今、東京の噺家がみんな東京に住んでいるとは限らない。
埼玉、千葉、神奈川、東京近郊から通って来る人もいる。
中でも一番遠い所から通っていたのが“逗子の師匠”だと思う。
前にも書いたが、我々は住んでいる地名で呼び合うこともある。“逗子の師匠”とは、三遊亭右女助師匠の事。
呼び名の通り、逗子。まぁ、正確に言えば東逗子。東京駅から横須賀線快速で約一時間。新宿、浅草にはそれ以上かかる。往復三時間かけて十五分の噺をやりに来るのである。それを何十年となく続けて来た。
何度かお宅まで伺ったことがあるが、片道だけで疲れてしまう。ものすごい事だと思う。
私も家から寄席まで約一時間。それでも一年中じゃない。十日間入れてもらって、年に何十日だろう。それを逗子は約一年中寄席に出ていた。それだけ寄席を大事にしていたのだろう。

残念な事に、今、寄席では右女助の看板をみることができない。
何年前になるか、協会を辞めた。本当の理由はわからないが、なんでもおかみさんが倒れて看病をしなければということだった。
辞めてからも、家まで何度か伺った。おかみさんもかなり良くなって、いろんな話をした。逗子の好きなお酒を飲みながらである。
その時に、おかみさんがチラッともらした。
「柳好さんが辞めてから、お父さんは何か気がなくなったみたい」
“柳好さん”とは、「蟇の油」で書いた川崎の柳好、四代目柳好師匠の事。川崎と逗子、方向も同じという事で、二人とも実に仲が良かった。
二人とも酒が大好き、おまけにくせもあまり良くない、という二人。親友の川崎が辞めて、しかも先に向うへ旅立ってしまった。
葬儀の日、夏の暑い盛りに、逗子は紋付羽織袴で参列していた。実に悲しそうだった。

その右女助師匠に前座の頃からよくかわいがってもらった。うちの師匠、文治とも仲がよく、その人の弟子というのもあったのだろう。
楽屋入りは、スーツをビシッと着て、革のバッグを持って、芸人というより会社の重役といった雰囲気だった。
私は前座の頃、スーツとネクタイで楽屋に通った。今では考えられないかも知れないが、それは、逗子を見習っていたのである。寄席も仕事だというのを教えてくれた。誰が見ているかわからないので、どこへ出てもはずかしくないように、と。
ある時、右女助師匠と一緒の仕事で、家の近くだったので、つい、ジーパンにTシャツで行った。すると、「それじゃ金とれねぇぞ」と叱られた事がある。もっともな話。

楽屋ではお茶は飲まない。常に水である。
逗子はお茶が嫌いだと思っていた。ところが、それは大間違い。
以前、右女助師匠に、入り立ての前座がお茶を出した。それをとろうとしたら、先輩の前座が、「バカ、右女助師匠はお茶は飲まないんだよ、水だよ」と叱りつけた。それからは、その人の顔を立てて、好きなんだけど、お茶は飲まずに水ばかり飲んでいたそうである。

それから、高座後の一杯が格好良かった。一席やっておりて来ると、必ずお酒をすすめた。お客さんからの差し入れが楽屋にはある。
酒好きなのを知っているので、「師匠、お酒ありますが」「じゃ、一枚」。湯飲みなみなみ注ぐと、それを二息くらいでキューキューと飲んで、「お先に」と帰って行く。とてもきれいな酒だった。
楽屋でダラダラ飲んでいる人にも見習ってもらいたい。

その、人間性の大好きな師匠から「納豆や」を教わった。
これは古い新作。おそらく(柳家)金語楼先生の作だろうと聞いた。新作にしては、ちょっと型の古い噺である。

内容は、若くてブラブラしている男、ある日、おじさんに呼ばれて小言。納豆を売って来いと言われ、しぶしぶ売りに出る。
いろんな人の家へ行き、しまいには友達の家へ。そこへ他の友達が居候していて「残った納豆みんな持って来い。こいつに食わせるから」
それから残り物を毎日持っていく。一週間経ってその友が納豆の食べ過ぎで体がねばって困っている。
「薬服ませるから水を一杯」
「今薬は服んだばかりですが……」
「ダメですよ。医者の薬なんざぁ効きません。原因が納豆ですからカラシが効くでしょう」というサゲ。

教わった通りに演ると十五分から二十分、前半があまり面白くないので近頃は納豆を売りに行く処からで、五分から七分であがる。時間を詰める時にはよく演っている。納豆を家に売りに行く処で、柳昇師匠の家へ行き声色を使ったり、自分でも遊んでいる。
演る人もいないし、私自身好きな噺である。
この「納豆や」についていたマクラが今自分のマクラ「郵便や」と同じようによく演っている「ゴキブリラーメン」「奥さん、それ鏡です」。それは直に聞きに来てもらいたい。もう聞いたかな?

酒を飲むと小言上戸というか、意見上戸。
色々教えてくれるが、早口でよく分からない。慣れてくると相槌の打ち方も分かってくる。でもいい事を教えてくれた。

それは”伝家の宝刀”を持てという事。
つまりこの人にはこの噺、誰にも負けない噺を演れという事。
右女助師匠には「出札口」という宝刀があった。駅で切符を買うのに行き先を忘れた人が駅員に駅名をズーッと言ってくれと頼む。仕方なく日本縦断、北海道から鹿児島までの駅名を言っていく。右女助師匠は駅名覚えの名人。実にあざやか、どんな陰気な客でも手を叩かざるを得ない。
サゲは
「これで駅はみんな言いました。あと細かく言うには東京の隣の神田から言うしかありません」
「あっ、その神田一枚」
懐かしいな〜。もう聞けないな。

それからもう一つ。「どんどんネタを増やせ」。噺の引き出しを作れという事。
それをデパートに喩えて教えてくれた。
デパートにはエレベーターと階段がある。急に売れた人はエレベーター。昇るのも早いが、引き出しが少ないから下がるのも早い。階段で上がった人は何階が何売り場かちゃんと知っているから、降りる時も一階ずつ降りて来る。お客さんに合わせる事が出来るということ。他にも色々教えてくれた。

まぁ”宝刀”は無理にしても引き出しを増やす事は出来る。色んなネタを演ってみたい。演って損をする事はない。自分に合わないと思って捨てた噺でも何か一つはプラスになっている。

その”逗子”、風の便りに何年か前に屋根の掃除をしていて落ちてケガをしたというのを聞いた。だいぶ良くなったという話も聞いた。でもそれだけで家にも何年も伺っていない。電話もかけていない。私は何て薄情なんだろう。
「寝込んでいる。老け込んだ」そういう返事が返って来るのが恐いからだ。気を遣わせる事なくそうっとしといてあげたい。余生を安楽に暮らしてもらいたい。

 

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