目黒行人坂 大円寺 (目黒区下目黒1-8-5)

 

 江戸の大火で二番目に大きい火事だと言われる「行人坂の火事」の火元だと言われる、大円寺に八百屋お七と吉三のお地蔵と木像が残っています。
 

 大円寺の本堂に並んで「阿弥陀堂」があります。この中にお七地蔵と西運上人の像が祀られています。

 大円寺での八百屋お七の話

 江戸時代、本郷の八百屋の娘お七は天和2年(1682)の火事の際、自宅を焼かれしばらくの間、駒込の円林寺に仮住まいしており、その時に寺小姓の吉三に恋したという。お七が十六、吉三が十八でした。
 恋こがれたお七は、吉三に逢いたさに翌年自分の家に放火したために、江戸市中を引き回しの上、鈴が森の処刑場で火刑に処せられた。
 その後、一方の主人公「寺小姓吉三」はお七の処刑後、僧となり名を「西運」(さいうん)と改め諸国を行脚、後に大円寺の下隣りの明王院(現・雅叙園)に入ってお七の菩提を弔うため、往復十里(約40km)の道のりを浅草観音まで夜から明け方に掛けて鉦を叩き念仏を唱え、隔夜日参り一万日の行を27年と5ヶ月かけて成し遂げ、お七が夢枕に立って成仏したことを告げられたことから、「お七地蔵尊」を造った。また、西運は多くの江戸市民から浄財の寄進を受け、これを基金に寺前の行人坂に敷石の道を造り、坂下の目黒川に石の太鼓橋を架け社会事業の数々を行った。

 明王院は明治13年に大円寺に吸収され、大円寺の境内に阿弥陀堂として祀られています。

   

左;来迎阿弥陀三尊像の前に立つ「お七地蔵尊」。身体を多少左に傾けた木像。
右;「西運上人像」。大円寺縁起から写真引用

現・雅叙園の入口脇にある「お七の井戸」
 決してここからお七さんの幽霊が出る訳ではありません。西運が浅草寺まで、行に出る時、ここで身体を浄めて発った井戸だと言われています。

07年11月追記

 

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