落語「擬宝珠」の舞台を歩く
   

 

  柳家喬太郎の噺、「擬宝珠」(ぎぼし)によると。
 

 若旦那が病気になって寝込んでしまった。熊さんは親に頼まれて、病気の原因、思い悩んでいる事を聞き出そうと若旦那の部屋にやって来た。
 若旦那は気も消沈して寝込んでいた。なかなかその悩み事を口にしなかった。でも、熊さんは落語通なので解った。女の子だったら「崇徳院」でしょ。違っていたが、若旦那だから「幾代餅」でもないし、あ!、みかんが食べたい、でしょ。(場内大爆笑)
 徳ちゃん、熊ちゃんの仲であったのを思いだした。小さな声で聞き取れないが「
潮干狩りがしたい」でもないし「煮干しが食べたい」でもないし「擬宝珠が舐めたい」??擬宝珠って何?「擬宝珠って、お寺の屋根の上にあったり、橋の欄干の上にあるカネの丸いの、頭がとんがっているやつ。私は子どもの時から金物を舐めるのが好きだったんだ。食事に行ってもカレーを食べるだろ、カレーも好きだが、スプーンが舌に触った感触や味がたまらないんだ。それが高じて、擬宝珠が舐めたいんだ」。
 「それだったら、近くの駒形橋、両国橋、永代橋が有るじゃないですか」、「それは、もう飽きた」、「ええ、もうやってんの」、「今舐めたいのは『金竜山浅草寺の五重塔』の一番上に付いている擬宝珠。でも、あれだけは夜行ったって舐められない。なめた〜〜い。舐められないなら、死んでしまうかも知れない」。

 大旦那の所に戻って今の話をした。「擬宝珠が舐めたい」と。驚く事か両親とも擬宝珠舐めが大好きであった。駒形の擬宝珠はドジョウの味がしたし、京都の三条大橋は八つ橋の味がしたし、ハイカラだったのはニコライの擬宝珠。「擬宝珠でも浅草寺の五重塔の擬宝珠を舐めたい」のだと熊さんは注進した。「そうかそうか、私たちもあれが舐めたかったが、息子に譲ろう。あれは擬宝珠とは言わず『宝珠』と言うんだが、そんなことより舐められるように手を打とう」。

 浅草寺にお願いすると、多大なお布施と人命がかかっているので許可が下りた。足場を組んで最上階まで登れるようになった。
 若旦那は信じられずに浅草寺までフラフラしながらやって来て、足場を見つけた。それから後は信じられない程の力強さで屋根まで上がって擬宝珠(宝珠)をベロベロと舐めて、元気になって戻ってきた。
 大旦那「私たちもあれが舐めたかった。で、どんな味がしたかい」
 若旦那「タクアンの味がしました」
 大旦那「タクアンの味?それで塩加減はどの位だった。五合位か一升位か?」
 若旦那「いいえ、も〜ちょっと塩辛かった」
 大旦那「三升かそれとも五升か」
 若旦那「いいえ、六升(緑青)の味がしました」。

 


 
1.擬宝珠と宝珠
ぎ‐ぼし【擬宝珠】(ギボウシュの約転)  欄干の柱頭などにつける宝珠の飾り。形は葱の花に似る。
ほう‐しゅ【宝珠】(ホウジュとも)  宝物とすべきたま。たからのたま。
ほうしゅ‐がしら【宝珠頭】宝珠の形をした頭。擬宝珠。
(広辞苑から)
 宝珠は五重塔、仏堂の屋根の一番高い所に置いてあるネギ坊主のような玉で、これに似せた形だから擬宝珠。これを欄干、手摺などの柱の上に飾ります。

ほうしゅ‐の‐たま【宝珠の玉】〔仏〕尖頭で、頭および左右の側から火焔の燃え上がっているさまの玉。如意宝珠。

写真;宝珠の玉。浅草寺境内「淡島堂・写経供養塔」の宝珠の玉。

2.
「崇徳院」、「幾代餅」、「みかん」
落語「崇徳院」; 若旦那は上野の山で一目惚れして寝込み、崇徳院のうたで長屋の熊さんに助けられる。
落語「幾代餅」;
搗き米屋の清蔵が錦絵の幾代太夫に一目惚れ、恋患い。お金を貯めて吉原で念願成就。3月に夫婦になって、幾代餅屋を始める。
落語 「千両みかん」; 若旦那が季節外れの真夏のみかんが食べたいと寝込んでしまう。番頭はみかんを探し求めるが・・・。

 この噺は、上記落語とプロローグはそっくり同じです。ですから、そこまで噺を進めておいて、上記の噺に滑り込ましてもなんら違和感がありません。喬太郎もその辺を解っていて、ジョークを入れたのでしょう。擬宝珠を舐めたいのと、夏のみかんが食べたいのでは大違いですが、話の進行は同じです。


3.駒形橋、両国橋、永代橋

駒形橋、両国橋、永代橋ともに上流から下流に向かって、隅田川に架かる橋です。

駒形橋駒形堂があったので”駒形の渡し”時代からこの名があります。
昭和2年(1927)関東大震災復興事業として完成した。
 「君はいま 駒形あたり ほととぎす」 江戸の巷説(高尾太夫が仙台藩主に贈ったとも言われる)
 「浅草の林もわかず 暮れそめて 三ヶ月低し 駒形の上に」 子規

 駒形の擬宝珠はドジョウの味がした。と言う橋ですが、ここは擬宝珠の付いた橋ではなく、最初から 今の鉄橋でしたので、舐める事は出来ません。舐めるのでしたら橋全体を舐めればいいので、舐めでのある橋です。
 駒形橋の近くの「駒形のどぜう」に引っかける為の橋名になったのでしょうが、どうせならその上流の吾妻橋(浅草寺横、 旧木製)にして、雷おこしの味がしたとか、デンキブラン(神谷バー)、スーパードライ(アサヒビール)の味がしたという方が素直で楽しいでしょう。ここまで言っておいて、この吾妻橋には擬宝珠は使われていません。(オイオイ) 。写真;赤い現・吾妻橋。

所 在 地 台東区雷門 − 墨田区東駒形
橋梁形式 中路及び上路2ヒンジアーチ3連橋
橋長X幅員 146.3m X 25.2m
完成年次 昭和2年(1927)6月 初代の鉄橋

両国橋
 明暦の大火以後隅田川東岸の埋め立てと人口の移動が激しくなって架けられた。武蔵の国と下総の国の両方をつないだので、この名が起こった。
 江戸東京博物館で調べると、欄干には銅の被せものはあったが、擬宝珠は使われていなかった。残念。

所 在 地 中央区東日本橋 − 墨田区両国 (京葉道路)
橋梁形式 3径間ゲルバー鋼鈑箱桁橋
橋長X幅員 164.5m X 24.0m
完成年次 昭和7年(1932)11月
初 代 隅田川弐番目の架橋 ◇架橋:寛文元年(1661)

永代橋
 江東区、江戸当時の深川にあった永代寺から採ったとも、幕府の永代続く事を願って命名された。
明治30年(1897)木造橋から鉄橋に姿を変えたが、昭和元年当時の場所から150m下流の現在地に架けられた。
 残念ながら、木製の永代橋にも擬宝珠は使われていなかった。右写真;永代橋護岸にあるレリーフ。

所 在 地 中央区新川 ― 江東区永代 (永代通り)
橋梁形式 バランスド鋼タイドアーチ、単純鋼鈑箱桁橋
橋長X幅員 184.7m X 22.0m
完成年次 昭和元年(1926)12月 
初 代 隅田川四番目の架橋  ◇架橋:元禄11年(1698)

 擬宝珠の使われていた江戸時代の代表的な橋は、江戸城に入る橋以外で、「日本橋」、「京橋」、「新橋」が有ります。現在では「日本橋」、皇居にある「平川門」、亀戸天満宮にある「太鼓橋」等でしょうか。


4.浅草寺の五重塔
五重塔再建前の塔は慶安元年(1648)の建立で、本堂と同様、関東大震災では倒壊しなかったが、1945年の東京大空襲で焼失した。現在の塔は昭和48年(1973)に再建されたもので、鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートル (内・相輪部分15m)である。基壇内部には永代供養のための位牌を納めた霊牌殿などがあり、塔の最上層にはスリランカから招来した仏舎利を安置している。なお、現在の塔は本堂の西側にあるが、再建以前の塔は東側にあった。 (浅草寺、五重塔説明板より。一部加筆訂正)

写真;(左)浅草寺五重塔。若旦那はこの最上部まで登ったのでしょう。(下)伝法院庭園内より五重塔を見る。同じ浅草寺でも雰囲気が全く異なります。08年11月特別公開日に


5.タクアンの塩加減
 冬の塩加減は干し大根の重量の4%程度で漬けます。 本数が少なく、保存を考えなければ 3%程度でも可。
保存性を高めるためにはよく干した大根を使い、塩加減を5%から6%に。その分米ヌカを減らす。

  プロの四斗樽で漬け込むときには、
冬の寒い時期には塩は少なく2〜3升、3月の春先から5月頃までは3〜5升、夏には7升の塩を使い漬け込みます。


6.原話
 ある人、金物を好いてなめたがり、さまざまの金物をなめて楽しむが、いまだ塔の上の玉をなめてみず。五重塔の擬宝珠をなめてみたい望み。ようようとして五重塔へ足代(あししろ=足場)をかけ、てっぺんの擬宝珠をなめてみて、多年の望み達したりと喜びける。「どうした、塔の擬宝珠をなめて、どのやうなものだ」、「思ったほどにもござりませぬ。橋の擬宝珠の塩気のないものさ」。
黄表紙仕立噺本「はなし」より”金物好き”。安永6年(1777)刊。鳥居清経画
2012.10.追記

 


  舞台の擬宝珠を舐め歩く

 隅田川に架かる三橋はどこも擬宝珠がないので、早々に立ち去る事にします。

 まずは日本橋。ここには明治44年に石作りの素晴らしい橋に変わっています。浮世絵にもある素晴らしい木橋は過去の彼方になってしまいましたが、現在一分の一の大きさの実物が有ります。それは両国駅の北側にある「江戸東京博物館」に復元されています。館内に入るとまず、この日本橋を渡らないと、次の展示物のコーナーに行けません。床面の木の厚みから来る安定感と幅員の広さに驚きです。檜の作りに、欄干の柱には黒塗りの擬宝珠が使われています。擬宝珠は見学者が触っていくのでキラキラ光っています。で、舐める気にもなれません。

 江戸城、今の皇居北東、鬼門の位置に架かった橋(門)が平川門です。当時は表門のイメージより裏門との性質が強かった門です。橋桁は石で出来ていますが、その上に乗った橋全体は木製の素晴らしい橋です。江戸東京博物館の日本橋も時代を超えるとこの様な風合いに変わるのでしょうか。ここの擬宝珠は緑青を吹いていますので、オチのように六升臭い味がするのでしょう。現在は皇居東御苑に入る三ヶ所の入口のひとつとして利用されています。道路を挟んだ前には毎日新聞社、竹橋を渡ると右手に東京国立近代美術館があります。

 亀戸天神の太鼓橋は最近新しく直されましたが、先代以前からコンクリートの橋です。しかし立派な擬宝珠をかぶっていますし、浮世絵の江戸情緒は残っています。5月の藤の頃と受験シーズンには参拝者が詰めかけますので、木製では安全が見込まれないのでしょうね。ここの擬宝珠は合格祈願に効くかもしれません。

 メインの浅草寺・五重塔は東京大空襲の時に焼失し、昭和に再建されたものですが、そのボリューム感と緻密さでは素晴らしいものがあります。残念な事には回りが塀で囲まれていて、一階部分がどうなっているのか解りませんし、入る事も、近寄る事すら出来ません。まるで錦絵の美女のように遠くから眺めるだけで、触る事も出来ません。
 人が近づく事を拒否している五重塔ですから、宝珠を舐めるなんてとんでもありません。しかし、チャンスは必ずあるものです。それは100年か200年後にはメインテナスで補修するときに掛けられる足場を使って、関係者のような顔をして登るのもひとつの手です。
 その時は擬宝珠の味を教えてくださいね。

 

地図

  地図をクリックすると大きな地図になります。 

写真

それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。

  

宝珠浅草寺五重塔相輪)
五層目の屋根の上には相輪という部分が取り付けられています。
上から、二つの珠が最上部にあり、上が宝珠、下が
竜車。 火炎のような水。リング状の九輪(宝輪)。水煙と九輪には風鈴のような風鐸(ふうたく)が付いています。左写真ではここまでですが、その下に請花、伏鉢、露盤が有って、一式となります。 相輪部分は5階建てと同じ15mあります(右写真)。

 

弁天堂(浅草寺境内)
堂の頭頂部には宝珠が乗っています。また、お堂の回りにある回廊の欄干には擬宝珠が乗せてあります。

駒形橋
駒形堂があったので”駒形の渡し”時代からこの名があります。
昭和2年(1927)関東大震災復興事業として、始めて完成した鉄橋。
 

「駒形堂」(台東区雷門2駒形橋際)
駒形橋の橋際に建っている駒形堂。浅草寺の観音様はここで隅田川から上がったと言われます。
金色に輝く堂々たる宝珠が乗っています。

「駒形どぜう」(台東区駒形1−7)
「駒形どぜう」の創業は1801年。初代越後屋助七は武蔵国(現埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草駒形にめし屋を開きました。当時から駒形は浅草寺にお参りする参詣ルートのメインストリートであり、また翌年の3月18日から浅草寺のご開帳が行われたこともあって、店は大勢のお客様で繁盛したと言います。
ホームページよりhttp://www.dozeu.com/

両国橋
江戸の時代より名の通った橋で、夏には夜ごと花火が上がって歓楽地として賑わった。落語「たがや」ではここが舞台。
落語「幾代餅」では、
めでたく夫婦になった清蔵・幾代が、これを期に両国広小路に、名物の幾代餅を初めて繁昌した所。

擬宝珠都立慰霊堂(旧震災記念堂)。墨田区横網2−3横網公園内)
両国橋東詰め、
都立慰霊堂(旧震災記念堂)より見下ろす花壇。

永代橋
落語「永代橋」でえがかれた橋。深川の八幡様の祭りには大いに賑わいます。落語「もう半分」でお爺さんが身を投げるのもこの橋です。
下流を見ていますので、左手の高層マンションが佃島です。本文中の永代橋レリーフに対比。

日本橋
日本の道路の中心点です。広重版画の五十三次もここから始まります。ここには立派な擬宝珠が付いています。
江戸東京博物館展示物

   

平川門(平川橋。千代田区一ツ橋1 毎日新聞社前)
江戸城の北側、今は皇居「東御苑」に入る濠に架かった橋です。当時からの擬宝珠がその存在感を誇示しています。
擬宝珠には寛永六年八月の銘が見えます。
平川門は死人、罪人などが出される門でした。刃傷沙汰を起こした赤穂の殿様もここから出されています。大奥が近く、婦女子の出入りにも使われました。

亀戸天満宮・太鼓橋(江東区亀戸3−6)
亀戸天神の境内に架かる太鼓橋には、しっかりと擬宝珠が付いています。

皇居雅楽堂(千代田区皇居東御苑内)
落語「火焔太鼓」に出てくる、”火焔太鼓”がこれです。あまりにも大きいのでビックリなさっているでしょうが、大きさはこれが標準です。馬生がこのサイズで演じたら、親の志ん生に怒られたという逸話があります。
その台座回り、舞台に擬宝珠が使われています。

                                                              2007年10月記

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