落語「髪結新三」の舞台地図
白木屋から髪結い新三と深川に
左に江戸時代の地図(切り絵図)と、それに対比した現在の地図を載せます。番号は下記説明に対応しています。
1.
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椙森(すぎのもり)神社とその西側に位置する新材木町 |
2. |
椙森新道を西に行くと東堀留川に架かる和国橋に出ます。ここで新三はお熊さんと忠七の駆け落ちを手伝います。東 堀留川 は現在では埋め立てられて、北半分は公園に南側は道路になっています。橋があった所に保健所が建っています。 |
3. |
東堀留川の東岸、新材木町の南側には弥太五郎源七親分の住んでいた、葺屋(ふきや)町を見付ける事が出来ます。 |
4. |
南下すると親父橋に出ます。この西側の街並みをてりふり町と言いました。新三と忠七はここで傘と下駄を買って雨の中深川に向かいます。 |
5. |
てりふり町から南下して思案橋を渡ります。吉原がまだ浅草に引っ越す前には、ここの東側に芳町と言われた所に遊郭があって、行こうか帰ろうか思案したからだと言われます。 |
6. |
渡った所が小網町で、小網神社からこの町名が出ています。 |
7. |
最初に戻って、椙森神社の北側に大伝馬町があります。500両を持参した又四郎が働いていた所です。 |
では、これから永代橋を渡って深川に向かいましょう。ここからは広域地図になります。
小網町を抜けて、箱崎橋(俗称くずれ橋)を渡ると北新堀(箱崎町)の町に入ります。日本橋川の北岸を南下します。
ここまで来ると雨足が強くなって、ついに新三は忠七を蹴り倒し、一人永代橋を渡る事になります。
当時の永代橋は現在の橋より上流に架かっていたので、道なりにこのまま永代橋を渡って右に折れるとそこが深川。その先の福島橋の手前が冨吉町。ここの裏長屋に新三は住んでいました。現在は永代橋を渡って真っ直ぐ行くと、福島橋があります。その右側が旧冨吉町です。この道を永代通りといい、その先門前仲町を過ぎると左手に成田山別院、その先に深川八幡があります。
悪態を付いていた新三であったが、弥太五郎源七に付けねらわれて、富岡橋で殺される事になります。その富岡橋は閻魔堂橋とも呼ばれその閻魔堂は江東区深川2丁目法乗院内に有ります。ここの閻魔様はハイテクで、お賽銭を入れると、その参拝者にあった説教をしてくれます。葛西橋通りの上に架かった高速道路の下の交差点が富岡橋跡です。
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