落語「粗忽長屋」の舞台を歩く
五代目柳家小さんの噺、「粗忽長屋(そこつながや)」によると。
浅草境内の仁王門を抜けると人だかりがしていた。中は「行き倒れ」だと言う(猿回しではなかった)。大きな人垣の股ぐらをくぐって最前列に出た。世話役さんがコモの中の倒れた人を見せると、「起きなよ。みんなが見ているから。・・・『生き倒れ』だと思ったら、『死に倒れ』じゃないか」。顔を見ると隣人の熊さんそっくりであった。引き取り手が見つかって良かったと世話役さんは一安心。「私が引き取るより、身より頼りがないので本人を連れてくる。朝出掛けに気分が悪いと言っていたので、本人でしょう。」、「いえ、これは昨夜から倒れていたので、人違いです」。「人違いかどうか、本人を連れてくるので、一番確かな本人に渡してやってもらいたい」。
長屋に戻って、熊さんに事の次第を告げると、「そんな気がしないよ」、「お前はな、昨日の晩に死んでいるんだよ。夜何をしていた」。「気味の悪い事言うなよ。吉原から酔って浅草寺の境内を抜けたのは知っているが、その後の記憶がない」、「ほれみろ。それが証拠だ!気分が悪くなって浅草寺で倒れて、死んだのも分からず帰ってきたんだよ」。「それでかな〜、今朝は気分が悪い」。
「それで浅草に行くんだよ」、「なんで?」、「じぶんの死骸を引き取りに」、「今更、これが私だなんて、恥ずかしくて言えない」、「当人が行って、当人を引き取るのに何が恥ずかしい。だから俺も付いて行くよ」。「そうかな?」、「早く行かないと、別の人にお前を持って行かれるぞ」。
「どけどけ。当人が来たんだ」。「また来たよ。違っていただろう」、「当人に聞いたら良く分からないと強情を張っていましたが、話をすると気分が悪いので、そうかも知れないと気が付きました」。世話役さんに挨拶して、熊さんは本人に対面した。「汚い顔だし、顔が長いよ」、「一晩夜露に当たったからだろぅ」、「よ〜ぉ、これは俺だ。やい!俺め!なんて浅ましい姿になって。これなら旨いものをもっと食っておけば良かった」。
二人して本人を担ぎ出そうとして、抱き上げると、「う〜〜ん、兄貴、分かんなくなっちゃった。抱かれているのは確かに俺なんだが、抱いている俺はいったい誰なんだろう」。
1.粗忽(者)
思慮の不十分な状態にいう。そそっかしくて不注意なこと。また、そのさま。そそう。
軽率でそそっかしい人。(小学館国語辞典)
「
あわて者」と小さんはマクラの部分で説明しています。その例として・・・、
三代目小さん師匠は中折れ帽子をかぶったまま銭湯に入ったり、寄席から帰ってくると、タバコ入れが腰に何個か挟まっていた。
あわて者の人が早く帰ってきたが、何で早く帰って来たか忘れてしまった。思い出そうとしたが思い出せないので、まず風呂に入ってゆっくり考えたが、だめだった。仕方がないので一杯やっていたが思い出せない。ご飯を食べても思い出せない。いっぷく付けてもやはり思い出せないので、布団に潜り込んでしまった。「あ!そうだ、今日は早く寝るんだった」。
ご主人が「定、ちょっと行ってきてほしんだが」と言うが早く、用件も聞かず表へ飛び出して行った。間もなく帰ってきたので様子を聞くと「何も変わった事はなかったですよ」。
「頼みたい事があった。郵便局に行って欲しかったんだよ」、「それでしたら、今、行った都合があったのに」。
隣で「かかぁ、出ていけ」と言うのが聞こえたので、仲裁に出掛けた。しかし、独り者だから夫婦喧嘩は出来ない。「かかぁ、と言ったのは赤犬が馬糞をしたので追い払うのに『アカ、出ていけ!』と言った」。「その赤犬から熊の胃が取れたのに残念だ」、「鹿と間違えるな」。・・・となると、どっちもどっちでしょう。
2.浅草寺夜景
浅草・浅草寺では日没から11:00pmまでライトアップしています。浅草界隈は店を閉めるのが早くて、繁華街だというのに夜の9時を過ぎると人の流れはパッと無くなります。これが繁華街かとビックリするほどです。新宿、渋谷、六本木は朝まで人で溢れていますし、何処のターミナル駅でも深夜まで賑わっています。
浅草の夜の人出を取り戻そうとライトアップが行われていますが、一歩横道にそれると、やはり人通りは途切れます。写真を撮る者については、これも題材になる景色ですが・・・。
3.照明デザイナー石井幹子
http://www.motoko-ishii-lighting-design.co.jp/
東京タワーを初め、橋や建物のライトアップを手掛けている第一人者です。ここ浅草も彼女の手になっています。
4.別説「粗忽長屋」
てく&へーさんの創作落語「粗忽長屋」を紹介しましょう。
またこれがいいんですよ。ま、ご覧下さい。
万が一繋がらない時はここ。
舞台の夜の浅草寺を訪ね歩く
浅草・浅草寺、「行き倒れ」は夜の内から倒れていたというので、その倒れる所を目撃する為に夜の境内に足を運びました。
夜の浅草寺はライトアップされて昼とは違う幻想的な顔を見せています。浅草のアキレス腱は夜です。地方都市の駅前広場のように早い時間に暗闇が訪れる、東京で唯一の繁華街です。若者は決して夜の浅草には足を向けません。
過去には浅草は情報の発信地でした。今では何も発信していません。過去には、映画、演劇、芸能、流行、ファッション全ての点で時代の先端を走り、それが情報の発信地を担っていたのですが、今では何も発信していません。祭りやイベントだけでは町の再発展には繋がらないでしょう。情報の発信地は新宿や渋谷、原宿に移っています。夜の9時過ぎに街が真っ暗になるような繁華街は繁華街とは言いません。若者や大人達からも見捨てられた街になっているのです。昼間の人出と夜の人出の落差が有りすぎます。
閑話休題。この夜景の中で、舞台のプロローグは始まります。この結果、野次馬の輪が朝方から始まって、兄貴分や熊さんが、この渦の中に巻き込まれてしまうのです。
話の中では仁王門(宝蔵門)前だと言っていますので、真っ暗な中遊び帰りに倒れてしまったのでしょうか。
仲見世や仁王門の北側に本堂があります。その本堂の境内を出た北側に吉原は有ります。蔵前、神田、日本橋に抜けるには、この浅草寺の境内を抜けるのが近道です。吉原帰りに境内を抜けるのはごく自然な事で、その中で不自然な事が起こってしまったので
しょう。
あらら、吉原帰りだとはどこでも言っていません。まだ吉原帰りだと救われます(?)が、これから行くところだったら、浮かばれません。そんな浮かれた話ではなく、食べ物にも困って餓死していたら、それはもう笑い話では済まされません。汚い顔だと言っていますので、乞食か浮浪者かも知れません。
浅草は昼の観光客(参拝者)が多いので、すぐに野次馬のエジキになってしまいます。当時浅草は繁華街の第一の場所でしたから、この様なシチュエーションが出来上がりますが、今ではどうでしょうか。
この兄貴分と熊さんのとぼけた粗忽のコンビが出てきたら、世話やきさんも本当に困った事になるでしょう。
その後の、二人はどうなったのでしょうね。考え始めると、夜も寝られない吟醸です。
でも、私のそっくりさんが倒れていたら、やはり私もドギマギしてしまうでしょうね。
地図をクリックすると大きな地図になります。
それぞれの夜景をクリックすると大きなカラー写真になります。
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本堂
昼の本堂と違って、扉が閉まっています。またその扉の柄が素敵です。
あれだけいた昼間の参拝者は何処に行ったんでしょう。写真の中の参拝者は待ってて撮しています。本当はもっと寂しいんです。
でもでも、素敵なライトアップされた浅草寺です。
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五重塔
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仁王門(宝蔵門)前 仁王門(宝蔵門)
本堂の正面にこの仁王門が有ります。写真の奥が本堂になります。 |
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仲見世
仲見世の全てはシャッターを下ろしていますが、その表に描かれた祭り風景が、寂しさを増幅させます。やっとすれ違った自転車を入れて寂しさから脱出です。仲見世は蛍光灯の明かりだけで、ライトアップされていませんので、その暗さが引き立ちます。
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裏路地
仲見世から見た路地。繁華街の飲屋街とは一線を画しています。古き良き時代の浅草飲屋街を見る思いです。
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雷門
酔ったサラリーマンが通りかかりました。素敵な雷門を独り占めです。
奥が仲見世です。午後10時過ぎの風景です。
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2005年11月記
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