落語「ラブレター」の舞台を歩く

  
 

 四代目(先代)柳亭痴楽の噺、「ラブレター」によると。
 

  若い女性の良いところと損なところがあります。男なら、朝、少しぐらいの寝坊をしても、つばき(唾)油で飛んで出られるが、女性はそんな事は出来ない。鏡の前で顔を何回も叩いて、仕上がるまでに時間が掛かる。時には「お母さんこの鏡変よ」などと、自分の顔を棚に上げて、鏡のせいにしている。女性の損なところですが、女性でなくては ならない、良いところもあります。
 女性の美点は声です。映画など鑑賞して幕間に入るアナウンスは女性でなくてはなりません。「お呼び出しを申し上げます。お客様の藤田様、 正面玄関までお越し下さいませ。」等と聞くと、藤田さんがどんなに素敵な人なのだろうと、かってに連想してしまいます。
 その反対に、ガラガラ声の男性がやると、「豊川稲荷の藤田さん、豊川稲荷の藤田さん、表で狐が待ってます」と、やられると具合が良くありません。

 マーちゃんは彼女が出来てラブレターを貰ったと友人に打ち明けた。ただし、夜学で習ったので昼では読みにくく、見せたくない。と言いつつ、友人に渡すと。
友人 「ピンクの便箋にいい匂いがするよ。で、英語じゃないよね、これ。『かれいに、もも引きあげますよ』」
マーちゃん「だから見せたくないんだよ。『彼氏に申し上げますよ。』っていうんだよ」
「『こなだこなだ』。粉でもあげたのか。」
「それは『こないだは、こないだはね』の”い”が抜けているんだ」
「『へそかゆくて』」
「それは『忙しくて』って読むんだ。ヘソがかゆい事なんかないだろ」
「『ろくまくをおかし、八銭ですみました』。あれ、肋膜を患って八銭で済んだようだよ。安かったね」
「八銭で済む分けないだろ。『ろくろくお構いしなくてスイマセンでした。』って、言うんだよ」
「『そのときはながたけさんくだりて』。タケさんがお腹を下したのか」
「『その時バナナ沢山くださりて』。しっかり読め」
「『苦しかったわよ』。やっぱり下っていたんだよ」
「それは『嬉しかったわよ』だ」
「『すぐにわかやまにもちかえり』。遠くまで持って行ったんだな」
「『直ぐに我が家に持ち帰り』」
「『仏壇へそなめた』?」
「それは『仏壇に供えたわ』って言うんだ。自分で臍舐められないだろう」
「『こんどきたとき、ミシンがないが、したてるわ』。ミシンが無いけれど何か仕立ててくれるぞ」
「『今度来た時、しみじみ話がしたいわ』」
「『こんどのひよびに、てにてをつないであべこべいくよ』??あべこべで、どうするんだ」
「『今度の日曜日、手に手を取って、アベックで行こうよ』ってんだ」
「『あなたははたけのたにしだわ』」
「『貴男は私の彼氏だわ』。この文章で一番良い所じゃないか」
「泣くなよ。『愛しきまーちゃんへ私はほんとは、あら、いやよ』。やっぱりヤダと言っているよ」
「(泣き声になって)最後まで間違えている、私の彼女は『”新井ヤヨ”さん』って言うんだ」。
 


1.豊川稲荷港区元赤坂1-4-7 
 豊川稲荷東京別院、本尊、豊川枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)。八代将軍徳川吉宗に登用された寺社奉行大岡越前守忠相は、三河西大平(現愛知県岡崎市)を領した。文政11年(1828)今川義元・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康尊崇の妙厳寺(現豊川市)の山門鎮守として祀られていた茶枳尼真天(稲荷神蒼稲魂命の本地)の分霊を 赤坂・下屋敷内に勧請し、翌年から邸外一般の参詣に応えた。明治6年(1873)旧赤坂小学校敷地(赤坂4−1。現在地の赤坂小学校とは異なる)となったため、直ぐ前の青山通り北側の現在地に移転。
246号線(青山通り)の拡幅工事にともない、道路側を削られ狭くなってしまった。

 縁起豊川稲荷は順徳天皇第三皇子寒巖禅師(1217−1300)が最初感得された稲穂を荷い白狐に跨り給う端麗なお姿の豊川 ダ枳尼真天という霊験あらたかな仏法守護の善神です。
 当別院は江戸時代大岡越前忠相公が信仰された由緒ある御尊像を祭り、もと赤坂一ッ木の大岡邸にあったものを、明治20年、現在地に奉還し、愛知県豊川閣の直轄別院となり今日に至ったものです。
(豊川稲荷説明より)

 豊川稲荷境内案内 http://www.246.ne.jp/~ziggy/Keidai.htm
 

四代目柳亭痴楽
 
本名、藤田重雄。大正10年(1921)5月30日富山市の呉羽に生まれる。幼少の時東京・本所に出て育つ。
 初め豊竹巌太夫の内弟子となって、義太夫の修行をしたが、昭和14年七代目春風亭柳枝に入門して笑枝と名乗り、落語家になる。16年1月に師匠と死別し、大師匠の五代目柳亭左楽門下に移った。同年二つ目に昇進して、左楽と七代目柳枝の前名である痴楽を襲名する。
 終戦後間もない20年9月、痴楽のままで真打に昇進する。まもなく、三遊亭歌笑が爆発的な人気を得たが、25年5月に銀座でジープにはねられて急死する。その後釜の形で、「痴楽綴方狂室」でたちまち人気者になった。「綴方」と言っているが、歌笑の「純情詩集」同様七五調の形を取っており、本題に入る前に必ずこれをやって、「爆笑王」と呼ばれた。
 人気が出ると、一時寄席から離れていたが、27年11月に復帰、47年10月には日本芸術協会の初代理事長に就任し、いずれは会長にと期待されたが、48年10月、大阪で桂枝雀らの襲名披露に出演中脳溢血で倒れた。以来20年近く、病院や老人ホームでの闘病生活に入る。平成5年8月には、テレビに出演し、10月には新宿末広亭での「痴楽を励ます会」にも出て、回復のきざしが見えたかと思われたが、平成5年12月1日、急性心不全のため、72歳で亡くなった。後に人間国宝となった柳家小さんさん(平成14年5月死去)らと、若手の花形とされた。
CD落語名人集・「柳亭痴楽」、演芸評論家・保田武宏氏解説から。写真;そのCD表紙より。

■「〜藤田さん、正面玄関まで・・・」 呼び出しの名前は、既にお分かりのように痴楽の本名、藤田からきています。
 

3.痴楽綴り方教室

青春日記」
東京娘のいうことにゃ、さの言うことにゃ、柳亭痴楽はいい男、
鶴田浩二や錦之助、あれよりぐ〜んといい男。
痴楽とならばどこまでも 水平線の果てまでも、どこいとやせぬ。
てなこと夢に見て しみじみ泣いた夜ばかり。
私も人の子、おてもやん。
ピーチクパーチク しゃべれども、失恋ばかりで夢去りぬ。
彼女が欲しいと来てみれば、ここはトルコの町外れ、
男のもてるウシクダラ、二枚目気取りで歩いたら、
右も左も女の子、ベッサメムーチョでアイラブユー。
ほいきた長さん、待ってたと、ぐーと彼女を抱きしめれりゃ
とたんにポロポロ モミのから、枕を抱いて、いたのです。
痴楽青春日記より。

 この噺のマクラで振っていた綴り方教室です。文にするとなぁ〜んだ、となりますが、痴楽がやるとバカ受けです。

■綴り方教室「恋の山手線」
第83話にあります。


4.「ラブレター」の出典
 
この噺のフレーズは、ある歳以上の人に聞くと誰でも知っているのですが、私以上の落語通に聞いても、演者と題名が出てこないのです。子供の頃聞き覚えのある、この噺のフレーズ「・・・、表で狐が待ってます」の題名が分からずに、ずっと探し続けていましたが、最近やっと演者と題名が判明しました。それは豊川稲荷の茶屋に行って、話を伺い痴楽がやっていた事が確定。図書館で柳亭痴楽の落語CDを何枚か見つけ、借りてきた中の「ラブレター」に入っている事を発見。嬉しかったですね。演題が分かったのですが、噺のオチに使われていたと思っていたのですが、話の一部の小話に使われていた内容なのです。ですから、題名が直接判明できなかったのです。でも、数年来のもやもやが解けた、記念すべき題材になりました。 また、オチの「あらいやよさん」は絶品です。
 そのCDは、コロンビア「落語名人集(三) 柳亭痴楽ライヴ」(COCJ-31446)です。収録されているのは「ラブレター」(昭和33年版)、「運転手募集」、「新聞記事」。マクラの綴方教室はそれぞれ「青春日記」 、「恋の山手線」、「笑道一代」が入っています。
 今回は、このCDから書き出しています。

 


  舞台の赤坂豊川稲荷を歩く

  豊川稲荷には赤坂見附の交差点から 、青山通りの坂を上がっていくと右側に、赤い提灯が並んだ塀が見えて来ます。飲み屋さんの赤提灯とは違うので直ぐに分かります。その向こう隣が、皇太子一家が住んでいる東宮御所や、秩父宮邸、三笠宮邸がある赤坂御所です。塀の始まる角に階段が付いた山門があり、春先に訪れたので、山門の脇の桜が見事でした。ここが「赤坂豊川稲荷別院」で、通りを渡った向こう側に、名奉行で知られる大岡越前守忠相の下屋敷(赤坂一ッ木。現・赤坂4−1)が有り、邸内神をここに移したものです。

 境内の中央には本堂があり、屋根の改修工事の真っ最中です。銅板葺きの屋根の寄進を受け付けています。その銅板の裏側に寄進者の名前が書き込まれますが、後年、この寄進者の名前が出てきたら素敵でしょう。と、思うのは早合点で、そのころには私や家族達はとうの昔に居なくなっています。誰がそれを見て喜ぶのでしょうか。
 本題に戻って、境内には大岡越前廟もあり、千本幟がはためく奥社があったり、読めない額字「豊川枳尼眞天」が後で”とよかわだきにしんてん”だと解るなど、薄識ぶりには涙ものです。

 お使いの、狐たちがあちらこちらにいて、参拝者を迎えています。

 境内には茶店が2−3軒有り、古き良き昔の面影を残しています。お土産は勿論、飲み物、食事も廉価で出来ます。参拝者だけが利用していると思ってら、主なお客様は近所のオフィスビルに働く戦士達でした。最近は残業も減って、夜食の消費が減っていると、茶店の女将はこぼしていました。ここにも景気の影響が出ているんですね。
 ここに、現・五代目柳亭痴楽の落語会のポスターが貼られていました。良く来るそうです。

 

地図

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写真

それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。

  

本堂
本尊様は豊川枳尼眞天を祀り、その左右には十六善神(じゅうろくぜんじん)、愛染妙王(あいぜんみょうおう)、摩利支天(まりしてん)、拝殿には大黒天もまつられています。
 

東京・赤坂豊川稲荷奥の院千本のぼり
 願いの叶ったお礼として、また家内安全・商売繁盛・交通安全・心願成就と、それぞれの願いをこめたのぼりが、奥の院一帯の参道両側にギッシりと奉納されております。

関基大岡越前守忠相公御廟
 大岡越前忠相公は、妙厳寺十九世哲翁万牛禅師に帰依して禅機を証得され、邸内に豊川稲荷社をまつって深く信仰し、政務を遂行した名奉行として今なお語り継がれています。

  


 
お稲荷さんの使い姫は”狐”です。霊狐塚や本堂前にも当然いますが、ここにも 「子だき狐」がいました。君が藤田さんを呼び出したのですか。

山門
 昭和39年東京オリンピック開催にあたり、交通量の増大をはかるため国道246号線(青山通り)の拡幅工事が行われました。その際に当別院の境内前面の広場も対象となり、境内縮小工事に伴い現在の場所に移築されました。
 写真は今年4月桜が満開の時に訪れた時のものです。
 

                                                       2005年9月記

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