落語「出札口」の舞台を歩く
   

 

 三遊亭右女助の噺「出札口(しゅっさつぐち)」によると。
 

 出囃子「汽笛一声新橋をはや我汽車は離れたり ・・(鉄道唱歌)

新潟小千谷の駅で駅弁を買おうと思ったら、「オジヤ〜」と言われて雑炊のオジヤじゃ止めておこう。
伊勢の津では一文字なのでアナウンスが難しい。「つ〜〜ぅ」。
東京・三鷹は失礼な駅です。ホームに駆け込んできた女性が転んだ。「ミタカ〜、見たか〜」。

 ある男が東京駅の窓口に切符を買いにきたが、どこまで買うか忘れた。そこに沢山ある切符を1枚売ってくれれば良いんだから。そんな事は出来ないので思い出してくださいよ。思い出すから順番に言ってくれよ。どちらの方向ですか、では東海道線ですね。
 有楽町ですか、次は新橋ですよ、浜松町?、田町・品川・大井町・大森・蒲田・川崎・鶴見・新子安・東神奈川・横浜→小田原→熱海→三島→富士→静岡→掛川→浜松→豊橋→安城→名古屋→岐阜→米原→京都→大阪→神戸。

これで東海道本線は終わりです。有りませんか? 次は山陽本線になってしまいますよ。
 神戸・兵庫・新長田→明石→姫路→相生→岡山→倉敷→福山→尾道→三原→広島→岩国→徳山→山口→厚狭→下関。

山陽本線もこれで終わりです。では海を渡って、九州に、
 門司・小倉→博多→鳥栖→熊本→八代→水俣→川内→西鹿児島・鹿児島。

これで鹿児島本線も終わりです。あとは北の方向です。「それを言ってくれ」。 東北本線ですよ。
 上野・鶯谷・日暮里・田端・上中里・王子・東十条・赤羽・川口→大宮→小山→宇都宮→黒磯→白川→郡山→福島→白石→仙台→子牛田→一ノ関→北上→花巻→盛岡→二戸→八戸→東青森・青森。青森じゃないんですか。

これで東北本線終わりです。海を渡って北海道に渡ります。函館本線から宗谷本線で、
 函館・五稜郭→大沼→森→長万部→ニセコ→小樽→札幌→(泣きが入ってきます)岩見沢→滝川→深川→旭川→士別→名寄→音威子府(おといねっぷ)→幌延→南稚内・稚内。

「これで南から北まで全て言いました。これより詳しく言うと隣の神田から言わなくてはなりません。」
「そ、それ、神田1枚。」

 


 
1.三遊亭右女助(うめすけ)
 本名、田中信雄。大正14年9月19日生まれ。昭和25年に落語芸術協会の今輔に入門、昭和38年真打。神奈川県逗子桜山に住んでいたので「逗子」 の師匠と呼ばれる。延輔→今之輔→ 右女助→平成3年廃業 、「出札口」が大ヒット。
 私が子供のころには良くラジオで、この噺が放送されていたものです。放送時間によって、神戸までだったり、鹿児島まで行ったりしましたが、今回は大サービスの稚内までの大旅行になりました。この正確な記憶力は感服です。ですから、噺の途中で何回も客席から拍手が起こります。

 桂平治の噺の穴 http://homepage3.nifty.com/katuraheiji/rakugo/hanasiana/ana045.html に
三遊亭右女助師匠の思い出話が載っています。繋がらない時はここ

 三遊亭右女助氏(さんゆうてい・うめすけ、本名・田中信雄=たなか・のぶお=落語家)平成19年5月20日、胃がんで死去。81歳。告別式は22日午前11時、神奈川県逗子市久木1の2の6逗子二葉会館。喪主は長女、川島星美(ほしみ)さん。 自作の「出札口」などを得意とし、落語芸術協会理事を務めた。(新聞訃報欄より 。写真;改札口カセットより)


2.
駅名について
 
東海道本線は、都内から横浜までは京浜東北線と複々線になっています。右女助は京浜東北線の有楽町から始まりますが、東海道本線では東京を出ると新橋−品川−川崎−横浜と止まっていきますので、駅名は少なくなります。彼もその時の噺の持ち時間によって、東海道線だけだったり、鹿児島まで行ったり、今回のように北は稚内までサービスする事もあります。
 東海道本線だけだったりする時は、新橋・品川・川崎・横浜・・・と並べていって、「これ以上細かく言うと隣の有楽町から言わなければならない。」、「その有楽町1枚。」で落としています。

 本題の噺の中では細かくひと駅ずつ丁寧に言い述べていきますが、私はアバウトなものですから、飛ばして新幹線の停車駅の近くを代表としてあげています。

 右女助が口演していた時と、現在では駅名が変わったり無くなったり、新しく出来た駅もあります。それより新幹線が出来たお陰で、路線その物がJRから無くなって、第3セクターで運営されてる路線すらあります。また、青函連絡船が廃止になり、青森の次は函館と今はなりません。青森から津軽線(津軽海峡線)で津軽半島の先端から津軽海峡をトンネルで抜けて、函館に向かいます。25駅も増える事になりますから、 これまた大変です。

 ■東海道本線
 新幹線が運用されていますので、現在の東海道本線では一本の直通列車で神戸までは行けません。
 例えば、朝の6時に東京駅に来たとすると、6:07発熱海行きに乗車し、終着熱海に7:59に着き、熱海発8:05の列車に乗り継ぎます。浜松、大垣、米原、で乗り継いで終着神戸に着くのは15:38です。総時間 9時間31分です。新幹線のぞみでは3時間を切ります。
 夜行寝台列車も無くなってから、だいぶ時が経ちます。

 時代は変わりましたね。変わったと言えば、ここに大正12年7月の時刻表で行くとどうでしょうか。夕刻7:00発の夜行特急・・・、は無いので急行で行きましょう。

 東京7:00・横浜7:41・国府津8:45・(御殿場線経由)沼津10:49・静岡11:55・浜松1:31・豊橋2:18・名古屋3:42・岐阜4:19・大垣4:38・米原5:35・大津6:49・京都7:10・大阪8:10・神戸9:13

 駅名は急行停車駅(特急も同じ)、数字は発車時刻、太字が午後、細字が午前、24時間制の時間は採用されていません。では、昼の列車はどうだったのでしょう。
 1日2本しかなかった特急でも一番早かったのに乗車、東京を朝8時45分に出ると、上記駅を止まりながら、名古屋16:14、大阪20:12、最終神戸着21:00。
 夜行で行くと14時間13分。昼の特急で行くと12時間47分掛かっています。
 (日本交通公社時刻表より)。

 当時はまだ、丹那トンネルが完成していませんので、東海道本線は御殿場経由で運転されていました。
大正12年で一日片道22編成が運行されています。この年、関東大震災で、国鉄は大きな被害を出します。しかし、復興は早く、大正14年3月の時刻表を見ると数割の列車増発がなされています。

 その後、昭和5年10月超特急「つばめ」がデビュー、東京−神戸間を当時としては驚異的な9時間で運転された。しかし、まだ蒸気機関車で、平均速度65km/hであった し、丹那トンネルが開通するのは昭和9年まで待たなければならなかった。
写真「日本国有鉄道百年写真史」より、昭和5年”つばめ展望車”。
東海道線全線電化は昭和31年11月であった。

 この「つばめ」が国鉄のシンボルとして、プロ野球「国鉄スワローズ」と命名され、親しまれています。それが今の「ヤクルト・スワローズ」として受け継がれています。

 ■東北本線について
 右女助師匠は上野を出ると「上野・鶯谷・日暮里・田端・上中里・王子・東十条・赤羽・・・」と言っていますが、これは通勤電車の京浜東北線の駅です。東北本線の路線は複々線になっていて、これらの駅には止まりません。駅がないんですから。
 正確には上野を出ると、尾久−赤羽−浦和−(最近出来た)さいたま新都心−大宮と、停まっていきます。
 上野の次の駅、尾久は都内でも珍しいローカル駅になっていて、快速電車すら止まりません。各駅電車が1時間に8本(ラッシュアワー時最大12本)止まるだけです。通勤電車では1時間当たり20本近くが運行されます。山手線と複々々線になっている、上野−田端間はその倍の電車が来る事になりますが、それから見ると如何に少ないかが分かりますし、駅舎を見てもそれが連想されます。
 

 ■神田駅
 今の東北新幹線は東京始発で、過去の始発駅だった上野に最初に停車します。ですから、東海道新幹線に乗ってきたお客さんは、東京駅で乗り換えれば東北方面に簡単に行く事が出来ます。JRになってからも同じですが、旧国鉄の在来線は今まで通りの始発駅を使っています。東京−上野間は通勤用の電車を使わなくてはなりません。
 東京−神田−秋葉原−御徒町−上野間は東海道本線にも、東北本線にもあたりませんので、この噺が生きてきます。(JR内部では、この区間は東北線と処理されています)
 上野駅は明治16年(1883)7月営業開始していますが、神田駅が大正8年(1919)、御徒町、秋葉原駅が開業したのが大正14年(1925)11月です。この年初めて山の手線は環状線になりました。

 

3.切符の買い方
 
噺のマクラで、池袋駅に切符を買いにきたお客さんが「池袋1枚」。慌てた駅員が切符を探したが見つからない。で「売り切れました」。
 (池袋駅の写真は、第83話落語「恋の山手線」に有ります)
 私も同じ経験があります。その時は駅員あわてず騒がず「ありません!」。「ん?・・・どうして?」とっさにその意味が理解出来ずにいると、駅員が言いましたネ「ここですよ」。 それこそ、「ここは、どこ?私はだ〜れ?」状態です。
 ある時、友達たちとガヤガヤと切符を買いました。当然同じ駅名を言いますので、駅員もその切符に手が伸びています。私の番になって「男、一枚」、駅員が吹いたのはその時です。
 最近は切符を買うのに自動販売機を使うようになって、駅員とのコミ二ケーションも無くなりました。長距離の切符を買う時ですら、先に購入用紙に書き込んで、2、3の事務的な会話をするだけになっています。
 駅員もいろいろな事を言われたら、疲れてしまうでしょうね。立川志の輔師匠の自作落語「みどりの窓口」はそこのところを描いて、笑いを取っています。主人公の駅員もクタクタになっているのが良く分かります。

 


  舞台の東海道本線・東北本線を乗り継ぐ

      地図をクリックすると大きな地図になります。 

 今回は写真が多いので、いつもと構成を変えています。

 

 写真は車内ドアー上に掲示されている地図です。
 赤いラインが東海道本線快速アクチィー停車駅。その上のオレンジラインが東海道本線各駅停車駅。

 ■まずは東海道本線始発駅の「東京」(とうきょう)に向かいます。 東京に住んでいる人達は東京とは言わず、「東京駅」と言います。必ず”駅”の一言が着きます。だって、ここだって東京、東京から東京に行くって変ですよね。

 私がまだ若い頃、大阪万博を観に夜行バスで大阪まで行った時の事。朝に大阪に着きますが、運転手さんがアナウンスするには「難波に到着しました」と言うではありませんか。確か私は大阪行きのバスに乗ったはずですが、何処をどう間違ったのか難波に連れてこられてしまいました。さぁ〜、どうする。これから大阪駅まで行かなくてはなりません。道も分からないし、初めての所なのに、それはそれは心細くなったものです。仕方がないので運転手さんに聞きました「大阪に行くには、どうしたらいいんですか」。運転手さんは右上を指指して「そこ!」と言うだけです。
 後で分かれば、笑い話ですが、大阪のここは難波で、指先が大阪駅だったんです。

 以下枠付きの写真はクリックすると大きくなります。

   

 東京駅は丸の内側駅舎です。写真左:北口ドーム。中:中央ドーム、右:南口ドームから北を望む。
 2010年末までかけて、赤レンガ駅舎は建設当初(大正3年)の状態に復元されますし、アプローチ道路は地下街になって前方の丸ビルと繋がります。道路の方は既に工事が始まっています。

  

 東京に到着した東海道線。     発車間近な東京駅ホーム。過去に湘南電車と言われた電車です。

 ■では、この電車に乗って次の「新橋」(しんばし)に行きます。

 新橋は東京を出て東海道本線、最初の停車駅です。
 写真は東口の駅前広場で、この背中方向には”ゆりかもめ”の新橋駅があります。ゆりかもめは無人運転されている電車で、東京の観光スポット、ベイエリアに直結しています。都営交通の中で、ダントツの黒字を出しています。
 新橋駅前の写真右下に蒸気機関車の動輪が飾られています。その右に鉄道唱歌の碑が建っています。当時の始発駅新橋から終着神戸まで、歌詞が66番有ります。1番ぐらいは歌えますが、その後になると ・・・、う〜〜ん難しい。ちなみに、右女助の出囃子にも使われていますので、1番だけ紹介しましょう。

「♪汽笛一声新橋を
はや我汽車は離れたり
愛宕
(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として。」

 新幹線とすれ違いながら、新橋ホームに電車が入ってきました。乗る前にここから近い、汐留にある旧新橋駅の復元駅舎を訪ねます。

旧新橋駅
 日本で初めて鉄道が開通したのが明治5年9月、ここ新橋(汐留=しおどめ)と横浜間です。当時錦絵などで紹介された始発駅です。時代が進んで、東京駅が東海道線の始発駅になり、 東海道線に名前を譲った新橋駅は汐留駅と名を変えて貨物駅として栄えましたが、道路網が発達して鉄道貨物が衰退していきました。そして広大な敷地が残り、そこに超高層ビルの並んだ新しい町(汐留再開発地域)が出現したのです。カメラで追ってもあまりにも高いビル群のため全景が収まり切れません。話を戻して、その記念すべき停車場(ステイション)の有った同じ場所に、当時と同じ建物を復元して往時を偲んでいます。建物は石造りの洋館ですが、明治の文明開化の雰囲気をかもしています。その中には資料館(無料)も有り、また発掘された当時の石組みも見られます。

     
  旧新橋停車場正面   旧新橋停車場ホーム側
     
  ”0哩(マイル)”基点標柱   回りに林立する超高層ビル群


 ■次の「品川」(しながわ)に、

  

 写真上左:品川駅西口全景。手前の駅舎はあまり代わり映えのしない建物ですが、奥のビル群は東口駅前に林立するもので、東口は大きく様変わりしてしまいました。品川には新幹線も停車して、東京の南玄関の様相を呈しています。
 写真上右:東口に通じるコンコースです。この下には新幹線ホームがあり、吹き抜けの大きな空間には、窓の外の高層ビルが透けて見えます。

 写真右:品川駅東海道本線ホームにある”所要時間案内板”です。品川からの所要時間が分かります。
東京まで8分、横浜17分、小田原65分掛かります。

 ■「川崎」(かわさき)

 多摩川の県境を越えて神奈川県川崎です。東海道五十三次でも大きな宿場町でした。この駅の南側に京浜急行が並行して走っていますが、その京急川崎駅の直ぐ南に旧街道・東海道が走っています。今でも大きな歓楽街を抱えています。

 川崎から、真っ直ぐ東京まで戻って、右写真の山手線に乗って・・・、上野に向かいます。

 

 電車ドアー上の地図です。オレンジ色が宇都宮線(東北本線)です。

  ■「上野」(うえの)

 東北本線始発駅・上野は東京の北の玄関でした。今は新幹線が長距離列車の幹線をなしていますが、その新幹線も当初はここ上野駅から発車しましたが、利便性を考えて今は東京から発車しています。

  

 上野駅は今でも、常磐線、高崎線、宇都宮線(東北本線)の始発駅です。また寝台列車の始発駅で、特急あけぼのが青森まで、特急北陸が金沢まで行っています。

上野駅のホームには既に電車が入線しています。

 ■「尾久」(おく)

  

 上野を出て最初の駅が尾久です。”尾久”の読み方は「おく」と読みます。しかし町の名前は「おぐ」と濁って発音します。タクシーに乗っても「おぐ駅まで」といえば黙ってここに連れてきてくれます。駅名より町の名前の方が認知度が高いのです。この駅の裏は操車場になっていて、上野発の列車の停車場だったり、編成替えをおこなったりしますが、ここの看板には「JR田端・尾久操車場」ふりがなで「Ogu」と入っています。同じJRでも呼び方が違うんですね。

 ■「赤羽」(あかばね)

 尾久の次が、ここ赤羽です。

  

 赤羽は東北線で都内の一番北にある駅で、ここを過ぎると埼玉県川口になります。
 赤羽は新幹線が開通してから、ガラリと変わって綺麗な駅と町並みを形成しています。
 写真左は整備された西口のバスターミナルです。

 ここからでも青森、北海道まで行けますが、目的地は「神田駅」なので、Uターンして京浜東北線でひと駅ずつ戻る事にします。

 ■「神田」(かんだ)

  

 神田は東京駅の北隣の駅です。写真左は神田駅ホームから眺めた中央通り、道路は須田町を通り秋葉原の電気街に入っていきます。オレンジ色の電車は中央線。
 写真右は神田駅で一番駅らしい顔を見せる南口です。

   

 ガード下の神田駅西口、高架には中央線が到着しています。
 写真右:その西口に向かう道は商店街になっていて、何でも有りのサラリーマンの小路です。
神田駅周辺にはこの様な昼も夜も賑やかな路が沢山あります。

 

                                                 2006年12月記

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