損(しそこ)ないを三度してお襁褓(しめ)を洗った」
 などと云うと、元より誑(たぶら)かされているから、
 藤「お母(っか)さん、そんな事をなすっては宜しくありません、えゝ」
 と云って少しも構いませんから、隣近所から恵んでくれる食物(たべもの)で漸(ようや)く命を繋(つな)いで居ります。或日の事、おあさが留守だから隣にいる納豆売の彦六(ひころく)が握飯(むすび)を拵(こしら)えて老母の枕許(まくらもと)へ持って来て、
 彦「御隠居さま、長らく御不快で嘸(さぞ)お困りでしょう、今お飯(まんま)を炊いた処が、焦(こげ)が出来たから塩握飯(しおむすび)にして来ましたからお食(あが)んなさい」
 母「有難うございます、あなた様、彼(あれ)が私を※(ほし)殺そうと思って邪慳(じゃけん)な奴でございます、藤原も彼(あ)んな奴ではございませんでしたが、此の頃は馴合(なれあ)いまして私を責め折檻(せっかん)致します、余(あんま)り残念でございますから駈け出して身でも投げたいと思っても足腰が利かず、匕首(あいくち)を取出して自害をしようと思いましても、私の匕首までも質に入れてございません、舌を食い切って死のうと思っても歯はございませんし、こんな地獄の責(せめ)はございませんから私は喫(た)べずに死にます」
 彦「そんなことを云ってはいけません、さアお食(あが)んなさい」
 と云われ元は二百六十石も取りました藤原の母ががつ/\して塩握飯を食べて居ります処へ、帰って来たのはおあさで、
 あ「お出(いで)なさい」
 彦「いやこれは」
 あ「お母(っか)さん又お鉢の中へ手を突込んで仕損(しそこな)いをすると私が困りますから」
 彦「あゝ御新造さんこれは私(わし)が持って来たので、お母(っか)さんがお鉢から食べたのではありません」
 あ「へえお前さんは能く持って来て下さるが、仕損いをするとしょうがないから上げないのに、何故(なぜ)持って来て食わせるんだえ、私共は浪人しても武士だよ、納豆売風情(ふぜい)で握飯(にぎりめし)を母へくれるとは失礼な人だ」
 彦「これは失礼しました、斯(こ)うやって同じ長屋にいれば、節句銭(せっくせん)でも何(なん)でも同じにして居ります、お前さんの所が浪人様でも、引越(ひっこ)して来た時は蕎麦(そば)は七つは配りゃアしない、矢張(やっぱ)り二つしか配りはしないじゃないか、お母さんは仕損いも何もなさりはしないのに、旦那が知らないと思って、種々(いろ/\)な事を云って旦那を困らして、お前さんはお顔に似合わない方です」
 あ「顔に似合うが似合うまいが大きにお世話だ、さっさと持ってお帰り」
 と云いながら、握飯(むすび)をポカーリッと投(ほう)り付けました。
 彦「何をするんです、勿体(もってえ)ねえや、ムニャ/\/\持って来たってなんでえ」
 あ「お母様(っかさま)、あなたは納豆売風情に握飯を貰って食(あが)りとうございますか、それ程食りたければ皿ごと食れ」
 と云いながら入物(いれもの)ごと投(ほう)り付けましたが、此の皿は度々(たび/\)焼継屋(やきつぎや)の御厄介になったのですから、お母(ふくろ)の禿頭(はげあたま)に打付(ぶッつか)って毀(こわ)れて血がだら/\出ます。口惜(くやし)くって堪(たま)らないからおあさの足へかじり付きますと、ポーンと蹴(け)られたから仰向(あおむけ)に顛倒(ひっくりかえ)ると、頬片(ほっぺた)を二つ三(み)つ打(ぶ)ちました。
 彦「あゝ驚いた、こんな奴を見たことはない、鬼だ/\」
 と云いながら彦六は迯(にげ)帰って此の事を長屋中へ話して歩きまして、長屋中で騒いでいるのが文治の耳へ入ると、聞捨てになりませんから、日の暮々(くれ/″\)に藤原の所へ来て、
 文「はい御免なさい」
 と云われおあさは惚れている人が来たから、母を折檻した事を取隠(とりかく)そうと思って、急に優しくなって、
 あ「お母(っか)さん浪島の旦那様が入っしゃいましたよ、能く入っしゃいました、能くどうも、さア此方(こちら)へ」
 と云うおあさの方を見返りも致さんで、老母の枕許(まくらもと)へ来て、
 文「御老母様、手前は浪島文治でございます、あなたは鬼のような女に苛(ひど)い目に遇(あ)って、嘸(さぞ)御残念でございましょう、只今私が敵(かたき)を討って上げます」
 と云っておあさの方を向き、
 文「姦婦(かんぷ)これへ出ろ」
 と云う文治の権幕(けんまく)を見ると、平常(へいぜい)極(ごく)柔和の顔が、怒(いかり)満面にあらわれて身の毛のよだつ程怖い顔になりました。
 文「姦婦助けは置かん」
 と云いながらツカ/\と立って表の戸を締めたから、
 あ「アレー」
 と云って逃げようとするおあさの髻(たぶさ)を取って、二畳の座敷へ引摺(ひきず)り込み、隔(へだて)の襖(ふすま)を閉(た)てましたが、これから如何(いかゞ)なりましょうか、次回(つぎ)に述べます。

 

 業平文治に戻る    二      次へ

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送